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第四章 魔導国首都ヘレネス

4-9 冒険者組合ヘレネス支部

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 ロウたちが試験の行われた会場に戻ると、そこには分厚い書類の束と格闘する少女たちと、それを微笑まし気に見守る使用人たちの姿とがあった。

「皆様、お戻りになられましたか」

「あ! 皆さん、おかえりなさいっ! あたしたちふたりとも、ばっちり合格をもらいました!」
「おかえりなさい。二人で合格できたのはすごく嬉しいんですけど、学校って、書類を書くことが沢山あるんですね……」

 二人は入学に関わる書類、寮に関する書類、そして講義や研究内容に関する書類を、せっせと読み進めて署名を行っている最中だった。

「ふふっ、入学おめでとう」「お二方とも、よく頑張りましたね。おめでとうございます」「おめでとうございます。当日に結果が分かるものなんですね」「よくやった。内容はどういうものだったのだ?」

 口々に祝福の言葉をかけられた二人は、少し照れくさそうにしながらロウやセルケトの問いに答えていく。

「ありがとうございます! えっと、内容については口外しちゃ駄目だって言われているので、詳しくは言えないですけど。実技の試験は、わたしたちに合ったものでした」
「皆さん、ありがとうございます! あたしも、内容は言っちゃだめだって言われました。一斉に試験するのと違って、個別に試験するのは、すぐに結果が分かるみたいでした」

「ほう」「ほぇー」

 そんなやり取りを経つつ一同は彼女たちを見守り、二人が書類を埋め終わるころには、日が赤く焼けだす時間となっていた。

「ううー、遅くなっちゃってすみません……」「あう、ごめんなさい」
「ふふ、お二方とも、心配ございませんよ。むしろ心置きなく買い物に行けると、お嬢様方も喜んでいましたから」
「買い物など日を改めればよかろうものだからな」

 寮生活をするメンバーと別れて校門へ向かう途中、アイラたちの話し声を聞きながらロウは考える。

(冒険者組合に行くの、どうするかなー。時間的にはまだ余裕なんだろうけど、今は冒険者が特に多い時間帯だろうし、ボルドーの時と違って名の知れた友達がいるわけでもないし。明日に繰り越すかなー?)

(ロウを子供とあなどって絡む輩なら、軽く捻ってやれば良いのでは?)
(物騒な奴だな……問題は起きないにこしたことないだろ)
(絡んでくる相手が悪いと思うぞ、それは。大体、忙しい時間を避けるったって、ずっと避けてるわけにもいかないだろ? 子供の内から慣れておくのも、悪くはないと思うがな)
(むーん。一理ある、か?)

 曲刀たちの提案を吟味ぎんみしている内に校門を抜け、少年はピタリと立ち止まる。

「? ロウさん、どうかしましたか?」
「いえ、今ならまだ冒険者組合へ行くのも間に合うかな、と」
「ほう、例の組合か。我も暇であるし、共に出向いてみるのも一興やもしれんな」

「いやー、セルケトは色々と注目浴びそうだし、同行はなしかな……。冒険者になっておきたいっていうなら、その内案内するけどさ」
「確かにセルケトさんの容姿でしたら、冒険者の殿方は血や心がはやってしまうかもしれませんね」

 情景が思い浮かんだのか、フュンが笑みを零してロウに同意した。彼女の言葉でセルケトを置いていく方針を固めた彼は一人で組合へ行くことを決め、一同と別れる。

 そうしてロウは、宿を出る時に聞いていた、冒険者組合があるという都市の中心部を目指したのだった。

◇◆◇◆

 太陽が今にも隠れようとする逢魔おうまが時、冒険者組合ヘレネス支部。

 ボルドー支部よりもさらに大きい石造りの建物は、要塞の如き外観である。

 組合の創設者の像を巨大な亜人用扉の上に配したデザインは、見るものを例外なく圧倒することだろう。

 そんな扉を前にして、ロウはまたも考え事をしていた。

(前はうっかりこの亜人用扉から入っちゃったけど、それのおかげか絡まれることが殆どなかったんだよな。今回もこっちから入るか?)
(何とも言えませんね。この巨大な扉を開ければ、確かに只者ではないという印象を与えることが出来ると思いますが……反面、腕試しをしたい強者を呼び寄せてしまうかもしれません)
(う~ん。それもそうか──)

