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第2章/君を探す為に
20.もう、諦めない
しおりを挟むソファの上で伸びをすると背中の鈍い痛みに思わず呻きが漏れた。一晩で身体が固くなったような感覚だ。
飲んだ後ってこんな感じだっけ。それとも体勢が悪かったから?
小さな窓からわずかな光が射し込み、部屋の中はうっすら見える程度。
ここ最近バイト三昧だったからアラームに頼らず自然と目覚めるのは久しぶりだ。
今何時かわからないけど充分すぎるくらい眠ったような気がする。これ以上寝てたら却って頭が痛くなりそうだと思った俺はとりあえずこのまま起きることにした。
まずはベランダのシャッターをそっと開ける。
光が室内へ惜しみなく降り注いだことで、テーブルに置きっぱなしになってる空き缶やおつまみの袋が露わになった。なかなかの散らかりっぷり。これも片付けなきゃな。
寝室の方を覗いてみる。兵藤くんはまだ眠ってるようだ。
それにしても凄い寝相だな。夏用掛け布団は抱き枕代わりにされて肝心の枕は壁際まですっ飛んでいる。脚は宙を駆けるような躍動感。真上から見るとまるでアクロバットでもしているかのようだ。これで本当に疲れが取れるのかな、などとつい観察してしまう。
もしかしたら彼の場合、ベッドよりも床に何か敷いて寝てもらった方がのびのびできて良かったのかもな。
ふっ、と小さく笑っていた。
一人きりで生きていくんだと思っていた俺の部屋にまさか友達がいるんなんて。一緒に迎える朝ってこんな感じなんだ。
部屋は蒸してるわ酒の匂いはするわで割とむさ苦しいんだけど不思議と悪くない。
昨夜は沢山話を聞いてもらったんだ。ゆっくり寝かせといてあげよう。
俺は一足先にシャワーを浴びてくることにした。
しっかり酔いが回ってしまったという割に記憶は案外はっきりと残っている。情けなく泣きじゃくったことくらいは忘れたかったけどそう上手くはいかないものだ。
でも記憶が飛んでしまったら例の“作戦会議”が成り立たない。だからうん、これで良いんだよと半ば強制的に自分を納得させる。
正直、昨夜のことはどれもこれもが未だに現実と思えないんだけど……
シャワーの音が遠くなり、彼女の残像が浮かび上がってくる。柔らかそうなあの唇が紡ぎ出した言葉も。
『夜野さんは、嫌ですか?』
「…………っ」
今になってこんな色っぽく聞こえてくるとか。何もわかってないような無邪気な表情とのギャップが凄い。
なんか思い出す方がよっぽどクラクラする。あの場では多分、あえて自分をクールダウンさせたんだろう。
実際、調子に乗るのはまだ早いんだ。
彼女との間に壁が出来てしまったのは事実で、今こうしている間にも彼女が何を思って過ごしているかもわからない訳で。
チーズケーキ、ちゃんと食べれたかな。
そんな心配までしてしまう。せめて美味しいものでお腹を満たしていてほしいとか、そんなことまで。
もう、今までのような仲に戻れるかもわからないのに。
シャワーの音はまた近くなり、俺を少しずつ現実に戻していった。
身体がスッキリしたところでリビングへ戻るとそこには兵藤くんがいた。俺の方を見るなりニッと笑顔になる。
