空からの手紙【完結】

しゅんか

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ひとごろし

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 絶好の休憩(平たく言えばサボり)場所へと楽に行ける鍵を手に入れてから、半月が過ぎた。


「ほーなみ」

「(……また、来たのか。)」

「またサボリ?」

「……休憩、です。」

「ものは言いよう、だな。」


 そして、いつの間にか。その鍵をくれた張本人、たまーにふらりと現れる北沢楓と会話する間柄にまでなっていた今日この頃。自分を援護するための間違いを指摘すれば、呆れたように笑われてしまった。


 和やかな雰囲気が流れるこの場所を、肩よりもほんの少しだけ長い程度の髪を、春と夏の中間な心地いい風が掠めていく。踊る毛束を耳にかけながら、義務教育の最終過程としてがんばっていた頃にはショートカットを貫いていた自分を思い出した。


「ほなみ、」

「え?」

「それ、染めてんのか?」

「あ……髪、ですか?」

「そう。明るめじゃん、茶色。」

「染めてないですよ。」

「ふーん」


 このままで行くか、また、戻すのか。どうでもいいようで乙女にとって重要な“今後のヘアスタイルの進路”を考え込んでいると、最上段に腰を下ろす北沢楓の不思議そうな声が届く。まさにタイムリーな疑問はいろんな人に首を傾げられるけれど、生まれつき茶色い髪と茶色い瞳をしている身としては面倒だと思うことが多々あった。世間話のような、意味の無い確認や、主張は正直、苦手。

 何処までも可愛げなどない自分の思考に呆れながらも、最下段に座ったまま背中で事実を答える。両足を地面に投げ出しぶらぶらと緩やかな波と同じスピードで揺らしてみれば、相手の不服そうな相槌が返ってきた。


「それに、先輩に明るめとか言われたくありません」

「……ほなみ、いつになったら懐いてくれるんだろうなぁ」


 そんな、相手による理不尽な無言の嘆きに対する仕返しの感情を込め、自身を差し置き“髪”の“明るさ”とかふざけたことを言う先輩へチクリと嫌みをお見舞いする。嘆くよう、憐れんでくれと言わんばかりの悲壮感ただよう声色を駆使されてしまったけれど。


「…ペットみたいに言わないで下さいよ。」

「…………。」


 顔だけで振り向き、軽く睨みを効かせる。結果、子犬のように切なく顔を歪めるもんだから、こっちの分が悪くなるだけだった。ふう、と自然に溢れてしまう一息。なにこの先輩。不良なら不良らしくもっと堂々と強気でいろ、と。喧嘩を売る度胸はさすがになかった後の、代打のため息だった。


「私の両親、元々髪色とか瞳とか色素薄くて、茶色気味なんで。遺伝です。生粋の日本人なんですけど。家族みんな、そうですよ?」

「へぇ……ほなみはクラスで浮いてんのか?」

「いきなり話かわりますね先輩?しかも、内容この上なく失礼ですね?」

「苛め、とかじゃねえんだろ?」


 北沢楓の黄色い髪が、太陽に照らされきらきら輝いている。眩しく光るそれから視線を逸らし、笑った。その上、正面を向き背中を見せてもまだ続けられる検討違いな心配には眉が下がった。北沢楓には、デリカシーという人間関係を築く中で重要なそれがないのかもしれない。


「違いますよ」

「もし、なんかされたら言いに来いよ。やり返してやる」

「それはそれは、頼もしい……でも、大丈夫。クラスメイトとは、これでも上手くやり過ごしてるんで」

「そうか」

「………………先輩、」

「ん?」

「ありがと、です。」


 それでも、見た目とは裏腹に優しい気遣いをしてくれた北沢楓に、こっそり微笑む。


「ん。」

「はい」

「………」

「………」

「「……………」」


 急に、途切れた会話。何故か、無言なのに苦じゃない空間。静かにのどかに、流れる時間。正面を向き、空を仰ぐ。濃くも薄くもない空の色。ぽかぽか陽気。晴れた空。今日みたいな日は、大好き。だった、けれど。


 暗い暗いグレーの空。重たい雲。ひんやりとした温度。冷たい風。絶え間なく落ちる無数の音。独特の匂い。激しい雨の日は、大嫌いだった。


 今のこの季節は、大好きで、大嫌い。私にとって、別れの季節。永遠、に。





『あれ、帰ってたの?』

『……ほなみ?』

『あ、そっか。高校も今日終業式か。お互い1年間おつかれさま……じゃなかった!ねえ!救急箱どこにある?すぐそこでさっ…き…、』

『え、誰か怪我したのか?』

『……あ、恭、が…そこで、近所の子たちに自転車の基本叩き込むとか言い出して……派手、に、転んで…』

『きょう…あいつご近所さんのこども捉まえてなにしてんの。この春から受験生のクセにな?そんなんで大丈夫か……あ、とりあえず俺も行くわ。みつきも一緒?』

『………………』

『ほなみ、』

『………………』

『……ほーなみ!』

『え……あ、うん…光希も、そこに……でも、それより、』

『ん?』

『……その…えっと…背、中、』

『あ、見えた?いやぁー部活張り切りすぎてなー?片付けんとき思いっきりボール踏んで滑って背中からダイブしてさ』

『……でも、その痣、』

『ダサいだろ?今、風呂上がって部屋行く途中だったからさ。油断して上着てなかったわ。かっこ悪いから、誰にも言うなよ?』

『………………』

『ほなみ?返事は?』

『……うん。』





 数年前に流れた季節、交わした会話が、記憶を過る。


「ほなみ、」

「……………」

「……ほーなみ!」

「……っ、」


 確実にあった“昔”を思い耽ている今の自分では、すぐ側まで近付いていた相手に、気付くことはできない。顔色を窺うよう隣から覗いてくる北沢楓に驚き、咄嗟に身を引いてしまった。


