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見えない恩寵
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「十年前、レオンの洗礼式での事だ。ここに居る国の者は皆目撃者だが、記憶を消してしまったからな、今や証人は儂と王妃だけだ……」
静まり返った空気の中、ゴルド国王は自嘲するような声音で語る。
「立太子の儀を早めたのはそれが理由だ。またと無い吉兆を得たものと」
それから国王は公爵夫妻に視線をうつした。
「権力が過剰となると反対した公爵を押し切って、アリシア嬢を婚約者に据えたのは、神の恩寵を得て王となるならば、その伴侶はレオン自身に選ばせようと、そう判断したからだ。あの時は、その方が都合も良かった」
まだ幼い王子を立太子した事で起こる、王太子妃の座を巡る国内外の思惑が起こす諍いを牽制するのには、あの当時は最良の選択だった、と国王は語る。
「……それに、幼いながらも想いあっておったからな」
公爵夫妻からもレオンからも目を逸らし、懺悔するようにぽつりと漏らした言葉に、肩を震わせたのはレオンだった。
部屋に降りた沈黙の中で、レオンは拳を握りしめ感情を押し殺している。
「陛下、その件は、レオン殿下の誓約に応え、我らが神が顕現された事は、大教会に報告はされたのでしょうか?」
当事者であるはずが何も覚えていない宰相は、不安げな顔をして尋ねた。
ゴルド国王は答えず、ユージーンは苦笑いを浮かべた。
「それについては、こちらからご説明しましょう。恐らく国王陛下はご報告されたのでしょう。ただし、相手にされなかったものと……」
ユージーンが僅かに困ったような顔をして気まずげに語れば、国王は仕方の無い事と首を振る。
補足の為にメイアが一歩前に出た。
「大教会には毎年、神のお姿を見たという報告は大量に寄せられます。しかしながら、ただ目撃しただけでは、その証拠を提示出来る事は稀です。しかも尚厄介な事に、名声を目的とした虚偽の報告も、多分に含まれております」
メイアは淡々と大教会の実情を言葉にする。
「従って、大教会では原則として、顕現されたという報告事例を、否定も肯定もせず関与しないと定めております」
国王は微かに笑んで頷いた。
「わかっているとも。儂らは誓約が成ったのだと確信していたが、ただ一度きりお姿を目にしただけでは、その時点では何の証明も出来なかった。それはやむを得ぬ事だ」
それからゴルド国王は、悔いるように目を閉じた。
「だが、その証明が出来ぬという葛藤が、儂に拙い迷いを生じさせた」
神が姿を見せたその年を境に、治癒士を筆頭に洗礼で恩寵を得る者が徐々に増えていった事は国王も把握していた。
それこそが神と誓約が結ばれ、レオンが王となる国に与えられし加護だと確信はしても、一方でそれを裏付ける目に見える根拠が無かったと国王は語る。
術式という誰の目にも明らかな力を授かる世においては、根拠を一部の者の言葉のみで語られる奇跡への信は脆い。
「洗礼式で貴重な術式を授かる王族の話は、何処の国の逸話でも聞く事だ。だがレオンの場合は、目に見える力では無い。だから……それを支えられる者を、と」
言葉を区切りしばし沈黙した国王に、ユージーンが問う。
「婚約者を、民衆の間でも神の愛子として知られ始めた、リリア嬢に変えようとなさったのですか?」
国王は頷いた。
「治癒のような見える技を授かった者では無く、レオンと同じく見えぬ力だが、その効果がすぐさま現れる事で、確かな実感を与える事が出来る。そのような愛子が傍に居れば、やがてレオンの得た見えぬ恩寵も信を得るだろうと」
そこで宰相が、何か思い当たったような顔をして立ち上がった。
「陛下、私は以前に陛下が王命にて婚約者を変えようとなさった事があるのを、覚えております。ですがそれは出来なかった。理由は何だったのでしょうか。私の記憶は、消されておりますので……」
「その通りだ、出来なかった。レオンに強く反発されたのもあるが。何より、我が国の婚約は書面で交わされる。強行する事も出来たはずだった。ところがどうした訳か、目に見えぬ力に阻まれるように、儂は署名する事が出来なかった」
国王が答えた後、黙って傍に控えていた王妃が立ち上がり、窓辺まで進むと部屋の空気を入れ替えるように窓を開けた。
窓から吹く風にあたりながら、王妃は当時の事を話した。
「不思議な事に、陛下が署名なさろうとすれば、窓も開いていないのに風が吹き、暖炉に呑まれて灰に。それからも、偶然のような些細な出来事が続いて、ことごとく失敗するのです」
「儂らはそれを、レオンの意思に反する事は神がお許しにならないものと、解釈した」
それを聞いて、がたりと音を立て立ち上がったのはロイドだ。その脇で公爵夫妻もまた、肩を震わせ顔を顰めていた。
