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深夜のリビング
しおりを挟む「寝れねー……」
仰向けに寝転んだベッドの上で、自分の腕を駆使し両目に蓋をする。珍しくも溢れ出てしまう投げやりな一人言には、苦笑を零しながら。
窓から覗く月の位置は高く、夜の帷が降りてからはもう随分の時間が過ぎ去ったことを表していた。
「(……なな、今なにしてんだろ。)」
物音などひとつもない部屋の中でしてしまうのは、数時間前、いきなり繋がっていきなり途切れた妹からの着信を思い出すのみ、で。身勝手ばかりの思考に、相手の首ばかりを絞めるような自分に、憎々しさを覚える。
それさえも、堪えきれなくなった弱い身体をむくりと起こして、重く深い息を落とした。
無邪気に笑ってしまったこと。
受け入れたこと。
呑み込んだこと。
救いたくて、伝えたこと。
自分を優先して、放棄したこと。
見て見ぬフリを、していること。
今までに選んできた全ては、どこまでか正解で、どこからが間違いだったのだろう。もしかすると、正解さえ、なかったのかも知れない。
ベッド脇に座ったまま机上に放置していたスマホに手を伸ばす。指を運び何百枚とあるさまざまな写真からある一枚を探し出せば、奥の方に眠っていた。画面上に映し出されるそれは、5年前。父親の携帯、店員により内蔵カメラでシャッターを切ってもらった写真は少し画質が悪い。
けれど。落ちついた照明、高級なイタリアンレストランのテーブルを囲んだ4人の姿は、くっきりと残っている。この先、どんな家族になるのか知っている“今”となっては。偽りでも真でも、笑っているそれぞれの存在が、虚しかった。
「(……懐かしい。)」
心臓を軋ませるそれを消し去るよう、スマホの電源を落とし立ち上がる。足先から届くフローリングの冷たさはスリッパでガードして。喉の渇きを潤す目的で、音をたてないよう気を配りつつ部屋を抜け出し階段を降りていった。
1階にあるリビングへと辿り着く直前、控えめに点いている灯りに疑問を抱きつつも、遠慮なく扉を引けば。
「…………起きて、たんだ。」
「あ……うん。なかなか、寝付けなくて。」
「……ホットミルク、飲む?」
「じゃあ、お願いしちゃおうかな。」
「いいよ。俺も飲みたいし。」
4人掛けダイニングテーブル、いつもの定位置にひとり腰を下ろした母親がいた。柔らかく向けられた微笑みに同じものを返し、キッチンへと立つ。
屋根があるはずのここは、雨が降った後の枯れ地のように湿っている気がして。重々しさを抱える誰かの感情が、充満しているようで。
「父さんは、寝てんの?」
「すっかり、熟睡中」
「羨ましいね、それは」
「ね?」
お互いに、視線を合わせないまま。小振りだけれど深さのある鍋に牛乳を注ぎ、弱火にかけた。砂糖とマグカップを用意しつつ数分待てば、すぐに完成で。
「砂糖入れたから、甘めかも?」
「大丈夫。ありがとう。」
温かいそれを母親の前に起き、向かい側にある自分の定位置に座る。話し声以外に何もない広い部屋は、ひたすらに静寂で。ふらふらと揺れる湯気さえもが、脳天気な考え方の持ち主のように見えてしまう。
「……優くんは、とっても優しいね。昔から。」
「……いきなりだね?」
「だって、菜々子にも、いつも。本当に本当に、優しく接してくれて……感謝してもしきれないもの。」
「………………。」
自分が息を飲む微かな音が、はっきりと聞こえた。言葉とは裏腹に、泣きそうな瞳で口角だけを上げた相手にまで届いてしまったのかどうかは、分からないけれど。
いつの日かと同じように。テーブル下、膝上に置いてあった両手を握りしめる。
「……ひとつ、訊いてもいい?」
「?なぁに?」
不思議を纏い首を傾ける相手に、真剣な顔だけを向ければ。どうしてか無性に、泣きなくなった。何をしても許された、甘い時代のように。それこそ、こどものように。
ずっと逃げてきた根本を知ろうと動く、この瞬間の代わりに。
「今日、何があったの?」
「……え?」
「ななのとこ行ったとき」
「どう、して……」
「ああ……今日、だけじゃないか」
「………………」
「……ななの昔には、何があったの?」
触れることを避けてきた、単純で複雑で、最大の疑問。何かを噛み締めるよう、俯きがちに深く深く目を閉じた。
中身は消えた、冷たいマグカップ。ダイニングテーブル。3つの空席。
数時間前の星空が嘘のよう、急に降り始めた激しい雨が容赦なく窓を叩き、小刻みに揺れ続ける。
『……私は、母親失格ね?』
頭の中で鳴り続けていたのは、ついさっきまであった、母親の言葉たちだった。
久原菜々子の昔、が。母親によって語られた全ての今、が。身体の中心を走る、痛みと自責と後悔、が。ずっとずっと、いつまでも離れないままに。
それでも闇は、更けていく。
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