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ポリクリ②
しおりを挟む~医局セミナー室~
先生「えー、この場合に処方すべき薬を……じゃあ、工藤くん」
夏樹「はい。ロキソミンと併せてレバミピド、それから……」
先生「ちょっと待った。もう1回言って」
夏樹「はい。えっと、ロキソミンとレバ……」
先生「違う。ロキソミンは商品名だろ?一般名で答える!昨日も同じこと言ったぞ」
夏樹「あっ、す、すみません!ロ、ロキソプロフェンです!」
今日の午前中はクルズスと呼ばれる講義を受けている。
夏樹が当てられ先生に怒られるのを、傑とこっそり目を合わせて笑っていると、
コンコンコン——
ガチャッ——
藤堂「失礼します」
なぜか藤堂先生が部屋に入って来た。
先生「藤堂先生……?」
藤堂「講義中に申し訳ありません。ちょっと緊急事態が」
先生「緊急事態?どうされました?」
突然現れた藤堂先生に、先生も学生も皆キョトンとなる。
藤堂「病棟の患者が1名、麻しん疑いになりました」
先生「えっ?」
藤堂先生の言葉に目を見開く先生。
「麻しん?」
「はしかだよね?」
「かなり減ってるんじゃなかったっけ?」
ワンテンポ遅れて、わたしたちも互いに顔を見合わせ始める。
藤堂「ここにいる学生5名がその患者と接触しています」
「「えっ……?」」
今度は全員の声が揃った。
先生「確かですか?」
藤堂「はい。患者の夕回診に同行させたと担当医が」
藤堂先生の話によると、麻しんが疑われるのは昨日わたしたちが夕回診で部屋を訪れた患者さん。
今朝から症状があり検査が行われ、感染経路や接触者の確認で病棟は大騒ぎになっているそう。
幸い個室に入る患者であるため、接触者は最小限に留まるとみられるが、わたしたちがその接触者リストに載ってしまった。
七海「あの、すみません。僕たちは今後どういう対応になるでしょうか?隔離措置になりますか?」
さすがというか、相手が藤堂先生だからか。
わたしは状況がまだ掴めていないのに、傑が先陣を切って質問する。
すると、
夏樹「待って。麻しんなら俺ら全員抗体検査して、ワクチン接種してるだろ?あの、別に大丈夫なんじゃ……」
怖いもの知らずというか、相手が藤堂先生だからか。
空気を読むことを知らない夏樹が続けて言う。
ただ、夏樹の言う通りではあって、麻しんの抗体検査とワクチン接種は、臨床実習に参加するための要件のひとつ。
わたしたちは1年生の時から、実習に向けて抗体検査やワクチン接種を受けており、当然それには麻しんも含まれる。
けれど……
藤堂「ひなちゃんは接種してない」
「「えっ……?」」
ひな「……」
語気を強めて放った藤堂先生のひと言に、全員の視線が藤堂先生に向いた。
その藤堂先生の視線が先が、夏樹からわたしに移る。
すると、みんなの視線も当然わたしに移されて……
誰とも目が合う前に、わたしは静かに俯いた。
藤堂「工藤くんの言う通り、学生や職員は検査やワクチン接種を受けている。ただ、アナフィラキシーの恐れがあるから、栗花落さんにはワクチンの許可をしなかった。抗体価も陰性だ」
夏樹「あっ……」
わたしがワクチン接種していないことは知っているはずの夏樹。
言われて思い出したのか、そうだった……と言わんばかりに固まっていらっしゃる。
先生「あの、藤堂先生。栗花落さんに許可しなかったというのは……?」
藤堂「すみません。本人の希望で先生方にお伝えしていなかったのですが、栗花落さんにはいくつか疾患があり、私が主治医を務めています。そのため、ワクチンの接種可否についても私が判断していた次第です」
先生「そうでしたかっ……!把握しておらず失礼しました」
実は臨床実習にあたり藤堂先生に相談をして、各科のオーベン(指導医)に身体のことを伝えるのは控えてもらっていた。
自己管理ならできる。しなきゃいけない。
実習では10も100も学びたい。
身体のせいでひとり特別扱いはされたくない。
だから、指導医になる先生方がわたしを気遣い遠慮してしまわないように、何も言わないでもらってた。
ずっとそうだから忘れていたけど、藤堂先生が主治医になるなんて、難しい疾患のある人か、いわゆるVIPの人。
いろんな患者がいるだろうけど、わたしを除けば何かしら"特別"な患者であるはず。
それに、藤堂先生の忙しさは想像を遥かに超えていた。
今のローテは内科。
他科でもそうだったけど、ポリクリ中、黒柱の先生に指導は一切してもらっていない。
指導を受けるどころか医局にいる姿すらほぼ見なくて、ようやく見かけたと思ったら、すぐ誰かに呼ばれてどこかに消える。
ポリクリでは先生たちに教わることもあるだろうと思っていたけど、学生の指導にはどうやら当たっていないよう。
黒柱の5人は本当にすごいんだ……って、この半年でよくわかった。
だから、こんな医学生の主治医が藤堂先生なんて、今日のクルズスの先生も驚いている。
藤堂「すみません、先生。私が来たのは他でもないそういう事情です。講義の途中で申し訳ないですが、栗花落さんについてはこれより実習停止となります」
ひな「え……?」
七海「ちょっと待ってください。栗花落さんは実習停止って、僕たちは違うんですか?」
藤堂「大学側と検討中だが、実習は継続する方向です。工藤くんが言ったように、こういった事態を想定して抗体検査など行っていたわけなので、そこは考慮しようと」
夏樹「じゃあ、ひなのだけ……」
夏樹がそうつぶやく隣で、わたしの手足が小さく震え出す。
悲しいのか、悔しいのか、すぐに当てはまる形容詞が見つからない。
藤堂「他の4人には追って説明があるので、クルズス終了後、一旦この部屋で待機するように。先生、講義が終わりましたら医局長にご連絡いただけますか?学生へ説明しに来られるとのことなので」
先生「承知しました」
藤堂「お願いします。それじゃあ、栗花落さんは……」
藤堂先生がわたしに向かい合う。
ひな「はぃ……」
わたしは小さく返事だけして、荷物を持って、
「「ひなの……」」
「「ひなのちゃん……」」
みんなの声を背に部屋を出た。
***
藤堂「ひなちゃん」
さっきの部屋から100歩も歩いたか歩いてないか。
藤堂先生について来たのは内科病棟の個室部屋。
ドアを開けてもらい、中に入り、かけられた声はさっきのピリついた先生でなく、いつもの優しい主治医の藤堂先生に戻っている。
そんな藤堂先生に、
ひな「なんですか……?」
背中を向けたまま、突っかかった返事をするわたし。
藤堂「とりあえず座ろっか」
言いながら、わたしに近づいてくる藤堂先生に、
ひな「感染の恐れがあるので近づかないでください……」
と、また突き返す。
当然藤堂先生も抗体があるんだろうから、わたしと一緒にいて問題ないことくらいわかってる。
でもだからこそ余計に、
……なんで、なんでわたしだけ……っ……。
さっきまでセミナー室にいて、みんなとクルズス受けてて、今だって白衣着てるのに、なんでわたしはここに……。
ひな「……グスン」
藤堂「ひなちゃんおいで、座ろう」
藤堂先生の手がそっと背中に添えられて、一緒にソファーへ腰を下ろした。
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