この道の行く末には。

しゅんか

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この道の行く末には。

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 ふらふらふらふら。帰る気が起きず、うろついていた校内。向かいの廊下に、ただならぬ様子で過ぎ去っていく誠を見つけた。

「…………?」
 
 声をかけることができない。そのくらい、誠の様子は真剣で、不思議で。理由を知るために、誠が歩いてきただろう道を歩いてみる。その先にあった【図書室】3年間 “ 俺 は ” まともに使ったことのないその場所へ続く扉を、開けた。



 目が、あって。

 時が、止まった。

 そう、確信する。



 そこに、いたのは。



「…………美衣、」

「…………ひさしぶりだね、司。」



 この高校でいちばんの有名人。木 ノ 下 美 衣 。

 頭が混乱する。まともにこうして向き合ったのは、本当に久しぶりだったから。

 それなのに、相手は腹立つくらい “ 変 わ っ て い な い ” 笑顔で、そっと微笑みかけてくる。ぎりぎり、と右手のひらに力がこもった。

「…………なにか、言おうよ。」

「…………」

「せっかくだから、少し、話そうよ……」

「…………みい、」

「だめ、かな。」

 ふわり。春の陽だまりのように笑う美衣に、すとん、となにかが落ちてくる。笑うくせに、悲しそうにするな、ばかやろう。そんな風に言われてされて、放っておけるはずがない。

  
 だって、美衣は。
 だって、俺たちの______


 ひとつ、重くわかりやすくため息をつく。返事の代わりに、カウンター内に座る美衣の前へと近くのイスを引きづった。一線を置いて、座る。最後の抵抗で、正面には座らなかった。少しずらして、美衣の顔を見ないように、身を置いた。


「美衣、図書委員だったっけ」

「ううん。今日だけ、代わってもらったの。」


 当たり前のように、交わす会話。それだけで、不思議と泣きそうになった。もう2度と戻れない時間だと、諦めていたから。
 

「……誠に会うため?」

「うん。」


 ここで嘘ついても、ばればれだもんね。なんて、おどける美衣が、伏し目がちに笑う。

 聞くまでも、なかった。




 
『美衣、ってさ。』
 
『美衣?なに?』


 ふと、誠と交わした会話を思い出してしまった。


『落ち込んでるときに、無理やり笑うときな?下向いて、伏し目がちになってるよな』

『……よく、見てんな』

『まあ……でもそれ美衣、自分で気付いてない』





 確かこれは……俺と誠が、中学を卒業する当日、式が始まる直前でのもの。1つ下の学年である美衣は、必然的に俺や誠と学校で会うことはなくなる。当時の美衣は、そのことに随分と落ち込んでいた。

 解れず仕舞いだった、誠が暴いた美衣のクセ。3年越しに、ようやく理解する。


 美衣は、笑うのだ。たぶん、辛いときほど、哀しいときほど。寂しい、ときほど。



「……誠と、話したのか?」

「なにも。」

「…………。」

「一言も、話してないよ。」


 冷静に観察しながらも、未だにどこか戸惑っていた。床を見つめ、今度は淡々と述べる美衣の声は温度がなく冷たい。


「じゃあ、なんでここにいたんだよ。」

「ふはっ、」

「………………。」

「うん……ふふ。ごめん。」

「…………今、笑うとこあったか?」

「いやだって司、気にしすぎだし。可笑しい。」


 淡々と他人行儀を貫く理由が分からず口調が強くなってしまう──も。吹き出した美衣は、情緒不安定なのかと真剣に疑うほどころころと表情や雰囲気が変わる。「だからなんか、笑っちゃった」と、弾んだ声は、やっぱり昔となにも変わらないけれど。


 心地好いような、苦しいような。言い表せない感情が、体中を駆け巡る。



「けど………ごめんね、司。」

「……ごめんね?」


 今更何を切り出せばいいのか分からず、視線を床に落とせば、小さな呟きが届いた。申し訳なさそうな謝罪は、紛れもなく、目の前にいる美衣が発したものだけれど。それは、何に対して、誰に宛てているものだろう。