「──お? 坊主、依頼でも出しに来たのか?」

 ロウが脳内で曲刀と相談事をしていると、不意に頭上から野太い声が降ってくる。

 いつの間にやら影が出来ていたと顔を上げれば、小山のような体型を誇る、横にも縦にも大きい亜人が立っていた。

 その風貌は、正に武装した熊。革鎧や金属製の胸当て、手甲を身に着けていても、溢れる野性味というものを隠せていない。

 というより、独特の体臭があった。

 ロウは初めて見る熊人族に驚きながらも道を譲るべく、扉の脇へと移動する。

「邪魔になっちゃいましたね、すみませんでした」
「はっはっは。気にせんでいいぞ。中に入るなら、おいちゃんと一緒に入るか?」
「いいんですか? ありがとうございます」

 ここは流れに身を任せようと、少年は己の倍近い背丈を持つ、くすんだ砂色の毛で覆われた熊人族と共に大型亜人用扉から入っていった。

 幾つもついた蝶番ちょうつがいで重さが軽減されているとはいえ、純粋な重さは二トンにもなる巨大な石扉を、熊人族の男性は難なく押し開ける。

 ほんのりと身体から溢れる薄茶色の魔力を行使した様子もない事に、ロウは感嘆の声を上げる。

「おお~。とっても力持ちなんですね」
「はっは。おうともさ。なにせ数少ない取り柄だからな」

 男性と共に中へ入ると、早速注目を浴びるロウ。

「亜人扉が……って、ローレンスか」
「ああ、ローレンスさんか……んん!? 何だあの子、隠し子か!?」
「やだ、あんなにむさいローレンスさんから、あんなに可愛い子が生まれるなんて」
「でも、熊要素なくない?」

 エントランスやロビーにいた冒険者たちから、興味深そうな視線が少年に突き刺さる。今回ロウは男性の隠し子と思われているようだ。さもありなん。

「はっはっは! 悪いな坊主、勘違いさせちまったみたいだ」
「いえいえ、こちらこそ、こんな不肖ふしょうの息子ですみません」

 平和なやり取りの後、依頼の完了報告をするという男性と別れたロウは、依頼票の貼られた掲示板へと向かう。

 夜となれば、依頼の完了報告をするものは列をなしているが、依頼を探す掲示板付近には殆ど人がいない。閑散かんさんとした掲示板前で、ロウは貼りだされている依頼を値踏みしていく。

(さてさて、薬草採取っと……無いなー……「急募! 腕に自信のある冒険者殿! 一度魔術大学学生食堂で働いてみませんか?」。人が足りてないんだろうなあ。というか、冒険者募集するって、どんだけだよ)

 昼間に見た戦場のような厨房ちゅうぼうを思い出した少年は、冒険者を募集するほど足りない人手というものに戦慄せんりつしつつ別の依頼票へ視線を移す。

(ええっと……「この僕に敗北の味を教えてくれる人を募集。誰かいないかい?」。マジかー。依頼票が残ってるってことは、ものすごく強いのか、ただ相手にされていないだけなのか。報酬がすずめの涙だし、後者か?)

 次いで目に入ったのは、悪戯いたずらとも思えるような依頼票。

 小銀貨一枚という安宿に泊まることすらできない報酬金額を見た少年は、脳から今見た情報を消し去って別の依頼票を探した。

(う~ん……「大陸北部にあるヴリトラ大砂漠へ向かい、琥珀竜こはくりゅうの痕跡を探します。強者募集。残り一名」。ひえ~。竜の痕跡探しって。報酬はとんでもなく多いけど、命知らず過ぎる。それでも、この依頼を受けてる冒険者がいるみたいだけど)

 等々、貼りだされている様々な依頼票を見ていったロウだったが、残念ながら薬草採取関連の依頼はなかった。

 時間帯が悪かったのか、日が悪かったのか、はたまたここでは採取依頼そのものが少ないのか。いずれにしても、少年の目的は果たせずに終わる。

「──随分長く掲示板を見ていたね。気になる依頼でもあったのかな?」

 ロウがきびすを返し出口へ向かおうとした時、不意に女性から声がかかる。

 不思議と耳に残る様な声のした方向を見れば、少年と同じく珍しい黒髪を持つ、美しい女性が立っていた。

 ウェーブのかかる長髪と同色のレザーコートに、開放された前開きから見えるくすんだ様な鼠色ねずみいろのシャツ。下はといえばこれまた黒のパンツと、すすけた様な焦げ茶色のロングブーツ。

