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番外編/彼と私〜KARIN〜
近くて遠かった(2)☆
しおりを挟む幼稚園のときに出会ったその子を私は最初女の子かと思った。みんなから離れたところの席に座ってお魚の絵本を眺めていた。
サラサラのショートヘアには見事な天使の輪。色白な肌に長い睫毛。背景よりも色が薄く見えるくらい全体的に透き通ったイメージ。
鬼ごっこをする男の子たちが近くを通ると目をぎゅっとつぶって下を向いてしまう。動の中では静が際立つ。誰よりも口数が少ないはずのその子は結果的に誰よりも目立っていた。
「おれにもかせよ!」
「そうだそうだ! ひとりじめすんな!」
そうしているうちに男の子2人組がその子の手からお魚の絵本を取ろうした。いかにも気弱な顔してるクセに、イヤイヤと首を横に振る仕草はやけに頑なだった。“命がけ”……当時の私はそんな言葉知らなかったけど、きっと肌で感じたんだと思う。だからこそ……
「やめなさいよ!!」
私は思わず声を上げた。
「アンタたちさっきまでおにごっこしてたでしょ? なによ、いつもえほんなんかよまないくせに!」
大股で詰め寄ると男の子2人組が絵本から手を離した。顔を見合わせたかと思ったら今度は大声で笑い出して、片方がこんなことを言った。
「だっせーーっ! おんなのこに守られてやんのーー!!」
ゲラゲラやかましい笑い声が遠のいていく途中で私は首を傾げた。
「なにいってんの? アイツら」
「……あ、ありが……」
「え!? なに!?」
「…………っ!!」
その声があまりに小さいものだから私はぐいと顔を寄せたんだけど、その子は言い直しもせず顔を伏せて身体を奥に引っ込めた。気分のいい反応ではなかった。
でも話しかけようとしてくれたよね? そんな確信があった私はその子へ興味を向けることをやめなかった。
「ねぇ、あなたもさ、そんなに気に入ってるならこんど同じえほんを買ってもらったら?」
「ん……」
「ほしいものはほしいって、ちゃんとパパやママに言わなきゃ。ここにおいてあるものはあなただけのものじゃない。みんなのものなんだよ」
「…………」
その子はしばらくしてこく、と小さく頷いた。そしてお魚の絵本を私にそっと差し出してくれた。まだちょっと怯えたような潤んだ上目遣い。
「……よむ?」
「うん、よむ。えらいえらい! ありがとね」
「……あ、ありがとう」
「えっ、なんで? わたしなんかした?」
妹みたい。妹いないけどそんな風に思って笑った。微妙に話が噛み合ってないのになんだかホッとするような感覚が不思議だった。
「わたしは、にのみやかりん。よろしくね」
「ぼくは、はやまれん……」
「ぼく? えっ……レンくん?? そうだったんだ、ごめん!」
漢字で書くと『葉山蓮』そう知るのはもっと後のこと。
なんで謝られたのかわからないって顔をされたけど、理由はそのまま内緒にしておいた。気を遣ったっていうのとはちょっと違うかな。多分このときのくすぐったいような気持ち、そっと自分の中に閉じ込めておきたかったんだと思う。
どうやら蓮は入園式当日から数日間は熱を出して欠席していたらしい。だから見つけるのが遅くなったのね、と私は納得したわ。
私たちが仲良くなったことで私のママと蓮のママの距離も近付いた。家も案外近かったから一緒にレストランに出かけたときもあったわ。
私は、蓮のママと一緒にいるときのママが特に好きだった。いつもと違って穏やかな顔をしていた。きっと蓮くんママが優しいからね、幼い頃の私はそう思っていたんだけど、それだけじゃなかったことにやがて気付いていった。
小学校高学年でやっとその言葉を覚えた。表では社長と社長夫人として立派にやっているけれど、家の中ではほとんど話すことが無い、笑い合うことも無い、私のパパとママはいわゆる“仮面夫婦”。5つ上の兄貴ならとっくに気付いていたことかも知れない。
親子とは無意識のうちに似ていくものだから。
