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第1章/変わり始めた世界
1.危なっかしい少女(☆)
しおりを挟むゴールデンウィークが明けて間もない頃だった。
わざわざ空を見上げる習慣なんてなかったけどたぶん雲一つない晴天で、夏が先走ってやって来たのではないかと思うくらい暑かった。
風は吹いているけれどあまり気持ち良くはない。長袖のシャツを着てきてしまったことを少し後悔した。
自宅マンションを出てすぐヘッドホンをつけた。流れ出す馴染みの音楽。押しつぶされた天然パーマの髪が少し目にかかったものだから、そろそろ美容院に行く時期かと察した。
ヘッドホンをつけるのは習慣だった。いつ不愉快なモンが聞こえてくるかわからない。着けていると少しはマシだったのだ。
最寄り駅までの慣れた道を半分ほど歩いた頃だ。
突然視界が白っぽいものに覆われた。
リアクションの薄いと言われてきた俺だけどこれにはさすがに驚いた。
なんだこれ? 手に取ったそれをしばらくじっと見てしまった。
なんだかヒラヒラした装飾がついた薄手の布地。しかも湿っている。
両手で持って広げてみたとき、俺はぽかんとしてしまった。これ……ワンピースか?
誰かの声がわずかに聞こえて俺はヘッドホンを外した。
マンションの三階のベランダから女性が手を振っている。
「ごめんなさい! それ私のです!」
我に返った俺の顔はかっと熱くなった。
「今取りに行きます!」
そう言うなり女性の姿が引っ込んだ。
何故か今になってわかった。これネグリジェとかいうやつだ。お洒落な寝巻きみたいな。
別に変な気持ちで見てたつもりはないけれど、こんな道端でこんな危ういくらい薄くてヒラヒラしたものを持ったまま動けないなんてさすがに困る。
頼む、早く来てくれ。俺が通報される前に。切実にそう願った。
やがて小走りでやってきた女性はふんわりとした半袖のトップスにミニスカート、そして生脚にサンダルを直に履いていた。
なんだろう、この全身から漂う無防備さ。
その姿が俺に近付いてくるに連れて思っていたよりも幼い顔をしていることがわかった。『女性』から『少女』へ遡る過程を見ているようだった。
子犬のように大きく潤んだ目。空気を含んでふんわり揺れる肩までの髪がよく似合っていると思った。
「本当にすみません! 洗濯物干してたら飛ばされちゃって……」
「あ、いえ」
謝ってはいるものの何処かヘラヘラしたような締まりのない表情をしている彼女を前に俺は呆気にとられていた。
別に怒ってるとかじゃない。ただ、最近の女子は見知らぬ男に洗濯物を拾われてもこんな平然としているものなのかと思ったんだ。彼女だって動揺しているだろうと予想していたからなんだか拍子抜けしたというか。
「ご迷惑おかけしました。今度から気を付けます。ありがとうございました!」
そう言うと彼女はマンションの入り口へ戻っていった。途中で何度も俺に頭を下げながら。
結局俺は最低限の相槌くらいしか出来てなかったと思う。突然のことで混乱していた。
そういえば。
再び歩き出したときに思い出した。少し冷静になったんだろう。
さっきの彼女からは聞こえなかったな。口から直接出た言葉以外は何も。しかもあの状況で。
俺が聞き逃したんじゃないとしたら、あのとき彼女には本当に羞恥心がなかったということになる。
なんてことだ。危なっかしすぎてため息が出る。そうは思ったけれど元々俺はただの通りすがりだ。これ以上関わることはないだろう。
ああいう人間もいるというだけのことだろう。そもそも聞かなくて済むならそれに越したことはないのだ。
いつもの調子に戻った俺はそのまま駅を目指して進んだ。
大学の最寄り駅に着いて電車を降りた。
マンションの多いこの駅、この時間帯は通勤ラッシュとぶつかる。
人々の流れに乗って階段を降りていたとき凄い勢いで逆走してくる男がいた。
「すみません、すみません」
そう口では言っているけれど。
――邪魔なんだよどいつもこいつも! クソ!!――
心の中で毒づいているのが俺には丸わかりだ。心の声がデカイみたいでヘッドホンしててもしっかり届いた。自衛の意味なし。迷惑なのはこっちだと言いたい。
キャンパス内に入り教室へ辿り着くまでの道のりで、俺は特に誰とも会話することはなかった。
いつものように周りに人の少ない、そして出来るだけ前寄りの席を選んで座った。ヘッドホンを外すのは教授が来てからにする。
夜野響。大学二年生。専攻は文学部地理学科。一年浪人してから入学した為、年齢は今年で二十一歳になる。
表向きはそんなふうに至って普通の学生として過ごしている。
この大学内で友人と言えるような人は未だにいない。
ただ大学生にもなるとさすがにもう自分のことに集中するスタンスになる者が多いのだろう。俺という存在自体に興味を持っている者が少ないとわかる。それがありがたい。
この世界は嘘だらけだ。それに絶望するのはもう疲れた。今じゃ心が枯渇している。でもまあなんとか生きていける。
だから人間関係を広げるとか誰かと深い仲になるとか、そんなことはこの先もないだろう。寂しさという感覚さえ忘れていたからそう信じて疑わなかった。
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