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「なんでそんなこと、知ってんだよ、お前が。茉衣、お前、こいつと何かあるのか」
浅野くんは冷ややかに言った。
「たとえそうでも、あなたにはもう関係ないでしょう」
「浅野……てめえ」
宣人が浅野くんにつかみかかる。
でも彼はその手を取り、逆にひねりあげた。
「これ以上、彼女を傷つけるな!」
「痛ッ、この野郎!」
どうしよう。騒ぎになる前に止めなきゃ!
そのときドアが開き、この場の空気におよそ似つかわしくない、間延びした声が響いた。
「あ、いた。伊川、課長が呼んでるよ。至急だって」
正美だった。
「浅野、覚えておけよ」
宣人はいつものように舌打ちをひとつして、その場を後にした。
正美は心配そうな顔を側まで来た。
「少ししたら、顔、出してくれって、浅野氏に頼まれたんだよ。平気? 茉衣」
「うん……平気」
「今日は一緒に帰ろう。わたしがボディガードになってあげるから」
「いや、それには及ばない。一緒に帰りますよ、俺が」
浅野くんの言葉に、正美は即座に首を振った。
「いや、浅野氏。それはまずいよ。あんたの取り巻きまで茉衣の敵に回したら、わたしひとりじゃ、とても、庇いきれない」
彼は何か言おうとしたけれど「……わかりました」と言い、先に資料室から出て行った。
***
正美は駅まで一緒に帰ってくれた。
電車に揺られている間、歩きながら交わした会話が脳裏によみがえる。
「浅野氏、茉衣が好きなんだと思うよ」
「うん」
「茉衣のことだから別れてすぐ次っていうのが不誠実だと思うんだろうけど、そんなことないよ」
「うん……」
あのときの真剣な眼差しはたしかに彼の気持ちを語っていた。
もう気づいていた。
彼が言っていた「好きな人」が誰なのかということは。
でも、どう考えても、わたしは浅野くんにふさわしくない。
3歳も年上で、それにあのマンションに住めるほどの資産家の息子なのだ、彼は。
わたしなんかより、もっとふさわしい人と付き合わないといけない。
最寄りで降り、マンションに隣接するスーパーに立ち寄った。
とにかく、今は美味しい食事を作ることに専念しよう。
ありったけの気持ちを込めて、ごちそうを作らなきゃ。今まで、あんなに良くしてもらったお礼なのだから。
あれこれ悩んだ結果、カルパッチョ用の刺身やステーキ用の牛ヒレ肉、パン、野菜とデザート用の果物、そしてワインを買い込んで、部屋に戻った。一応、イタリアン・ディナーのつもりだ。
浅野くんが帰ってきたのは、食事の支度がほぼ済んだころだった。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
「玄関先までいい匂いがしてましたよ」
「ちょうどできたところだから」
テーブルにセッティングされた色とりどりの料理を前に、彼は子供のように目を輝かせた。
「すごいな、うまそうだ」
着替えを終えて、席についた浅野くんはいただきますと手を合わせて、まずカルパッチョを口にした。
「うん、うまい」
「ほんと? 口に合ってよかった」
彼はパンを頬張りながら、満足気に頷く。
「梶原さん、料理上手なんですね、見直しました」
「そんなたいしたもの、作ってないよ」
「いや、本当に美味しいです。この味、このワインによく合うな」
わたしは向かいに座る彼に目を向けた。
「今日もまた助けられちゃったね」
「伊川さんが梶原さんの居場所を人に聞いているのが耳に入って、なんか嫌な予感がして」
「ありがとう。助かったよ」
「いや、どちらかといえば、川崎さんの功績が大きいんじゃないかな」
「そんなこと、ないよ、って言ったら正美に怒られるか」
「まあ、今はその話はやめましょう。せっかくの食事が台無しになる」
「そうだね」とわたしも頷いた。
ワインのせいもあったのか、今日の彼はとても饒舌だった。
今、携わっている仕事のこと、趣味のカメラのこと、学生時代のエピソードなど、まるで沈黙を恐れるように言葉をつなげた。
わたしはほとんど聞き役で、相槌を打つ係のようだった。
言うまでもなく楽しい時間を過ごした。
でも、他に言いたいことがあるのに別の話で時間を埋めているような、そんなふわふわした空気が二人の間に始終、漂っていた
食べ終えたころには21時を回っていた。
「いや、美味しかった。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。喜んでもらえてよかった。このぐらいじゃ恩返しの『お』も返せてないけど」
彼は肩をすくめる。
「まだそんなこと、言ってるんですか」
「だって、本当に感謝してるから」
「言われなくても、ちゃんと伝わってますよ」
彼の表情や声にはいたわりが満ちていて、わたしはどうしたらいいかわからなくなってしまう。
どうしてそんなに優しいんだろう、浅野くんは。
胸が締めつけられて息が詰まってしまう、そんなふうに微笑まれたら。
浅野くんは冷ややかに言った。
「たとえそうでも、あなたにはもう関係ないでしょう」
「浅野……てめえ」
宣人が浅野くんにつかみかかる。
でも彼はその手を取り、逆にひねりあげた。
「これ以上、彼女を傷つけるな!」
「痛ッ、この野郎!」
どうしよう。騒ぎになる前に止めなきゃ!
