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第玖話 密会
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「叶夜様、本日の会議ですが……」
「……」
「叶夜様、先日議題に上がった件ですが……」
「……」
月影製薬、社長室には叶夜の付人兼執事の神楽が一方的に話し掛けるという異様な光景が広がっていた。
いくら仕事の事で話し掛けても答えは返って来ず、神楽はどうするべきか頭を抱えていた。
――主がこうも腑抜けているだなんて……。いつもの叶夜様であれば有るまじき事態。今朝お帰りになられた時からこんな様子だと、仕事にかなり支障をきたしてしまう……。主の興味を引くお話ともなれば……。
意を決したように、神楽は手元の手帳を見ながら叶夜へと話し掛けた。
「叶夜様、本日華小路様から食事のお誘いが来ておりますが、いかがされますか」
「行く」
――即答ですか……。今までの話には耳を傾けていないようなものなのに……。
「ゴホッ、……承知しました。私の方から華小路様への連絡はさせていただきます」
「時間が決まればまた教えてくれ」
そう言いながら、叶夜は神楽へ書類の束を渡した。
「……へ?」
「取引先への見積書の確認、薬品関連の報告書、会議議事録……一通り目を通した」
これまでいくら仕事の事を話しても一切反応がなく、仕事に手が付かない状態だと思い込んでおり、叶夜の態度に驚きを隠せない神楽だった。
「その反応……。この俺が、仕事に集中していないとでも思ったのか」
「恐れながら」
我に返った神楽は、書類を受け取るや否や深々と頭を下げた。
「ま、そう思われても仕方あるまい……」
「ご自覚はあったのですね」
「そうだな」
「……私は一旦失礼いたします。また後程、お伺いさせていただきます」
「わかった」
神楽が部屋を出て一人となった叶夜の頭に思い浮かんだのは、昨晩自身の腕の中で眠っていた蘭の寝顔だった。
――あいつの寝顔、可愛かったなぁ……。他の奴らには見せてほしくないなぁ……。
背もたれに凭れ掛かる様にその場で伸びをし、急いで書類を確認するために駆使した目を休めるため、叶夜は一旦目を閉じた。ほんの束の間の休息ではあったものの、部屋の近くで神楽の気配を感じ取り、重たい瞼を開けると同時に、扉をノックする音が聞こえてきた。
「入れ」
「失礼いたします。華小路様とのお食事ですが、酉の刻に見世までお越しください、とのことでした」
「見世って……青薔薇か?」
「はい」
「わかった」
「では何か御用の際にはお呼びくださいませ」
神楽が去り再び訪れた静けさの中、叶夜は再び目を閉じた。
❖❖❖
酉の刻――。
【青薔薇】従業員専用の出入り口前で見知った顔を見つけ、叶夜は足早にその人影に近づいた。
「陽斗」
名を呼ばれ、華小路は叶夜の姿を見つけるなり、いつもと何ら変わりないにこやかな表情で彼を出迎えた。
「やあ」
「……こっちで良かったのか?」
「気心知れてる仲ですからね」
「はっ、よく言うぜ」
華小路の後を付いていくように、叶夜は裏口から見世へと足を踏み入れた。見世の中へ入る時には感じなかった感覚を背後で感じ取った叶夜は、その場で振り返った。だが、そこには何も見えなかった。
「叶夜、どうかしましたか」
「……いや、別に何でもない」
「……」
華小路も叶夜と同じように振り返った。そしてある気配を感じ取った。
「……ふふ。そういうことですか」
突然笑いながら話す華小路を見つめ、叶夜は唖然としていた。
「……陽斗……?」
「ふふ……。これはこれは失礼しました。部屋へ参りましょう」
「お、おう」
何が何だかわかっていないまま、叶夜は華小路に連れられ部屋へと向かった。
「ん?……ここは」
案内された部屋は楼主の部屋ではなく、こじんまりとした部屋だった。
「今夜は貴殿を私がもてなすと言ったからね。私の部屋では手狭だと思って」
「なるほど」
「料理は何でもいいかな」
「あぁ」
華小路は部屋の外で待機していた若い衆に声を掛け、お酒と料理を運ぶように伝えた。
しばらくすると、部屋に料理が乗せられた膳とともに酒瓶と盃が運ばれてきた。
「酒に合いそうだな」
長年の付き合いだからとも言うべきか、華小路は叶夜の好みに合わせた食事を選んでいた。
