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序
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「野郎、待ちやぁがれ」
どれほど走ったことか。
目は眩み、頭は割れそうに痛む。
旅の途中、不覚にもふもとから二人組の悪党に付け狙われ、人けのない山中で襲われた。
頭の傷から血が滴り、頬を伝う。
顔に傷がついてなきゃいいが……
懐を探られたとき、相手の股間を蹴りあげ、もうひとりには砂を投げつけて目潰しを喰らわせ、その隙に逃げだした。が、
もう、これ以上走れねえ……
ずさっと音を立てて、繁みに倒れ込んだ。
すぐに追いついてきた、若い男に横っ腹を蹴りとばされた。
「まったく、しゃらくせえ真似しやがって」
白髪まじりの男も近づいてくる。
「おとなしくしてりゃ、命だけは助けてやったものを」
にやりと残忍な笑みを浮かべ、自分に向かって棍棒を振りあげるのが見えた。
これにて、一巻の終わり……ってことか。
覚悟を決めた瞬間、大樹の背後から黒い人影が飛び出した。
カーンという高い音とともに、棍棒が宙高く舞う。
「何しやァがる!」
「怪我人相手に酷な真似はやめろ。おれが相手をいたす」
おなご?
かすむ目をようよう開けて見あげると、袴姿の華奢な人物が竹刀を構えていた。
若衆? いや、狐狸妖怪?
変化の類ではないか。
そう訝るほど、全身、恐ろしいほどの殺気がみなぎっていた。
「へ、女郎じゃねえか。てめえにやァ関係ねえ。怪我するぜ」
「こいつを殺ったら、その横で可愛がってやるから、おとなしく待ってな」
若い男が下卑た笑いを浮かべる。
ヤァーっ!
激声をあげると、正体不明の女剣士は年配の男の胴を打ちはらった。
そのたった一打で、男はぐえっと声を上げ、血を吐き、あっけなく倒れた。
瞬時にもうひとりの男の正面に立ち、竹刀を突き出すと、女は凄まじい眼光をはなった。
男はうろたえて後ずさる。
女はじりじりと間合いを詰めてゆく。
「お前のほうは――そうだな。頭の骨を砕いてやろうか?」
意表を突くほど明るい声で軽やかに言い放つ。
だが、底には冷酷な響きがあり、相手を震えあがらせるに十分な不気味さを擁していた。
「う、……うわあー」
男は泡を食って逃げ出した。
「ふん、腰抜けが。そなた、大事ないか?」
しゃがみ込み、声をかけてきた。
やっぱり、おなごじゃァねえか。しかもまだ年若な。
「だ、大事の……ところを……」
必死で答えようとしたが、はたして聞こえていたかどうか。
声を出すのもつらかった。
そこにまた、違う足音が聞こえてきた。
「紫乃様、大事はございませぬか」
「ああ、楓か。旅のお人が怪我をされている。屋敷に連れていかねば。男衆を二、三人、呼んできてくれ」
「はい」
紫乃と呼ばれた女は、水筒の水で手拭を湿らせ、傷口をそっと拭った。
激痛が走る。
「痛っ。き、傷は、深けぇのか」
「いや、出血はあるがそう深くはない。無理にしゃべるな。じき、助けがくるからな」
間近で眺めれば、目鼻立ちの整った美しい面立ちだ。
狐狸ではなく、弁天か?
鬼神のごとき胆力と天女のごとき美貌をあわせもつとは、いったい何者だ?
このような山間の村には、いささか不似合いな……
だが、思いを巡らす間もなく、意識は完全に途切れた。
どれほど走ったことか。
目は眩み、頭は割れそうに痛む。
旅の途中、不覚にもふもとから二人組の悪党に付け狙われ、人けのない山中で襲われた。
頭の傷から血が滴り、頬を伝う。
顔に傷がついてなきゃいいが……
懐を探られたとき、相手の股間を蹴りあげ、もうひとりには砂を投げつけて目潰しを喰らわせ、その隙に逃げだした。が、
もう、これ以上走れねえ……
ずさっと音を立てて、繁みに倒れ込んだ。
すぐに追いついてきた、若い男に横っ腹を蹴りとばされた。
「まったく、しゃらくせえ真似しやがって」
白髪まじりの男も近づいてくる。
「おとなしくしてりゃ、命だけは助けてやったものを」
にやりと残忍な笑みを浮かべ、自分に向かって棍棒を振りあげるのが見えた。
これにて、一巻の終わり……ってことか。
覚悟を決めた瞬間、大樹の背後から黒い人影が飛び出した。
カーンという高い音とともに、棍棒が宙高く舞う。
「何しやァがる!」
「怪我人相手に酷な真似はやめろ。おれが相手をいたす」
おなご?
かすむ目をようよう開けて見あげると、袴姿の華奢な人物が竹刀を構えていた。
若衆? いや、狐狸妖怪?
変化の類ではないか。
そう訝るほど、全身、恐ろしいほどの殺気がみなぎっていた。
「へ、女郎じゃねえか。てめえにやァ関係ねえ。怪我するぜ」
「こいつを殺ったら、その横で可愛がってやるから、おとなしく待ってな」
若い男が下卑た笑いを浮かべる。
ヤァーっ!
激声をあげると、正体不明の女剣士は年配の男の胴を打ちはらった。
そのたった一打で、男はぐえっと声を上げ、血を吐き、あっけなく倒れた。
瞬時にもうひとりの男の正面に立ち、竹刀を突き出すと、女は凄まじい眼光をはなった。
男はうろたえて後ずさる。
女はじりじりと間合いを詰めてゆく。
「お前のほうは――そうだな。頭の骨を砕いてやろうか?」
意表を突くほど明るい声で軽やかに言い放つ。
だが、底には冷酷な響きがあり、相手を震えあがらせるに十分な不気味さを擁していた。
「う、……うわあー」
男は泡を食って逃げ出した。
「ふん、腰抜けが。そなた、大事ないか?」
しゃがみ込み、声をかけてきた。
やっぱり、おなごじゃァねえか。しかもまだ年若な。
「だ、大事の……ところを……」
必死で答えようとしたが、はたして聞こえていたかどうか。
声を出すのもつらかった。
そこにまた、違う足音が聞こえてきた。
「紫乃様、大事はございませぬか」
「ああ、楓か。旅のお人が怪我をされている。屋敷に連れていかねば。男衆を二、三人、呼んできてくれ」
「はい」
紫乃と呼ばれた女は、水筒の水で手拭を湿らせ、傷口をそっと拭った。
激痛が走る。
「痛っ。き、傷は、深けぇのか」
「いや、出血はあるがそう深くはない。無理にしゃべるな。じき、助けがくるからな」
間近で眺めれば、目鼻立ちの整った美しい面立ちだ。
狐狸ではなく、弁天か?
鬼神のごとき胆力と天女のごとき美貌をあわせもつとは、いったい何者だ?
このような山間の村には、いささか不似合いな……
だが、思いを巡らす間もなく、意識は完全に途切れた。
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