tomari〜私の時計は進まない〜

七瀬渚

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第1章/居場所を探して(Tomari Katsuragi)

7.和希のトータルコーディネート(☆)

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 チャイムが鳴ったのは同日の十八時ちょっと過ぎだった。
 インターホンの画面を覗き「はい」と返事をすると同時に和希の顔がぐいと画面いっぱいに迫る。

「おーい! トマリ! 来てやったぞ!!」

 もはやインターホンを介する必要がないというくらい玄関の方から大きな声が響いてくる。
「少し待ってくれ」そう言いながら私の足元は時折もつれた。

 玄関を開けると苦笑を浮かべた和希が私を見下ろす。ショップの袋らしきものを肩に担ぐようにして持っている。

「和希、連絡してくれたら駅前まで迎えに行ったのに。道に迷ったりはしなかったか」

「ああ、全然余裕だったぜ。ここまでの道のりはわかりやすいし、そもそも一度通った道は大体覚えられるんだよ、私」

 それは羨ましい。面接会場に向かうときも一時間は余裕を持って着かなければ心配というくらい筋金入りの方向音痴である私からすると実に魅力的なスキルだ。
 と、一度はそんなことを思った訳だが、私の焦燥感は再び全身を這いずるようにして戻ってくる。

「す、すまない。部屋の片付けも何もできていないのだ。この間のお泊まり会のときのように連絡が来てから迎えにいくものだと思っていたから……」

「え? 私は別に気にしないぜ。一度来てんだしよ。それにあんたよりもっと片付けが下手な奴がうちんちにもいるからな」

「……それは和希の家族だろうか」

「そ、私の弟。私とは結構歳離れてて今高三なんだよ。受験勉強が忙しいからなんて尤もらしいこと言ってっけど、あいつの部屋は昔っから笑っちまうくらいしっちゃかめっちゃかだ」

 高三の少年と比べられる二十七歳、と考えると少々複雑だがこれ以上気にしても仕方あるまい。

 私が中に入るよう促す前に和希は「お邪魔するぞ」と言いながら靴を脱ぎ廊下へ進んだ。私は彼女の後をついていく。

「うわっ、こりゃ相当難航してるな」

 リビングの中を見るなり和希が驚きと戸惑いの混じったような声を上げた。カーペットの上一面に広がった大量の服を目にしたからだろう。
 現状の報告の為、私は室内の中央でしゃがみ込み彼女を見上げる。

「約九年間もギャル服を貫いていたこととアパレル業界に勤務していたことで服の量はそれなりにあるのだが、見てくれ。こう肩や背中がいていたり、ボトムスにもスリットが入っていたり、肇くんの考えているようなお店にいまいち馴染む気がしない。そして今から新たに買い揃える時間もなく、もしかするとお金も足りない可能性があるから困っている」

「トマリはどんな店に行くか知ってるのか?」

「肇くんが言うには“当日のお楽しみ”らしい」

「ふぅん、サプライズってやつかねぇ」

 和希は私が何枚か広げて見せた服をしげしげと眺めていく。そんなに難しそうな顔はしていない。

「肩や背中が開いてるくらいは別にいいと思うんだよな。極端な露出じゃなければ。ただ柄の主張が強かったり色が鮮やかなせいでカジュアル感が際立っちまってる気がする」

「柄は私も気になっていた。アウターとの組み合わせでなんとかならないかと思ったのだが、これがなかなか難しいのだ」

「アウターは何気に大事だよな。それと小物使い。そう考えるとベースとなる服はシンプルな方が……」

 和希は言いかけたところで「あ」と小さな呟きを零した。何処か離れた場所を見ている。

「あれ。あのロイヤルブルーのワンピースなら使えそうじゃね? 無地のやつ」

 彼女が指さした方を見るとクッションの上に乗っかってるそれがある。
 思い出した。私が割と最初の方で候補から外した服だ。

 和希が「見せて」と言うから私はワンピースを拾い上げ彼女に手渡した。疑問を投げかけながら。

「これは反対にパーティー衣装っぽくないだろうか。同級生の結婚式の二次会に着て行ったもので、普段着る機会はほとんどない」

「いや、そうでもねぇぞ。そりゃパールのネックレスやラメのパンプスを合わせたらパーティー衣装になるだろうな。でもカジュアルな要素を少し取り入れてやれば多分ちょうどいいバランスになる。ノースリーブだからアウターの組み合わせも自由にできそうだ。あんたコレ着てみ。今すぐ」

「今すぐ」

「そうだ。あとクローゼットも見させてもらっていいか」

「わかった。構わない」

 言われた通り“今すぐ”その場で部屋着を脱ごうとした私だったが、先日の和希の慌てた様子を思い出し、少し迷いながらもワンピースを持って洗面所へ向かった。


「おお、着れたか! いいね~、あんた青似合うじゃん! ちょっと膝が見える程度の丈ってのもバランスとりやすくてありがてぇな」

「バランス?」

「そう! これ見つけたんだけどよ、多分合うから羽織ってみ」

 ぐい、と和希が手渡してきたのは黒いフェイクレザーの生地。
 広げてみて思い出した。去年の秋に買ったライダースジャケットだ。

 これを合わせようとする発想はきっと一人じゃ思いつかなかった。驚きとためらいの混じったような気持ちのまま羽織ってみる。

「うん、やっぱり! ちょっと緩いところがいい」

「これでも一番小さいサイズなのだが私が着るとこうなってしまう」

「いいや、今回の場合はあまりカッチリ着るよりこんぐらいゆとりがある方が抜け感が出せていいと思うぞ」

「!」

 抜け感というと“キメすぎない”といった意味。ファッション雑誌にもよく出てくる実に抽象的かつ感覚的な用語なのだが、今、私にもようやくピンとくるものがあった。
 閃いたトータルコーディネートのイメージに思わず興奮してしまう。