彼がテーブルの上を片付けてくれていることに気付いてハッとなった。
「おはよ、夜野っち。燃えないゴミってこっちでいい?」
「うん、そっちで大丈夫。ってかごめん、片付けるの忘れてた。俺がやるよ」
「気にすんなって! 夜野っちはすぐ謝るなぁ。友達なんだからもっと気楽でいいんだよ?」
「……ありがとう。助かるよ」
だってもう、俺昨日からポンコツ状態だし、ここまで世話になってたら申し訳ないと思っちゃうよ。
だけど一般的に友達って言ったら、こうやって時には甘えられるような関係を指すのかも知れない。俺もそのうち慣れるのかな。
結局ゴミは一緒に片付けることになった。二人だと早いもんだ。飲む前より綺麗なんじゃないかってくらいみるみる整っていく。ありがたい。
「兵藤くんシャワー使う?」
「うん! ありがと! ちょうど入りたかったんだ」
「じゃあバスタオル用意しとくね」
「ありがとう。そうそう、夜野っちってさ、下の名前“響”で合ってる?」
「そうだけど……?」
自然な流れで問いかけられてちょっとびっくりした。そういえば俺からちゃんと名乗ったことなかったかも。
「カッコイイ名前だよね。そっちで呼んでもいい?」
「う、うん。いいよ」
ああ、なるほど。
『夜野響』の場合なら、夜野くん→夜野っち→響といったふうに距離を縮めていくのか。そういう方法もあるんだな。参考になる。
内心でうんうんと頷いていたところで気が付いた。キラキラとした期待の眼差し。
――俺のこともそろそろあだ名で呼んでくれないかな~――
えっ、俺、高島でさえ名前とかあだ名で呼んだことないのに。正直ちょっと戸惑った。
でも彼だってきっと距離が近くなったという実感が欲しいんだ。そうだよな。多少は何か返ってこなきゃ寂しいのが人間ってもの。
そう思ったら微弱ながらも勇気が湧いてきた。
「じゃあ俺は“ハル”って呼んでいい?」
いつか彼自身が言ってたあだ名の一つ。
理由はこの方がなんか可愛い感じがしたからだ。世渡り上手で優しくてあったかい。似合ってるんじゃないか。
「へへ、やっと呼んでくれた。嬉しいな」
兵藤くん……いや、ハルはいざ呼ばれると照れてしまうのか、ちょっとくすぐったさを堪えているような表情に見えた。
さぞや寝坊しただろうと思ったら意外とまだ午前中で、飲食店もちょうど朝食メニューを出しているくらいの頃。
牛丼屋に行きたい! というハルの一言で俺たちは最低限の荷物だけ持って外へ出かけた。
選んだのはカウンター席。実は横並びという位置が俺は結構落ち着くんだ。
ただでさえいろいろ聞こえてくるから、せめて相手の顔色を伺わずにいたいってのもあるんだけど、自然と距離を縮められるような感じは能力に目覚める前から割と好きだった。
ハルは牛丼をメインとしたがっつりめのセットを、俺はあっさりと鮭の定食にした。朝から肉を沢山食える人は正直すごいと思う。
「よし、この待ち時間を利用して作戦会議するよ!」
「!」
呑気に麦茶を飲んでいた俺は言われてやっと思い出した。
店内はちょうど空いてるし小声で話してれば誰かに聞かれる心配もなさそうだ。
と言っても牛丼チェーン店の待ち時間ってあっという間だけどね?