そのときドアが開き、この場の空気におよそ似つかわしくない、間延びした声が響いた。
「あ、いた。伊川、課長が呼んでるよ。至急だって」
正美だった。
「浅野、覚えておけよ」
宣人はいつものように舌打ちをひとつして、その場を後にした。
正美は心配そうな顔を側まで来た。
「少ししたら、顔、出してくれって、浅野氏に頼まれたんだよ。平気? 茉衣」
「うん……平気」
「今日は一緒に帰ろう。わたしがボディガードになってあげるから」
「いや、それには及ばない。一緒に帰りますよ、俺が」
浅野くんの言葉に、正美は即座に首を振った。
「いや、浅野氏。それはまずいよ。あんたの取り巻きまで茉衣の敵に回したら、わたしひとりじゃ、とても、庇いきれない」
彼は何か言おうとしたけれど「……わかりました」と言い、先に資料室から出て行った。
***
正美は駅まで一緒に帰ってくれた。
電車に揺られている間、歩きながら交わした会話が脳裏によみがえる。
「浅野氏、茉衣が好きなんだと思うよ」
「うん」
「茉衣のことだから別れてすぐ次っていうのが不誠実だと思うんだろうけど、そんなことないよ」
「うん……」
あのときの真剣な眼差しはたしかに彼の気持ちを語っていた。
もう気づいていた。
彼が言っていた「好きな人」が誰なのかということは。
でも、どう考えても、わたしは浅野くんにふさわしくない。
3歳も年上で、それにあのマンションに住めるほどの資産家の息子なのだ、彼は。
わたしなんかより、もっとふさわしい人と付き合わないといけない。
最寄りで降り、マンションに隣接するスーパーに立ち寄った。
とにかく、今は美味しい食事を作ることに専念しよう。
ありったけの気持ちを込めて、ごちそうを作らなきゃ。今まで、あんなに良くしてもらったお礼なのだから。
あれこれ悩んだ結果、カルパッチョ用の刺身やステーキ用の牛ヒレ肉、パン、野菜とデザート用の果物、そしてワインを買い込んで、部屋に戻った。一応、イタリアン・ディナーのつもりだ。
浅野くんが帰ってきたのは、食事の支度がほぼ済んだころだった。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
「玄関先までいい匂いがしてましたよ」
「ちょうどできたところだから」
テーブルにセッティングされた色とりどりの料理を前に、彼は子供のように目を輝かせた。
「すごいな、うまそうだ」
着替えを終えて、席についた浅野くんはいただきますと手を合わせて、まずカルパッチョを口にした。
「うん、うまい」
「ほんと? 口に合ってよかった」
彼はパンを頬張りながら、満足気に頷く。
「梶原さん、料理上手なんですね、見直しました」
「そんなたいしたもの、作ってないよ」
「いや、本当に美味しいです。この味、このワインによく合うな」
わたしは向かいに座る彼に目を向けた。
「今日もまた助けられちゃったね」
「伊川さんが梶原さんの居場所を人に聞いているのが耳に入って、なんか嫌な予感がして」
「ありがとう。助かったよ」
「いや、どちらかといえば、川崎さんの功績が大きいんじゃないかな」
「そんなこと、ないよ、って言ったら正美に怒られるか」
「まあ、今はその話はやめましょう。せっかくの食事が台無しになる」
「そうだね」とわたしも頷いた。
ワインのせいもあったのか、今日の彼はとても饒舌だった。
今、携わっている仕事のこと、趣味のカメラのこと、学生時代のエピソードなど、まるで沈黙を恐れるように言葉をつなげた。
わたしはほとんど聞き役で、相槌を打つ係のようだった。
言うまでもなく楽しい時間を過ごした。
でも、他に言いたいことがあるのに別の話で時間を埋めているような、そんなふわふわした空気が二人の間に始終、漂っていた
食べ終えたころには21時を回っていた。
「いや、美味しかった。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。喜んでもらえてよかった。このぐらいじゃ恩返しの『お』も返せてないけど」
彼は肩をすくめる。
「まだそんなこと、言ってるんですか」
「だって、本当に感謝してるから」
「言われなくても、ちゃんと伝わってますよ」
彼の表情や声にはいたわりが満ちていて、わたしはどうしたらいいかわからなくなってしまう。
どうしてそんなに優しいんだろう、浅野くんは。
胸が締めつけられて息が詰まってしまう、そんなふうに微笑まれたら。
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