「『もう誠と司には関わらないから』とか、言ったくせにね。なんか……どうしても、会いたくなっちゃってさ。」

 
 あの日聞いた忘れもしない言葉を明るく発するそこに、視線を戻した。美衣の大きな瞳が、可笑しそうに細まる。それでも、くだらない悪意など諸ともしない美衣はまた、楽しそうに笑うだけ。昔から変わらない、明るく愛らしい、あの笑顔で。



「誠も司も。明日卒業するでしょ?」

「まあ……3年だし」

「うん。そしたら、もう2人に会うこともないんだろうなーって思って……無性に懐かしくなってさ」

「…………そっか。」


 昨日まで普通に会話していた関係のように、流れていく会話。けれど。不自然なほど元気な美衣をそのまま、感じた通り思った通りに受け取ってしまっては、いけないのだろう。



「司と話するのも久しぶりだねー」

「そうだな」

「……司?どうしたの?」


 別のことを考えながらの返事は、ほんの少し、上の空だったのかもしれない。そんな些細な変化なんて、普通は気付かないけれど。久しぶりに会話をしている相手のものなら、特に。けれど、美衣は、違うらしい。敏感に感じ取り、心配そうに顔を覗き込んできた。


 変化する感情に鋭く気づいて、相手の立場になって考え行動する。気を遣う。心配する。守ろうとする。変わらないそれらを確認して、辛くなった。


 どうして、今まで気づいてやれなかったのか──いや。

 俺は本当に、気づいてなかったのか?



「美衣、ってさ。昔から、1回決めた事は必ず最後まで貫き通してたよな。いつも。なんか、無駄に性格が男前で。」

「いきなりなに……って、どういう意味よ」


 不思議そうに目を丸めつつ、言われた内容を自分なりに消化したらしい美衣は、思いきり顔をしかめた。うわあ。その顔。


「誉め言葉だよ。美衣、それはやばいって。」

 芸人顔負けの歪め加減が可笑しくて、今日美衣と顔を合わせてから初めて、ちゃんと笑えていただろう。


「……だから今日、もう俺達に関わらないって決めてたのに誠に会いにきたのは、自分で決めた事を覆せるぐらい、会いたかったからだろ?美衣がそれをするってことは、よっぽど会いたかったってことじゃねえの?なら、謝ることじゃない。」

「……………。」

「なのに……なんで何も話さなかったんだよ。挨拶とか、自然なことなら少しくらい話してもいいだろ?」


 何の反応もしない美衣をいいことに休む間もなく問い正せば「………………まこと、」と。弱々しく、幼馴染みの名を美衣が呟く。



「美衣?」

「あ、ごめん……なんか、誠がね?私を見てもぽかーんって。してたの。知らない人みたいに。いや、間違ってないんだけどね?誠にとっては、そうだもん。」


 感情なく、どこにも定めていないような視線を、顔を、体を、ピクリとも動かさず止まった相手。驚きはっとしたときにはもう、いつもの明るい雰囲気を取り戻していた。けれど。隠しきれていない苦しそうな笑い方、言葉に、息は詰まった。


「……………」

「だからね。私が話しかけちゃったら、おかしいでしょ?そう思ったら、無理だった。」

「…………そっか。」


 俺はずっと、間違った守りかたをしてきたのかもしれない。それなら、確かめようか。もう、いっそのこと。全部、1から訊いていこうか。直接、顔をみて。何もかもを、はっきりさせてしまおうか。