「なんとかしてもう一度、朝比奈さんに会えたらいいんだけど……」
「もしかして朝比奈さんの連絡先知らないの?」
「……うん」
「マジか。そっからかぁ~。俺は同じサークルだから知ってるけど、さすがに勝手に教える訳にはいかないよなぁ。信用問題に関わってくるし」
「だよね、わかってる。無理はしなくていいよ」
「でもこのままじゃ誤解は解けない。さてどうするか」
そんなやり取りをしている間に元気の良い店員さんがホカホカの丼セットや定食を持ってきてくれた。
やっぱり待ち時間じゃ足りなかったな。
結局俺たちは話を続けることになったんだけど、お互い腹が減ってたもんだから食い始めたら箸が止まらなくて、もごもごいいながら甘酸っぱい恋愛トークをするっていうなんともシュールな状況になった。
「ちょっと厳しいこと言うようだけどさ、響はまず自分の言い方の何がいけなかったかわかる?」
「それは……えっ、言い方? 断ったこと自体じゃなくて?」
――やっぱりわかってないかぁ。そうかなとは思ったけど――
もはや呆れられることにも慣れた俺はそのままハルの話に耳を傾ける。特に朝比奈さんのことになると俺のプライドはまるで機能しないらしい。
「だって響は自分の気持ちに嘘つけないタイプだし、何より朝比奈さんのことを思って“今じゃない”って判断したんでしょ。それはしょうがないじゃん」
「俺としてはそのつもりだった、かな」
返事をしたそのとき、ハルの眼力が強くなった気がした。
囚われたように身動きのとれない俺に、彼は真顔でキッパリと言い放つ。
「でもさ、“誰でも部屋に入れてるの?”って訊き方したんだよね。それじゃないかな、朝比奈さんが心を閉ざした理由」
あっ、と小さな呟きが漏れたと思ったけど実際は声にもなっていなかった。間抜けに口が半開きになっただけだ。
言われてみれば確かにそこから空気がおかしくなった。そんな確信が今になって迫ってきたんだ。
「えっと……それって?」
「“軽い女”って言われてるみたいで傷付くんじゃない、それは」
「えっ、ちがっ、そんな意味で言った訳じゃないよ! ただそういう無防備な振る舞いが原因で朝比奈さんが危険な目に遭ったらと思うと心配で……!」
しっ、と言ってハルが自分の唇に人差し指を当てる。
慌てて辺りを見渡すと二人くらい怪訝な表情で俺を見ているお客さんがいた。
いたたまれなさに思わず縮こまってしまう。今度は出来るだけ声を潜めた。
「ごめん、大きな声出して」
「ううん、いいよ」
「俺、本当にそんなつもりじゃなかったんだ」
「わかってる。響はそんな簡単に人を見下したりする人じゃないもん」
――鈍感同士の恋って大変だな――
だよな。俺も鈍感だ。何故か一番理解したい人の気持ちに対してやたらと。
能力を持った弊害とも言えるかも知れない。心の声が聞こえないから不安だなんて。
本来は相手の本心なんてわからないものなんだ。わからない上で、それでもなんとか理解しようと工夫して関わっていくんだ。
みんなと同じような生き方はできない。それは仕方ないんだけど、俺は本当に朝比奈さんのことを見ようとしていたか?
だんだんわかってきた気がするんだ。
俺は真実を受け止める勇気が足りなかったんじゃないかって。
茶碗の上に箸を置くと、カランと響くからっぽの音。
失ってから、気付く。人間にありがちなことだけど、もしまだ話だけでも聞いてもらえるなら、今度はちゃんと彼女の気持ちに寄り添った言葉を伝えたい。
俺はもう、諦めたくない。
「ありがとう、ハル。一人じゃきっと気付けなかった」
「いやいや、俺もそんなに恋愛経験ある方じゃないのになんか偉そうに言っちゃってごめん。でももう一つ、響には忘れないでほしいことがあるんだ」
食後の水を飲み干したハルは、何処か満足気な笑みを浮かべる。じんわりと目を細めて俺に言った。
「朝比奈さんは他の誰でもない響を選んだんだ。“夜野さんは夜野さん”っていうあの言葉が本心なら、例え衝動的だって、寂しい気持ちがあったって、誰でも良かった訳じゃないと思うよ」
「……うん」
今度は素直に頷けた。
今度は目を逸らさない。なかったことになんてしない。そんな決意も固まっていく。
「彼女の気持ちがわかっているだけでも説得力は増すと思う。頑張って、響」
「ありがとう。間に合うといいんだけど……」
「きっと大丈夫だって! 弱気になっちゃダメだよ」
――あっ、そういえば肝心の作戦がまだだった!――
思い出したところから誤魔化すような笑い方になったハルを見て俺もちょっぴり笑ってしまったんだけど、実際は充分貴重な時間だったと思う。
一緒になって考えてくれる人がいる。その事実が変わろうとする勇気さえも与えてくれるんだって知ることが出来たんだから。
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