「つまり足元はスニーカーで頭にはキャップを持ってくればいいと! スニーカーならちょうどスタッズのアクセントがついた厚底の……」

「待て待てそれじゃ原宿系に寄っちまうだろ。あんた毛先ピンクなんだしそれはやり過ぎだ」


 脳内のイメージが瓦礫と化していく。
 これだから抽象的な用語というのは苦手だ。


 何年もアパレル販売をやってきたからといって全てのコーディネートを理解している訳ではない。得意分野と苦手分野があることは自分でもなんとなくわかっていたし、多かれ少なかれそういうのは誰にでもあるんだろう。
 とは言え、少しばかり自信を失くす。

「そんなにしょげるなって。あんたが言ってた組み合わせも可愛いと思うぜ。また別の機会にやればいいだろ。それより次は靴を決めちまおうぜ。あんた靴のコレクションすげぇんだからこれは楽勝じゃねぇか?」

「確かに服よりは探しやすいかも知れない」

「ショートブーツはあるか? 黒のレースアップがいい。華奢なヒールよりかは出来れば太めで」

「あったはずだが……凄いな和希。もうイメージできているのか」

 玄関の方へ歩きながらもどんどんコーディネートの案を展開していく彼女に心底感心した。
 私もこれだけ頭の回転が良ければ……などと無いものねだりが脳内をちらつく。

 靴箱にしまってあったショートブーツを出し玄関で早速履いてみる。ゆっくり振り向いたとき和希の表情が輝きをまとった。
 肇くんもこんな顔をしてくれるだろうか一瞬ばかり夢を見た。

 首には細いチェーンのネックレス。髪は和希が後ろでふんわりとした形にまとめてくれた。
 もしかしてこれが合うのではないかと思った黒の小さいショルダーバッグを見せると和希が力強く頷く。自分の案も多少は役に立ったことが嬉しい。

 姿見の場所を訊かれ、それはないと答えると浴室に行こうということになった。確かにそこには縦長の鏡がある。

「自分の部屋とは言え、室内で使用済みの靴を履くのはちょっと……」

「古い新聞紙とかねぇの?」

「少しならある」

「よし、それでいこう!」

 本棚の端にねじ込まれていた新聞紙を引っ張り出し、浴室の扉の前の床にそれを敷く。
 ブーツを履き終わったとき、和希がお待ちかねと言わんばかりに「じゃーん!」と効果音をつけて浴室のドアを開け放った。


 私はどんなに驚いたって大したリアクションが出来ないような人間なのだが、熱いため息が零れる感覚は確かにあった。

 そこにいるのは確かに“ギャル”と呼ばれるような女なのだけど、背伸びしすぎず、だけど少し大人の領域へ近付いたような姿。
 とうに大人であるはずの二十七歳の感想としては矛盾しているのかも知れないが、実際それが私の正直な気持ちだ。

「まぁ、あくまで私の感覚だから合ってるかはわかんねぇけど、多分こういう感じでいいんじゃね?」

「ありがとう、和希。肇くんは以前、もっと大人っぽい私を見てみたいと言っていたのだ。気に入ってくれそうな気がする」

 振り向いて見上げると、和希はそっぽを向いてフン、と鼻を鳴らす。整った形の唇が少し尖っていた。

「言っとくけどな、別にあいつの為に選んだんじゃねぇ。あんたの為に選んだんだ」

「うん、でも感謝している」

 和希の肇くんに対する嫌悪感はまだ続きそうだ。それは仕方がない。
 だけどいつかは彼との関係を祝福してもらえるくらい私もしっかりしなければと思った。


 部屋に散らかった服を片付けていくと、テーブルに置いたままになっていたペン画が存在感を取り戻した。
 和希が真顔でじっとそれを眺めていた。

「なぁ、あんたどうせ夕飯の準備もしてないんだろ。私ちょっとコンビニで買ってきたけど、食う?」

 お洒落なショップの袋の中から弁当を取り出してこちらに見せる。まさか食べ物が入っているとは思わなかった。

「もらっていいのか? もちろんお金は払う。何から何まで本当にすまない」

「気にすんな。私も腹減ってたし、ついでだよ」

 卓上の時計を見ると、和希が来てからもう一時間以上過ぎている。彼女の帰りが心配になった。だから自然と提案したのだ。

「和希、明日は休み?」

「遅番だけど」

「もう外は暗くなってしまった。泊まっていったらどうだろうか」

「……まぁ、あんたがいいなら別にいいけど。うちんちもそんなに遠くねぇから明日一旦家に帰る時間もあるし」

 チキン南蛮弁当のフタを開けてすぐ肉にがっついた彼女が、口をパンパンにしたままくぐもった声で言う。

「あんたさ、人を泊まらせるとのかもうちょい気を付けろよ」

「嫌だったか? すまない。無理もないな、こんな時間まで付き合わせて……」

「ちげぇよ。嫌だったら来る訳ねぇだろ。あとメシはちゃんと食え」

 差し出された小ぶりなのり弁に目がいった後、再び見上げると和希が困ったように笑っていた。


「わりぃ。私も今はなんて言ったらいいのかわかんねぇんだ」


 和希がわからないのなら私もきっとわからない。
 なんの話をしているのかさえ掴めてないのにそんな確信だけはあった。
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