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灼然なるものの揺らぎ

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 治癒士とは、その名の示す通り、人々の怪我や病を回復させる術式の使い手の事だ。

 術式についての解釈は国や地域によって異なり、魔法、魔導、魔術、異能など、様々な呼称があるが、そのどれもが同じ現象を指し示す。
 治癒の他にも、火や雷を起こすものもあれば、一時的に身体機能を強化するもの等も知られている。

 その中でも人々の生活の最も身近に、当たり前のものとしてあるのが治癒術式であり、治癒士だった。

 万人が持つ能力では無く、治癒術式を使える者は限られるが、その多くは教会で洗礼の儀式を経て行使が可能になる事で知られる。



 ロイドは向かいに座るユージーンに、努めて冷静に問うた。

「死の淵にあるような者の治癒など、その消耗と使った術式の大きさの反動で、一時的に術が使えなくなるといった話は聞いた事があります。中には歳と共に力が衰える者も居る。……しかし、集団で、それも同じ国で洗礼を受けた者だけ……こういった事例は他には?」

 ユージーンは静かに首を横に振る。

「私も、ヴァースを信仰する全ての国の出来事を事細かに把握している訳ではありません。しかしながら、何らかの異変が起これば報告されるもの。治癒士の件に関しては、この身に司教の位を賜って以来、初めて知る状況です」

 次いでメイアが補足する。

「洗礼地に起因する治癒術式の喪失については、過去に類似した事象は存在したか、ラーヴェ修道院及び大教会本部に保管されている文献を元に調査を依頼しています」

 想像で語る事は危うい。しかし、それでもロイドは胸に沸いた言葉を率直に口にした。

「……まるで、我が国は神に見放されたかのように、思えてなりません」

 術式により発動する力は、神により分け与えられしもの。それがありふれた当然の事として認識されている。
 起きている事実が指し示す答えは、結局のところ一つに思える。

 場に降りたしばしの沈黙の後で、ロイドの前に別の紙片が提示された。

「一時的に意識を回復した際の、アリシア・フィルハーリス嬢の言葉です」

 アリシアの身に起きた事は部下から報告を受けていた。ロイドは痛ましく表情を曇らせた後で紙片の内容を検める。
 それは今しがた発した己の言葉と重なり、確信を求めて顔を上げた。

「クロヌス猊下、貴殿は、えるのですよね?」

 ロイドはユージーンに向いて姿勢を正すと真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「猊下がそのお力と、偽りを口に出来ぬ戒めゆえに、要らぬ混乱を招かぬ為に口を閉ざしていらっしゃるのは承知の上で、敢えてお聞きいたします」

 ユージーンは、無言のまま先を促すように頷いた。

「最早この地に、神は居られぬのでしょうか」

 少しの沈黙の後で、ユージーンは口を開く。

「あの地震の以降、そのお姿は一度も形を成しておられません」

 どこか曖昧にも思える返答は、是と捉えるべきか惑うロイドに、ユージーンは言葉を続けた。

「ロイド卿。長く時が経つと共に、遠い異国の神の概念が持ち込まれ、混ざり始めたことで、人々は本来の我らの神について、僅かばかりの誤解をし始めています」

 ロイドは目を瞬いた。

「人と同じ姿形を持ち、世界と人を創造し、その営みを何処かから見守る──それは海の向こうの異国の、異教徒達の信仰する神。私達はこれを創造神信仰と呼んでいます」

 過去数度の戦争ののち、和平と共に交易が盛んになって以来、少しずつ海の向こうの異国の文化は知られ、浸透を始めている。

「一方で、我らの神ヴァースは、ありとあらゆる場所にもの。はじめから人のことわりの外に在るもの。畏れるもの。祀る事で加護をいただくもの。全てにして一つのもの。それが、神と呼称されしもの」

 教典に書かれるような難解な言い回しは、覚えがあっても普段意識するもので無く、頭に思い描くのは、見慣れた黒い四足の獣に白い蛇の巻きついた姿だ。

「ヴァースは、古くは様々な姿で描かれていた事はご存知でしょう。複数の側面を併せ持つ、その本性は、本来は形を持たぬものです。──そして、人の子の永きの果てに、ヴァースは形を成し、人の言葉を理解し、加護を与えた」

 一呼吸置いて、ユージーンはロイドに告げる。

「故に、見放され立ち去った、居なくなった、というのは厳密には正しくは無い。ですから、形を成さなくなった、と、お答えしたのです」
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