狐松明妖夜 ~きつねのたいまつあやかしのよる~

泉南佳那

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瀕死の旅人

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 紫乃が助けた旅人の傷は幸いなことに浅かったが、旅の疲れもあったのか、高熱が続き意識も朦朧【もうろう】としている様子だった。

 雲助に荷を盗まれたようで、身元の手がかりは何ひとつない。

 さて、どうしたものか。紫乃の伯父、高木幸右衛門が古参の奉公人と話し合っているところに、怪我人の世話を任された女中のひとりがやってきた。

「旦那様、もしや、此度こたびの芝居にお出になる役者では?」

「なぜ分かる?」
「いえ、何せ、この辺りではついぞ見かけることのない、それはもう麗しい殿御ですので」

 お世話を申し付けられていない女中たちも、何かと用事を作って座敷にきては、かしましく騒ぎたてるので困っております、と愚痴をこぼす。

 なるほど、さもありなん、と幸右衛門は、この村の前に近隣の村で芝居を打っている座頭に連絡を取った。

 その一報を受け、尾上竹次郎と名乗る役者が駆けつけてきた。

「ああ、確かに。わたくしどもの源之丞にございまする。予定よりも到着が遅れておりましたゆえ、大変心配をいたしておりました」
 竹次郎は心底、安堵した様子だった。

「庄屋様。早々に引き取るのが筋、とは存じますが、へなにぶん旅回りの最中さなか。こちらではろくな看病もしてやれません。もしもお許しいただけるのなら、もうしばらくお屋敷でご厄介になる訳には参りませんでしょうか」と、平身低頭のていで頼みこんだ。

 幸右衛門は快諾した。
「今度の興行は、村人こぞって楽しみにしていることだし、もし源之丞殿に万が一のことがあればこちらとしても都合が悪い。よろしい、わかりました。ご快復されるまで、うちで預からせていただきましょう」

 怪我人の名は市河源之丞。年は二十一。

 幕府から正式に興行を許されている江戸三座の役者ではなかったが、私設の芝居小屋や見世物小屋が軒をつらねる西両国の橋詰で、たいそうな評判を取っている役者であった。

 観る者を惹きつけてやまない、#艶_あで__#やかな立ち姿と颯爽さっそうとした口跡で、〝垢離場こりば若大夫わかたゆう〟と通り名で呼ばれるほど、人気を博していた。

 此度の芝居も客の目当ては、噂に聞く、この源之丞。

 商いで江戸に行き、たまたま芝居を観た者が、「すごい役者が来るぞ」と村中に喧伝けんでんしていた。

 屋敷中の女たちが、思いがけない美男の逗留に色めきたっているなか、紫乃の祖母の辰だけは、たとえ怪我しているとはいえ、役者が家に滞在することに憤懣やる方ない様子であった。

「幸右衛門も人が良すぎる。なんで役者なんぞを家に置くのだ」

 紫乃は解せなかった。
 ばば様はなぜ、それほどまでに役者を毛嫌いするのだろうか。

 芝居興行が決まったとき、祖母と話したことを紫乃は思いかえした。
「今年は何でも、江戸から滅法いい役者が来るらしいよ。ばば様もたまには楽しんできたらどうだ。近所のじいじやばあばも楽しみにしているぞ」

「あんなくだらんものは、観たくない。役者なんぞ碌なもんじゃねえ。金輪際、芝居の話などするんじゃないぞ」
 祖母はまるで蛆【うじ】虫を捻りつぶしたときのように、ひどく顔を歪めた。

「嫁入り前の娘が役者なんぞと近づきになってはいかん」と祖母は言い、紫乃が離れに出入りすることをきつく禁じた。

 言われなくとも、あんな優男【やさおとこ】こっちから願い下げだ。
 頼まれても近づきになんかなるもんか。

 だが、あの男に対して、なぜそれほど意固地になるのか、紫乃は自分でもよくわからなかった。
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