 もし俺が間違ったことをしていたのなら、手遅れになる前に。

 この日常が、終ってしまう前に。



「……美衣は、なんで本当のこと話さないんだよ」


 きっと本当は、もっと早く話さなければいけなかった。ずっと、してこなかったけど。今日、この瞬間まで。


 真っ直ぐ合わされる、美衣からの視線。
 2つの瞳。

 歳下の女の子とは思えない闇が、そこにはあった。


「誠はあの事故で、美衣の記憶だけ綺麗に抜け落ちてる。それは、俺と美衣しか知らない。俺の家族も誠の家族もお前のこと知らなかったから、気付かないのは当然だろうけど」

「そうだね。誠と司とは、学年も違うし。急に一緒にいなくなったりしても、深く探ろうとする人もいなかったもんね。」


 誠は覚えていない。けれど、確かに誠の中にあった記憶。それはいきなり消え去った。さっぱり、なくなっていた。



「美衣、誠とつきあってたじゃん。なのに、自分のこと言わなかったし、説明もしなかった。会いもしなかったよな。」

「うん。でも、ちゃんと【理由】言ったよ?忘れた?」

「……忘れるわけないだろ」

「だろうね?」


 挑発するよう、魅惑的に口角を上げる美衣。俺はあの時から、美衣が誠に会いに行った今日を見るまで、ずっと軽蔑していた。美衣のことを、心底、強く。誤解、して。



「誠が事故にあって、病院に運ばれた。俺たちが2年の頃、美衣が1年だった年の、12月26日。そう家族から連絡がきて、俺は病院に向かった」

「司と誠、家族ぐるみで昔馴染みだもんね」

「ああ。誠の怪我は大したことなかったけど、頭を強く打ってて……たぶん、その衝撃で美衣との記憶を無くしてた。誠が目を覚めましたとき、俺だけがそれに気付いて。まず最初に美衣に連絡して説明した。」

「うん」

「美衣、その時に初めて事故のこと知っただろ?無事かどうか分かるまで、連絡しないつもりだったから」

「うん。合ってる。私はそれ聞いて、司に頼んだの。あのころ、誠と別れたいって思ってて。私のことを忘れてくれたんなら、ちょうどいいなって思ったから。」


 あの日の出来事を語る。1つ1つ、確かめながら。間違いがないように。無邪気に笑う美衣が、何を考えてるのか分からない。今も、昔も、あの日も。いつも、予測もできやしない。



「……言ってたな。」

「言ったよ?事故のこと知ったときは、すぐ病院に向かってたけど……途中で思いついちゃって。司に連絡した。」

「…………そのとき美衣を軽蔑したんだよな、俺。『誠にとって今までと違うこととか不便なこと。もしそれが出てきたら医者に相談する。それがなかったら、誰にも言わないで。もちろん誠にも』そう言われて、誰にも言わなかった」

「うん」


 薄く笑い返し投げやりにぶつける言葉に、美衣は何とも思わないらしい。ただ、当たり前のように頷くだけ。


「問題ないならその方がいいって納得できたから。入院中誠は色んな検査されてたけど、何の問題も見つからなかったし」

「うん」

「だから、美衣に頼まれた通り、誠の隣りに美衣がいたってわかる物は全部棄てたし、消した」

「それは、ほんとに感謝してる。それに、誠はそれまでと同じ様に過ごせてるよね?誠にとっても、周りにいる人たちにとっても、不便なことは何もなかった」

「俺も、それでいいって思ってた。正直言えば、記憶がなくなるとか本当にあるのかよ、とか思ったし。だから……情けないけど、深く考えなかったんだよな。でも今日、分かった。」

「わかった?」

「誠が記憶を無くしたのは、事故にあった所為なのに……それを“ちょうどいい”とかさ。美衣は本気で思ったりしない。そんな奴じゃないよな。現に今日、誠に会いに行ってたし」


 きょとん、と効果音が聞こえてきそうな素振りで首を傾げる美衣に、少し笑う。


 美衣、ごめん。ごめんな。

 なんでそんな事したかは分からない。

 でも、分からなくても。
 分かれなかったとしても。

 もっと早く、本心じゃないって気付いてやればよかった。



 そう出来るのは、きっと。

 もう、俺だけだったのにな。




「……会いにきたのは、気まぐれだよ。」

「じゃあ、なんで落ち込んでんだよ」



 未だ大袈裟に言えば悪女を演じることを止めない、往生際の悪い美衣を鼻で笑う。美衣の表情は一瞬だけ強張り、またすぐに戻った。



「……司、変だよ。そんな熱くなる人じゃないじゃん。」

「誠に、他人みたいに扱われて落ち込んでるんじゃねえの?美衣のことを忘れてる、って知ってから、美衣、誠に一切会いに来なかったよな」

「それは、もう関わりたくなかったから、」

「うん。その言葉を鵜呑みにしてた。でも、会わなかったのは……誠に面と向かって知らないって態度されるのが怖かった、っていうのも、ある?」


 美衣は、今も昔もあの日も、誠が好き、だよな?それだけは、俺の勘違いじゃないだろう?


