嘘の世界で君だけが

七瀬渚

文字の大きさ
上 下
16 / 29
第2章/君を探す為に

12.また、触れてしまった(☆)

しおりを挟む
 こんな店……いつ出来たんだろう。俺がこの街に来たときにはあったか?
 必要最低限のことにしか関心を向けないようにして生きてきたからそれもありうると思った。

 外から見たときは小さな灯火のようだった色にいま全身を包まれている。
 木で出来た内装が一層柔らかく見える。

 テーブル席は三つ。それからカウンター席の近くには小さな鉢に植えられた植物が並んでいる。水槽にはふっくらとした金魚が泳いでいた。

 じんわり染み渡る温かさ。

 お洒落なのに何処か懐かしい匂いがする。
 何故か目の奥が熱くなった。

「ごめんね、いま俺の私服しかないんだけど良かったらこれ着て」

――こんなおじさんくさいのやっぱ嫌かな?――

 さっきの店員さんがカウンターの奥から出てきて言った。
 心の声も聞こえてきた。

 タオルと服を俺に差し出している。

「これでいくらかはマシになるでしょ」

「……あっ、いや! それはさすがに申し訳ないです!」

 ぼおっとしていた為にすっかり反応が遅れた。
 私服を借りたらこの人の帰りの服がないかもしれないと思うとそんな簡単には甘えられない。

――怪しい奴って警戒されてるのかな。う~ん、でもずぶ濡れだし、このままって訳にはいかないよなぁ――

 いや、別にそういうんじゃないんだよな。心の声なら丸聞こえだからこの人が本当に善意でそうしてくれてるのも大体わかる。

「やっぱりそれじゃ風邪引いちゃうと思う。俺は大丈夫だよ? 仕事着だったらもう一着あるし、家もすぐ近くだし」

「え……本当に大丈夫なんですか?」

「いいよいいよ。ちょっと待ってて、外に準備中の札かけてくるから」

 店員さんは窓のカーテンを閉めてからドアの方へ向かった。

 もう大丈夫だよ。そう言われた後、俺は一礼してから念のためもう一度店内を見渡した。

 普段はどうなのかわからないけど、今はこの人以外に店員さんの姿もない。お客さんもいない。よし。
 俺は上の服から脱ぎ始めた。

 だけどちょうど上半身裸になっていたときカランカランとあのベルの音が鳴った。

芹澤せりざわさん、こんにちは~! 凄い雨ですね!」


 聞き覚えのある声。

 ドアから現れたピンクのレインコート姿の女性と目が合った。

 いや、というか間違いなく朝比奈さんだ。

 頭が真っ白になった。


「ひゃっ!? えっ、夜野さん!? な、なんでそんな格好……!」

 慌てて目を逸らした彼女だけど「なんで」はこっちの台詞だ。
 ドアに『準備中』って札かかってただろ! なんで入ってくるんだよ!

 疑問はいろいろあるはずなのに動揺のあまり細かいことまで考えられなくなっていた。だってそうだろ。よりによって好きな子に見られたんだから。

「ああ、ごめん! 俺が鍵かけておけば良かったね。でも何? 二人知り合いなんだ? じゃあ大丈夫か」

 何も大丈夫じゃない。何を勝手に納得してるんだ。
 店員さんの呑気な声を耳にしてさすがにムッときた。さっきまでの恩を忘れて睨みつけたくなる。

「それにしても奏ちゃん、こんな大雨の中わざわざ来てくれたの?」

「大丈夫です! 気合い入れてレインコート着てきましたから!」

「いやいや、でも風だって強いでしょ。何か飛んでくるかも知れないんだからこういうときは落ち着いてからにしなよ」

 なんか普通に話し始めてるけど俺はどうなるんだよ俺は揃いも揃って天然なのかあんたら。
 急いでシャツの袖に腕を通そうとしても手元がもつれて上手くいかない。くそ!

「そうそう、今朝来てくれたお客さんがさ、奏ちゃんの……」


「いいからあっち向いててくれ!!」


 俺は久々に大声を上げてしまった。


 コーヒーの香ばしい匂いがふわりと流れ込んできた。香りの軌道が見えるようだ。

 着替えを終えてカウンター席に朝比奈さんと並んで座った俺は、そんなことを考えつつも除夜の鐘のように振動を伴って鳴り続ける実感に支配されていた。

 見られた。見られた。見られた。

 男なんだから別にいいじゃないかと言う人もいるかも知れないけど俺はそうじゃない。気分もすっかり年末だ。
 昔から家族に「意外と繊細」と言われていた理由が今になって少しわかった。

 そんな俺をよそに朝比奈さんはさっきからカウンターの向こうにいる芹澤さんというあの店員さんと何か楽しそうに話してる。
 最初は驚いてたけどもう何とも思ってないってことですか。ああそうですか。そりゃ良かった。


