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第三章 波乱の道中

3-3 団らんのひと時

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 ロウがトイレという名目の遁走とんそうから帰還した後も、一行はつつがなく旅程を消化していった。

 そうして比較的道の状態の良い草原地帯をひた走ること、百五十キロメートルほど。

 夕日が当たりを赤く染めだした頃、ロウたちを乗せた馬車は木製の簡素なへいで囲われた、質素な宿場町へ到着する。

「──皆様、お疲れさまでした。今日はこちらの宿での宿泊となります」

 使用人のフュンが先導しアイシャが荷物を運んでいくが、搭乗者たちの足取りは重い。

 特に竜胆色りんどういろの美女と猫耳少女、薄桜色の少女は、足元が覚束おぼつかない生まれたての小鹿のような状態にあった。

「あふう……もう腰とお尻が……」
「あたしも、もうダメ~」
「……ロウめ、たばかりおったか……無念……がふ」
「うわ、ここでもどすな! あっち行ってこれにゲーしなさい!」

 青い顔でえずくセルケトに革袋を渡し、建物の影へ導くロウ。彼は昼食時からこうなることを予見していたため準備が良いのだ。

 とはいえ、エスリウたちの追及から逃れる際に、こうなることを見越しておきながら料理を押し付けていたあたり、やはり外道である。

 ロウが吐しゃ物の処理を行っている間に馬車の荷物は運び終わり、一同は宿へと入っていく。

 都市から距離が遠く目立った産業もないため、宿場町で一番大きな宿であってもたたずまいは簡素なものだ。

 そんな素朴な外観ながらもどこか歴史を感じさせる木造の三階建ての宿で、ロウたちは個室を借りていく。人の出入りが多くなる春先や農作物の移動が多くなる秋以外は混んでいないようで、問題なく使用人たち以外の個室を確保することができた。

「私たちは夜間の見回りを行うので、二人で一部屋の方が都合が良いのです」

 彼女たちが個室ではないことをロウが質問すると、そんな答えが返ってきた。

 美しい女性ばかりの団体であるし警戒を怠らない姿勢は当然なのかもしれないと、少年は納得だと頷きつつ割り当てられた部屋へと入っていく。

 室内は八畳ほどの空間にシングルベッドと収納棚に、食事ができそうな広さのテーブル、加えて幾つかの椅子。極めて機能的な室内である。シンプルとも言えよう。

「おー、いいね。一人暮らししてた時を思い出す」

 特筆すべき点もないような室内だったが、ロウはそういった様子が気に入ったように何度も頷きながら、歩き回って室内を観察していく。

(取り立てて見るべきものもない部屋に思えるが)
「仰る通り。だが、それが良いのだよ。フフ、人の肉体を持たぬ君には分かるまい」
((……))
「まあ実際のところ旅ってだけでテンションが上がって、こういう何にもない部屋でも自分の空間ができると嬉しくなっちゃうってだけなんだけどな」

 芝居がかった様子で語るも曲刀たちに沈黙されてしまったため、少年は仕方なしに心情を説明した。

 非常に間の抜けた構図だが、彼は気にしない。魔神とは過ぎ去った出来事などかえりみない存在なのだ。

 室内を観察している内に日が沈み、ロウは室内に設置してある照明魔道具を点灯させた。

 ──魔力を吸い発熱・発光するこの魔道具は、この世界において一般家庭にもそれなりに普及している照明器具である。

 魔道具へ触れた対象から魔力を吸い取りその魔力で魔術が作動するという、魔道具として何の変哲へんてつもない仕掛けを持つこの照明器具。容易に扱え長時間明かりが灯り、更には油のような燃料も要しない、優れものでもある。

 一方で、使用時に吸収される魔力の量は、調理の際に使用する水や火を生み出すような魔道具の十倍ほどと少なくない。一度吸い取れば長時間発光するとはいえ、一般的な人間族にはやや負担が大きい代物でもあった。

