上 下
12 / 18

12

しおりを挟む
 「なんでそんなこと、知ってんだよ、お前が。茉衣、お前、こいつと何かあるのか」
 
 浅野くんは冷ややかに言った。
 「たとえそうでも、あなたにはもう関係ないでしょう」

 「浅野……てめえ」

 宣人が浅野くんにつかみかかる。
 でも彼はその手を取り、逆にひねりあげた。
 「これ以上、彼女を傷つけるな!」
 「痛ッ、この野郎!」

 どうしよう。騒ぎになる前に止めなきゃ!

 そのときドアが開き、この場の空気におよそ似つかわしくない、間延びした声が響いた。
 「あ、いた。伊川、課長が呼んでるよ。至急だって」
 正美だった。

 「浅野、覚えておけよ」
 宣人はいつものように舌打ちをひとつして、その場を後にした。

 正美は心配そうな顔を側まで来た。
 「少ししたら、顔、出してくれって、浅野氏に頼まれたんだよ。平気? 茉衣」

 「うん……平気」

 「今日は一緒に帰ろう。わたしがボディガードになってあげるから」

 「いや、それには及ばない。一緒に帰りますよ、俺が」

 浅野くんの言葉に、正美は即座に首を振った。

 「いや、浅野氏。それはまずいよ。あんたの取り巻きまで茉衣の敵に回したら、わたしひとりじゃ、とても、庇いきれない」

 彼は何か言おうとしたけれど「……わかりました」と言い、先に資料室から出て行った。
 
 
 ***

 正美は駅まで一緒に帰ってくれた。
 電車に揺られている間、歩きながら交わした会話が脳裏によみがえる。

 「浅野氏、茉衣が好きなんだと思うよ」
 「うん」
 「茉衣のことだから別れてすぐ次っていうのが不誠実だと思うんだろうけど、そんなことないよ」
 「うん……」
 
 あのときの真剣な眼差しはたしかに彼の気持ちを語っていた。

 もう気づいていた。
 彼が言っていた「好きな人」が誰なのかということは。

 でも、どう考えても、わたしは浅野くんにふさわしくない。
 
 3歳も年上で、それにあのマンションに住めるほどの資産家の息子なのだ、彼は。
 わたしなんかより、もっとふさわしい人と付き合わないといけない。


 最寄りで降り、マンションに隣接するスーパーに立ち寄った。

 とにかく、今は美味しい食事を作ることに専念しよう。
 ありったけの気持ちを込めて、ごちそうを作らなきゃ。今まで、あんなに良くしてもらったお礼なのだから。
 

 あれこれ悩んだ結果、カルパッチョ用の刺身やステーキ用の牛ヒレ肉、パン、野菜とデザート用の果物、そしてワインを買い込んで、部屋に戻った。一応、イタリアン・ディナーのつもりだ。

 浅野くんが帰ってきたのは、食事の支度がほぼ済んだころだった。

 「ただいま」
 「あ、おかえりなさい」
 「玄関先までいい匂いがしてましたよ」 
 「ちょうどできたところだから」

 テーブルにセッティングされた色とりどりの料理を前に、彼は子供のように目を輝かせた。
 「すごいな、うまそうだ」
 
 着替えを終えて、席についた浅野くんはいただきますと手を合わせて、まずカルパッチョを口にした。

 「うん、うまい」
 「ほんと? 口に合ってよかった」

 彼はパンを頬張りながら、満足気に頷く。

 「梶原さん、料理上手なんですね、見直しました」

 「そんなたいしたもの、作ってないよ」
 「いや、本当に美味しいです。この味、このワインによく合うな」

 わたしは向かいに座る彼に目を向けた。

 「今日もまた助けられちゃったね」

 「伊川さんが梶原さんの居場所を人に聞いているのが耳に入って、なんか嫌な予感がして」

 「ありがとう。助かったよ」
 「いや、どちらかといえば、川崎さんの功績が大きいんじゃないかな」

 「そんなこと、ないよ、って言ったら正美に怒られるか」
 「まあ、今はその話はやめましょう。せっかくの食事が台無しになる」

 「そうだね」とわたしも頷いた。

 ワインのせいもあったのか、今日の彼はとても饒舌だった。

 今、携わっている仕事のこと、趣味のカメラのこと、学生時代のエピソードなど、まるで沈黙を恐れるように言葉をつなげた。
 わたしはほとんど聞き役で、相槌を打つ係のようだった。

  言うまでもなく楽しい時間を過ごした。

 でも、他に言いたいことがあるのに別の話で時間を埋めているような、そんなふわふわした空気が二人の間に始終、漂っていた

 食べ終えたころには21時を回っていた。
 
 「いや、美味しかった。ごちそうさまでした」
 「お粗末様でした。喜んでもらえてよかった。このぐらいじゃ恩返しの『お』も返せてないけど」

 彼は肩をすくめる。
 「まだそんなこと、言ってるんですか」

 「だって、本当に感謝してるから」
 「言われなくても、ちゃんと伝わってますよ」

 彼の表情や声にはいたわりが満ちていて、わたしはどうしたらいいかわからなくなってしまう。

 どうしてそんなに優しいんだろう、浅野くんは。
 胸が締めつけられて息が詰まってしまう、そんなふうに微笑まれたら。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

私と彼の恋愛攻防戦

真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。 「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。 でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。 だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。 彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

社長、嫌いになってもいいですか?

和泉杏咲
恋愛
ずっと連絡が取れなかった恋人が、女と二人きりで楽そうに話していた……!? 浮気なの? 私のことは捨てるの? 私は出会った頃のこと、付き合い始めた頃のことを思い出しながら走り出す。 「あなたのことを嫌いになりたい…!」 そうすれば、こんな苦しい思いをしなくて済むのに。 そんな時、思い出の紫陽花が目の前に現れる。 美しいグラデーションに隠された、花言葉が私の心を蝕んでいく……。

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

処理中です...