「さ、まずは一杯」
互いの盃に並々と酒を酌み終えると、二人は同時に口へと含んだ。
「……んく!……ぷはぁ、この酒……」
「気づいたかい」
「舌触りも、飲んだ後の鼻からふんわりと抜ける感じ……いいな」
「お気に召して良かった」
華小路が空になった盃へ注ごうとする手を、叶夜はやんわりと止めた。
「こんないい酒、いつもと同じように飲むと仕事に支障をきたす」
「おや珍しい」
「……色々立て込んでてな」
「なら、この酒は私が美味しくいただくとするよ」
酒瓶を手前から引き上げると同時に、華小路は襟を正しながら叶夜の方へと向き直った。
その姿を目にした叶夜も何かを察し、同じように襟を正した。
「今日、見世に来てもらったことなんだけど、ただたんに叶夜をもてなすだけじゃなくてね」
「……そんな気はしてたけど」
「折り入って、叶夜にお願いしたいことがあってね」
「……古い付き合いだからって、何でもできるわけじゃねぇからな」
「それは重々承知しているよ」
「……ふん。……で、お願いってなんだ」
「蘭を叶夜に託したいんだ」
「ほぅ……。って、は?……お前、自分の言ってることがどういうことなのかわかってんのか?」
「勿論」
華小路は取り乱すことなく冷静に話す一方で、叶夜は突然持ち掛けられた蘭の身請け話に動揺していた。
そもそも、身請け話を楼主自ら客人にすること自体あり得ないことであり、そのことが余計に叶夜を動揺させていた。この状況を整理しようと、叶夜は盃を手に取り少しだけ酒を啜った。
「……ふぅ。……悪い、取り乱した」
「構わないよ」
「っつか、よくこんな大事なことを平然と言えるな」
「そうかな……。表には出していないけど、私の心の内は取り乱しているよ」
「……色々と聞きたいことはあるけど、まずは……なんで俺なんだ」
「あの子の事を気に入ってくれているから……かな。あと、私ではあの子を守りきれない……。時間がないんだ」
そう言う華小路の表情は、どこか寂しそうに見えた。
静まり返る室内――。風が障子へとぶつかる音だけが室内に響いていた。
しばらく続いた沈黙を破ったのは華小路だった――。
「せっかくだから、昔話でもしようか」
そしてぽつりぽつりと語られたのは、蘭を取り巻く知られざる過去だった――。
「……」
「叶夜様、先日議題に上がった件ですが……」
「……」
月影製薬、社長室には叶夜の付人兼執事の神楽が一方的に話し掛けるという異様な光景が広がっていた。
いくら仕事の事で話し掛けても答えは返って来ず、神楽はどうするべきか頭を抱えていた。
――主がこうも腑抜けているだなんて……。いつもの叶夜様であれば有るまじき事態。今朝お帰りになられた時からこんな様子だと、仕事にかなり支障をきたしてしまう……。主の興味を引くお話ともなれば……。
意を決したように、神楽は手元の手帳を見ながら叶夜へと話し掛けた。
「叶夜様、本日華小路様から食事のお誘いが来ておりますが、いかがされますか」
「行く」
――即答ですか……。今までの話には耳を傾けていないようなものなのに……。
「ゴホッ、……承知しました。私の方から華小路様への連絡はさせていただきます」
「時間が決まればまた教えてくれ」
そう言いながら、叶夜は神楽へ書類の束を渡した。
「……へ?」
「取引先への見積書の確認、薬品関連の報告書、会議議事録……一通り目を通した」
これまでいくら仕事の事を話しても一切反応がなく、仕事に手が付かない状態だと思い込んでおり、叶夜の態度に驚きを隠せない神楽だった。
「その反応……。この俺が、仕事に集中していないとでも思ったのか」
「恐れながら」
我に返った神楽は、書類を受け取るや否や深々と頭を下げた。
「ま、そう思われても仕方あるまい……」
「ご自覚はあったのですね」
「そうだな」
「……私は一旦失礼いたします。また後程、お伺いさせていただきます」
「わかった」
神楽が部屋を出て一人となった叶夜の頭に思い浮かんだのは、昨晩自身の腕の中で眠っていた蘭の寝顔だった。
――あいつの寝顔、可愛かったなぁ……。他の奴らには見せてほしくないなぁ……。
背もたれに凭れ掛かる様にその場で伸びをし、急いで書類を確認するために駆使した目を休めるため、叶夜は一旦目を閉じた。ほんの束の間の休息ではあったものの、部屋の近くで神楽の気配を感じ取り、重たい瞼を開けると同時に、扉をノックする音が聞こえてきた。