私が蓮と一緒に居ると心が落ち着くように、ママも蓮くんママと一緒に居ると自分を飾ることなく自然と笑えたんだろうなって、なんとなくわかったの。
お互いの親も仲良しという安心感もあってなのか、私たちはほとんど同じクラスになったことがないにも関わらず、顔を合わせれば一緒に過ごすのが自然になっていた。
特に蓮は中学生になっても無邪気に私の後を着いてきて、2人きりのときは無防備に手を繋いだり身体を寄せたりなんかした。
相変わらずの華奢な体型に中性的な顔立ち、それでも入学したばかりのときはダボダボだった学生服がだいぶ馴染んできたというのに。
「ねぇ……蓮、私たちいつか一緒に暮らそう?」
勇気を出してこんなことを言ってみても、心から嬉しそうにニコニコして頷くの。
男らしくもない、あどけないまま、それなのに何故こんなに胸が疼くんだろうって……いつの間にか私ばかりが特別な意識を持っていた。
でも私たちはそのまま卒業を迎えた。
「花鈴ちゃん、また会える?」
「何言ってんの。同じ地元でしょ。高校が違ってもいくらだって会えるわよ」
開いたばかりの桜が揺れていた。空の青と薄いピンクとほんのちょっとの緑と、そんな景色に自然と馴染む蓮の寂しそうな微笑みからそっと距離をとった。胸が詰まるような思いから目を背けて。
私は間違いなく蓮が好きなのに、なんで告白しなかったんだろう。高校生になった後も、1人きりの部屋の中で何度か考えた。
蓮が“変わらない”のがポイントなんだと思った。なんたって「一緒に暮らそう」も通用しなかったくらい。だったら急接近は狙わず、少しずつ距離を詰めていく方がきっと確実……そうやって無意識のうちに戦略を改めたのかも知れない。
だけど私は思い知らされることになる。行動できるうちに行動しておかないと機会を逃す場合もあるんだって。
両親が離婚してママが家を出ることになった。行先はひとまず遠い県外の実家。
「せっかく入学した高校、それにあなたの夢も知ってる。花鈴、いま私に合わせて居場所を転々とするよりここに残ってやりたいことをやった方がいいと思うわ。足元をしっかり固めるの。高校を卒業したらあなたもお兄ちゃんみたいにこの家を出て構わないわ」
そう言われた。思えばママは、いつだって私を独立した考えに導こうとしていたように思える。きっと側から見たら突き放してさえいるような、冷たくさえ見えるような、そんな人だったと思う。
だけど離婚が決まっても冷たい無表情で何も無かったように過ごしているパパを見ているうちに、私はママのこれまでの振る舞いにも納得が出来たの。仕事は出来ても家庭を顧みなかったパパ。ママはおそらくずっと前から我慢してて、こんな日が来ることを覚悟してて、だからこそ私が1人でも生きていけるように育てたかったんだろう。
実家に帰るシーンはよくドラマにもある。ある日突然、ボストンバック1つ持って玄関へ向かった母親が名残惜しそうに我が子を一瞥(いちべつ)するのだ。
だけど現実はそんなもんじゃない。家族1人いなくなるというのはもっと大掛かりな事態だった。冷静に考えればそうよね。旅行じゃないんだもの。これからの人生に必要な荷物ってなると相当な量だから引越し業者も出入りするし諸々の手続きだってある。
慌ただしい日々とピリピリとした空気の中で、家族皆が今思うと恐ろしいくらい淡々としていた。同じ場所に身体があるというだけで既に心はバラバラだった。
もう戻れない。ううん、元より壊れていた家族じゃない。
そんな風に腹を括った私もまた、高校卒業後に一人暮らししながら短大に通う為、そしてモデルになる夢の為に毎日学業とバイトの両立に勤しんだ。確かパパを親父と呼び始めたのもこの頃からだった。
きっと周りの子たちに比べて私の3年は早かったんじゃないかと思う。サイダーのような夏空も、心躍る文化祭の出し物も、イルミネーションの煌めきも、淡い桜吹雪も……写真にこそ残っていれど私の記憶の中にはほとんど残っていないの。
ただ1つ変わらないでいてくれた記憶、あの別れの春さえ遠く離れていきそうだった。
――ねぇ、葉山蓮って覚えてる?
