空からの手紙【完結】

しゅんか

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7月7日

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 梅雨が終わり、本格的な暑さが増していく7月に入った。


「帆波ぃ」

「なに?」

「最近、ずっと授業出てるねぇ」

「……ふは。なにそれ。それが普通じゃん。」

「んん~まあ、そうなんだけどぉ」


 昼食中、帆波が光希に向けた“作り笑い”に、持っていた焼きそばパンを置く。机と同化した茶色同士が保護色みたい、だなんて、どうでもいいことを考えた。目配せしてきた光希も同様に、頬張っていたサンドイッチをごくりと飲み込み手放す。


 最近の帆波は、具体的に挙げろと求められたら困るけれど……どことなく、暗い。“目に見えない所での変化”も、“いつも通りに振る舞おうとしていること”も、“俺と光希には言えない何かがあること”も、付き合いの長い、俺と光希は、知っていた。


 例え、直接的な理由を知らなくても。教えられなくても。朝飯前に分かること、だった。


「……帆波、なんかあったのか?」

「ほんと……帆波が言ってくれるまで待ってようとしたけど、無理。あんた、どうしたの?」

「…………うん。」


 口調の変化で、光希の本気度が伝わったんだろう帆波は、眉を下げたまま情けなく笑っている。困った顔で、小さく頷きながら。今となってはもう、違和感のオンパレードとなってしまったけれど、昔の光希はまさにこの瞬間のような、さっぱりとした話し方をしていた。真逆、と表してもいい変化、その境目は、いつだって鮮明に思い出せる。


 中3の秋、同じ時期に、スケバン紛いだった見た目だって落ち着いた。突然に、修整した。
 
 その“理由”は。


『……ねえ、恭、』

『んー?』

『あたしがさー……恭と帆波が言う“スケバン”なことって、周りみんな知ってるじゃん?』

『え、うん。まあ、だって…髪色とか如何にもスケバンがしてそうな中途半端な金髪、』

『あ?』

『(…目で殺られる)何も言ってません。』

『…。』

『(舌打ち怖い舌打ち怖い舌打ち怖い)』

『まあ、とにかくー、』

『と、にかく?』

『あたし……変わる。スケバン紛いから、ちょっと派手目、ぐらいに抑えるわ。明日から。』

『なんでまたそんやいきなり……』

『うん……考えたんだけど。例えばまあ、何処にでも居そうな見た目派手な喋り方ちょいギャル馬鹿そうなあたしになったとしてさ?啖呵切るときは今までと変わってなかったら、どう?』

『(うん、無理。)震え上がりそう。想像しただけで。』

『でしょ?うん、よっしゃ。てなわけでぇ、これからこのキャラでいきまぁす!あたしはぁ、口だけで鬱陶しい相手を打ち負かせる女になるぅ!』

『…………そっか。』


 いつかの放課後、重たく並ぶ雲のせいで薄暗い灰色をした夕方の教室で交わした会話が、全てを物語っているだろう。ざっくばらんに述べてしまえば“そんなこんなで”な経緯により、現在の光希は完成した。光希が何よりも強く望んだ『口だけで鬱陶しい相手を打ち負かす女』になりたかったのは、他の誰でもない。帆波のため、で。


 帆波の兄である空くんが事故で亡くなって、その現場にいた先生が自殺して、帆波を取り巻く環境は目まぐるしく変化した。悪い方向、へ。“帆波の母親が先生を攻め立てた所為で自殺した”“帆波の母親は人殺し”“家族である帆波の父親と帆波も人殺し”そんなふざけた繋がりを、馬鹿馬鹿しい言い掛かりを、大して関わりのない赤の他人が話を広げ、帆波は苛められるようになった。


 そんなことを、帆波を苛める《鬱陶しい相手》を蹴散らすために、帆波を護るために、大切な家族を救うために、光希は変わった。


 そして、まだまだ幼い子どもだった15歳の光希、この思惑は見事に大成することとなる。


 光希は、唯でさえ見た目が怖い(スケバン時代)のに、いきなりイメチェン(おしゃれ系派手女子)
だから、もう怖くない(喋り方ギャル)と思えば、キレたときの迫力は健在(まじ無理)という、ある種の凄まじいギャップで遣り遂げた。


