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第二章 二葉藍子

駆け抜ける時の中で

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 切ない気持ちを引きずったまま自宅へと着いて玄関の引き戸を開くと、それに気付いたおじいちゃんが廊下最奥の和室からやって来て私の帰宅を出迎えてくれた。

 「おお、おかえり藍子!」

 ホントおじいちゃんはいつも元気だ。
 こうやって愛想をふりまいてくれるのは嬉しいことだけど、今の沈んだ気分では少し煩わしさまでも感じてしまう。

 「ただいま」

 思わず素っ気ない返事をしてしまった。
 するとおじいちゃんが不思議そうな顔で前屈みになってこちらを見つめてきた。

 「おや、何だか元気がなさそうじゃの?」

 「そ、そうかな!? ちょっと勉強で疲れちゃってるみたい!」

 自分の気持ちが悟られるのが嫌でとっさに思いついた嘘をついた。
 今はほっといてほしい。そんな感じだ。

 「学生はいろいろと大変じゃの。ゆっくり休むといい」

 「うん、ちょっと休んでくる。ところでお母さんは?」

 「あー、時枝さんは朝からどこかへ出かけとるようじゃな」

 「分かった」

 階段を登り部屋へ入り、制服のままベッドに大の字で仰向けになってしばらく考え込むと、気分が少し落ち着いてきた。

 自分だけじゃない。
 世の中にはどうにもならないことがたくさんある。
 まだ自分は未熟なのかもしれないが、何となくそういうのが分かってきた。
 これから自分がやるべきことは何なのか?
 未来のことばかり考えて気持ちを塞ぎ、今を見失いそうになっている。
 せめて、この限られた時間を無駄にしないように……大人になって思い出した時、後悔しないように今を明るく精一杯頑張っていくべきなのだろう。

 落ち込んでいるだけでは何も良いことはない。
 来年もまた玲子と一緒になれるように、やれるだけのことはやらなければ。

 「さて、勉強頑張るか!」

 気持ちを切り替えると机に向かい椅子へと座り、教科書とノートを広げて今日の授業の復習を始める。
 余計なことは考えず、今やれることに全力で取り組んでいると次第に集中力が高まってゆき、時間の感覚が薄れてゆく。
 
 「藍子、ご飯よ!」

 不意に一階からお母さんの呼ぶ声がした。
 気づけばもう夕食の時間となった。
 まさか自分がここまで勉強に集中できるとは……
 珍しく少し楽しくなってきたところではあるが、一旦ここで終わらせなくては。

 居間へ向かうと朝の光景と同じように家族のみんなが座卓に座って私を待っていた。
 おじいちゃんの左側へと座り、テレビを見ながら食事を進めてゆく。

 「藍子、疲れは取れたかの?」

 「大丈夫よ。もう元気になったから」

 「人生というのは頑張り過ぎても駄目じゃぞ。時々は遊んだりして気分転換しなければならんのじゃ」

 「おじいちゃんは高校生の時はどうしてたの?」

 「うーん……ワシは遊んでばっかりおったの」

 「ちょっとー、それは時々じゃなくて頑張りが全然足りてないんじゃないの?」

 「いや、まあ……とにかく勉強ばかりが全てじゃない。そう……だ友だちじゃ! 若いうちに友だちとの思い出をたくさん作っておくんじゃ! 大人になった時それを振り返って、心の支えになることもあるじゃろうて」

 まったく、都合が悪くなると咄嗟に思いついた話にすり替えるんだから。

 「じゃあその友だちって今はどうしてるの?」

 「時々会ってるぞ。まあ、一番仲の良かった者は都会へ行ってしまって今はもう戻ってはこないがの……」

 「寂しくはないの?」

 「卒業した当時はしばらく落ち込んでしまったもんじゃが今は、藍子、お前たち家族がおる。それが何よりの幸せじゃ。過去に囚われすぎても駄目じゃ、人は前に進まなければならん」

 「へえーおじいちゃんもたまには良いこと言うじゃん。まだボケてはいないみたいね」

 「ワシはまだまだ衰えてはおらんぞ、人生百年これからじゃ!」

 お父さんが軽い咳払いをした。

 「なあ藍子、勉強の調子はどうだ?」

 珍しい。お父さんが真面目な質問をしている。
 たまに何か言ってもおじいちゃんと同じようにふざけたことばかり言うのに。

 「まあまあかな……こないだのテストだって80点くらいとったんだから」

 「やるじゃないか、中学の時に比べればたいしたもんだ!」

 「まだまだよ」

 「藍子、だいぶ頑張ってるようだな。お前だって本当は町を出て大学に進学したいんじゃないのか?」

 「だってうちにはお金が……」

 「心配しなくていい。母さんがパートを始めたんだ」

 だから今日、帰ったらお母さんがいなかったんだ!
 私と同じでまた一から頑張っているのね。
 家事を任せっきりで大変だというのに……

 「お母さん……」
 
 とっさに母の方を向くと目が合った。
 すると母は笑顔になってうなずいた。

 「藍子、私も頑張ってるんだからアンタも頑張りなさいよ」

 「ありがとう! 私、絶対にやり遂げてみせるから!」

 「アンタは私の子供なんだから、きっとやれるはずよ!」

 「うん!」

 「ところで、あなた、お義父さん……」
 
 ビクッとお父さんとおじいちゃんが反応する。
 これは何かやましい事のある人間の動きだ。

 「私は仕事に出て前よりは家事が出来ませんから、ちゃんと自分で出来ることは自分でやりなさいよ」
 
 「あっそうじゃ、用水路の様子を見てこなければ」

 「ちょっと父さん、僕を一人にしないで!」

 「あーあ、おじいちゃんもお父さんも二人して情けないんだからもうっ!」

 こうして私の一日は過ぎていった。
 様々な想いが交錯した駆け抜ける時の中で、今を精一杯頑張って生きている。
 この先がどのようになるのかなんて分からない。
 だけど、今を後悔のない未来へと繋ぐために、信じる道を進んで行かなければならない。

 人は一人では生きてはいけない。
 人々の繋がりこそが何ものにも代えがたい力となるのだから――
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