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もう一つの恋物語

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 時は吸血鬼と人魚が再会した夜へと遡ります。

 海辺で何か異変が起きたことに気付いた人魚がいたようです。年長の人魚たちが沖から顔を出して確かめに行きました。彼らは戻ってくるなり皆に向けて叫びました。

――陸に吸血鬼が現れたぞ! 今まで見たことがないくらい獰猛な奴だ。人間が何人も虐殺されている。いいか皆、嵐が過ぎるまで絶対にここを動くな!――

 その言葉を聞いてロータスは心臓を強く握られるような感覚を覚えました。続いて動機が激しくなっていきました。まさかと思ったのです。ロータスはこの海の世界でただ一人、カナタの秘めたる想いを知る者。肌身離さず持っているあの雪の結晶のネックレスをくれたのは幼い頃に出逢った吸血鬼だ聞いていたのです。

 焦燥に駆られたロータスは思わず家を飛び出しました。気弱で臆病で普段は行動力に欠けるのに、そんな今までが嘘であったかのようになりふり構わず泳いでカナタの家へ向かいました。
 しかし部屋にカナタの姿は無く。今まで集めてきた陸の物が虚しく存在していただけです。瓶に挿さった赤い花も既に萎れていました。

「きっと陸に上がったんだ。どうしよう、カナタはずっと吸血鬼に逢いたがってたから……まさか本当に来るなんて思わなかった。もし相手が悪い奴だったらどうしよう」

 ロータスは身体の震えも治らないまま、カナタの家を飛び出し海の上を目指そうとしました。そこで鉢合わせたのは必死に後を追いかけてきたロータスの育ての両親です。両側から腕をがっちり捕まれ海底に引き戻されてしまいました。ロータスは無我夢中でもがきました。

「ロータス、帰ろう。今動いては危険だ」

「お願い、離して! カナタを助けなきゃ……!!」

「落ち着いて、ロータス! 私たちには無理よ。カナタくんはきっと大丈夫。大丈夫だから……」

 そうは言ってくれても、両親の顔からは悲痛な色が滲み出ていました。背後の気配に気付いて振り向くと、玄関前にカナタの家族の姿がありました。

――皆にお話しておきたいことが。

 険しい表情をしたカナタの父親が少し前に進んで口を開きました。ロータスはすぐに言葉を失うことになりました。

 カナタの父親は言います。特殊な能力を持って生まれた子。ゆえに長くは生きられないことを覚悟していたと。能力を使わなくて済むように家に閉じ込めておくことを親として何度も考えたと。
 縁談の話を持ちかけたことも確かにありました。家庭に落ち着いてくれたらそれに越したことはないと思うこともあって。だけどカナタは自由を愛した。この海底の街や仲間たちのこともとても大切にしていて、身分は貴族であれど時に逞しい戦士のようでありたいと願っていたことを知っていました。花のように短い命、それを親の希望で抑え付けて良いのか。葛藤の末、我が子が悔いなく生きることをいつしか両親も望むようになっていったのです。

「今宵も海の戦士となる道を選んだのか。それとも……」

 海中の雪が降りしきる。ここからでは見えない遠い遠い海面に思いを馳せるようにカナタの父親は天をあおぎました。

「他に望むことがあったのか」

 泡になって砕けてしまいそうな儚い音色の言葉で締め括られた。カナタの父親は胸に手を当てていました。我が子に想う相手がいたことなどとうに気付いていたのかも知れません。
 ロータスはようやくわかったのです。今までカナタは何度もこの街を抜け出して浅い海まで泳ぎに行っていた。両親が黙認していなければそんなこと出来るはずがなかったのだと。

「嫌だ……そんなの嫌だよ……」

 もう側に居られないなんて……。最後の方の言葉はもはや声にもなりませんでした。
 広がっていく絶望の中、カナタの無邪気な笑顔が一際輝いていて、目の奥が痛んで、ロータスは母親の腕の中で悲鳴を上げました。

 人魚は。
 泣かない訳ではないのです。ただ海中に居るがゆえに涙というものを知らない。泣くという概念が無いだけです。少なくともこのとき、カナタがきっともう帰ってこないと知った人魚たちは皆泣いていました。


 ロータスにとってカナタは言うまでもなく恩人です。でも一緒に過ごすうちにそれ以上の想いが芽生えていったことを思い出しました。誰にも言えなかったけど、初恋があったとするならそれはきっとカナタだったと思うのです。吸血鬼に対する恋心を聞かされて、諦めようと心に決めて、いつしか想いは友情へと変わっていきましたが。

 自分は名前も知らない吸血鬼。人間を殺めたと聞いているけど、カナタのことは守ってくれたんだろうね? カナタの純粋な心を弄んだり、ましてや食い物にするなんて許さないよ。
 いつになく強い眼差しで。人間たちの残骸が転がった明け方の海辺を見つめるロータスの手には萎れたアマリリスが握られていました。強い決意もまた、心の中でしっかりと握り締めていました。

 カナタの気質がうつってしまったのでしょうか。ロータスはそのまま遠い海まで泳いでいきました。後でどれだけ怒られたって構わないと思いました。もとより体力はあまり無い。別の海底の街まで辿り着く頃にはすっかり疲れ果てていました。
 ロータスを一番に迎えたのは戦士の格好をした男性の人魚。戦のある街なのでしょうか。それともカナタのような能力を持った者が居ないから必要な役割なのか。最初は警戒されていましたが、自分と同じ街に住んでいた青い髪の人魚を探していると事情を伝えると、思いのほか早く情報を得ることが出来ました。

「昨夜、空を飛ぶ男に抱えられている人魚を見た。お前の言う人魚の特徴にそっくりだ」

 無事でしたかと、思わず身を乗り出して訊きました。すると戦士の男は鼻の下を擦り、少し困ったような顔で言います。

「すまん。駆け落ちした恋人同士だと思って疑わなかったよ。お前、あの人魚を連れ戻したいのか?」

 すとん、と身体の力が抜ける感覚をロータスは覚えました。協力を示すような戦士の目。だけど……

「……いえ。ありがとうございました」

 気が付くと薄い笑みを浮かべて自然と返していました。


 ぐすっ、ぐすっと、帰り道の海中でロータスは何度も鼻を鳴らしました。目の奥も鼻の奥も熱くてたまらない。なんだか変な味までする。
 カナタはきっと無事なんだ。自ら望んで吸血鬼と生きる道を選んだんだ。一番に願っていたことが叶ったことによる安堵。それに反する虚無感。ロータスの中で一つの時代が終わってしまったような感覚でした。

 後先なんて考えていなかった。もう泳ぐ力も失ったロータスは七色の珊瑚や星のようなヒトデたちをぼうっと眺めていました。
 自分の身に脅威が迫っていると気付いたのは随分時間が経った頃です。

――――!?

 突然強く突き飛ばされたロータスは珊瑚の上に身体を打ち付け思わず呻き声を漏らしました。恐る恐る見上げるとちょうど自分の上をサメが通り過ぎていくところでした。身体の芯が凍りついたのも束の間、今度は腕を強く引っ張られました。

「こんなところでぼうっとしてんじゃねぇよ! 死にてぇのかッ!!」

 口調は荒々しいけど、ロータスを助けたのは女性の戦士でした。少し年上に見えます。後ろで一つにまとめた赤毛、そして凛々しい表情がどの珊瑚よりも眩しく映りました。

「お前迷子か? ここらじゃ見かけない顔だけど、泳いで行ける範囲ならあたしが送ってってやろうか?」

 凄く年下に見られているようです。もう大人なのに……と、ロータスは複雑な心境です。だけど何故か彼女の隣に居ると心が安らぎます。失ったと思っていた体力も少しばかり戻ってきそうな気がしました。
 二人はそのままロータスの街を目指して泳ぎました。海の中からではよくわからないけれど、陸では日が傾いて水面はオレンジ色に染まりつつありました。

「ホラ、お前の街が見えてきたぞ。お前もしかして凄い遠回りしてきたんじゃねぇの? 結構近いじゃねぇか」

「あっ、ありがとうございます」

「何が目的だったのか知らねぇが、次はちゃんと食って体力つけてから来いよ」

 わしわしと頭を撫でられてロータスはくすぐったく感じました。温かい手、温かい眼差し。もう行ってしまうの……? 気が付けばそんなことを考えていました。
 ロータスはまたカナタのことを思い出しました。もう遠くに行ってしまって帰ってくることは無いであろう親友。男女問わず心惹かれるくらい美しかった。

 でもカナタは、本当にあの美しさだけで自らの道を切り開いたのだろうか?
 容姿以上に魅力的だったのはあの素直な心だったのではないか。変わりたいという願い。選択を悔いない覚悟。思えばカナタは自分に足りないものを持っていたのだとロータスは気付きました。

 僕も変わりたいと自然に思いました。





「あっ、あの……!」

 だからまず一歩を踏み出さないと。

「ロータス、です」

「え?」

「お、お姉さんの名前は……なんですか?」








 じきに夜が訪れる。月はきっと海を照らしてくれる。同じものなどただの一つも無い星々が見守ってくれる。
 一つの時代が終わったのなら、また新しい時代が始まるのかも知れません。


――おわり――


 参考文献:『人魚姫』ハンス・クリスチャン・アンデルセン

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