 魔力的素養の薄い場合、点灯させる際に軽い魔力欠乏症を起こし立ち眩みに見舞われることもある。

 欠乏症の程度は決して重いものではないが、気分の良いものでもない。このことが原因なのか、この照明器具は他の生活魔道具に比べ、それほど普及していないのだ。

 そんな魔道具ではあれど、ここにおわすは魔神様。

 ことわりの外、否、理を創り出す存在ですらあるこの少年にとっては、その程度の魔力など文字通り毛ほどの量でもない。失った傍から自然と回復してしまう量である。

 故に彼は、照明魔道具に関するある可能性に気付けなかった。

 地球時代の白熱電球はくねつでんきゅうを知る異世界人ならば、この太陽光を模した魔道具も白熱電球のように、可視光以外でのエネルギー消費量が多いことに気が付けたはずなのだ。

 仮に魔力の光への変換を赤外線を含まず可視光のみへと改善出来れば、魔力消費量を劇的に減らすことも可能だったのだが……。魔力的に恵まれていたが故、技術革新を起こす者とはなれなかった。

 ──という諸々もろもろの可能性を知らぬロウは現在、照明器具を点灯させたことで羽虫にたかられていた。

 夏の草原地帯とは、虫の王国なのだ。

「うおー。明りを点けると窓から一気に虫が……暑いけど、窓は閉めるか」
(閉めきってしまっても、ロウなら冷風を生み出して室温を下げるくらいわけないでしょう?)
「……やはり天才か」

 ギルタブの提言を受けて魔法を発動、室温二十五度ほどの快適空間を創り出しゴロゴロとくつろぐ少年。

 その様、怠惰たいだの魔神である。

 そのまま適温となった室内で堕落すること三十分ほど。少年の部屋にノックがかかった。

「──ロウ様、食事の用意が……っと、涼しいですね」
「アイシャさん。ちょっと精霊魔法で快適空間にしてまして。持続的にやらないと駄目なので他の人の部屋ではできませんが」
「うぅ、そうなのですね。少し残念……って、そうじゃないですよ! 二階の大部屋を私たちだけで借りられたので、そこに料理を準備しております」
「はい、ありがとうございます」

 問えば案内するのは自分が最後だというので、ロウはアイシャと共に二階の大部屋へと向かう。

 案内された大部屋は四十畳程はあろうかという広々とした空間で、家族が一家丸々宿泊するような大部屋である。

「遅いぞロウよ」
「お前、もう復調したのか?」
「馬鹿者、思い出させるでないわ……うぅぅ」

 ロウが復活していたセルケトに驚きながら着席したところで、夕食となった。

 昼食よりも色彩豊かな食卓には、しっかりと火が通った川魚や新鮮な葉物野菜など、馬車での旅では中々食べられない料理が並んでいる。こういった気遣いも自然にできるあたり、ムスターファ家の使用人は実に優秀だった。

「はふぅ~生き返ります~……このお料理、フュンさんたちが用意したんですか?」
「はい。食材を購入して宿の厨房をお借りして。少し食事の時間が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえいえ! あたしはむしろこのくらいの時間で助かったっていいますか」
「わたしも、時間が空いてくれてよかったです。休んでいる内に酔いも冷めましたから」
「我は学んだぞ。馬車に乗る前は、あまり食事を摂るべきではないとな。だが、今は別だ。食べ尽くすぞ!」

 乗り物酔い組がフュンの謝罪に慌ててフォローを入れる様をロウが眺めていると、隣に座っていたマルトがロウへ耳打ちをする。

「ロウ、お嬢様が後で時間を作ってほしいと言っていたけど、大丈夫?」
「無理。嫌です。拒否するって伝えといて」
「……」

 即答であった。まさかここまで直接的に断られ、取り付く島もない態度をとられるとは思ってもいなかったのか、虚を突かれたと動きが止まるマルト。

「だって、絶対面倒事で厄介事じゃん。もうお互い不干渉でいいだろ」
「はぁ……そうは言うけれど、もう私たちは関係を持っているし、それならばお互いを知っていくことも大切だとも言えるはずだよ」

「いーやーでーすー。だってエスリウ様、隙あらば俺のこと追い詰めようとしてくるし、色々探り入れてくるし。歩み寄るっていうか弱み握ろうって感じだろ。んな人と個人的に会うとか全力で回避だっての」

