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造られた齟齬
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戸惑いと共に鬱々とした空気の満ちる部屋で、メイアがどさりと資料をテーブルに置く音が響いた。
「分からない事を考えていても時間を浪費してしまいますので、現状判明している別の項目を確認していきましょう」
至極冷静な、淡々とした声に、客間に集められていた者達は各々が居住まいを正した。
ユージーンは、この先を部下達に任せる為に壁際に移動して、遠目に各人の反応を見ている。
「……ならば、一つ確認させて欲しい。アルフレッド卿が確認した術式の痕跡は記憶消去のものだけだったのだろうか? その、他に、思考操作系のものは……」
ロイドが立ち上がり、言葉を濁しながらも問うた内容に、レオンと公爵夫妻がそれぞれ苦しげに顔を上げた。
「ええとですね、あったとも言えるし、無かったとも言えます」
アルフレッドは困ったような顔をして曖昧に答えた。
「それは、どういう意味でしょうか……?」
「ロイド卿は、まぁぶっちゃけると、魅了とか洗脳とかそういった類の術式の形跡があったか、とお尋ねになりたいのかと思いますが」
ロイドは、困惑を浮かべながらもはっきりと頷いた。
「まず、現在確認されている、我々術者が行使するような術式の痕跡はありませんでした」
ざわりと、客間に音にならないどよめきが広がる。
自身の言動の齟齬を、何かの力で操られていたと感じていた者達は、不安と困惑の色を濃くした。
「あー、まぁ、そうですよね。術式が掛けられていたと言われた方が、気が楽、と言ったら失礼かな。まぁ、納得はいきますよね」
アルフレッドは軽い口調で述べながら、客間に居る一人一人の顔を確認するように見回す。
「まずそもそも、人心を操作する術式というのは、存在していても一時的なものが殆どです。人の心を継続的に操作するというのは、実は簡単な事ではありません。何せ、人の思考ってのは、常に変動するものですし、ありとあらゆる外部要因の影響を受けるものなので。記憶消去みたいに、消したら終わり、とはならない」
アルフレッドの解説に、返ってくるのは困惑だ。
「人の思考に関して言えば、術式を使うよりも、行動心理や集団心理を情報操作等によって意図的に歪める方が簡単です」
合いの手を入れるように語り始めたメイアに、その場の者達の視線が集まる。
「例えば、誤った情報でも、長期に渡ってそれを繰り返し聞かせられていると、実際には何も知らないにも関わらずそれを信じてるしまう傾向を持つ人は多く見られます。これはカルト教団や独裁政治下における洗脳の一種としても使われている手法です」
関連性の無い複数の情報元から同じ内容を聞かされる事で、それは更に効率的に浸透してしまう、とメイアは補足して、先程テーブルに置いた資料の束を示した。
「城内に勤める文官や兵士、末端の使用人まで話を伺いました。結論から申し上げれば、全ての方に特定の認知の歪みが生じておりました。中には、この数日間でそれを自覚した方もいらっしゃいましたが」
そこで一呼吸置いて、メイアは珍しく眉尻を下げた。
「その殆ど全てが、アリシア・フィルハーリス嬢に関する全く根拠の存在しない罵詈雑言の類です」
フィルハーリス公爵夫妻は苦い溜め息と共に顔を手で覆った。
「まぁ~、言葉は悪いですが、権謀術数の渦巻く貴族社会、根も葉もない悪い噂を流されて陥れられる事など、そう珍しい事ではありません。それ自体は」
アルフレッドは、言いにくそうにしばし考え込んでから、いつに無く真面目な表情で公爵夫妻と、そしてレオンの目を見た。
「それでも、対象をよく知る相手までがそれを信じ込んでしまう、ということは、そう滅多に無い事でしょう」
苦い表情のまま見つめ返してくる三人に、アルフレッドは宥めるような顔をした。
「先程、あったとも言える、と言ったのは、明確に術式という痕跡ではありませんが、何らかのそれに極めて類似したものが、公爵夫妻、そしてレオン殿下、この御三方に発動していた形跡がありました。それは思考操作というよりも、受け取る情報そのものを歪ませるものです」
アルフレッドは一つ深呼吸して間を置いた。
「アリシア嬢を、意図的に過剰に不快な存在であると感じるように仕向ける、認識阻害に類似した形跡でした」
「人の思考を操作するよりも、受け取る情報を操作する方が、遥かに簡単なのです。例えば、声の調子、匂い、表情など。人は無意識に様々な情報を五感から受け取っています。その情報を、不快と感じるものに差し替える事で、認識の歪みを生じていたものと」
認識の阻害についてメイアが補足するが、三人は青ざめた顔をして俯き、肩を震わせていた。
眉間に皺を刻み、憤りを堪えるように手を握りしめて、レオンは問うた。
「それを、掛けた人物は、特定出来ているか?」
アルフレッドは、首を横に振る。
沈黙の降りた客間に、国王直属の伝令兵がやって来たのはそのしばらく後だった。
「……記憶消去にしろ、認識阻害にしろ、それを意図した人物に聞いた方が、早いのでしょうね……」