 それでも、中学を卒業し高校に入学したときにはもう、帆波の周りは平和そのもだったけれど。光希は未だに、自分を変えたまま。偽ったまま。きっと、もう。本人にとっては、癖みたいなものになってしまったのだろう。暖かく優しい光希に染み付いた、なかなか抜けない、癖。


 どうすることもできない、その苦しい強さは。居た堪らなくなって、無性に悲しくなる、光希の優しさは。俺には、どうすることも、できなくて。


 変化を遂げた光希、いきなり変わったその理由を、帆波に伝えたことさえないまま。当然、光希が説明する筈もないまま。


 それでも、きっと、絶対。何も言わなくても、帆波は分かっていたのだろう。幼馴染みの3人は、血の繋がりのない家族だと思い合う俺達は、どんな時間も一緒に共有して、生きてきたのだから。


「……まいるなぁ。」

「え?」

「恐れ入ります、ってやつだよ、うん……でも、大丈夫。」

「……ほんとに?」

「私、光希と恭にだけは、嘘吐けない。」


 辺りに溢れる賑やかな声たちの中で、3人が固まり座るここだけが、異様な静けさの中にいる気がする。頷き笑う帆波の真意を探るべく、眉間に皺を寄せる光希。そんな2人の様子を、隣から見守ることだけに、専念していた。


 確かに、帆波は嘘など吐かない。ただ、言わないだけ。たった独りで、抱え込むだけ。いつだって、堪えるだけ。そんなことをされたら、嘘を吐かれるよりも響くのに。俺と光希は、ダメージを受けるのに。辛く、なるのに。


「ただ……なんとなく、逃げちゃってて。いざとなったら、怖くて。でも、それじゃあ、駄目なんだよね。」

「……なんだ、それ?どういう、意味?」

「自分で決めたことから逃げない、ってこと。うん。それ。受け入れる。何事も。だって、私はそれだけで、ここに来た。」


 誰に言うでもなく独白するかのよう、泣きそうに微笑む珍しいその様に、我慢できず会話に割り込む。けれども、本当を知り得ることはない。言い終えるや否やに立ち上がった帆波は、戸惑う俺と光希へ、順番に視線を落としていく。それはとても真剣で、静かな眼差しだった。


「………光希と恭、ってさ。いっつもいっつも、どんなときでも私を助けて、守ってくれたよね。私なんかの手を握って。離さないで、ずっと、居てくれた。」

「………………。」」

「私、2人のことはもう家族だと思ってる……だから、逃げんな!って言ってくれない?叱咤激励を求む!けど、何も訊かないでくれたら、助かる。冗談抜きで、2人に、嘘、吐けないから。」


 時折おちゃらけたりもしながら笑って、真っ直ぐ前を向く帆波の事情は……やっぱりさっぱり、分からない。それでも、覚悟を決めたように佇む相手にかけるべき言葉は、ひとつしかなかった。


「帆波。逃げんな。頑張れ。あんたには、絶対的な味方がここに2人もいるんだから。最強だよ。」

「うん、ありがと。光希。」

「……って、おい。光希さんよ。そんなかっこよく決めんなよ。俺も言おうとしたのに。」


 けれど余裕で先を越され、堂々と男前にエールを送る光希に非難を浴びせる。なんだそれ。俺の立場ゼロか、と。

 
 ついでに、じとじとした横目で不満を送れば、面白そうに「「ははっ!」」と、明るい笑い声を上げる2人。はいはいはいはい。もういいっつうの。


「まあ、俺も同じ。何か分かんないけどさ、がんばれ帆波。負けんなよ。」


 しつこいけれど、幼馴染みで家族でもある2人の女の子は、誰よりも優しく、何よりも心が強いから。俺が格好つけられる場面など無い。負け負け。勝てない。完敗だ。


「うん。ありがとう、恭。」

「どーいたしまして」

「帆波、次の授業は?どうすんの?」

「……うん。さぼる。」


 最後にひとつ楽しそうな笑みを残した帆波が、去って行った。





 今日は、7月7日。

 七夕の日であり、
 そして、

 もう二度と歳を重ねることはない、空くんの、7誕生日。




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