17 / 31
灼然なるものの揺らぎ
しおりを挟む
治癒士とは、その名の示す通り、人々の怪我や病を回復させる術式の使い手の事だ。
術式についての解釈は国や地域によって異なり、魔法、魔導、魔術、異能など、様々な呼称があるが、そのどれもが同じ現象を指し示す。
治癒の他にも、火や雷を起こすものもあれば、一時的に身体機能を強化するもの等も知られている。
その中でも人々の生活の最も身近に、当たり前のものとしてあるのが治癒術式であり、治癒士だった。
万人が持つ能力では無く、治癒術式を使える者は限られるが、その多くは教会で洗礼の儀式を経て行使が可能になる事で知られる。
ロイドは向かいに座るユージーンに、努めて冷静に問うた。
「死の淵にあるような者の治癒など、その消耗と使った術式の大きさの反動で、一時的に術が使えなくなるといった話は聞いた事があります。中には歳と共に力が衰える者も居る。……しかし、集団で、それも同じ国で洗礼を受けた者だけ……こういった事例は他には?」
ユージーンは静かに首を横に振る。
「私も、ヴァースを信仰する全ての国の出来事を事細かに把握している訳ではありません。しかしながら、何らかの異変が起これば報告されるもの。治癒士の件に関しては、この身に司教の位を賜って以来、初めて知る状況です」
次いでメイアが補足する。
「洗礼地に起因する治癒術式の喪失については、過去に類似した事象は存在したか、ラーヴェ修道院及び大教会本部に保管されている文献を元に調査を依頼しています」
想像で語る事は危うい。しかし、それでもロイドは胸に沸いた言葉を率直に口にした。
「……まるで、我が国は神に見放されたかのように、思えてなりません」
術式により発動する力は、神により分け与えられしもの。それがありふれた当然の事として認識されている。
起きている事実が指し示す答えは、結局のところ一つに思える。
場に降りたしばしの沈黙の後で、ロイドの前に別の紙片が提示された。
「一時的に意識を回復した際の、アリシア・フィルハーリス嬢の言葉です」
アリシアの身に起きた事は部下から報告を受けていた。ロイドは痛ましく表情を曇らせた後で紙片の内容を検める。
それは今しがた発した己の言葉と重なり、確信を求めて顔を上げた。
「クロヌス猊下、貴殿は、視えるのですよね?」
ロイドはユージーンに向いて姿勢を正すと真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「猊下がそのお力と、偽りを口に出来ぬ戒めゆえに、要らぬ混乱を招かぬ為に口を閉ざしていらっしゃるのは承知の上で、敢えてお聞きいたします」
ユージーンは、無言のまま先を促すように頷いた。
「最早この地に、神は居られぬのでしょうか」
少しの沈黙の後で、ユージーンは口を開く。
「あの地震の以降、そのお姿は一度も形を成しておられません」
どこか曖昧にも思える返答は、是と捉えるべきか惑うロイドに、ユージーンは言葉を続けた。
「ロイド卿。長く時が経つと共に、遠い異国の神の概念が持ち込まれ、混ざり始めたことで、人々は本来の我らの神について、僅かばかりの誤解をし始めています」
ロイドは目を瞬いた。
「人と同じ姿形を持ち、世界と人を創造し、その営みを何処かから見守る──それは海の向こうの異国の、異教徒達の信仰する神。私達はこれを創造神信仰と呼んでいます」
過去数度の戦争ののち、和平と共に交易が盛んになって以来、少しずつ海の向こうの異国の文化は知られ、浸透を始めている。
「一方で、我らの神ヴァースは、ありとあらゆる場所に在るもの。はじめから人の理の外に在るもの。畏れるもの。祀る事で加護をいただくもの。全てにして一つのもの。それが、神と呼称されしもの」
教典に書かれるような難解な言い回しは、覚えがあっても普段意識するもので無く、頭に思い描くのは、見慣れた黒い四足の獣に白い蛇の巻きついた姿だ。
「ヴァースは、古くは様々な姿で描かれていた事はご存知でしょう。複数の側面を併せ持つ、その本性は、本来は形を持たぬものです。──そして、人の子の永き信仰と誓約の果てに、ヴァースは形を成し、人の言葉を理解し、加護を与えた」
