空からの手紙【完結】

しゅんか

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不思議な子

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 8月中旬、夏休み真っ盛り。特有の強い日差しがジリジリと突き刺さり、少しずつだけれど確実に何かを焦がしている気がしたお昼時。


「―――いっ……坂巻龍っ!」

「……え?あ、何まっきー」


 狭く細長いベランダ、校舎の壁にもたれていた。ぼけーっと意味もなく黄昏ていれば、大声で呼ばれる自分の名前。声の主を探す。すぐ頭上で発見した。堂々と仁王立ちで見下ろされている姿は、中々に偉そうだ。


「まっきーじゃねえって。槇本先生と呼べ。担任だぞ。」

「いーじゃん。俺が小さいときからずっとまっきーなんだし」

「だめに決まってんだろ?歳上を敬え。」

「敬えって……」

「大体お前さ、心のことなんて呼んでる?」

「え?しんしん。」

「だろ?動物園のパンダか。自分の兄貴なくせして」

「しんしんは別に何も言わないけど」

「それにしたって……せっかく“高校教師”っつー素晴らしい肩書きがあるのに“まっきー”とか貫禄ねえだろうが」

「27歳で教師の貫禄とかあるもん?」

「ある奴はあるんじゃねーの?」

「………………」


 首だけを後ろに反らせれば、苦い顔を送られる。教師らしからぬ荒さ満載な態度を主とするこの男との関係性は、今現在のクラス担任であり。なんなら10歳ほど離れた兄の、高校時代の同級生で。さらには、10歳ほど離れた自分との従兄弟同士でもあったりする。


「そんなことより、だ。いや……まず龍、何してんだ?」


 茹だるような暑さの中、真っ向から太陽と対峙している様子を見た相手の怪訝な表情に「日向ぼっこ~」と抑揚なく答えれば、それは更に歪む。なにその顔。


「真夏の真っ昼間から?とことん不思議なヤツだな。」

「まっきー何か用事じゃないの?」

「お!そうだよ!」


 長時間そんな顔を向けられるのは腹が立つため、どうせ頼み事でもしにやって来たんだろうと思い先を促す。案の定、ぱっと明るくなった表情。たーんじゅーん。と、思い通りになったのはいいものの。相手の用事は「これまとめるの手伝え」ということらしい。手に持っているプリントを窓枠に肘をつけて、ひらひらと翳してきた。うーわ。


「やだよ。めんどい。」

「2人で片付けた方が速いだろ」

「他の人にどーぞー」

「夏休み登校日にわざわざ学校来て、授業が終わったのにも関わらず用事もないのに残ってる生徒がいないんだよ!ん!」


 この男の横暴加減は昔から微塵のブレも存在しない、と悟り諦めた。しぶしぶ立ち上がる。微かな抵抗として大きな溜め息を1つ落としながら。教室に入ると、直に太陽を浴びていた所為で頬が火照っているのが分かった。

 力なく手のひらで自分に風を送りながら見渡す教室。がらんとしているそこには、女の子がひとりいる。ついでに、ぱちんぱちんと軽快に鳴るホッチキスの音。


 他にも人いるじゃん。と思うも束の間「じゃ、後よろしくな~」と、爽やかに笑ってすたこら教室を去っていくあり得ない高校教師(27歳♂)
 

 2人って……まじか。自分の手を煩わせない上での人数だったのか。よし。今度まっきーが家に来たら黒烏龍茶と称してコーラを出そう。炭酸が大の苦手な従兄弟に地味な復讐を考えつつ、たったひとりで作業に励む女の子を正面から確認。


「……って、いんちょーさんじゃん。」


 担任から押しつけられたであろうことを真面目に取り組んでいたのは、クラス内でも重要なポジションに値する肩書きを担う人物だった。


 久原菜々子。才色兼備、まさにこの四字熟語の模範生のような。成績は常に1番でみんなに優しく、気品が溢れ綺麗を通り越してもはや麗しい。無意識に誰もが「久原さん、」と呼んでしまうような。それが、クラスメートの同級生でも先輩でも誰であっても。高校に入学して1年が過ぎ2年に上がって同じクラスになった時、周りが煩く紡いでいた彼女を表す言葉たちを思い出した。


 みんながみんなその通りに思ってる訳ではないだろうけれど。艶やかなふわふわしている長い黒髪、横に長く縦に大きい少しつり上がった漆黒の瞳、綺麗に通った鼻筋、小さな小さな顔、全てに高校生とは思えない大人な要素が加わったような、独特の雰囲気がある。


