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第一章 相田一郎
職場にて
しおりを挟む緊張が走る…発音を頭の中でシミュレーションする。
そして事務所へ入るやいなや一呼吸して落ち着かせ俺は現実、本番の発音をする。
「お は よ う ご ざ い ま す!」
よしっ今日は上手く発音できた!
大体は最初の「お」がうまく出ずに声が裏返って後の発音に影響を与えてしまうが、今回は全体を通してハッキリ通すことができた。
これなら文句は言われないだろう。
「お は よ う!」
奥の方から社長の太い声が帰ってきた。そしてその声につられるように事務所の人たちの挨拶がバラバラに返ってくる。
それから受付けカウンター脇にあるタイムカードを押し速やかに退出。
終わった……
ふう、これで今日は問題なく一日が終わるだろう。それにしても事務所の雰囲気は苦手だ。誰かに見られているようなあの感覚。どうにも俺は現場作業の方が向いているようだ。
事務所向かいにある平屋建ての古びた工場へと入り、さっそく自分の持ち場へとつく。
基本的に作業は一人で行う。俺の仕事は金属材料にドリルで穴を開けることだ。とはいっても加工は機械が勝手にやってくれるので特に難しいことはない。材料をセットしてスイッチを操作するだけだ。
機械というものは壊れなければ同じことを何度も正確に繰り返してくれる。
だが油断してはならない。操作する人間が間違えば機械はその間違い通りに行動してしまう。セーフティ機能とかもあるが決して万能ではない。
機械にはどこまでが人間が意図的に指示していることかを判断する能力が乏しい。
結局正しいか間違いかを判断するのは最終的に人間だ。機械は所詮機械に過ぎない。
途中で失敗に気付いて何度うっかりやってしまったことだろうか。
台車の上には餌を待つ雛のように昨日の分の残りが乗せてある。この量なら納期に十分間に合うだろう。
今日はゆっくりやっていけばいい。一番キツいのはやることがなくなって時間を持て余すことだから。
長い角パイプを真っ平らな加工台に乗せ、左奥の端に合わせるとクランプで挟む。
そして加工ボタンを押すとドリルの付いたタレットが指定した座標まで移動してドリルを高速回転させゆっくりと下がってゆく。
機械を作動させている間、モノによってはけっこうな待ち時間が発生する。
待っている間は他の作業をしたりするものだが今の時期はかなり仕事が少なく特にやることがない。ハッキリ言って暇だ。
かといって露骨にサボるわけにもいかない。
そんな時はコントロールパネルの前に立ち、空想にふけって時間を潰す。
今日の晩飯は何だろう? 休日は何をしようか? 宝くじが当たったらどうしよう? 学校でテロリストを返り討ちにする話。異世界へ転送して無双する話。
しょうもないことだらけだ。
でも独身の人間って大体はこんなもんじゃないかな?
うん、多分みんなきっとそうに違いない。
考えてみればこれって幸せなことなんじゃないだろうか?
大きな悩みや責任を抱えた人間はそれどころじゃないだろうし、こんな空想をする余裕があるということは心にも余裕があるということだ。そりゃあ現実逃避するためにやってる人も中にはいるんだろうけど。
人には他人が気が付かない悩みがあったりする。案外この職場の人たちだって本当は俺の知らない大きな悩みを抱えているのかもしれない。
いろいろ空想にふけっていると、ある特別な感情が湧き上がってきた。
何かを成したいと。
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