「…………違うよ。」

「…………今、なんで?って思った?」

「────思ってないよ?」

「……うん。その嘘は、分かるんだよな。誠が美衣のこと大切に想ってたのを知ってるし、美衣も誠のことを大切に想ってたのを知ってる。ずっと近くで見てたから。」

「……………」

「それに、美衣と誠って似てるとこあるし」

「……え?」


 表情を変えず首を横に振る美衣を見て、自然と顔が綻ぶ。今だけはただ、純粋に懐かしさでいっぱいだった。


「2人とも。自分の考えてることばれて図星指されて、それ誤魔化すときにする返事。一瞬だけ、分からないくらいだけど、独特の間が空くんだよな、いっつも。」

「………」

「間で分かるよ、ま、でな」

「なにそれ……」


 変わらない2人の共通点を見つけ、嬉しくなった。眉根を下げ、困ったように微笑む美衣。そんな些細な仕草だって、変わらない。



「……ずっと、後悔してた。誠が大切に想ってた気持ちを、消して無かったことにしたのを。」

「誠のことを考えてしたんでしょ?しかも、私が司に頼んだの。司自身の意思でしたことじゃないよ」


 懺悔するように頭が俯いていく。そんな俺に、透かさず力強い訂正を寄越してくる美衣は、優しいのか冷めているのか。よく、分からない。潔く短く、息を吐いた。



「……あのときは誤解して、自分がするべきこと、間違ったと思う」

「……………」

「でも今日、気付けたから。美衣は、誠のこと好きだろ。今も、昔も。なら、本当のことを話せばいい。」


 前を向き、また、美衣を見据える。

 美衣の覚悟も、優しさも、強さも。何ひとつ、知らないまま。



「……ねえ、司。」

「ん?」

「“記憶がない記憶、があること”を、想像したことある?」

「…………記憶がない、記憶?」


 美衣が何を伝えようとしているか、分からない。ただ、真剣に訴えてきていることだけは、分かった。



「それってね、終わりがない恐怖だと思うんだ」

「……どういう意味だよ?」


 記憶がない記憶……?恐怖?終わりがない?眉を寄せる俺に、美衣が柔らかく微笑む。


「あと、誠って真面目じゃん?考え方とか、人としての根っこ部分。だから、本当のこと知ったら、きっと前みたいな関係に戻ろうとした気がするんだよね。思い出せなくても。」

