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一樹はなかなか戻ってこなかった。
やきもきした気持ちを抱えたまま、昼の休憩時間になった。
食欲がまるで沸かないので、そのまま自席で仕事を続けていた。
パーテーションの奥で、女子社員数人が応接ソファーを陣取って、昼食を食べていた。
そこに秘書課の子が飛び込んできた。
「ねえ、大変だよ。浅野くん、会社、辞めさせられるかもしれない」
その言葉に、彼女たちはハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
「ちょっと、どういうこと?」
「社長や副社長が深刻な顔で『浅野が機密情報漏洩』とかなんとか……言ってて」
「えーっ! 大事じゃない」
「そんなぁ、浅野くんのいない会社なんて、来る意味なくなる!」
そんな彼女たちの言葉が耳に入ったとたん、血の気が引いてゆくのを感じた。
ランチから戻ってきた正美が、わたしの顔を見て驚いた。
「茉衣、どうしたの。顔真っ青だよ」
「正美……」
「ちょっと休憩室に行こう」
「うん」
正美は自販機でカップのレモンティーを買ってくれた。
「これ飲んで、落ち着いて」
「ありがとう」
甘酸っぱいレモンティーは動揺するわたしの心を少しだけ鎮めた。
「で、どうした?」
「わたしのせいで浅野くんが……辞めさせられるかもしれない」
「宣人がなんか企んだってこと?」
「たぶん……浅野くんが情報漏洩したって聞いたけど」
「そっか。でも、それなら浅野氏が「白」だってこと、すぐ判明するんじゃない? 社長の目は節穴じゃないよ。とにかく待つしかないよ」
「うん……」
冷静な彼女の言葉に頷きながらも、わたしはまだ納得しきれず、ぎゅっと唇を結んだ。
午後始業のチャイムが鳴った。
彼女はわたしの肩をぽんと叩いて「戻ろ」と立ち上がった。
部屋に戻ると、宣人もいなくなっていた。
これで彼が関わっていることも明らかになった。
わたしは居ても立ってもいられない気持ちのまま、午後を過ごした。
そして、終業間際になって、ようやく一樹が戻ってきた。
わたしの姿を認めると、一樹は軽く手を上げた。
「かずき」わたしは小さく呟き、彼の側に行こうと椅子から立ち上がった。
けれど部の一樹推し女子3人の方が早く、一樹に駆け寄っていった。
「浅野さん、会社辞めさせられるって、
本当ですか?」
一樹は目をみはった。
「えっ、何? そんな話になってるの?」
「浅野さんが会社の機密を漏らして、社長室に呼ばれたって」
それを聞いて、一樹はああ、と頷き、それから頬を緩めた。
「それ、完全な誤解」
「そうですよね! 誤解ですよね! 浅野さんがそんなことするはずないと思ってたんですけど、でも良かった~」
彼女たちは口々に安堵のため息をもらし、手を取って喜びあった。
「その件について話すから、みんなちょっと集まってくれるか」と、後から一足遅れて戻ってきた部長が全員に声をかけてきた。
「外部に情報を持ち出そうとしたのは伊川だ。未遂に終わったから実害はなかったが」
部長の話はこうだった。
一樹のめざましい台頭に、部内トップの座が危ないと考えた宣人は、新製品情報を手土産にライバル社への転職を画策していた。
だが、この夏頃、セキュリティを強化していたこともあり、データは得られず、さらに不正アクセスを試みたことがバレそうになった。
そんな折、宣人が懸念した通り、一樹が自分を追い越してリーダーに抜擢された。
そこで宣人は一樹に不正の濡れ衣を着せ、自己の保身と彼の追い落としの一石二鳥を狙った、というのが事の顛末だった。
あまりにもお粗末かつ身勝手すぎる宣人のやり口に、そこら中でため息がもれた。
「でも伊川さん、なんで、そんなこと、したんだろう」と女子の一人が言う。
「そういえば最近、イラついていたな。会社が自分の実力を認めないってよく愚痴ってた。本当は浅野の台頭に怯えていたんだろうけど。一番じゃなきゃ気が済まない人だから」と同期の島田がまことしやかに口にした。
「しかし、伊川もバカなことをしたな。絶対に不正を行うはずのない浅野にぬれぎぬを着せるとは」
部長の言葉に、みんな首を傾げた。
「どういうことですか?」
「浅野はSAEKI本社の社長のご子息だ。私もさっき知ったばかりだが。だから、うちの会社の不利益になることをするわけがないだろう」
「えー、そうだったんだ」と驚きの声が上がった。
「冴木社長のご意向でこれまでそのことは伏せてきたそうだ。特別扱いされないようにと。ああ、言っておくが今回の昇進は純粋に浅野の実力が認められた結果だぞ。私が査定したんだから間違いない」
「でも、なんで苗字が浅野なんだ?」と誰かが疑問を口にした。
すると、部長の横に立っていた一樹が口を開いた。
「冴木の実子ですが、俺は父方の伯父の養子で。すみません、結果として皆さんを騙すような形になってしまって」
「え、って言うことは」と声を上げたのは正美。
「伯父さん、浅野茂社長なの? 旧財閥系の浅野商事の」