「どうした?」

「せ、んぱいが、いきなりいたから……」

「ああ、そうか……悪い」

「……いえ、」

「でも、ほなみ急に反応なくなったから」

「…………はい、」

「……大丈夫か?」

「大丈夫、です。すみま、せ、ん……」


 それでも、存在感のある、鋭くも綺麗な瞳。隠しきれていない心配そうな視線に、安心する自分が居た。


 それなのに、どうしてだろう、と。
 なにかがおかしい、と。

 とても大切で重要な違和感にもうすぐ気付けると、予感する。


 だって。いつも通りの、自分。家族と光希と恭だけに見せられる、本当の自分。声のトーン。話し方。会話の内容。その全てを、北沢楓は、知っている。素のままの私を、笑顔を。躊躇もなく晒している。


 でも。私は、どうして。北沢楓の前では、取り繕ってないんだっけ。


 いつから?いつ、こんな風に振る舞えるようになった?


 きっかけは?北沢楓の前で、猫被らなくてもいいやって。面倒事を引き連れてくる相手ではないなって。この人には、心を許しても大丈夫だって。知らない間に思えていた、理由は?出逢ってまだ半月の北沢楓と過ごす時間の、どこで?


 そんな瞬間、なかった。一切、なかった。じゃあ、どうしてだろう。どうして…………。





『ほなみ』
「ほなみ」


『ほーなみ』
「ほーなみ」





 ああ……なんだ。そうか。簡単なこと、だった。


「……先輩、」

「ん?」

「今から、質問します。はいかいいえのみで答えよ。」

「なんだよそのキャラいきなり」


 顔も身体も、至近距離。見なくても、隣に存在していることが分かる。生きてる人間特有の、温度がある。


 相手は、可笑しそうに顔を向けてきた。けれど、私は、真っ直ぐ前に向いたまま。北沢楓を見ないままに、始めた。


「先輩は……3年生、ですか?」

「今頃?」

「はい、か、いいえ。」

「……ほなみ?」


 皮肉に口角を上げ、答え方に釘を刺す。もう、自分で自分が、怖かった。こんなにも冷たい声を出せる人間が、怖かった。ゆっくり、北沢楓に顔を向ける。私も中々の無表情だろうけれど、先輩も負けていない。傍から観察していれば、奇妙な光景に映っただろう。


「……自己申告するのも、どうかと思うんですけど、」

「?」

「私、普段は猫かぶりしてるんですよ。先輩の前では、したことないけど」

「……………」

「最初からだったし、疑問に感じなかったけど……よくよく考えたら、変、で。」

「……変?」

「はい。かなり、変です。でも今、分かっちゃって。理由。」

「……理由?」

「はい。先輩が私を呼ぶときのリズム…発音?のせいでした。理由は。でも、可笑しいんですよ。」

「……………」

「私、先輩に、自己紹介的なことした覚え、なくて。」

「……………」


 全ての感情を消し捨てて相手を見据え続ければ。体の中心に、得体の知れない冷たいモノが突き刺さった気がした。冬でもないのに、指先までもが凍える。押し黙る北沢楓の双眸は、今やもう、ただの闇だった。


「別に……私が知らない相手でも相手は自分の名前を知ってる、とか日常茶飯事なんで、そこはまあいいです」

「……………」

「私は“いろんな意味”で有名らしいですし。先輩が、私の名前を知っててもまあそこは。でも……私のことを知ってるのに、それを私に出さないまま関ってきた人はいない」

「……なるほどな。」

「……先輩、本当は、初めて会ったときから知ってましたか?私のこと、あのときには、もう、既に。」


 深刻にならないよう笑顔で問いかけた筈なのに、北沢楓の表情が酷く哀しく歪む。それでも、お互いに、視線は逸らさなかった。ここで逸らしてしまえば、もう、会えないと思った。知れないと、感じた。


 会いたくて会いたくて、会いたくて。どうしようもなく、それしかない。たった、それだけを待ち望む、相手に。


 2度と、このまま。片鱗さえ、掴むこともなく。解らないままだと、分かった。


「……知ってたよ。去年の今頃、見たこともある。ほなみのこと。あと、お前の思ってる通り。俺は、3年。」


 覚悟を決めたよう、ゆっくりと微笑む北沢楓、に。込み上げてくる震えを誤魔化し、手のひらを握りしめる。私はいつから、こんなにもな臆病者に、なってしまっていたのかな。


「うん、はい。可笑しくないです。先輩は、今年18歳ってことでしょ?」

「18。」

「……なんで、私のこと知らないフリしたの?」

「……ほなみ。」


 何を聞いても、何も答えてくれない。困った顔で、聞き馴染みのあるトーンで、私の名前を呼ぶ。それだけ。初対面から変わらない、卑怯な北沢楓に、そっと笑いかけてみた。


「……ねえ、先輩、」


 そして、俯き、小さく問いかける。





 私のこと
 私の 家族のこと


 ひ と ご ろ し


 ……先輩も、そう思いましたか?




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