 でも時間が経つに連れて、俺もだんだん冷静になってきた。

 外からはまだゴウゴウという音が聞こえる。こんな状態じゃ早く中に入りたいと誰でも思うだろう。『準備中』の札に気付かなくてもしょうがない。

 だいたい俺もその場で着替えたからいけなかったんだ。せめて物陰に隠れるとか、もうちょっと配慮すれば良かったんだよな、うん。
 なんかさっきとは別の意味で恥ずかしくなってきた。

「はい、ブレンドでいいかな」

 朝比奈さんと俺の目の前に一つずつコーヒーが置かれた。俺は驚いて顔を上げた。

「サービスだよ。二人とも大変なところ来てくれたからね」

「えっ、でも俺は」

「いいのいいの、俺が強引に招き入れたようなもんだから」

「えっ! そうなんですか?」

 今度は朝比奈さんが驚きの声を上げた。

 ぽかんと彼女を見つめながら、俺の複雑な感情の中に埋もれていた疑問がやっと顔を出した。


 そうだ、なんで朝比奈さんはここにいるんだ? 昨日も岸さんとこの店から出てきた……ってことは二日連続だよな?

 芹澤さんともやけに親しそうだ。普通の店員さんとお客さんの関係には見えない。
 バイト? いや、じゃあなんで今ここに座ってるんだ?


「そうそう、素敵な作品。まだ紹介してなかったね。こっちだよ」

 芹澤さんがカウンターから出てきて俺に笑いかける。手のひらで店内の奥の方を示している。

 俺は立ち上がり、後をついていった。
 テーブルの間をすり抜けて歩いていくうちにはっきり見えてきた。

 奥の壁には正方形の小さな枠に入った絵が沢山飾ってある。俺は見入った。

 いや、吸い込まれていった。


 愛くるしい表情、仕草。それがありありと伝わってくる。どれも幼い動物の絵だ。

 アザラシ、猫、犬、ゾウ、ヤギ……いっぱいいる。

 ただリアルというだけではなく、この絵からは温度が感じられるのだ。本当に動物の赤ん坊たちをこの手で撫でているかのような。

 これが『素敵な作品』か。確かに凄い。


「兵藤先輩から聞いて来てくれたのかと思いました~。昨日はあいちゃんが来てくれたんですよ」

 ほんわかした朝比奈さんの声が後ろから近付いてくる。

「ああ、俺は偶然……って、え!?」

 俺はやっと気付いた。そういうことだったのかと。


「この絵……朝比奈さんが描いたの?」

「はい、絵を描くのが好きなんです」


 そう……だったのか。

 大きなリアクションをとるなんてことは多分できてなかったと思う。

 ただ、俺はまた触れてしまったんだという実感が広がる。彼女の新しい一面に、また近付いてしまったのだと。

「芹澤さんは私の伯母さんの美術大学時代の同級生で私も高校生のときから知ってるんです。その芹澤さんがちょうどこの街でカフェをオープンしたって聞いてもうびっくりして!」

「ああ、やっぱりあの人がオーナーさんなんだ」

「はい。四月にオープンしてすぐに来てみたらなんだか話が盛り上がっちゃって、絵の展示も一緒にやってみようってことになったんですよね。私が絵を描くのが好きなの覚えててくれて嬉しかったなぁ」

「そうだったんだ」

 さっきの話だと岸さんはもちろん、兵藤くんもこの展示会のことを知っているようだった。多分、だけど、ボランティアサークルのメンバーには告知したんだろうな。

 今日雨が降らなかったら、俺は知ることもなかったんだ。

「今日は午後から土砂降りになるかもって天気予報見て知ってはいたんですけど、もしかしたら誰か見に来てくれてるかも知れないなって。そしたらお礼くらい言いたいなって気になっちゃって、つい……」

「それで来たのか。こんな天気なのに」

「えへへ、はい。でも偶然でも夜野さんが来てくれてたからやっぱり来て良かったです!」

 くしゃっとした笑顔で俺を見る。
 俺を、見る。

 ちょっと濡れている柔らかそうな髪。
 自然と手が伸びてしまった。


「無茶するよね、ほんとに」

「夜野さん?」

「朝比奈さんのそういう優しいところは好きだけど、もっと自分のことも大事にして」

 

