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第2章/君を探す為に
22.矛盾する心
しおりを挟む「えっと、岸さん、それってつまり……?」
俺があまりにも何も言えずにいるからハルが代わりに訊いてくれた。
岸さんの様子が以前とは違う。それは俺にもわかるんだけど。
彼女は一度ためらったように見えたけど、眉に力を込めると一気にこちらまで歩み寄ってきた。
スマホを親指でいじりながら話し出す。
「今からお見舞いに行ってもいいか確認とればいいんですよね。駄目とは言わないと思いますよ。部屋の中に入れてくれるかはわからないですけど玄関先くらいまでなら許してくれるんじゃないかと」
ああ……そっか。
淡々とスマホをタップし、こちらと目は合わせない。そんな彼女の様子を見ているうちに合点がいった。
妙に緊張していた自分が可笑しくなって、声もつい苦笑混じりになった。
「ありがとう、岸さん。みんなで、ってことだよね」
「はぁ!?」
「!!」
研ぎ澄ました刃物の音がよく似合いそうな鋭い視線がこちらを向いた。身の危険を感じるほどの迫力。一瞬息を忘れてしまったくらいだ。
「夜野さんがに決まってるじゃないですか」
「え……」
俺が間抜けな声を漏らすと、岸さんは小さくため息をついてまたスマホに目を向けてしまう。
――なんでまだわからないのよ――
彼女の苛立ちを感じる。
わかる、ような気がするんだ。俺だって。でも実感がどうしても追いつかない。
「岸さん」
「奏に連絡しときましたから。寝てなければすぐに返事来ると思います」
「岸さん……どうして?」
曖昧に流されたままじゃいけない気がしたから俺は訊いてみた。
すると彼女はふい、と彼方に視線を逸らす。何処という訳でもない、ただここではない場所を見ているような目。
そのままつまらなそうな声で言った。
「馬鹿みたいなんですもん、二人とも」
ぐっと唇を噛み締める横顔。彼女の苛立ちは更に濃くなった。
「気付いてるのに気付かないようなフリをして、変なところで遠慮して。お互いハッキリしないで過ぎたことをうじうじ気にして。駄目なところまで本当によく似てる」
「ちょっと岸さん、響は先輩なんだからそんな言い方……」
――あっ、でも俺もタメ語使ってた――
ハルは間に入って険悪な空気をなんとか落ち着かせようとするけれど、大丈夫と示すべく俺は首を横に振る。
受け止める覚悟ならもう出来てる。岸さんの方へと向き直った。
「大丈夫。岸さんが思ったことをそのまま聞かせてほしい」
――手のかかる男ね――
呆れられたってイラつかれたって、彼女の“行動”には必ず意味があるはずだから。
岸さんは教えてくれた。身体ごとしっかりこちらを向いて。真っ直ぐな目で。それはまるで俺の覚悟に応えてくれているかのよう。
耳を澄ますほど感じ取れる。流れ込んでくる。刺々しさの中にある確かなぬくもり。
こんな人だったのか、彼女は。
めまぐるしいくらいの驚きが身体中を駆け巡って、話の内容を理解するのに少し時間がかかってしまったくらいだ。
「じゃあ、朝比奈さんは……」
「怒ってなんかいません。あの子は後悔してました。夜野さんに嫌な思いをさせてしまったって。きっと傷付けられたというより傷付けたと思ってる」
「誤解なんだ。俺は別に嫌だった訳じゃない」
「だからそれを面と向かって言ってあげて下さい」
すっと静かに、岸さんがスマホの画面をこちらに向けた。
小さい文字に目を凝らす。情けなく震え出す唇を咄嗟に手で覆い隠した。
『ありがとう。私、本当は夜野さんに会いたい』
『ごめんね、あいちゃん』
シンプルゆえに謎に満ちた朝比奈さんらしい文章だ。
「なんで私に謝るのかわかりませんけど」
崩れていく俺の表情がよほど見るに堪えなかったのか岸さんはそっぽを向いて続ける。
「明らかに両想いじゃないですか。それも今に始まったことじゃない。最初から」
――本当バッカみたい――
「確かに私はあなたに釘を刺しました。でも必要とされてるのを見て見ぬふりしろなんて言ってませんよ。何がそんなに不安なのか知りませんけど、本気で好きなら“自分を選んでも後悔させない”くらいの気持ちを持って下さいよ」