 ギラリと鋭く光る赤の瞳も相まって、ロウは彼女から創作物で出てくる吸血鬼ハンターのような印象を受け取った。

「……どちらかというと、お目当ての依頼が無かった感じですね。邪魔になってましたか?」
「いや、そんなことはないよ。君くらいの年の子が、長く掲示板を見ているのが不思議だったから、声を掛けただけ。依頼を探していたということは、君も冒険者なんだ?」
「はい。といっても、薬草採取依頼ばかりやってるんですけどね」

 と、そつなく応じているロウだが──。

(身体から出てる魔力は、灰色がかった紫か。どう見ても人族じゃなさそうだ。冒険者組合に魔族? 魔物? がいるとか、警備大丈夫かよ。……あ。俺も魔神だったか)

 ──などと、彼女がごく薄く発している魔力の色を見て、若干動揺していた。

(この女が魔物なのか? 人間族にしか見えないが、魔力の質が見えるってのは恐ろしいもんだな)
(ある種、エスリウの「魔眼」のようなものだと思うのです。少なくとも、魔神とはいえ広く具えている力ではないようですから)

 ギルタブの発言にあるように、ロウの持つ魔力の“質”を視る力は、たとえ神であっても無条件に持っているものではない。

 ロウが神域で会った妖精神イルマタルは、人がこの世に生まれ落ちる以前の古い時代から存在し、妖精という種族そのものを創り出すほどの力を持った、極めて上位の神である。

 しかし、そんな絶対的とも言える上位存在であっても、魔力の質を見極めることはできない。知恵の女神ミネルヴァや魔眼の魔神エスリウ、そしてロウのような質を見分けられる存在は、むしろ例外的なのだ。

 ともあれ──。

(触らぬ何とかにたたりなし、だ。悪さしてるならともかく、案外普通に冒険者やってるのかもしれないし、放置ノータッチ!)

(まあ、お前さんも魔神だしな)(あのセルケトも魔物ですからね)

 ──やはり幼き魔神はマイペースだった。

「それじゃあ、失礼しますね」
「ええ。時間も遅くなっているし、変な輩に絡まれないよう、気を付けてね」
「ではでは、さようならー」

 依頼がないのであれば用はないと女性に別れを告げ、そそくさと撤退するロウ。

 自分の後ろ姿を彼女が舌なめずりして見ているということなど、彼はまるで気が付かずに冒険者組合を出て行った。

◇◆◇◆

 依頼票を見て回っている内にすっかり暗くなってしまい、ロウは日の落ちた夜道を歩き宿を目指す。

 活気のある首都らしく、この時間帯でも人通りはそれなりにある。そんな人々を客層としているのか、大通りには昼間とは少々おもむきの異なる、酒類を提供する露店も散見する。

 ほのかに周囲を照らす、魔道具の街灯。店主と話が盛り上がっているのか、楽しげで賑やかな話し声。顔を赤くして、千鳥足ちどりあしで帰路へついている男性。アルコールの匂いや肉料理のタレを焦がしたような香りを振り撒き、帰路を目指す男女。

 かつて日本で見た歓楽街に似た空気感に、異世界であっても人の生活はそう変わらないのだなあと、ロウは得も言われぬ温かな気持ちとなりながら、大通りを進んでいった。

 そんな中で、褐色少年は不意に表情を鋭くする。

(ん? どうかしたか?)
(いやー……どうにも、つきまとわれてるみたいでな)
(本当ですか? 私にはそういった気配が感じ取れませんでしたが)

(人通りもそれなりにあるし、気配も殆どないからな。ただ、薄っすらと漏れる魔力が特徴的だから気が付いたんだよ)

 ロウが感じ取った魔力は、先ほど冒険者組合で会った女性のもの。

 すなわち、人外の存在だ。

(俺を心配して影から見守ってくれているのか、それとも……)

 意識を戦闘状態へ移行させた少年は、進路を変えて路地へと入っていく。

 くだんの気配も、やはりついてくる。

 一度大通りから外れれば、人通りはめっきり少なくなる。街路でさえそうなのだから、路地ともなれば言うに及ばずである。

 窓から漏れる光がほのかに照らす暗い道。

 そこを一歩二歩三歩と進み、ロウが道の中ほどまで達した時──灰色がかった青紫、鳩羽色はとばいろともいうべき魔力を持つ存在が、疾風のように距離を詰める!