その問いかけは唐突だった。短大を卒業し、化粧品販売の会社に就職してもうすぐ2年になろうとしていた頃。
久しぶりに地元にやってきた私は中学時代の友人と駅前でお茶をしていた。彼女の表情はなんだか重苦しい複雑なものに見えた。
「覚えてるも何も幼馴染だけど」
このとき私はちょっとした勘違いをした。彼女が蓮に興味を示してるんだと思ってつい張り合うような言い方をしたの。
だけどそっと潜めた声で届いたのは、あまりにも衝撃的な言葉だった。
お客さんの話し声から店員さんの声、ドアのベルの音、足音、その一切が消え失せた中で
「…………嘘、でしょ」
ただ自分の掠れた声だけが残った。
気が付くと私は無我夢中で地元の河川敷を駆け抜けていた。のどかな風景にはあまりに似合わないピンヒールの足で、必死に。
正確に言うとなんとなく覚えてはいる。友人に詫びてきたこと。どうしても少しだけ時間が欲しいと言って店を出てきたこと。
後悔の念と涙が絶え間なく後ろへ流れされていく。行先にだってもちろん迷いは無かった。
インターホンを鳴らすと「はい」と小さく返事があった。何処か懐かしい声色。3人兄弟なのは知ってる。でもきっと間違いないと思った。
「私よ。二宮花鈴」
ちゃんと名乗ったつもりだったのにその声はみっともなく震えた。
あまりにも、あまりにも待ち遠しい時間が続いた。しっかりしなきゃ。こんなときだからこそ。そう思って涙を拭ったのに……
「蓮……」
現実を突きつけられて身体の芯が揺さぶられた。芯で何かの生き物が目覚めたみたいに。この身体を乗っ取られていくみたいに。
彼の唇が私の名を象る。でもその声は途切れ途切れな上にほとんど音になっていなかった。本来ぱっちりしているはずの彼の目は、私の前に居ながらも虚無を見つめるようなくすんだ色になっていた。
ダボダボのパーカーの下にはタートルネックまで着ているけど、私にはわかっていた。その下に傷があることを。
「どう、して……っ」
どうして、自殺未遂なんて。
思わず抱き締めた身体はまるで骨のような感触で私の心臓は不穏な音を立てた。生気の無い抜け殻みたいで。止められない私の嗚咽ばかりが虚しく響いた。
――高校生のときに果物ナイフで喉を刺したんだって。よくいじめられてる子だったけどさ、高校でますますいじめが酷くなったらしいよ――
なんて苦しいんだろう。なんて痛いんだろう。大切な人の変わり果てた姿を目にするというのは。だけど蓮はもっと苦しかったはず。もっと痛い思いをしたはず。もっとなりふり構わず守ってあげれば良かった。そう考えるうちに決意は固まった。
「迎えに来たよ、蓮」
自然と口にしていた。実家がゴタゴタするもっと前、私にもまだいくらか無邪気さがあった頃、照れながらもちゃんと口に出来ていた言葉を手繰り寄せ、再び彼に伝えた。
一緒に暮らそうって。この街を出ようって。
そっと身体を離して正面から見つめると、彼の瞳に少しだけ光が戻ったように見えた。
「花鈴、ちゃ……ずっと……とも、だち?」
弱々しいその言葉に胸がズキリと痛んだけど、私は構わずに微笑んだ。それでもいい。ただ傍にいてほしい。今思うと切実に願っていたのは彼より私の方だった。
この決断が2人の関係を決定的に壊してしまうなんて思いもせず。
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