――これでハッキリわかった。奏が選んだのはこの男――
「あなたにしか話せないことがあるの。あの子が抱えている問題、絶対何かあるはずなのに結局私は知ることが出来ない。何年一緒にいても。だけど状況は変わった。もうあの子を助けられるのはあなたしかいなくなったの!」
――そうよ。私はもう、必要ないんだ――
ヤケになったみたいな荒んだ声色と共にキィンと高い音が鳴り響いた。
「岸さん……」
氷の膜が弾けてそこから水が溢れ出したかのように、岸さんの秘めていた想いが一気にこの身へ降り注ぐ。
霙みたいに冷たく、煌めきながら。チラチラと舞う。時の流れがいつもとは明らかに違う。とてもゆっくりだ。
初めての感覚。だけど俺は抗う訳でもなくじっと立ち尽くしてそれらを受け止めていた。
――本当は最初からわかっていたの――
――奏からこの人の話を聞いたとき、いつもと違うあの子の目の輝きを見て、ああ、ついに現れたんだと思った――
――この子の心の奥を解きほぐし、闇を振り払える存在が現れたんだって――
――奏は危なっかしいもの。何も考えてないような顔をして本当は凄く脆いし、自分を愛する術を知らない――
――そんな危うさにつけ込む訳でもなく、真心で助けようとしてくれる人がこの世にいたんだって、理解すると同時に私の居場所はなくなった――
――誰にも必要とされなかった私を唯一信頼してくれたのが奏だったのに――
――馬鹿は私よ。結局、奏に依存している自分を認めたくなかっただけじゃない――
「岸さん、そんなことない!」
気が付いたら霙の幻想を振り切って声を上げていた。
岸さんがさすがにこっちを向いた。大きなつり目を更にいっぱいに見開いてる。その表情がだんだん怪訝になっていく。
しまった。やっちまった。
「なんですか、急に」
「あっ、うん。そうだよね。イキナリ訳わかんないよね。勘違いだったらごめん。なんか思い詰めてるように見えたから……」
苦し紛れに答えると岸さんから戸惑いが伝わってきた。
――なんで――
「私の心配してどうするんですか。奏の心配して下さいよ」
――なんでこんな人に同情されなきゃならないのよ――
気分を悪くさせてしまったならごめん、岸さん。何もできないのに心配なんかして、おせっかいばかりで。
そう言いたかったけどそれは胸の内に留めた。
彼女の心のケアはきっと俺の役目ではない。全ての人の心は救えないし、何かを選ぶと他の何かを犠牲にすることもあるんだ。もういい加減割り切らなきゃ。
――なんかよくわかんないけど、岸さんって実はめっちゃいい子? 響のこと助けてくれてるし、なんだ~、口が悪いだけで本当は優しいんじゃん!――
両手で口元を覆い目を輝かせているハルがここでようやく視界に入った。相変わらず彼はポジティブだな。
「それで、行くんですか? 夜野さん」
「うん。もちろん」
俺は力強く頷いた。ありったけの感謝を込めて言った。
「俺を信じてくれてありがとう」
――は? まだ信用してないし。今度泣かせたらただじゃおかないし――
ごめんなさい。
揺れ動く電車の中。ここで走ったって意味はないけれど両足が今にも駆け出しそうな衝動を抑えるのはなかなか大変だ。
高架橋の上から届く陽射しは眩しく、俺は何度も目を細めた。これだってやがては赤く熟して地平線の向こうへ沈んでいくんだ。
そうして夜が来る。寂しくて静かな独りきりの時間。
改札を抜けた後は早足になり、そしていつの間にか駆け足になっていた。
どんなに息が切れても想いは途切れない。
思い返していた。ここ最近で起こったいろいろなこと。いろんな人の気持ち。
心の声にさえ、時に矛盾が生じること。さっきの岸さんだってそんなところがあった。
岸さんの心からは沢山のヒントが届いた。朝比奈さんの危うさの原因、あと少しで触れられそう。
怖くないと言ったら嘘になるけれど。それが残酷なものだったとしても、俺はもう、目を逸らさないから。
だから朝比奈さん。
もう独りで泣かないで。
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