狐松明妖夜 ~きつねのたいまつあやかしのよる~

泉南佳那

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男装の美少女(一)

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 霧の立ち込める鎮守の森に抱かれ、芝居小屋は村を見下ろすように建っている。


 あとひと月もすれば、久方ぶりにこの小屋に灯がともる。


 江戸や大坂の芝居小屋に比べれば、吹けば飛ぶような粗末なものだが、客席まで屋根が掛かっているだけでも村の劇場としては豪勢だ。
 屋根だけでなく、セリや花道も一通り備えている。


 村の無彩色な日常が、濃密な色彩に覆いつくされる日々がやってくる。
 あとひと月ほどで例大祭。同時に芝居も催されるのだ。

 しかも、此度こたびは村人の素人芝居ではなく、江戸で評判の役者を招くことになっていた。

 お江戸の役者を見物する――
 多くの村人にとって、そんな機会はおそらく一生に一度あるかないかだ。

 期待は弥増いやましに増し、そこここに溢れだしていた。
 


 未曾有の被害をもたらした大飢饉からこのかた、芝居どころではなかった。

 この地域は木材の産地だったおかげで、他村に比べれば幸い被害は小さかったが、その後、幕府による緊縮のお達しもあり、ずっと活気がなかった。

 そこで村人を元気づける妙案はないかと、近隣の庄屋が寄り集まって会合を開き、派手に芝居興行をぶち上げようという話になった。

「なるほど、このところ芝居にゃ、とんとご無沙汰だったしなぁ」
「お稲荷様がへそを曲げられても困るしなあ」

 昔から〝この地域のお稲荷様は無類の芝居好き〟と言い伝えられてきた。
 なぜか芝居を催した年は決まって豊作。
 とくに芝居の評判が良かった年は大豊作になることが多かったのである。

 しかし、お稲荷様は村にご利益をもたらしてくれる一方、機嫌を損ねると恐ろしい災厄をもたらすことも知られていた。

 端材を集めて山村に似あわない立派な芝居小屋を建てたのも、お稲荷様に献ずるためであった。

「よし、ここはひとつ、村の安寧のためにお稲荷様のご加護を願って、でっかい興行を打とうではないか」

 長老格の庄屋の〝鶴の一声〟で、芝居興行の申請が決まった。

 だが陣屋からの許可がなかなか下りず、ようやく本年、実現にこぎつけたのである。

***

 その芝居小屋ののぼりを眺めているふたつの人影。

 ひとりは髪を島田に結い、縞木綿の小袖を着た奉公人らしき女。
 いまひとりは、ほっそりした体を男ものの木綿の袴に包み、髪は馬のしっぽのように後ろで一括り。
 そして腰には竹刀。

 少年のような風体だが、実はおなご。
 この村で知らぬ者のいない、庄屋(現在の村長)高木幸右衛門の姪、高木紫乃だ。

「もうすぐですね、お芝居があくのは」
かえでも観たいのか」
「ええ、それはもう。江戸に商いに行った男衆がいつも、本場の芝居はすげえもんだと言っていましたから」
「ふーん」
「紫乃様は参らないのですか?」
「ばば様が許してくださらぬのでな」

 
 年は十五。両親はなく、伯父夫婦と祖母に育てられていた。

 目元の涼しい、村一番の器量良しであったが、同時に村一番の変わり者としても知られていた。

 
 服装や態度だけではなく、昔、上方で剣術の師範をしていた老人に、幼いころから剣の手ほどきを受けていた。
 その腕はかなりのもので、腕自慢の男衆でもかなうものはいなかった。

「女にしておくには誠に惜しい逸材」と師匠も太鼓判を押していた。


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