一呼吸置いて、ユージーンはロイドに告げる。
「故に、見放され立ち去った、居なくなった、というのは厳密には正しくは無い。ですから、形を成さなくなった、と、お答えしたのです」
術式についての解釈は国や地域によって異なり、魔法、魔導、魔術、異能など、様々な呼称があるが、そのどれもが同じ現象を指し示す。
治癒の他にも、火や雷を起こすものもあれば、一時的に身体機能を強化するもの等も知られている。
その中でも人々の生活の最も身近に、当たり前のものとしてあるのが治癒術式であり、治癒士だった。
万人が持つ能力では無く、治癒術式を使える者は限られるが、その多くは教会で洗礼の儀式を経て行使が可能になる事で知られる。
ロイドは向かいに座るユージーンに、努めて冷静に問うた。
「死の淵にあるような者の治癒など、その消耗と使った術式の大きさの反動で、一時的に術が使えなくなるといった話は聞いた事があります。中には歳と共に力が衰える者も居る。……しかし、集団で、それも同じ国で洗礼を受けた者だけ……こういった事例は他には?」
ユージーンは静かに首を横に振る。
「私も、ヴァースを信仰する全ての国の出来事を事細かに把握している訳ではありません。しかしながら、何らかの異変が起これば報告されるもの。治癒士の件に関しては、この身に司教の位を賜って以来、初めて知る状況です」
次いでメイアが補足する。
「洗礼地に起因する治癒術式の喪失については、過去に類似した事象は存在したか、ラーヴェ修道院及び大教会本部に保管されている文献を元に調査を依頼しています」
想像で語る事は危うい。しかし、それでもロイドは胸に沸いた言葉を率直に口にした。
「……まるで、我が国は神に見放されたかのように、思えてなりません」
術式により発動する力は、神により分け与えられしもの。それがありふれた当然の事として認識されている。
起きている事実が指し示す答えは、結局のところ一つに思える。
場に降りたしばしの沈黙の後で、ロイドの前に別の紙片が提示された。
「一時的に意識を回復した際の、アリシア・フィルハーリス嬢の言葉です」
アリシアの身に起きた事は部下から報告を受けていた。ロイドは痛ましく表情を曇らせた後で紙片の内容を検める。
それは今しがた発した己の言葉と重なり、確信を求めて顔を上げた。
「クロヌス猊下、貴殿は、視えるのですよね?」
ロイドはユージーンに向いて姿勢を正すと真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「猊下がそのお力と、偽りを口に出来ぬ戒めゆえに、要らぬ混乱を招かぬ為に口を閉ざしていらっしゃるのは承知の上で、敢えてお聞きいたします」
ユージーンは、無言のまま先を促すように頷いた。
「最早この地に、神は居られぬのでしょうか」
少しの沈黙の後で、ユージーンは口を開く。
「あの地震の以降、そのお姿は一度も形を成しておられません」
どこか曖昧にも思える返答は、是と捉えるべきか惑うロイドに、ユージーンは言葉を続けた。
「ロイド卿。長く時が経つと共に、遠い異国の神の概念が持ち込まれ、混ざり始めたことで、人々は本来の我らの神について、僅かばかりの誤解をし始めています」
ロイドは目を瞬いた。
「人と同じ姿形を持ち、世界と人を創造し、その営みを何処かから見守る──それは海の向こうの異国の、異教徒達の信仰する神。私達はこれを創造神信仰と呼んでいます」
過去数度の戦争ののち、和平と共に交易が盛んになって以来、少しずつ海の向こうの異国の文化は知られ、浸透を始めている。
「一方で、我らの神ヴァースは、ありとあらゆる場所に在るもの。はじめから人の理の外に在るもの。畏れるもの。祀る事で加護をいただくもの。全てにして一つのもの。それが、神と呼称されしもの」
教典に書かれるような難解な言い回しは、覚えがあっても普段意識するもので無く、頭に思い描くのは、見慣れた黒い四足の獣に白い蛇の巻きついた姿だ。