「戻ればいーだろ?」

「うーん……でも、それは誠が記憶にない過去の出来事だよ。そんなの、虚しい。」



 明るい空気に、

「会いにきた私が言えることじゃないけど」

 肩をすくめイタズラに笑う美衣に、泣きたくなった。



「……そんな風に、簡単には割り切れないだろ。それとさっきの、終わりがない恐怖ってなに。どういう意味?」

「…………これはただ勝手に思ってるだけなんだけど、」


 食い下がらない俺に困ったのか、美衣の眉が下がる。頼むから、誤魔化すな。俺、知りたいんだよ、美衣。

 そんな俺の想いを感じ取ったのか、覚悟を決めたよう、美衣が息を吸い込んだ。



「自分にとって“全く知らない記憶”が存在してるのって、怖いよ。絶対。いい記憶だったとしても、実際自分は覚えてないことでしょ?」

「怖い?自分の記憶が?」

「私とつきあってる、ってあのとき言ってたら、誠は信じてくれたと思う。写真とかもいろいろあったしさ。」

「だったら、」

「その後、もし、誠が永遠に私のこと思い出せなかったら?」

「あ、と……?」


 どくん、と。自分の心臓の音が、何よりも大きく響いた気がした。


「誠は、私を全く覚えてないんだよ?ほかにも記憶を忘れてるのかもって、自分で疑問を持っちゃったら?」

「………………」

「私のこと以外にも|《自分の知らない事》が存在するかも知れない|《周りが隠してる》だけなのかも知れない──それって、証明の仕様がない。出来ないよね」

「……………」

「そんなのもし思い始めちゃったら、誰も信じられなくなるよ。誠の周りは、優しくて暖かい人ばっかりがいるのに……そんなこと思いながら、生きてってほしくない。」

「……………」

「だから、本当のことを話さなかった。一か八かの博打して、誠を苦しめるぐらいなら、無かったことにしたほうがいいと思ったの。それは、これからも変えない。一生、誠に話すつもりもない。私の、勝手すぎる自己満足。」


 どんな言葉も、出なかった。俺が口を挟める権利など、なかった。


 なあ、美衣。それ、いつから思ってた?