ロイドは険しい顔をして、壁際に立つユージーンにだけ聞こえるように呟いた。
「分からない事を考えていても時間を浪費してしまいますので、現状判明している別の項目を確認していきましょう」
至極冷静な、淡々とした声に、客間に集められていた者達は各々が居住まいを正した。
ユージーンは、この先を部下達に任せる為に壁際に移動して、遠目に各人の反応を見ている。
「……ならば、一つ確認させて欲しい。アルフレッド卿が確認した術式の痕跡は記憶消去のものだけだったのだろうか? その、他に、思考操作系のものは……」
ロイドが立ち上がり、言葉を濁しながらも問うた内容に、レオンと公爵夫妻がそれぞれ苦しげに顔を上げた。
「ええとですね、あったとも言えるし、無かったとも言えます」
アルフレッドは困ったような顔をして曖昧に答えた。
「それは、どういう意味でしょうか……?」
「ロイド卿は、まぁぶっちゃけると、魅了とか洗脳とかそういった類の術式の形跡があったか、とお尋ねになりたいのかと思いますが」
ロイドは、困惑を浮かべながらもはっきりと頷いた。
「まず、現在確認されている、我々術者が行使するような術式の痕跡はありませんでした」
ざわりと、客間に音にならないどよめきが広がる。
自身の言動の齟齬を、何かの力で操られていたと感じていた者達は、不安と困惑の色を濃くした。
「あー、まぁ、そうですよね。術式が掛けられていたと言われた方が、気が楽、と言ったら失礼かな。まぁ、納得はいきますよね」
アルフレッドは軽い口調で述べながら、客間に居る一人一人の顔を確認するように見回す。
「まずそもそも、人心を操作する術式というのは、存在していても一時的なものが殆どです。人の心を継続的に操作するというのは、実は簡単な事ではありません。何せ、人の思考ってのは、常に変動するものですし、ありとあらゆる外部要因の影響を受けるものなので。記憶消去みたいに、消したら終わり、とはならない」
アルフレッドの解説に、返ってくるのは困惑だ。
「人の思考に関して言えば、術式を使うよりも、行動心理や集団心理を情報操作等によって意図的に歪める方が簡単です」
合いの手を入れるように語り始めたメイアに、その場の者達の視線が集まる。
「例えば、誤った情報でも、長期に渡ってそれを繰り返し聞かせられていると、実際には何も知らないにも関わらずそれを信じてるしまう傾向を持つ人は多く見られます。これはカルト教団や独裁政治下における洗脳の一種としても使われている手法です」
関連性の無い複数の情報元から同じ内容を聞かされる事で、それは更に効率的に浸透してしまう、とメイアは補足して、先程テーブルに置いた資料の束を示した。
「城内に勤める文官や兵士、末端の使用人まで話を伺いました。結論から申し上げれば、全ての方に特定の認知の歪みが生じておりました。中には、この数日間でそれを自覚した方もいらっしゃいましたが」
そこで一呼吸置いて、メイアは珍しく眉尻を下げた。
「その殆ど全てが、アリシア・フィルハーリス嬢に関する全く根拠の存在しない罵詈雑言の類です」
フィルハーリス公爵夫妻は苦い溜め息と共に顔を手で覆った。
「まぁ~、言葉は悪いですが、権謀術数の渦巻く貴族社会、根も葉もない悪い噂を流されて陥れられる事など、そう珍しい事ではありません。それ自体は」
アルフレッドは、言いにくそうにしばし考え込んでから、いつに無く真面目な表情で公爵夫妻と、そしてレオンの目を見た。
「それでも、対象をよく知る相手までがそれを信じ込んでしまう、ということは、そう滅多に無い事でしょう」
苦い表情のまま見つめ返してくる三人に、アルフレッドは宥めるような顔をした。
「先程、あったとも言える、と言ったのは、明確に術式という痕跡ではありませんが、何らかのそれに極めて類似したものが、公爵夫妻、そしてレオン殿下、この御三方に発動していた形跡がありました。それは思考操作というよりも、受け取る情報そのものを歪ませるものです」
アルフレッドは一つ深呼吸して間を置いた。
「アリシア嬢を、意図的に過剰に不快な存在であると感じるように仕向ける、認識阻害に類似した形跡でした」
「人の思考を操作するよりも、受け取る情報を操作する方が、遥かに簡単なのです。例えば、声の調子、匂い、表情など。人は無意識に様々な情報を五感から受け取っています。その情報を、不快と感じるものに差し替える事で、認識の歪みを生じていたものと」
認識の阻害についてメイアが補足するが、三人は青ざめた顔をして俯き、肩を震わせていた。
眉間に皺を刻み、憤りを堪えるように手を握りしめて、レオンは問うた。
「それを、掛けた人物は、特定出来ているか?」
アルフレッドは、首を横に振る。
沈黙の降りた客間に、国王直属の伝令兵がやって来たのはそのしばらく後だった。
「……記憶消去にしろ、認識阻害にしろ、それを意図した人物に聞いた方が、早いのでしょうね……」
ロイドは険しい顔をして、壁際に立つユージーンにだけ聞こえるように呟いた。
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