 彼女の髪で指先が濡れる。


「あっ、ありがとうございます。夜野さんに心配かけてばかりですね。ごめんなさい」

 いつもと変わらないその笑顔を見ていると何か歯痒くて、でも壊したくはなくて、目が回りそう。

「ふふ」

 小さな含み笑いが聞こえて俺は我に返った。
 少し離れたところで芹澤さんがニヤニヤしてる。
 慌てて手を引っ込めた。

 なんだ。なんだ。なんだ今のは。
 鼓動が駆け足になって身体中の水分が蒸発しそうだった。
 しばらくは自分でも状況が理解できなかった。



「あっ!?」


 俺が声を上げたのはその日の夜。一人きりの自室、ベッドの上だ。


『朝比奈さんのそういう優しいところは好きだけど』


「お、俺……『好き』って、言った……?」


 今更遅いのに、遅すぎるのに、震える唇を押さえ、かたく目をつぶったりなんかしたんだ。馬鹿だよな。


✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


  ☆おまけ☆

 あのシーンを漫画風のイラストにしてみました。



 響は繊細なんです……。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

初恋が綺麗に終わらない

わらびもち
恋愛
婚約者のエーミールにいつも放置され、蔑ろにされるベロニカ。 そんな彼の態度にウンザリし、婚約を破棄しようと行動をおこす。 今後、一度でもエーミールがベロニカ以外の女を優先することがあれば即座に婚約は破棄。 そういった契約を両家で交わすも、馬鹿なエーミールはよりにもよって夜会でやらかす。 もう呆れるしかないベロニカ。そしてそんな彼女に手を差し伸べた意外な人物。 ベロニカはこの人物に、人生で初の恋に落ちる…………。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

【完結】貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

なか
恋愛
「君の妹を正妻にしたい。ナターリアは側室になり、僕を支えてくれ」  信じられない要求を口にした夫のヴィクターは、私の妹を抱きしめる。  私の両親も同様に、妹のために受け入れろと口を揃えた。 「お願いお姉様、私だってヴィクター様を愛したいの」 「ナターリア。姉として受け入れてあげなさい」 「そうよ、貴方はお姉ちゃんなのよ」  妹と両親が、好き勝手に私を責める。  昔からこうだった……妹を庇護する両親により、私の人生は全て妹のために捧げていた。  まるで、妹の召使のような半生だった。  ようやくヴィクターと結婚して、解放されたと思っていたのに。  彼を愛して、支え続けてきたのに…… 「ナターリア。これからは妹と一緒に幸せになろう」  夫である貴方が私を裏切っておきながら、そんな言葉を吐くのなら。  もう、いいです。 「それなら、私が出て行きます」  …… 「「「……え?」」」  予想をしていなかったのか、皆が固まっている。  でも、もう私の考えは変わらない。  撤回はしない、決意は固めた。  私はここから逃げ出して、自由を得てみせる。  だから皆さん、もう関わらないでくださいね。    ◇◇◇◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです。

恋もバイトも24時間営業?

鏡野ゆう
ライト文芸
とある事情で、今までとは違うコンビニでバイトを始めることになった、あや。 そのお店があるのは、ちょっと変わった人達がいる場所でした。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中です※ ※第3回ほっこり・じんわり大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※ ※第6回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※

俺だけ永久リジェネな件 〜パーティーを追放されたポーション生成師の俺、ポーションがぶ飲みで得た無限回復スキルを何故かみんなに狙われてます!〜

早見羽流
ファンタジー
ポーション生成師のリックは、回復魔法使いのアリシアがパーティーに加入したことで、役たたずだと追放されてしまう。 食い物に困って余ったポーションを飲みまくっていたら、気づくとHPが自動で回復する「リジェネレーション」というユニークスキルを発現した! しかし、そんな便利なスキルが放っておかれるわけもなく、はぐれ者の魔女、孤高の天才幼女、マッドサイエンティスト、魔女狩り集団、最強の仮面騎士、深窓の令嬢、王族、謎の巨乳魔術師、エルフetc、ヤバい奴らに狙われることに……。挙句の果てには人助けのために、危険な組織と対決することになって……? 「俺はただ平和に暮らしたいだけなんだぁぁぁぁぁ!!!」 そんなリックの叫びも虚しく、王国中を巻き込んだ動乱に巻き込まれていく。 無双あり、ざまぁあり、ハーレムあり、戦闘あり、友情も恋愛もありのドタバタファンタジー!

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

イベントへ行こう!

呑兵衛和尚
ライト文芸
小さい頃に夢見ていた、ヒーローショーの司会のお姉さん。 その姿に憧れて、いつか自分もイベントのMCになろうと思った女性は、いつしか大学生となり、MCになるべくアルバイトを始める。 【ぬいぐるみアトラクター、イベント設営業務】と書かれたバイト先に応募して、ようやく一歩を踏み出したと思ったのに、なぜか作業は設営業務? あれ?  MCはどこに? 私の夢はイベントのMCであって、設営のプロじゃないのですけど? そんな勘違いから始まった、イベントの裏方を頑張る御子柴優香の、はちゃめちゃなストーリーです。 ●定期更新予定日:月、木曜日

Don't be afraid

由奈(YUNA)
ライト文芸
ここは、何か傷を抱えた人が集まる、不思議な家でした。 * * * 高校を中退してから家族とうまくいかなくなったキャバ嬢のありさ 誰とでも仲良くできるギャルの麗香 普通に憧れる女子高生の志保 勢いで生きてきたフリーターの蓮 親の期待に潰されそうな秀才の辰央 掴みどころのない秘密ばかりの大学生のコウ 全員が、何かを抱えた 全員が主人公の物語。

処理中です...