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陽光に燻る

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 湿気を含んだだるような暑さの中で、王都の中心地に立つ施療院にはまばらに人垣が出来ていた。
 騒ぐでも無く、皆じっと中の様子を伺っている。

 簡素な修道服に身を包んだ恰幅の良い中年女性が、荒い息を吐き青ざめた顔で身を横たえている少年に手をかざしている。少しの沈黙の後で、手のひらの周囲に白い光の輪が幾重にも広がった。

 やがて少年の苦しげな呼吸が穏やかになっていくのを見て、傍らに座り込んでいた窶れた姿の母親らしき女がぼろぼろと涙を零し、少年の手を握る。

「あ、ありがとう、ございます……!」

 掠れた涙声で告げられた言葉に、修道服の女は慈愛に満ちた表情で一つ笑みを返して、それから別のベッドへと向かった。

 彼女はゴルドの惨状を耳にして駆け付けた、隣国の治癒士だ。

 施療院には他にも、大教会や近隣国が派遣した治癒士が幾人か、病人を治癒して回っていた。

「症状の軽い方は、この薬を使ってください! 大丈夫、大教会からもお墨付きをいただいた飲み薬です。あ、お代は取りませんよ!」

 二つ隣の国から馬車を夜通し走らせてやって来たという商人の娘が、威勢の良い声を響かせる。
 病床にある者も、その家族にも、久方ぶりの安堵の表情が垣間見えた。



 その光景を、どこか苦しげな、歪な作り笑いで眺めている男が居た。
 錦糸の入った司祭服に身を包んだ男は、無言で踵を返すと逃げるように廊下に出ていった。

「アダム様……!」

 人気ひとけの無い廊下を進んでいるうち、先程の女とは別の修道服に身を包んだ数人の少女達に呼び止められる。

 司祭服の男──アダム・ウィルハートを取り囲むようにして集まった少女達は皆、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 彼女達は元々この施療院に所属していた治癒士だ。

「アダム様、どうしてなのですか」
「何故、私達は治癒が使えないのですか……?」

 普段は饒舌なアダムは今、その答えを持ち合わせて居なかった。無言で、ただ苦い笑みを作る。
 目の前に治癒を使える者が居るこの状況では、最早これまで主張して来た言葉には、何の説得力も無い。

 答えに窮して、何も言えないまま首を振る。

「ああ……いや、そうだね、大教会の司教様が居らしてるからね、これから、調べていただいくところだよ……」

 漸く口に出来たのは、その場しのぎの思い付きの言葉だけだ。
 少女達は不安げな顔をしたまま、互いに顔を見合わせている。
 
 そうしているうち、視線を感じて振り返れば、遠巻きに人の群れがこちらを見ていた。
 そこに猜疑の視線が混ざり始めているように錯覚して、アダムは慌てて目を逸らす。

「大丈夫、私達には、神の愛子がついているんだ。大丈夫さ……」

 何時になく小さな声で、言い聞かせるように呟いて顔を上げれば、廊下の先、倒壊し瓦礫の山となった聖堂の周りで、襤褸を着た子供と老人が座り込んで祈りを捧げている。

 アダムは苦悶の表情を浮かべて目を逸らすと、近くに停めていた馬車へと早足で向かった。



 馬車に乗り込むと、窓のカーテンを閉め切って、身を隠すように頭を抱え蹲った。

「こんなはずでは、こんな……」

 震える声で呟けば、隣で人の気配が動く。先に乗り込んでいた側近が動揺を隠しきれずに眉を寄せていた。

「……アダム師。その、ご報告なのですが……、市井では、まだほんの僅かですが、リリア様を疑う声が、上がり始めております」

 側近の男は声を潜めて、言いにくそうに言葉を紡ぐ。
 それを聞いて、アダムは拳を馬車の壁に叩きつけた。

「違う! あの子は本物だ! 私が見付けた、この、私が、見付けた! 間違いなく本物の……っ」

 声を荒らげたアダムに、側近の男はびくりと肩を震わせ身を竦める。

「……あの娘を排除したのは、早まったかもしれん……いざとなれば身代わりの駒にも出来たものを……。だから、だから、例え無能で価値は無くとも、活用は出来ると、あれほど……」

 アダムはぶつぶつと呟くと、拳に爪を立てて握りしめていた。

「その、リリア様ですが、このところ民の前に出るのを怖がっておりまして……。この状況では、余計にそれが悪化するかと……」

 側近の男が恐る恐る告げた言葉に、アダムは顔を上げると額を抑えて息を吐く。

「何とか、しなければ……」

 苦悶の表情のまま、アダムはカーテンの隙間から、陽の光が照りつける街並みの先にある王城を、睨むように見上げた。
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