 諭すように語るマルトに、ブーブーと口を尖らせ不満をあらわにする褐色少年。

 とはいえ、彼女には自身の不満を包み隠さず伝える辺り、一定の信用を持っていることの裏返しでもある。

 以前腹を割って話をしたことによるものか、はたまた一度は切り結んだ相手だからなのか。それとも単純に、相手が美しい女性だから口が滑らかとなっているだけなのか。

 しかし、たとえ信用されていても、返事がかんばしくなければマルトの憂いも晴れぬというもの。少年の言葉を聞いた彼女は作り物めいた表情に影を落とし、憂鬱ゆううつそうな空気を発した。

「お嬢様の態度は弱みを握ろうとするものではないよ。君のことを探ろうとはしているだろうけれど……。とにかく、お気に入りに対しては必要以上に干渉したがる傾向があるから、お嬢様は」
「お気に入りねえ。ペットとして飼いたいだとか剥製はくせいにしたいだとか、そんな物騒なこと考えてなきゃいいけど」
「どんな印象を抱いているの……君の発想の方がよほど物騒だよ」

 ロウのエスリウに対する印象を聞いて、マルトは頭を抱えてしまう。友好的な関係を築くどころかマッドでクレイジーな印象を持たれていたのだ。思い悩むのも当然である。

 他方──。

「──やっぱり、マルトさんってロウさんと結構親しい感じ、ですよね?」
「そうね。親しいセルケトさんと話す時とも少し違う、遠慮がない感じ?」
「ふむ? ロウが我に対して遠慮しているなどとは到底思えないが」

「うふふ、そうですね。ですが、ロウさんはセルケトさんに対して、心を砕いているところがありますから。マルトに対しては逆にそういった様子が見られない、気の置けない関係にある……そういうことではないでしょうか」
「……よく見ていますね? エスリウさん」

 などと、密談を行うロウたちを肴に盛り上がる少女たち。

 女性が寄らば男女仲の話へと至るのは地球では古くからの習わしであるが、異世界においても人は人、女は女。同じような慣習が生まれるものらしい。

「ええ。実は先日、ロウさんやセルケトさんと一緒にお茶をする機会がありまして。色々お話させていただいたのですよ」
「あの時の焼き菓子は大層な味だったな。我は腹を満たす食事ばかりに関心があったが、嗜好品しこうひんというのも悪くないものだと知る、良い機会であった」
「お茶会ですか。また、手の早いことで……」

 エスリウがロウに関心を寄せていることは把握していたヤームルだが、個人的に会うくらい積極的に行動していると聞くと、感心したような呆れたような微妙な顔となる。

 一方で、エスリウに対し崇敬すうけいの念を持っているアイラは、ロウたちと会ったということよりもお茶会という言葉に心を惹かれていた。

「素敵ですね~憧れちゃいます。ヤームルさんも知らなかったってことは、どこかで偶然会ったんですか?」
「はい、買い物中にバッタリと。セルケトさんのご友人だという方も交えて、楽しいひと時となりました」
「シアンも喜んでいたぞ。まあ、あやつはもっぱら焼き菓子を食らい茶を飲むことに専心しておったが」

「シアンさん……女の人? ですよね。なんだか、ロウさんの周りって女の人ばかりのような……それも凄く綺麗な……」
「シアンさんもとても素敵な女性でしたよ。長身で、しなやかな体つきで。ふふ、カルラさんの言う通り、ロウさんは不思議と美しい女性との縁があるようですね」

 カルラが周囲の面々を見回しながら唸るように言うと、微笑みながらエスリウも同調する。

 彼女がどこかおかしそうにしていたのは、カルラ自身も可憐な容姿をしているのに他人事のような発言をしていたからだろうか。

 少女たちがロウの合縁奇縁あいえんきえんについて語り、若葉色の上位精霊が褐色の魔神の説得に四苦八苦する。

 そんな和やか(?)な時間は瞬く間に過ぎていき、食事を終えた一同は共用浴場で汗と疲れを流し出し、明日に備えて就寝したのだった。
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