「…………美衣、馬鹿だろ。」

「ひどっ。何てこと言うの。私、年下なんだけど!かわいい後輩に向かってさぁ、」



 たのしそうにおどける美衣。それに応える余裕すら、なかった。


 あいつ、お前のこと忘れてんだぞ。何も知らないまま、ただそれだけだよ。なんでだよ。なあ。美衣。



「……言ってくれれば、いい、だろ?」

「………………」

「なんで、1人で、」

「…………うん。」

「………………なんで、」

「…………司は、司が1番大切に思える人を大切にすればいい。」

「…………は?」

「私だって、そうしてきた。」

「………………」

「……というより、そうしてきただけかもしれないけど」



 絞り出したような弱々しい声で批判する情けない俺から、美衣は決して、視線を逸らさない。ブレることも濁ることもない、大きな瞳。


「…………どういう、意味?」

「どういう意味も何も……そうやって、誠と司が生きてくれたら嬉しいから。本当に、嬉しいんだ。綺麗事かな?」

「……そんな訳ないだろ。美衣、自分のこと低く見すぎ」


 綺麗な心を受けたまま、改めて正面から向きあった。

 全く、気付かなかった。いつから、だったのだろう。


「………いつ?ばれたのは」

「忘れた。」

「嘘つけ。どうせ中学んときとかに気付いてたんだろ」

「────いや?」

「間、空いてるし。やっぱりな。」

「……………。」


 悔しそうに下唇を噛み締め、横に視線を逸らす美衣。

 すごいな。
 すごいよ。完敗だ。


「なんで分かった?」

「司が昔から、彼女途切れさせたことないの知ってる。」

「俺、意外と需要あるもんな」

「自分で言う?」


 真顔でふざければ、本気で蔑んだ視線を送られた。まるでコントのようなやりとりが可笑しく「ははっ!」と、声に出し笑う。


「さっき、言ってくれたじゃん司。それと同じ。私だって、ずっと近くで見てたもん。昔。誰を1番に想ってるかぐらい、分かるよ。」


 今この瞬間にそぐわずそうした俺に、美衣から呆れた溜息を吐き出された。困ったように、笑いながら。

 そんな美衣に、俺は絶対、一生、適わない。



「本当のことは必ず話すべきだ、とか思わないんだよね。誠の本当のことは、私と司が知ってるし。それでいいよ、きっと。勝手に決めちゃうけど」

「……そうだな。」


 今度は、自分の眉が下がる。自然と苦笑がこぼれた。

 らしい、な。俺が知っている、木ノ下美衣 “らしい” 。



「うん」

「うん」

「……………」

「……………」

「……………。」

「……………。」

「…………ねぇ、司。」


 完全に俯いた俺の耳に、美衣の優しい声が届く。

 懐かしい。
 懐かしくて、悲しい。
 悲しくて、暖かい。

 美衣の一途な思いが、暖かい。
 暖かすぎて、自分が情けない。

 美衣、ごめん。ごめんな。


「私、誠と司が、大好きだよ。」


 昔から、今日までずっと変わらない、優しく暖かい美衣。


「…………俺も。美衣と誠が、大好きだよ。」


 顔を上げ視線を交わし、お互いが、わらった。





 ◇ ◆ ◇



 藍色の闇に包まれても尚、変わらない通学路を、歩く。



「司とこの道歩くの久しぶり……というか、2人っきりは初めてかな?」

「あ、たしかに。いっつも誠いたしなー」


 空にはいくつかの星が瞬いていた。完璧な、冬空。


 図書室の窓から覗く空が夜に浸かった頃。『そろそろ、帰ろっか?』と微笑む美衣に『じゃあ……一緒に帰る?』と笑えば、嬉しそうに頷いて。ひさしぶりの、この状況だった。


「さっむいねー。やっぱりこんなときは肉まんとかが恋しくなりますなぁ。」


 隣を歩いている美衣は、ふざけた口調で自身が着ている紺色ダッフルコートのポケットに両手を突っ込む。この感じも、懐かしい。


「相変わらず見た目と中身違い過ぎなやつだな。よくギャップに弱いとか言うけど、美衣の場合それありすぎて引かれるだろうな。かわいそうに」


 横目で美衣を流し見つつ、幾度となく頷いた。


「ひどっ。これでも意外と人気はあるんですー。司は知らないだろうけどねっ。まぁ、彼氏とかは何故かいないけど」

「…………知ってるよ。」


 寒すぎる空気に身を縮め、足を止める。不自然に無くなった足音に気付いた美衣も、数歩進んだ所で振り向き、立ち止まった。


「司?」

「あれから美衣、誰ともつきあわなかっただろ。美衣は有名な上に、男からの人気もあんのにさ」

「そんなこと……」

「その時点で、あれは美衣の本心じゃなかったって気づいてやればよかった。……ごめんな。」


 住宅街、家の明かりと電灯の光だけが頼りのこの場所で、しっかり視線を美衣と交わす。苦しそうに歪んだ、その表情。きっと、こっちだって、負けじと歪んでいただろう。



「司に謝られるようなことされてないよ。そんなこと言われちゃったら、私が悪いみたいじゃん……やめようよ。」


 美衣が悪い訳ない。誰がどう見たって俺が悪いし、間違っていた。


「さっき『俺もそれがいいと思ったから協力した』とか言ったけど。自分のためもあったのかもな。俺は。」


 何も出来なかったし何も出来ないのにこんな風に言うのは、ずるいだろうけど。後悔と情けなさと、どうしようもない歯がゆさに埋もれる。


「それが当たり前だよ、司」

「………」

「だから自分のこと、責めなくて大丈夫だよ。」


 独り雁字搦めになる心情が、優しく諭してくる美衣によって取り除かれる。


 全てを、分かっていて。全てを、理解していて。全てを受け入れている美衣だから、伝わるそれが、苦しい。

 美衣は、誠だけじゃなく、俺のことも守ってくれていた。今だって、守ろうとしてくれている。打算的で嘘ばかりな、この、気持ちを。



「自分の気持ちを優先するのは、当たり前。私も『誠にそんなこと考えて生きてほしくない』って言ったのは、自分のため。本当のことを話したら、苦しむかもしれない誠を見たくなかっただけだもん」

「…………ありがとな。美衣。」

 小さく微笑んで、贈られた言葉の意味を、受け取った。

 2人並んで再び歩き始めたとき、目の奥がジワッと熱く感じたのは、外の空気が冷たくすっきりとしていたから。それだけでは、ないんだろう。


 他愛のない会話で埋もれる帰り道。どうしても、美衣に伝えたかったことがあった。


「美衣」

「んー?」

「俺、美衣が言う“自分にとって1番大切に想える人”が大切に想ってたから、とかじゃなくて。そんなこと関係なく、美衣自身を大切に想ってる。美衣だったから、誠と戻ってほしいって思った。」

「…………ありがとう、司」


 隣に顔を向ければ、泣きそうに目尻を下げる美衣がいる。それでも、俺に涙は見せないんだろう。そんな確信が、あった。



「司と話ができてよかったなぁ……できるとしたら今日だけだ、って思ってたから。明日は卒業式で終わりだし、人で溢れかえってごちゃごちゃしてるだろうしさ。会えない確立の方が高いもん」

