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それは困るのでだめです。
しおりを挟む「は、母上……? それは、一体どういうことですか……?」
兄上の表情が、こわばっている。
それを見てカナリアさまは笑った。にっこりと、まるで楽しんでいるかのようにすら見えるほどの笑顔だった。
「まだ分からないの? 本当に愚鈍な子だこと」
そう言ったカナリアさまが、ばさりと扇を広げて口元を隠す。
その行動を見て、僕は全てを察してしまった。
「ワタクシは、お前を利用していたのよ?」
くすくすと笑うカナリアさまは、憎らしいくらいに綺麗だ。
「お前が皇太子になれば皇妃になれるはずだったのに……どうして全て失敗してしまったの? 本当に本当に、役立たずで、愚かで、どうしようもない子」
「そんなわけがない、母上は、優しくて、花が好きな……」
動揺と、絶望、それから失望だろうか。
見たことがないくらいに表情を歪めて、兄上が否定する。
「あらあら、まさかとは思うけど、それを信じていたの?」
「うそだ、嘘だっ!」
大声で叫ぶように、兄上が嘆いた。
そしてそんな兄上の言う通りに、カナリアさまは嘘をついている。
彼女の言葉はすべて、嘘だ。
「何が嘘なの? お前が疑うことを知らなかっただけよ?」
カナリアさまは口元を扇で隠したまま、優雅に問いかける。
“この国の貴族の女性はこうやって、この話は終わり、という合図を出す”
つまり、カナリアさまは“こんなことを言いたくない”のだ。
案の定、そういうことにうとい兄上は気付かない。気付けない。なにも知らないからだ。
知られたくない。でも、本当は察してほしい。気付いて欲しい。
だけど、それをしてしまえば一体どうなってしまうのかを、彼女は知っている。
このままでは兄上は反逆者として処刑されてしまう。
僕はそれでもいいけど、産みの親であるカナリアさまはきっと耐えがたかったのだろう。
カナリアさまが、兄上を本当に大事にしていたことは周知の事実だったから。
このひとは、我が子の命を救うために己の命を投げ出そうとしているのだ。
「ねぇ、おかしいとは思わなかった? ワタクシ、お前が孤立していても何もしなかったのよ?」
「そん、な」
「お前はもう用無しなの。だから役立たずはここで退場してくれるわよね?」
そう言って笑うカナリアさまは、悪女のようで、そして、とても悲しそうな目をしていた。
ぱちり、とカナリアさまが扇を閉じる。それを合図に扉が開いて、結構な人数の兵士たちが床に転がる刺客となってしまった兵士や、黒服達、それから、茫然自失の兄上を連れて行った。
カナリアさまの高笑いが響き渡る。
残ったのは、僕と事態をうまく把握出来ていないキャロライン嬢と、カナリアさまだけ。
「……説明を、いただけますか?」
「その必要があって?」
「それはいったいどういうことですか」
「ヘルムート殿下は、すべて分かっているでしょう?」
それはそれで買いかぶりのような気がするけど、カナリアさまはまったくそんなふうに思っていないようだった。
「あの、無礼を承知で失礼致します、話がまったく見えないのですが……」
投げかけられたキャロライン嬢のその言葉にちらりとカナリアさまへ視線を送ると、こくりとひとつ頷いてくれたので僕の推測を話す事にする。
さっきまで僕が考えていたことを全て、ひとつひとつ。
そして、カナリアさまは自分が兄上を操っていたということにして、罪を全部被ったうえで身代わりになろうとしているのだと。
説明していくうちに、キャロライン嬢の表情がどんどんこわばっていった。
「……僕の推測が、間違っていないとも言い切れませんが……」
「…………あなたは何も間違えていません。間違えたのはむしろ、ワタクシ」
普段と同じ、気高く真っ直ぐに背筋を伸ばしたカナリアさまは、ゆっくりと目を閉じる。
「人任せにしなければ、もっとあの子を見ていれば、ちゃんと話せていたら、……考えたってキリがないくらい間違えてしまったわ」
それははたして、本当に間違いだったと言えるのだろうか。
僕はまったく、そう思うことが出来そうになかった。
カナリアさまは自嘲するように呟く。
「……いまさら後悔したってもう遅いのに。すべてが、もう取り返しのつかないところまで来てしまったわ」
自然と、僕の眉間にシワが寄った。
たくさんの本を読んだから知っている。
この国の一般の貴族の子育てと、皇族の子育てはまったく違うということを。
将来、国の運営や外交に関わらなければならないかもしれない皇族の子供と、領地経営と交易が主な仕事というのが一般的な貴族の子供とでは、同じ教育など出来るわけがない。
ゆえに僕達はとても早い段階で母という存在から引き離される。
面会は週に一回程度、それもあまり長くは許されない。
その理由は、皇族が国のために存在しているからに他ならない。
すべては国に住む人々の安寧のため。
……早い話が、国のために働く奴隷を、幼いうちから洗脳して作り上げているのだ。
つまり、間違っているとすればそれはカナリアさまではなく、こんな教育体制を作った人物だ。
そして、それを許容してきた父さまも間違っている。
しかし、それが当たり前だと思っている父さまには通じないだろう。だって父さまもこの教育を受けて育ったのだから。
カナリアさまだって、皇族はそういうものだと長年刷り込まれているだろうから気付けないはずだ。
僕がこれに気付けたのはきっと他国から嫁いだ母さまが居たからだろう。
「……カナリアさまは、本当にそれでいいと思ってらっしゃるんですか?」
キャロライン嬢が真剣な眼差しで問いかけると、カナリアさまはさきほど目を閉じた時と同じように、ゆっくり目を開けた。
「ほかになにか方法があったとしても、ワタクシはこれを選んだはず」
「どうして……」
「ワタクシは、あの子の母親だから」
「しかし、それではカナリアさまは……!」
「あら、これはすべてワタクシの自業自得で、ワタクシの選んだ道。あなたたちが口を挟んで良い問題ではありません」
きっぱりとした拒絶に、キャロライン嬢の言葉が詰まった。
困ったように眉を寄せて痛ましげにうつむく彼女は、己の無力を嘆いているのだろう。
だけど、僕にだって良心はあるのだ。
「カナリアさまは悪くないですので、重い処罰は受けられないようにさせていただきますよ?」
「……なんですって?」
「教育体制が間違っていたのは確かですが、その教育を受けた兄上があそこまでのバカに育つには絶対なにかあるでしょう」
「でも、ワタクシがそれに気付かなかったなんて、本来はありえないことです。ゆえに相応の罰は受けなければ……」
「いや、その時点でおかしいじゃないですか。なにか原因があるはずです」
それを探って解明しておかないと、他の兄弟たちも同じようになってしまわない保証がない。
「そうですよね、父さま」
僕がそう言った次の瞬間、この部屋の隠し通路の扉が重々しい音を立てて開いたのだった。
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