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男装の美少女(二)
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剣術の腕が上がるとともに、紫乃の刃のきっさきのような眼差しは一段と鋭さを増し、近寄りがたい雰囲気に拍車をかけた。
まるで岡っ引きか用心棒のように、竹刀を手に村内を練り歩き、悪さをしている者を見つけると腕試しに勝負を挑むことでも有名であった。
「お、おい、紫乃だ」
「げぇっ」
悪ガキどもは紫乃を恐れ、姿を見かければ逃げ出した。
だが、反対に娘たちの間では憧れの的。
「紫乃様、これを」と言いながら、真っ赤な顔をして付文を渡す娘が後をたたない。
こんなものを渡して、おれにどうしろと言うのだ。まったく。
紫乃には、娘たちの行動がまったく理解できなかった。
そんな調子だから、気の合う友はおらず、心を許せる相手は奉公人の楓、ただ一人。
楓は紫乃より年が三つ上。紫乃にとっては姉のような存在だった。
幼少のころ、庄屋に奉公にあがって以来、楓は紫乃のお守り役だ。
どこに行くにも紫乃の後をついてくる。
楓に言わせれば、何をしでかすかわからない紫乃の見張り番、と言うことだが。
たしかに紫乃には興奮すると歯止めが利かなくなってしまうところがあった。
相手が立ち上がれなくなるまで叩きのめしてしまうのだ。
以前、村の娘を手籠めにしようとしていた無宿者を見つけたときも、楓が止めに入らなければ、あやうく殺【あや】めてしまうところだった。
血が滾【たぎ】り、人が変わる。
身体のなかを狂暴な嵐が吹き荒れる。
それは、幼い頃から変わらぬ紫乃の気質であった。
やはり、両親の愛を欠いた生い立ちがそうさせるのか、と周りの人は噂する。
それを耳に挟むと、よけいに苛立ちが募り、また暴れるという悪循環。
紫乃自身も、そんな自分を持てあましていた。
荒ぶる心が抑えられなくなったときの逃げ場所、それが村はずれの大樹の洞であった。
そこに入って小動物のように膝を抱えて丸くなり、ひとりきりで時を過ごした。
人ひとり、やっと入ることのできる洞のなかは暗く、温かい。
常日頃まとっている心の鎧が溶けてゆく。
そこは誰はばかることなく、自分をさらけ出せる紫乃の聖域だった。
一昨日、雲助に襲われた旅人を助けたときも、紫乃はその洞でまどろんでいる最中だった。
だが、突然、その心地よい静寂は破られた。
かたわらの繁みで、常ならぬ大きな音がしたからだ。
――猪? いや、賊か?
その音に続いて、悲痛な叫び声と怒声が耳に入ってきた。
誰かが襲われている。
紫乃はすばやく木の狭間をすり抜けて表に出た。
目と鼻の先で、旅人がひとり倒れており、ふたりの雲助らしき奴らが見下ろしていた。
「まったく、しゃらくせえ真似しやがって」
悪党のひとりが倒れた旅人を棍棒で殴り殺そうとしていた。
こやつら、最近噂に聞く、旅人を襲う雲助どもだな。
ふん、痛い目に合わせるいい機会だ。
紫乃は不敵な笑みを浮かべ、すぐさま大樹に立てかけていた竹刀を手に取り、あっさり賊を打ち倒した。
雲助が退散した後、重症を負っている旅人に近づいた。
これまで男など歯牙にもかけなかった紫乃も、その美貌に思わず目を見張った。
苦痛に眉根を歪めるさまは、さながら読本に描かれている捕らわれの美男。
目が離せぬほど、美しい男……
こんな男がこの世にいるとは。
だが、紫乃はその思いをすぐに打ち消した。
「まったく、こんなに細っこくて、生っ白いから雲助に狙われたりするんだ」
見るからに弱々しい男に、一瞬でもときめいた自分を恥じるように、紫乃はひとりごちた。
そんな男勝りの紫乃も、来年の正月を迎えると十六になる。
幼い頃から、紫乃の人並み外れた強情さに手を焼いていた伯父は、家の恥だと言いながら、しぶしぶ紫乃が男の恰好をすることを許していた。
ただ、勝手をするのも十五までと、昔からきつく言い渡していた。
十六を迎えてのちは、髪をきちんと結い、恥ずかしくない恰好をして、裁縫や料理など、おなごのたしなみを身につけ、しかるべきときに嫁に行かねばならぬ、従わないようならこの家から即刻追い出すと。
「お前はおなごだ。いくら剣術が強かろうと、そんなものは露ほども役には立たん。おなごは嫁に行き、主人を助け、家を守るのが役目だ。いいな」と叔父は口がすっぱくなるほど繰り返した。
月日は疾風【はやて】のごとく過ぎていく。
夏が終わり、朝晩、涼しい風が吹き、虫の音が静かな夜に興を添える季節を迎え、残り少なくなってきた自由な日々を惜しむ気持ちは日増しに強くなる。