「あー………だよな。」

「うん────あ。あとねえ?」

「なんだよ?」


 素晴らしい悪事を思いついたときのよう、勿体ぶった間を空ける姿は、とてもうさんくさい。訝しみつつ、続きを催促する。


「『誠に会いにきたんだろ?』ってさっき言ってたけど、2人と会いたかったんだよ?誠と司に、会いたかったの。」


 誇らしく笑った美衣は、どや、とでも言いたげに、偉そうに腕を組んだ。


「…………そりゃあ、どーも。」

 そんな美衣の頭をわしゃわしゃわしゃと強めになでつつ、脱力しそうになる。

 こいつ、可愛いんだよな。恋愛対象とかではないけれど。美衣だって、そうだろうけど。


「ちょっと!髪、ぼっさぼさじゃん!あーもう……」

 嘆きながら恨みがましい目を向ける美衣を見下ろし、笑った。

 均等な距離を保ち並ぶ外灯。その内のひとつが、チカチカと瞬く。もうすぐ訪れる終わりを助長させる、合図のように。


 自宅まであと5分、な場所で。美衣の家であるアパートが、先に姿を現す。


「司、卒業おめでとう。」

「え?」

「……明日は、言えないだろうから。今、言っとく。」

「……おー。さんきゅーべりーまっち」

「何で英語なの。しかも、それ日本語の発音だから」

「いいだろ別に」


 何を言っても、ふざければ律儀にツッコミをしてくれる。ありがたい、貴重な人材だ。どんなときも、明るい雰囲気を作れる相手だから。

 これから先の“今から”は、もうなくなるけれど。
 これより前の“今まで”も、ずっと、傍にはなかったけれど。

 そろそろ、だ。
 
 終わり は すぐ そこ に。



「美衣、」

「ん?」

「ごはんはしっかり食べろ。あと夜遊びはすんな。ちゃんと寝ろよ?」

「夜遊びって……そんなのしたことないから。ごはんも食べてるし。司も相変わらず心配性なんだね」

「うるせーな」

「へへっ。あ、ついた……」


 アパートが、目前に。


「じゃあ、あとは…………」

「まだなにか?」

「まだなにか、あるよ」

「はい。なんですか?」


 もうひとつ、言っておきたいことは決まっていたけれど、わざと考える素振りをしたことに、呆れた笑顔を向けてくる。それを、真剣な目で受け流した。


「学校、頑張れよ。」

「…………うん。」

「俺に言われなくても、頑張ってるだろうけど」

「……私、3年生になるんだね。」

「そうだな」

「うん。がんばるよ、司。だから、大丈夫。」

「うん。応援してるからな。」



 美衣の背中に、ぽんぽん。と、手のひらでエールを送る。顔を覗き込めば、今日見てきた美衣の中でいちばんの笑顔になった。見るだけで切なさが伝わってくる、いちばん儚い、笑顔。

 
 それはきっと、
 お互い、
 
 この言葉の裏に、同じ思いがあったからだろう。


 “誠も俺も、学校にはもういないけど”「がんばれよ」
 “誠も司も、学校にはもういないけど”「がんばるよ」


 込められた意味、隠された意味には、互いが気づいていた。
 けれど互いも、気付かないフリをした。

 それだけが、美衣にしてやれる、最後の思いやりだった。


 ひとりがんばっていた美衣を今更ながらに知った上、何もしてやれなかった俺に、同情じみた感情なんて抱いてほしくないだろう。

 あるマンモス高校でいちばんの有名人は、誰よりも男らしく、誰よりも優しい女の子、だからこそ。



「司。いっぱい、たくさん。ありがとう。」

「俺の言葉だよ、それは。……ありがとな、美衣。」





「じゃあ……ばいばい。元気でね。」

「……美衣こそ、元気で。じゃあな。」





「「…………さよなら。」」






 静かな笑顔で、言葉を交わす。

 ≪また、明日≫ も。
 ≪いつか、また≫ も。 

 これからの未来に繋がる言葉はないまま、終わりがきた。





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貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。 どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も… これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない… そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが… 5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。 よろしくお願いしますm(__)m

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