やきもきした気持ちを抱えたまま、昼の休憩時間になった。
食欲がまるで沸かないので、そのまま自席で仕事を続けていた。
パーテーションの奥で、女子社員数人が応接ソファーを陣取って、昼食を食べていた。
そこに秘書課の子が飛び込んできた。
「ねえ、大変だよ。浅野くん、会社、辞めさせられるかもしれない」
その言葉に、彼女たちはハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
「ちょっと、どういうこと?」
「社長や副社長が深刻な顔で『浅野が機密情報漏洩』とかなんとか……言ってて」
「えーっ! 大事じゃない」
「そんなぁ、浅野くんのいない会社なんて、来る意味なくなる!」
そんな彼女たちの言葉が耳に入ったとたん、血の気が引いてゆくのを感じた。
ランチから戻ってきた正美が、わたしの顔を見て驚いた。
「茉衣、どうしたの。顔真っ青だよ」
「正美……」
「ちょっと休憩室に行こう」
「うん」
正美は自販機でカップのレモンティーを買ってくれた。
「これ飲んで、落ち着いて」
「ありがとう」
甘酸っぱいレモンティーは動揺するわたしの心を少しだけ鎮めた。
「で、どうした?」
「わたしのせいで浅野くんが……辞めさせられるかもしれない」
「宣人がなんか企んだってこと?」
「たぶん……浅野くんが情報漏洩したって聞いたけど」
「そっか。でも、それなら浅野氏が「白」だってこと、すぐ判明するんじゃない? 社長の目は節穴じゃないよ。とにかく待つしかないよ」
「うん……」
冷静な彼女の言葉に頷きながらも、わたしはまだ納得しきれず、ぎゅっと唇を結んだ。
午後始業のチャイムが鳴った。
彼女はわたしの肩をぽんと叩いて「戻ろ」と立ち上がった。
部屋に戻ると、宣人もいなくなっていた。
これで彼が関わっていることも明らかになった。
わたしは居ても立ってもいられない気持ちのまま、午後を過ごした。
そして、終業間際になって、ようやく一樹が戻ってきた。
わたしの姿を認めると、一樹は軽く手を上げた。
「かずき」わたしは小さく呟き、彼の側に行こうと椅子から立ち上がった。
けれど部の一樹推し女子3人の方が早く、一樹に駆け寄っていった。
「浅野さん、会社辞めさせられるって、
本当ですか?」
一樹は目をみはった。
「えっ、何? そんな話になってるの?」
「浅野さんが会社の機密を漏らして、社長室に呼ばれたって」
それを聞いて、一樹はああ、と頷き、それから頬を緩めた。
「それ、完全な誤解」
「そうですよね! 誤解ですよね! 浅野さんがそんなことするはずないと思ってたんですけど、でも良かった~」
彼女たちは口々に安堵のため息をもらし、手を取って喜びあった。
「その件について話すから、みんなちょっと集まってくれるか」と、後から一足遅れて戻ってきた部長が全員に声をかけてきた。
「外部に情報を持ち出そうとしたのは伊川だ。未遂に終わったから実害はなかったが」
部長の話はこうだった。
一樹のめざましい台頭に、部内トップの座が危ないと考えた宣人は、新製品情報を手土産にライバル社への転職を画策していた。
だが、この夏頃、セキュリティを強化していたこともあり、データは得られず、さらに不正アクセスを試みたことがバレそうになった。
そんな折、宣人が懸念した通り、一樹が自分を追い越してリーダーに抜擢された。
そこで宣人は一樹に不正の濡れ衣を着せ、自己の保身と彼の追い落としの一石二鳥を狙った、というのが事の顛末だった。
あまりにもお粗末かつ身勝手すぎる宣人のやり口に、そこら中でため息がもれた。
「でも伊川さん、なんで、そんなこと、したんだろう」と女子の一人が言う。
「そういえば最近、イラついていたな。会社が自分の実力を認めないってよく愚痴ってた。本当は浅野の台頭に怯えていたんだろうけど。一番じゃなきゃ気が済まない人だから」と同期の島田がまことしやかに口にした。
「しかし、伊川もバカなことをしたな。絶対に不正を行うはずのない浅野にぬれぎぬを着せるとは」
部長の言葉に、みんな首を傾げた。
「どういうことですか?」
「浅野はSAEKI本社の社長のご子息だ。私もさっき知ったばかりだが。だから、うちの会社の不利益になることをするわけがないだろう」
「えー、そうだったんだ」と驚きの声が上がった。
「冴木社長のご意向でこれまでそのことは伏せてきたそうだ。特別扱いされないようにと。ああ、言っておくが今回の昇進は純粋に浅野の実力が認められた結果だぞ。私が査定したんだから間違いない」
「でも、なんで苗字が浅野なんだ?」と誰かが疑問を口にした。
すると、部長の横に立っていた一樹が口を開いた。
「冴木の実子ですが、俺は父方の伯父の養子で。すみません、結果として皆さんを騙すような形になってしまって」
「え、って言うことは」と声を上げたのは正美。
「伯父さん、浅野茂社長なの? 旧財閥系の浅野商事の」
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