いっそ、この家を出れば……
そうは思うが、むろん行く当てもない。
堂々巡りの思いを抱え、紫乃は気の晴れない日々を送っていた。
まるで岡っ引きか用心棒のように、竹刀を手に村内を練り歩き、悪さをしている者を見つけると腕試しに勝負を挑むことでも有名であった。
「お、おい、紫乃だ」
「げぇっ」
悪ガキどもは紫乃を恐れ、姿を見かければ逃げ出した。
だが、反対に娘たちの間では憧れの的。
「紫乃様、これを」と言いながら、真っ赤な顔をして付文を渡す娘が後をたたない。
こんなものを渡して、おれにどうしろと言うのだ。まったく。
紫乃には、娘たちの行動がまったく理解できなかった。
そんな調子だから、気の合う友はおらず、心を許せる相手は奉公人の楓、ただ一人。
楓は紫乃より年が三つ上。紫乃にとっては姉のような存在だった。
幼少のころ、庄屋に奉公にあがって以来、楓は紫乃のお守り役だ。
どこに行くにも紫乃の後をついてくる。
楓に言わせれば、何をしでかすかわからない紫乃の見張り番、と言うことだが。
たしかに紫乃には興奮すると歯止めが利かなくなってしまうところがあった。
相手が立ち上がれなくなるまで叩きのめしてしまうのだ。
以前、村の娘を手籠めにしようとしていた無宿者を見つけたときも、楓が止めに入らなければ、あやうく殺【あや】めてしまうところだった。
血が滾【たぎ】り、人が変わる。
身体のなかを狂暴な嵐が吹き荒れる。
それは、幼い頃から変わらぬ紫乃の気質であった。
やはり、両親の愛を欠いた生い立ちがそうさせるのか、と周りの人は噂する。
それを耳に挟むと、よけいに苛立ちが募り、また暴れるという悪循環。
紫乃自身も、そんな自分を持てあましていた。
荒ぶる心が抑えられなくなったときの逃げ場所、それが村はずれの大樹の洞であった。
そこに入って小動物のように膝を抱えて丸くなり、ひとりきりで時を過ごした。
人ひとり、やっと入ることのできる洞のなかは暗く、温かい。
常日頃まとっている心の鎧が溶けてゆく。
そこは誰はばかることなく、自分をさらけ出せる紫乃の聖域だった。
一昨日、雲助に襲われた旅人を助けたときも、紫乃はその洞でまどろんでいる最中だった。
だが、突然、その心地よい静寂は破られた。
かたわらの繁みで、常ならぬ大きな音がしたからだ。
――猪? いや、賊か?
その音に続いて、悲痛な叫び声と怒声が耳に入ってきた。
誰かが襲われている。
紫乃はすばやく木の狭間をすり抜けて表に出た。
目と鼻の先で、旅人がひとり倒れており、ふたりの雲助らしき奴らが見下ろしていた。
「まったく、しゃらくせえ真似しやがって」
悪党のひとりが倒れた旅人を棍棒で殴り殺そうとしていた。
こやつら、最近噂に聞く、旅人を襲う雲助どもだな。
ふん、痛い目に合わせるいい機会だ。
紫乃は不敵な笑みを浮かべ、すぐさま大樹に立てかけていた竹刀を手に取り、あっさり賊を打ち倒した。
雲助が退散した後、重症を負っている旅人に近づいた。
これまで男など歯牙にもかけなかった紫乃も、その美貌に思わず目を見張った。
苦痛に眉根を歪めるさまは、さながら読本に描かれている捕らわれの美男。
目が離せぬほど、美しい男……
こんな男がこの世にいるとは。
だが、紫乃はその思いをすぐに打ち消した。
「まったく、こんなに細っこくて、生っ白いから雲助に狙われたりするんだ」
見るからに弱々しい男に、一瞬でもときめいた自分を恥じるように、紫乃はひとりごちた。
そんな男勝りの紫乃も、来年の正月を迎えると十六になる。
幼い頃から、紫乃の人並み外れた強情さに手を焼いていた伯父は、家の恥だと言いながら、しぶしぶ紫乃が男の恰好をすることを許していた。
ただ、勝手をするのも十五までと、昔からきつく言い渡していた。
十六を迎えてのちは、髪をきちんと結い、恥ずかしくない恰好をして、裁縫や料理など、おなごのたしなみを身につけ、しかるべきときに嫁に行かねばならぬ、従わないようならこの家から即刻追い出すと。
「お前はおなごだ。いくら剣術が強かろうと、そんなものは露ほども役には立たん。おなごは嫁に行き、主人を助け、家を守るのが役目だ。いいな」と叔父は口がすっぱくなるほど繰り返した。
月日は疾風【はやて】のごとく過ぎていく。
夏が終わり、朝晩、涼しい風が吹き、虫の音が静かな夜に興を添える季節を迎え、残り少なくなってきた自由な日々を惜しむ気持ちは日増しに強くなる。
いっそ、この家を出れば……
そうは思うが、むろん行く当てもない。
堂々巡りの思いを抱え、紫乃は気の晴れない日々を送っていた。
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