「ならば、何故、記憶消去など持ち出してまで、強行なさろうとしたのです。アリシア嬢の名誉を傷付けてまで……!」
激高したように問うロイドに、国王は苦しげに顔を歪めた。
静まり返った空気の中、ゴルド国王は自嘲するような声音で語る。
「立太子の儀を早めたのはそれが理由だ。またと無い吉兆を得たものと」
それから国王は公爵夫妻に視線をうつした。
「権力が過剰となると反対した公爵を押し切って、アリシア嬢を婚約者に据えたのは、神の恩寵を得て王となるならば、その伴侶はレオン自身に選ばせようと、そう判断したからだ。あの時は、その方が都合も良かった」
まだ幼い王子を立太子した事で起こる、王太子妃の座を巡る国内外の思惑が起こす諍いを牽制するのには、あの当時は最良の選択だった、と国王は語る。
「……それに、幼いながらも想いあっておったからな」
公爵夫妻からもレオンからも目を逸らし、懺悔するようにぽつりと漏らした言葉に、肩を震わせたのはレオンだった。
部屋に降りた沈黙の中で、レオンは拳を握りしめ感情を押し殺している。
「陛下、その件は、レオン殿下の誓約に応え、我らが神が顕現された事は、大教会に報告はされたのでしょうか?」
当事者であるはずが何も覚えていない宰相は、不安げな顔をして尋ねた。
ゴルド国王は答えず、ユージーンは苦笑いを浮かべた。
「それについては、こちらからご説明しましょう。恐らく国王陛下はご報告されたのでしょう。ただし、相手にされなかったものと……」
ユージーンが僅かに困ったような顔をして気まずげに語れば、国王は仕方の無い事と首を振る。
補足の為にメイアが一歩前に出た。
「大教会には毎年、神のお姿を見たという報告は大量に寄せられます。しかしながら、ただ目撃しただけでは、その証拠を提示出来る事は稀です。しかも尚厄介な事に、名声を目的とした虚偽の報告も、多分に含まれております」
メイアは淡々と大教会の実情を言葉にする。
「従って、大教会では原則として、顕現されたという報告事例を、否定も肯定もせず関与しないと定めております」
国王は微かに笑んで頷いた。
「わかっているとも。儂らは誓約が成ったのだと確信していたが、ただ一度きりお姿を目にしただけでは、その時点では何の証明も出来なかった。それはやむを得ぬ事だ」
それからゴルド国王は、悔いるように目を閉じた。
「だが、その証明が出来ぬという葛藤が、儂に拙い迷いを生じさせた」
神が姿を見せたその年を境に、治癒士を筆頭に洗礼で恩寵を得る者が徐々に増えていった事は国王も把握していた。
それこそが神と誓約が結ばれ、レオンが王となる国に与えられし加護だと確信はしても、一方でそれを裏付ける目に見える根拠が無かったと国王は語る。
術式という誰の目にも明らかな力を授かる世においては、根拠を一部の者の言葉のみで語られる奇跡への信は脆い。
「洗礼式で貴重な術式を授かる王族の話は、何処の国の逸話でも聞く事だ。だがレオンの場合は、目に見える力では無い。だから……それを支えられる者を、と」
言葉を区切りしばし沈黙した国王に、ユージーンが問う。
「婚約者を、民衆の間でも神の愛子として知られ始めた、リリア嬢に変えようとなさったのですか?」
国王は頷いた。
「治癒のような見える技を授かった者では無く、レオンと同じく見えぬ力だが、その効果がすぐさま現れる事で、確かな実感を与える事が出来る。そのような愛子が傍に居れば、やがてレオンの得た見えぬ恩寵も信を得るだろうと」
そこで宰相が、何か思い当たったような顔をして立ち上がった。
「陛下、私は以前に陛下が王命にて婚約者を変えようとなさった事があるのを、覚えております。ですがそれは出来なかった。理由は何だったのでしょうか。私の記憶は、消されておりますので……」
「その通りだ、出来なかった。レオンに強く反発されたのもあるが。何より、我が国の婚約は書面で交わされる。強行する事も出来たはずだった。ところがどうした訳か、目に見えぬ力に阻まれるように、儂は署名する事が出来なかった」
国王が答えた後、黙って傍に控えていた王妃が立ち上がり、窓辺まで進むと部屋の空気を入れ替えるように窓を開けた。
窓から吹く風にあたりながら、王妃は当時の事を話した。
「不思議な事に、陛下が署名なさろうとすれば、窓も開いていないのに風が吹き、暖炉に呑まれて灰に。それからも、偶然のような些細な出来事が続いて、ことごとく失敗するのです」
「儂らはそれを、レオンの意思に反する事は神がお許しにならないものと、解釈した」
それを聞いて、がたりと音を立て立ち上がったのはロイドだ。その脇で公爵夫妻もまた、肩を震わせ顔を顰めていた。
「ならば、何故、記憶消去など持ち出してまで、強行なさろうとしたのです。アリシア嬢の名誉を傷付けてまで……!」
激高したように問うロイドに、国王は苦しげに顔を歪めた。
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