「ヴァースは、古くは様々な姿で描かれていた事はご存知でしょう。複数の側面を併せ持つ、その本性は、本来は形を持たぬものです。──そして、人の子の永き信仰と誓約の果てに、ヴァースは形を成し、人の言葉を理解し、加護を与えた」
一呼吸置いて、ユージーンはロイドに告げる。
「故に、見放され立ち去った、居なくなった、というのは厳密には正しくは無い。ですから、形を成さなくなった、と、お答えしたのです」
24
お気に入りに追加
7,068
あなたにおすすめの小説
貴方に側室を決める権利はございません
章槻雅希
ファンタジー
婚約者がいきなり『側室を迎える』と言い出しました。まだ、結婚もしていないのに。そしてよくよく聞いてみると、婚約者は根本的な勘違いをしているようです。あなたに側室を決める権利はありませんし、迎える権利もございません。
思い付きによるショートショート。
国の背景やらの設定はふんわり。なんちゃって近世ヨーロッパ風な異世界。
『小説家になろう』様・『アルファポリス』様に重複投稿。
修道院送り
章槻雅希
ファンタジー
第二王子とその取り巻きを篭絡したヘシカ。第二王子は彼女との真実の愛のために婚約者に婚約破棄を言い渡す。結果、第二王子は王位継承権を剥奪され幽閉、取り巻きは蟄居となった。そして、ヘシカは修道院に送られることになる。
『小説家になろう』様・『アルファポリス』様に重複投稿、自サイトにも掲載。
婚約破棄?それならこの国を返して頂きます
Ruhuna
ファンタジー
大陸の西側に位置するアルティマ王国
500年の時を経てその国は元の国へと返り咲くために時が動き出すーーー
根暗公爵の娘と、笑われていたマーガレット・ウィンザーは婚約者であるナラード・アルティマから婚約破棄されたことで反撃を開始した
お姉さまとの真実の愛をどうぞ満喫してください
カミツドリ
ファンタジー
「私は真実の愛に目覚めたのだ! お前の姉、イリヤと結婚するぞ!」
真実の愛を押し通し、子爵令嬢エルミナとの婚約を破棄した侯爵令息のオデッセイ。
エルミナはその理不尽さを父と母に報告したが、彼らは姉やオデッセイの味方をするばかりだった。
家族からも見放されたエルミナの味方は、幼馴染のローレック・ハミルトン公爵令息だけであった。
彼女は家族愛とはこういうものだということを実感する。
オデッセイと姉のイリヤとの婚約はその後、上手くいかなくなり、エルミナには再びオデッセイの元へと戻るようにという連絡が入ることになるが……。
婚約破棄は結構ですけど
久保 倫
ファンタジー
「ロザリンド・メイア、お前との婚約を破棄する!」
私、ロザリンド・メイアは、クルス王太子に婚約破棄を宣告されました。
「商人の娘など、元々余の妃に相応しくないのだ!」
あーそうですね。
私だって王太子と婚約なんてしたくありませんわ。
本当は、お父様のように商売がしたいのです。
ですから婚約破棄は望むところですが、何故に婚約破棄できるのでしょう。
王太子から婚約破棄すれば、銀貨3万枚の支払いが発生します。
そんなお金、無いはずなのに。
妹とそんなに比べるのでしたら、婚約を交代したらどうですか?
慶光
ファンタジー
ローラはいつも婚約者のホルムズから、妹のレイラと比較されて来た。婚約してからずっとだ。
頭にきたローラは、そんなに妹のことが好きなら、そちらと婚約したらどうかと彼に告げる。
画してローラは自由の身になった。
ただし……ホルムズと妹レイラとの婚約が上手くいくわけはなかったのだが……。
真実の愛ならこれくらいできますわよね?
かぜかおる
ファンタジー
フレデリクなら最後は正しい判断をすると信じていたの
でもそれは裏切られてしまったわ・・・
夜会でフレデリク第一王子は男爵令嬢サラとの真実の愛を見つけたとそう言ってわたくしとの婚約解消を宣言したの。
ねえ、真実の愛で結ばれたお二人、覚悟があるというのなら、これくらいできますわよね?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる