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第3章/願いに気付いて(Kakeru Chiaki)
45.無邪気でずるい、淡い花(☆)
しおりを挟むダニーは仕事の転勤によって最近この街へやってきた。
お互い日本に住んでそれなりに長いものの、全く別の地域にいたから彼と会う機会はそう多くなかった。それが今じゃ第二の我が家と言わんばかりに頻繁に顔を出してくる。
職種だって全然違う。ダニーはこれでもITエンジニアだって聞いてる。
まぁ僕はアパレル以外の仕事は大して知らないからダニーの働いてるところも想像出来ないんだけど、勤務中くらいはキリッしてるんじゃないかなと勝手に思ってるんだ。
年齢は僕より二つ上。でも大人になってからの年の差って大したことないなと感じるよ。子どもの頃はこの差が大きく思えていたのにね。
「なぁ、カケルってなんで老けねぇの? いま二十九歳ってことは今年三十歳の奴らと同じ学年ってことだよな」
こんなこと言ってるけど、僕だってそれなりに歳は感じてるんだって。高校生と一緒にダンスやってるから尚更だよ。
苦笑して誤魔化す僕にはおかまいなしにダニーは更に続ける。
「むしろどんどん若返ってねぇか。特にその髪の色、久しぶりに会ったときは驚いたぜ。そういうセンスどっから降りてくるんだよ」
「……降りてきたのはうんと昔だよ」
「昔ぃ? お前紫が好きとか言ってたっけ」
「ううん、秘密にしてたから」
そう、今言っちゃったけど。もういいんだ。隠しておく必要もなくなってしまったからね。
シャワーを終えたばかりのまだ湿った髪を僕は軽くつまんで眺めた。本当によくここまで希望する色に近付けてくれたものだと思う。だからこそなのか満足いってるはずなのにまだ少し切ない。
数秒もしないくらいでダニーが後ろから近付いてくる気配がした。
「なんで秘密だったんだよ」
「ちょっ、ダニー近いって」
「従兄なんだからいいだろ」
「息が耳にかかるの。びっくりするでしょ」
「なんだ弱いのか」
「うるさいな」
なんで僕たちはこんなくだらない話しか出来ないんだろう。
でもダニーと難しい話がしたいかと問われたら別にそうでもないんだよね。外で気を張ってるから家ではこれくらいでいいのかも知れないし。
いつの間にかダニーはスナック菓子の袋をぎこちない手つきで開けようとしている。ぶちまけるなよ、と冷ややかな視線を送りつつ僕は髪を乾かしに行った。
「なぁなぁ、どうして秘密だったか教えてくれねぇの? なぁ~!」
「あ・と・で・ね!」
脱衣所からなんとか声を届ける。
わずかの間に賑やかになったものだとつくづく思う。やっぱり彼との関係は、従兄弟ではなく兄弟の方がしっくりくる気がするな。実際そんな育ち方をしているからね。
――忘れられない光景があったんだ。
髪を乾かした後キッチンに立ち、買ってきた料理を皿に盛り付ける。特に手伝う様子もなく近くにいるだけのダニーと並んで話した。
「青紫色の花が零れ落ちてきたんだ。藤の花だよ。小さい頃にね、下から見上げていたからそれはもう圧巻で。キラキラ輝きながら今にも降り注いできそうだと思ってたときに強めの風が吹いた。スローモーションで滴る雫たちのように僕には見えたんだ。我に返って今度は下を向いたんだけど、地面が少しずつ鮮やかに染まっていく様は本当に幻想的で呼吸さえも忘れてしまいそうだった」
「はぁ~……お前ロマンチストなところ昔から変わってねぇんだな」
「そう?」
「よくそんな詩的な言い回しが出来るなって。アパレルもいいけど文学や芸術も向いてるんじゃねぇの」
「そっちは意識したことなかったなぁ」
というか、意識しないことにしているんだ。表向きには語彙力がないという設定。そう思われている方が楽だからね。
いつからか何においてもハードル上げられることを避ける癖がついてしまったんだよ。
ボリボリと呑気にお菓子を食べながら聞いていたダニーは、ふと落ち着いた声で「まぁいいや」と呟いた。
話を切り替える前置きだったんだろう。それはすぐに続いた。
「で、その藤の花だけどさ……もしかして日本で見たやつか」
「そうだけど……?」
「小さい頃って言ってたよな。お前覚えてるのか、あの旅行」
「そりゃそうでしょ、僕が九歳のときだもん。曖昧な部分もあるけど印象的なことくらいは覚えてるよ」
「そっか……」
「ダニー? どうかしたの」
「いや」
彼は短く答えて視線を逸らす。
正直ちょっと驚いていた。当時僕が好きだった女の子のことには触れてこないんだなと思った。藤の花を見たときにも彼女が隣にいた可能性とか想像つきそうなものなのに。
僕への気遣い? 別れのとき僕が相当泣いていたから? いや、ダニーはそういうの遠慮しないタイプだと思ったんだけどな。
それにしても懐かしいな。僕たちが迷子にならないようにと彼女のお兄さんが着いてきてくれたんだっけ。確かダニーと同い年くらい。彼女は「近所を歩くだけなのに心配しすぎ」って煙たがってたけど、それだけ妹が可愛かったんじゃないかな。ちょっと怖そうな雰囲気だけど良い人だったと思う。
だからこそ悪いことをしてしまったなと思ってる。彼女も望んでいたとは言え……。
「つまりそのとき見た藤の花に惹かれて今の髪色になったってことか」
僕が感傷的になっている間にダニーがサクッとまとめてくれる。意識がゆっくりと今に戻る。
そうだね、おおむねそんな感じ。だから「うん」と短く肯定の返事をしておいた。
このエピソードを秘密にしていた理由、何故かダニーは聞かないままリビングにあるテレビの方を向いてしまった。それほど知りたい訳でもなかったのかな。
でもいいや。おかげで僕の切なさにもストッパーをかけられるよ。さて、ご飯にしよう。
僕は自分の分の皿だけを持って踵を返す。横目でダニーを一瞥し、少しは手伝えと促した。
僕だって……僕だって。
ダニーが観たがってるドラマも本当は何話も続けて観たい。お菓子はあまり興味がないけど、代わりにお酒を飲んで夜更かししたい。たまらなく現実逃避がしたいからだ。
昨日、思いがけずトマリと再会してしまった。それだけではなくストールを貸して連絡先も再度教えてしまった。
ちら、とテーブルの上に置いたままのスマホを見る。食事に集中しているフリをしながら本当はずっと気になってた。
まだメッセージ来てないけどどうしよう。僕から送っていいのかな。でもなんて?
ああ、まさかこんなことになるなんて。
これはある意味では歓喜、ある意味では絶望と言える複雑な感情なんだ。内心の僕はだだっ広い空間の中で一人、踊り狂うようにして悶えてる。
何故、彼女とは何度も再会してしまうのだろう。それも諦めようとした矢先にだ。
食事を終えて一人ベランダに出ると、ほのかに香ってくる春の夜風にくらりときた。お酒も入ってないのに酔わされそうな。
「あんな色……ずるいよ」
思わず呟いてしまった。
目に焼き付いて離れないんだ。彼女の長い髪の毛先が纏っていた、あれはまるで桜色のベール。ミルフィーユに苺を乗っけるみたいに盗蜜をしていたすずめが花を乗っけたなんて、そんな偶然ある? あるんだよ。だって彼女はわざとそんなことをする人じゃないんだもの。
一見すると完璧に作り込んだ大人ギャルなのに、実は天然ありのまま。限りなく無防備。自然さえもが味方する、あれじゃ花の妖精みたい。二ヶ月離れている間に一体どれだけ魅力が増したんだろう。
そんなことを考えていたら夜空を流れる花筏が見えた。見頃を終えそうだった近所の桜と春風の戯れによるものだろう。
そしてはぐれた一枚がちょこんと僕の鼻先に留まった。
一気に熱が込み上げる。まるで彼女本人にこの気持ちを見透かされたみたいな錯覚。
僕はその可憐な花びらをつまんで眺め、甘いため息を零すのだった。
「君はやっぱり変わってない。そうやってまた僕の心を翻弄して……」
「カケル~! さっきから何ブツブツ言ってんだ?」
「……なんでもないよ」
「あっ、お前酒飲んでるな! 顔赤くなってんぞ。飲むなら俺も誘ってくれよな」
「はいはい、ダニーの分もあるからね。ちょっと待ってて」
ダニーが誤解しているのをいいことに僕は火照った顔を隠すことなくダイニングへ向かう。
ストックしておいた缶ビール。また買い足す前提で僕も少しだけ飲んでしまおうと思った。
今夜、何度想いがぶり返してもいいように。
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