「入れ」
「失礼いたします。華小路様とのお食事ですが、酉の刻に見世までお越しください、とのことでした」
「見世って……青薔薇か?」
「はい」
「わかった」
「では何か御用の際にはお呼びくださいませ」
神楽が去り再び訪れた静けさの中、叶夜は再び目を閉じた。
❖❖❖
酉の刻――。
【青薔薇】従業員専用の出入り口前で見知った顔を見つけ、叶夜は足早にその人影に近づいた。
「陽斗」
名を呼ばれ、華小路は叶夜の姿を見つけるなり、いつもと何ら変わりないにこやかな表情で彼を出迎えた。
「やあ」
「……こっちで良かったのか?」
「気心知れてる仲ですからね」
「はっ、よく言うぜ」
華小路の後を付いていくように、叶夜は裏口から見世へと足を踏み入れた。見世の中へ入る時には感じなかった感覚を背後で感じ取った叶夜は、その場で振り返った。だが、そこには何も見えなかった。
「叶夜、どうかしましたか」
「……いや、別に何でもない」
「……」
華小路も叶夜と同じように振り返った。そしてある気配を感じ取った。
「……ふふ。そういうことですか」
突然笑いながら話す華小路を見つめ、叶夜は唖然としていた。
「……陽斗……?」
「ふふ……。これはこれは失礼しました。部屋へ参りましょう」
「お、おう」
何が何だかわかっていないまま、叶夜は華小路に連れられ部屋へと向かった。
「ん?……ここは」
案内された部屋は楼主の部屋ではなく、こじんまりとした部屋だった。
「今夜は貴殿を私がもてなすと言ったからね。私の部屋では手狭だと思って」
「なるほど」
「料理は何でもいいかな」
「あぁ」
華小路は部屋の外で待機していた若い衆に声を掛け、お酒と料理を運ぶように伝えた。
しばらくすると、部屋に料理が乗せられた膳とともに酒瓶と盃が運ばれてきた。
「酒に合いそうだな」
長年の付き合いだからとも言うべきか、華小路は叶夜の好みに合わせた食事を選んでいた。
「さ、まずは一杯」
互いの盃に並々と酒を酌み終えると、二人は同時に口へと含んだ。
「……んく!……ぷはぁ、この酒……」
「気づいたかい」
「舌触りも、飲んだ後の鼻からふんわりと抜ける感じ……いいな」
「お気に召して良かった」
華小路が空になった盃へ注ごうとする手を、叶夜はやんわりと止めた。
「こんないい酒、いつもと同じように飲むと仕事に支障をきたす」
「おや珍しい」
「……色々立て込んでてな」
「なら、この酒は私が美味しくいただくとするよ」
酒瓶を手前から引き上げると同時に、華小路は襟を正しながら叶夜の方へと向き直った。
その姿を目にした叶夜も何かを察し、同じように襟を正した。
「今日、見世に来てもらったことなんだけど、ただたんに叶夜をもてなすだけじゃなくてね」
「……そんな気はしてたけど」
「折り入って、叶夜にお願いしたいことがあってね」
「……古い付き合いだからって、何でもできるわけじゃねぇからな」
「それは重々承知しているよ」
「……ふん。……で、お願いってなんだ」
「蘭を叶夜に託したいんだ」
「ほぅ……。って、は?……お前、自分の言ってることがどういうことなのかわかってんのか?」
「勿論」
華小路は取り乱すことなく冷静に話す一方で、叶夜は突然持ち掛けられた蘭の身請け話に動揺していた。
そもそも、身請け話を楼主自ら客人にすること自体あり得ないことであり、そのことが余計に叶夜を動揺させていた。この状況を整理しようと、叶夜は盃を手に取り少しだけ酒を啜った。
「……ふぅ。……悪い、取り乱した」
「構わないよ」
「っつか、よくこんな大事なことを平然と言えるな」
「そうかな……。表には出していないけど、私の心の内は取り乱しているよ」
「……色々と聞きたいことはあるけど、まずは……なんで俺なんだ」
「あの子の事を気に入ってくれているから……かな。あと、私ではあの子を守りきれない……。時間がないんだ」
そう言う華小路の表情は、どこか寂しそうに見えた。
静まり返る室内――。風が障子へとぶつかる音だけが室内に響いていた。
しばらく続いた沈黙を破ったのは華小路だった――。
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