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第8章 偽シンデレラの正体

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 そうして、玲伊さんの部屋に住むようになり、高木書店に通う生活がはじまった。
 それからしばらく経ったある日の午後、律さんが書店にわたしを尋ねてきた。

「優紀さん、おひさしぶり」
「律さん、わ、本当、ひさしぶり」
「これから『アンジェ』に行こうと思ってるんですけど、できたら一緒に行きません?」
「うん、大丈夫だと思う」

 わたしは祖母に断って、律さんと一緒に店を出た。

 ***

「いらっしゃい」

 レトロ喫茶店『アンジェ』のドアについているベルがチリンと鳴って、カウンターにいたマスターの白石さんが声をかけてくれた。

 彼もうちの兄の同級生。

 長い髪を後ろで結び、バンドカラーの白シャツにベージュのパンツに黒のギャルソンエプロン。

 なかなかの美形で、兄の話によると、彼目当てのお客さんも多いらしい。

「ねえ優紀さん、もう大変なんですよ」
 臙脂えんじ色の、座面がちょっとへこんだ椅子に座り、グラスの水をぐいっと一口飲むと、岩崎さんはすぐさま話しだした。

 今日は今季最高気温を記録したとか、天気予報で言っていたほど暑い日で、さらにこの時間はとんでもなく暑い。
 わたしも、氷が満たされたグラスの水を一気に半分ほど飲んだ。

「例の、モデルを横取りしたお嬢様、もうトンデモない人で。まあ、ゴリ押しでモデルになる時点ですでにトンデモないんですけど」

 そのお嬢様は「薬膳なんて、美味しくないから食べたくない」「こんな暑いときに運動なんてしたくない」と言って、どちらも1回の撮影だけで済ませて、今は玲伊さんの施術とエステのみしかしていないそうだ。

「そんな、おいしいとこ取りってあります?」と律さん。

 そして今日。

 玲伊さんが地方の美容イベントに出席するため、今日だけ代わりに一階のサロンの主任スタイリストが施術をすると言ったら
「そんなの絶対、嫌よ。わたしの髪に触れていいのは、香坂さんだけなんだから!」とごねまくったそうだ。

「わたし、とうとうブチ切れちゃって。笹岡さんに直談判して、シンデレラ・プロジェクトの担当下ろしてもらいました。あの人をモデルなんかにして、本当に大丈夫なのかな。うちの評判落ちちゃうんじゃないかな」と心配顔だ。

「おい、あっちまで聞こえてきたけど、なんか、大変そうだな」
 白石さんが注文したアイスコーヒーを運んできた。

「そうなんですよ、マスター。もう本当、いらいらすることばっかりで。外はくそ暑いしで、毎日へとへと」

「そんな頑張ってる常連さんへ特別サービス。ほら、アイスのっけてやったから」

「わ、ありがとうございます。ちょっと元気、出た」

「現金な奴だな」
 白石さんは笑いながらカウンターに戻っていった。

 あれ、律さん、わかりやすく顔を赤くしている。
 ああ、彼女もマスター目当ての一人なのか。

 今度、玲伊さんに聞いてみよう、白石さん、彼女いるかどうか。
 もし、いなければ、キューピッド役をするのも悪くないかも。

 結構お似合いじゃないかな、このふたり。

 そんなことを考えていると、柄の長いスプーンでアイスをつつきながら、律さんはわたしに訴えてくる。

「ねえ、優紀さん、戻ってきてくださいよー」

 わたしは苦笑した。
「それ、わたしに言われても困るけど」
「でも、ほんっとにむかつくんですよ、あの、桜庭乃愛のえ。名前だけは可愛いんですけどね」

「えっ? あっ」
 手がテーブルの上のグラスにあたり、水をこぼしてしまった。

「あ、ごめん。濡れなかった?」
「ぜんぜん平気です。あれ、優紀さんこそ大丈夫ですか? 顔、真っ青だけど」
「え、そう? ね、本当にその人の名前、桜庭乃愛なの? どんな字?」

 律さんは、ポシェットからボールペンを出して、ナプキンに書いてくれた。

 桜・庭・乃・愛、と。

 同じだ。本人に間違いない。

「知ってるんですか? この人のこと」
「前の会社の同僚だったから」

「そうなんですか。それはびっくりしますよね」
「ええ」

 つい沈んだ調子で答えてしまったわたしに、律さんは遠慮がちに尋ねた。

「もしかして犬猿の仲だった、とか?」
「ううん。わたしが彼女に一方的に嫌われていたというか……」

 律さんはもっと詳しい話を聞きたそうだったけれど、わたしはそれ以上のことは言わなかった。
 
 でも……

 まさか、また、彼女との接点ができるなんて。

 玲伊さんのおかげで、やっとあのころのことを忘れることができそうだと思っていたのに。

 まだ、ぜんぜん立ち直れていないんだ、と気づいて、そのことにも愕然とした。
 
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