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File.001 契約金額、一万

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 病弱で外に出られない子がいるので話し相手になってくれないか、というのが、こころが聞いていた話だった。


  それは、いっしょに暮らしていた祖母を高校二年の秋に亡くして以来お世話になっていた、こころの叔父からの依頼だった。


   お世話になっていたといってもそれは金銭的な援助に限り、毎月の仕送りでひとり暮らしをしていたこころにとって、叔父の存在というのはひどく希薄だった(もちろん感謝はしていたけれど)。

   別々に暮らしているのだから直接的な会話はもちろん、電話のやりとりすらほとんどない。一緒に食事を記憶など言うまでもなく、だ。おそらくそのせいだろう。普段まったく接点を持てない唯一の血縁者からの依頼を、こころはふたつ返事で了承した。

  内容は、毎日午後六時に、指定されたホテルの一室で患者の話し相手を務めるというもの。どうやら入院しているわけではなく、単純に持病のせいで外に出られないことを除けば普通の生活ができるらしい。

  この秋学期、こころが取っている講義は四限までで五時前には大学を出られる。所属しているサークルも土日の日中にしか活動がないのでバイトの時間はきっちりと守れる。日当は一万円という話だが、実際患者の話し相手をする時間はせいぜい日に一、二時間だということなので、時給に換算すると軽く五千円を超える。かなり割のいいバイトだった。


   大学からバスで二十分。
  駅前広場のすぐ横に、指定されたホテルがあった。ダークブラウンを基調としたシックなレンガ風の建物。見上げてみるとずいぶんな高さがあった。何階建てなんだろう。

   あらかじめ叔父から受け取っていたカードキー(もちろん郵送でだ)を使ってエントランスに入り、エレベーターに乗る。目的の部屋は六階の611号室。


  ふと、疑問に思った。
  何故、話し相手を雇う必要があるのだろう。

  普通の生活ができるなら、自分の家で家族と暮らすことだって容易だろう。そうなれば話し相手を外部に求める必要なんてない。


・・・その子には、家族が、居ないのだろうか。


  ぼんやりと考えながら惰性で歩き、611号室の前に到着する。時間を確認すると、六時五分前。もう入ってもいいだろうか。すこしためらったあと、思い切ってドアを三回ノックした。

  数秒ののち、ガチャリと、ドアのロックが開く音がした。それを返事だと解釈し、こころはそっとドアを開ける。


 「お、おじゃまします」


  その部屋は、至って普通の(普通よりすこし豪華かもしれないが)ホテルの一室だった。入ってすぐ左手にバスルームのドアがあり、その奥にざっと十畳ほどの空間があった。白を基調としているせいかひどく明るく感じる。家具はクローゼットとベッド、それからガラス製のテーブルにソファが一対。

  そのソファに目的の人物が、こころが話し相手を努める病人が座っていた。入口に立っているこころに背中を向ける形で。その後頭部に向かって、おずおずとこころが声をかける。

 「あ、あの……」
 「ああ、お待ちしていました」
 「え」

  流暢な敬語と共に即座にソファから立ち上がってこちらを向いたのは、こころよりも背の高い男性だった。端正な顔立ちをした、線の細い男。肉付きの薄い身体。日に当たらないためか女性のように肌が白く、癖の強い黒髪の下には黒目がちな切れ長の目。黒いジーンズとカーキ色のワイシャツというラフな格好で、彼はこちらに右手を差し出した。

 「沢村から話は聞いています。はじめまして、雛森こころさん」
 「あ、は、はじめまして」

   想定外の事態だった。病弱な子、と聞いていたので、てっきり相手は子供だと思っていたのだ。しかし実際はこころと同じ年頃の男性だった。いや、もしかしたらこころよりも年上かもしれない。

 「今日からこちらに通っていただけるんですよね」
 「はっ、はいっ。あの、わわ、わたしでよければ……っ」

   思いもよらない展開に半ば混乱しながらこころが答える。こんなに焦って噛みまくって、びびりすぎだろう。引かれたんじゃないかと思っておそるおそる相手の顔色を窺うと、しかし相手はにっこりと微笑んで言葉を繋いだ。

 「そうですか、よろしくお願いします。それではこちらの契約書にサインを」

   やわらかな物腰と笑顔で手渡されたのは、ペンとA4サイズの契約書だった。契約書なんて書いたことがないこころはおおいに戸惑い、どこに何を書けばいいのかと書面を凝視するも焦りのせいかまったく内容が理解できない。

   すると細長い指が伸びてきて契約書の一点を指した。

 「ここです。この『乙』と記されている部分の空欄に貴女の名前を記入していただけますか」
 「あ、は、はいっ」

   男性にそう教えられ、こころは慌ててボールペンのキャップを外した。たかが契約書一枚にあまりぎくしゃくしていると馬鹿だと思われるかもしれないという焦燥感にかられ、紙面に記載されている内容などまったく確認せずに自分の名前を走り書きする。

 「お、お願いします」

   サインを済ませた契約書をおずおずと男に差し出すと、相手はその目を細めて

「ありがとうございます」

   なんとも柔和な笑顔を作った・・・かに思われた。

  契約書を受け取った途端、その表情が、歪んだ。


 「では、改めて自己紹介をします」

   そう言った彼の顔からは邪気のない笑みが消えていた。代わりに口の端を上げて薄く笑う彼の、見開いた双眸の黒は深淵のような怪しさを内包していた。


 「私はAI‐212。人工知能を搭載した人造人間。つまりロボットです」











  こころの思考回路が一時停止した。


 「……え……?」


  今、この男はなんて言った? いや、聞き取れた。聞き取れたからこそ混乱しているのだ。


 「それでは、雛森こころさん」


   そこまで言うと、彼は今ほどこころがサインをした契約書を摘み上げ、口の端を上げてにやりと、笑った。先ほどまでとは明らかに種類の違う笑みを浮かべた顔で言い放つ。




 「今この瞬間をもって、日当一万円で、貴女を買いました」
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