 人外らしく驚異的な速度で駆け、二十メートルほどの距離をコンマ五秒で詰めた女性は、少年の身体に手を掛けようとして──逆に腕を掴み取られた。

「──っ!?」
「フッ!」

 女性の腕をねじ上げつつ、ロウは震脚と同時に逆手の肘打ちッ!

 が、少年が胸部を狙って打ち込んだ八極拳大八極・挑打頂肘ちょうだちょうちゅうを、軽やかに躱してみせる。自身の勢いとねじ上げられる力とを利用して、上方へ跳び上がったのだ。

 そのまま身体全体を捻ってロウの拘束を外した女性は、着地すると同時に距離をとり、赤い瞳をいっぱいに開いて驚きを露わにする。

「……驚いた。坊や、何者?」

「見たまんまの褐色少年ですよ。お姉さんの忠告のおかげで事なきを得ました。ありがとうございます」
「あはっ、嘘ばっかり。参ったね、ちょっと味見するだけのつもりだったんだけど……」

 “味見”が一体何を指すのか、上唇から下唇まで真っ赤な舌先でうるおしていく女性。

 ロウはその妖艶ようえんな仕草をどぎまぎしながら凝視する。

(エッロッ! 味見ってアレか? お姉さんが坊やの坊やを美味しく頂いちゃうぞ~的な)

(お前さん、いつでもそんな調子だよな)(何馬鹿なことを考えているんですか)

 相棒の黒刀から坊やの坊やが縮み上がるような冷たい思念を浴びせられ、少年はピンクな思考を締め出し油断なく女性の観察を続ける。

「味見とやらには興味がありますけど、常習的に人を襲っているのなら見過ごせませんね」

「! やる気かな? 私、結構強いよ?」
「何せ魔物っぽいですもんね。それでも、俺はもっと強いですよ」
「っ!?」

 ロウの口から零れた魔物という単語に女性が身を硬直させた刹那。

 少年は魔神たる身体能力を存分に使い、稲光いなびかりのように間合いを詰める!

 その速力は当然、先ほどの女性とは比べるべくもない。

 辛うじてそれに反応した女性は、腰に下がる長剣へ手をかけ──る前に、ロウがその手を拘束。

 且つ、相手の守りを逆手によってこじ開ける!

ッ!」
「う゛っ!?」

 詰めた勢いを乗せた肘打ちを空いた脇腹へ打ち込み、相手の体勢を崩したところで──相手の股に入れていた脚でもって、膝の裏から引っかけ崩す。

 相撲の内掛けのような足技を使い、ロウは相手を容易く打ち倒した。

 流れるような連撃は、陳式太極拳小架式・白鶴亮翅はっかくりょうし斜行拗歩しゃこうようほ。相手の守りをこじ開け、上下から一気に打ち崩す妙技みょうぎである。

「がはっ……」

 足を掛けられ仰向けで倒れた女性。

 そこへすかさず、ロウが止めの下段打ちを構え、ようとしたところで──。

「ッ!」

 ──突如として路地壁面の両側から飛来する、正体不明の赤い刃!

 少年が咄嗟に身を沈めて回避するも、生じた隙に女性は転がるようにして間合いを離脱。

 なりふり構わぬ逃げの一手で、ものの見事に姿をくらました。

「──……う~ん、機を見てびんなり」
(全力でないとはいえ、ロウの一撃を打ち込まれてなお、ああまで機敏に動くとはな。セルケト程とは言わんが、上位の魔族か魔物なのかもしれんぞ)
(かもしれませんね。魔法も使うようでしたし、一般に認知されている中では最上位の部類でしょう)

「そんなのが何で冒険者なんてやってんだろうな? 変な話だけど、あんだけ強ければ普通に襲うだけで十分だと思うけど……。人の世で身分が欲しい理由でもあるのかね」

 立ち上がりほこりを払いながら曲刀たちと意見交換をするも、彼女の目的は判然としない。

 ロウは釈然しゃくぜんとしない思いを抱きつつ、今度こそ宿への帰路についたのだった。
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