「坂巻くん、槙本先生と仲いいね?」

「えー……」

「なんか、可愛い呼び方してたから」

「んー、従兄弟だからね。昔から呼んでるし、もう癖かも。」

「そっか」


 聞き逃せない担任との関係を結び付けられながら、ひとつの机を挟み向き合い座った。不服をたっぷり含んだ口元で嫌々肯定した子供っぽい部分を出しても、真っ直ぐな視線を伸ばしてくる相手は穏やかに笑う。それだけじゃ終わらない彼女はさらに、とても楽しそうに頷いたりなんてしてくるから。つられていつの間にか、笑ってしまっていた。


「いんちょーさん、真面目だね。いつも何か働いてる」

「真面目……そうなんだね。」

「そうなんだね、って自分のことでしょ?」


 整った顔立ちを改めて見受けながら、数種類あるプリントの山から1枚ずつ回収し束ねる。自分のことを言われているのに心底頷く彼女を不思議に思いつつ、どんどん作業を消費していた。

 けれども3部ほどまとめた所で「いんちょーさん。これ、さすがになんか言われそうだよ」先に出来上がっていたものを見た衝撃により、両手の動きは止まる。おもしろいくらいに揃い合っていない、がたがたな仕上がりのプリントたち。


「うん、なんか『こんな感じでいーからよ!』って槇本先生が最初見本作ってくれたとき、プリント全部バラバラに重ねてて。そうしなきゃいけないのかなって思ったんだけど……やっぱり、違うよね?」


 頷きつつ苦笑すれば、相手も同じように笑う。まっきー、だめじゃん。


「そういえば、いんちょーさんなにしてたの?みんな、もう帰ってたんじゃない?」


 数少ないそれらを綺麗に重ね直した後、いちばん悪い大人(ヒント:27♂一応教師)の分まで申し訳なさそうに睫毛を伏せたままの彼女。大丈夫だよ、の意味を込めてふとした疑問で思考を散らせたらいいなと思い訊ねてみた。


「図書室で勉強してたよ」

「あ、そっか。いんちょーさん、いつも放課後そこで勉強してるらしいね。前、誰かが言ってた」

「うん。してる。」

「それ、いつもの予定なの?」

「んー、今日は別に、予定とかじゃなかったんだけどね」


 ホッチキスの芯がなくなったらしい彼女に詰め替え用の箱を開け中身を渡しつつ、眉を上げる。しっかりこうゆうのは用意してるくせに全く手伝わずどっかに行った誰かさんに覚えた苛立ちは、今は関係ないので胸に仕舞うとしよう。


「クラスのみんな、今からカラオケ行こって話してたでしょ?」

「うん」

「私も誘ってくれたんだけど………返事する前に、相手が一気に喋って帰っちゃったんだ」

「どういうこと?」


 疑問を重ねても、彼女は柔らかい微笑を絶やさない。基本的に無くならないその表情は、美しいものだけれど。笑顔までもが、模範的だなと思ってしまった。


「私が放課後いつも勉強してるの邪魔しちゃうと悪いから予定ないとき行こ、ってことだと思う」


 深く考えることは、しなかったけれど。
 
 このとき、は。


 それよりも、彼女が説明する中に出てくる人物に該当する男が自分の周りにいる気がしてならない。


「ねえ、それ敦じゃない?誘ったの。」

「あ、うん。そう。田辺くん。」

「……たぶん、いんちょーさんが断るって思ってそう言ったんだね。わかんないけど。」

「そう言った……って、私の放課後の予定のこと?」

「うん」


 敦は、クラスの中心的なムードメーカであり。久原菜々子を遠目に騒いでた人物のひとりでもあった。昔から周りを見て先を見て優しい気遣をサラリと相手にあげられる敦は、彼女が気にしないよう先手を打ったんだろう。クラスの集まりを断ったという小さいながらも、この場所では大きな意味を持ってしまう枷を、彼女に背負わせることのないように。


「行こうかな、って思ってたんだけどね?」

「え、行こうとしてたの?」

「うん」


 まあ、空回りすることも多かったけれど。そこがまた、残念な敦の持ち味でもあると信じている。


「(あれ。じゃあ、)それなのに、勉強してたの?」

「うーん。田辺くんに言われて、流れかな?」

「?そっか?」

「……分かんないや。」


 困ったように眉を下げる相手。分からないながらも、なんとなく頷いておくことにした。


 それからはずっと、他愛のない会話ばかり。出来上がったプリントたちを職員室まで提出しに行きお互いを労って、学校を後にすることとなる。


 容姿も頭も態度も優秀なことで有名な“久原菜々子”としっかり会話を交わしたのは、この日が初めてで。正直、会話の最中節々で(不思議な子だな)と思っていた。





 それらの理由、に。あまり他人が気にならない自分が、彼女の言葉ひとつひとつが無性に引っかかることに。彼女の綺麗な微笑を見て哀しくなったこと、に。彼女に感じた、違和感に。

 気がつけたのは、この日の夜のこと。




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