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第4章/理解を得るのは困難で
13.願いが煌めいた日(☆)
しおりを挟む――なぁ、ここだったら割とすぐに叶えられそうだぞ――
あたしがそう言って示した場所はマンション最寄駅から10駅。それなりの距離はあるけど幸いなことに乗り換え無しで行ける。
あれから蓮は3つの就労移行支援センターの見学、体験をして、そのうちの1つに通所することを決めた。電車に乗って隣街まで。最初の頃は週3日の午前中だけだったけど、隔週で午後まで訓練する日も作っていった。
就労移行支援センター内のこと、特に他の利用者個人に関することは他言してはならない。だけど自分の体調や集中力がどうだったかなどは蓮の方からもよく報告してくれた。
上手くいくときばかりではなかった。※過集中が出やすいこともわかったし、それが原因で体調崩して落ち込んで帰ってくる日もあった。だけど徐々に生活リズムが規則的になって安定していく兆しが見えた。
あたしもカウンセリング本番をちゃんと受けてきたよ。会社の人たちや冴子の言葉ももちろん心強かったけど、それとはまた違った安心感を覚えた。
面倒見がいい分、自分が責任負わなくてもいいところまで背追い込みやすいとか、失敗を恐れているとか、貴女は自分が思っている以上に真面目ですよ、なんてことまで言われたな。
でも今んところ病院で薬を処方してもらわなくちゃいけない程の症状ではなさそうだ。ストレスは自律神経やホルモンバランスの乱れを引き起こしやすいから、体調の変化には気を付けてと注意は受けたけど……
そう、ここまで待ってからと約束していたんだ。楽しみな予定があった方が蓮もあたしももっと前向きになれそうだと思ったしな!
12月20日。
なんだかハンパな日にちだって? あぁ、あたしも最初はイブの日にって考えてたんだけどよ、もしかしたらここも結構混むんじゃねぇかと思って。
それでも街中はクリスマスムード真っ只中! 夜になったらキラッキラになるんだろうなと想像させる電飾の施された街路樹の中。
「お前やっぱりペンギンやアザラシも好きなのか?」
「ん……好き。可愛い」
「そりゃ良かった! あたしはシロクマが見てぇなぁ」
「僕も」
目的地が近付くに連れてカップルの姿が目立ってきたからあたしたちもちゃっかり恋人繋ぎなんかしてみる。マフラーに埋もれた蓮の顔がピンクに染まっていくのがわかると、くすぐったさに変な笑いが零れそうになった。そんなあたしも蓮からもらった手編みのマフラーをしてる。
そりゃあもう前日からウキウキしてた。蓮もきっとそうだろう。なんたって彼の趣味がいっぱいに詰まった世界なんだからな。
お察し頂けたかな?
今日は水族館デートだ。我ながらナイスチョイス!
時刻はあえて昼過ぎから。夕方からは街のイルミネーションもばっちり楽しむ為だ。
入館のチケットを購入したらいよいよ通路を進んでいく。これこれ、人の多さの割にしっとり静かな雰囲気。あの写真を見てピンときたのは、むかし妹と行ったことのある場所だったからなんだ。ホームページを見た感じだと、今はあの頃より魚の種類も増えてるっぽい。単に蓮の趣味に合わせただけじゃない、あたしも一番に行ってみたいと思った場所だったんだよ。
水槽が近付いてくるとおのずと歩調が緩やかになる。蓮もすっかり魅入ってるみたい。
うちでもお馴染みのエンゼルフィッシュやネオンテトラ、ディスカスたちが出迎えてくれた。家で見るのとはまた雰囲気が違うもんだ。
「可愛いなぁ~。なんだっけか、このオレンジの魚」
「カクレクマノミ」
口調がはっきりとしてきた蓮は時々あたしのコートをくいと引っ張ってはいろんな生き物たちのところへ連れてってくれる。水槽の前にはもちろん生き物たちの名前が書いてあるけど、見る前から教えてくれるんだ。
薄暗いエリアに入ったあたりからは……
「メンダコ。深海に居る蛸。耳みたいなヒレが、可愛いくて好き」
「おっ、この子が! なんか最近ぬいぐるみとか多いよな」
「チンアナゴも人気だよ」
「あの白いニョロニョロか?」
「んっ」
会話でもあたしをリードするくらいの勢いになった。すっかり童心にかえったような目をして……水を得た魚とはこのことだな。
「あと、ダイオウグゾクムシ」
うお、意外。こういうのも平気なのか。でっかいダンゴムシに見えてビビったことは黙っておこう。
それから蓮の口数は徐々に減っていったんだ。でも元気を無くした様子じゃない。むしろより深く、心から、海の世界に浸っているように見えた。
頭上を泳ぐマンタを見上げ、円らな瞳のゴマフアザラシと見つめ合う。無邪気なフェアリーペンギンたちにバイバイと手を振って……
「なぁ、蓮。ここじゃねぇか!?」
「ん……!」
一度立ち止まり頷き合ったあたしたちはきっと共に輝いた目をしていただろう。揃って再び歩き出す。
一緒に見たいと願ったあの光景の中へ。
幻想の触手が手招きする。引き寄せられるその最中で彼の手がするりと離れても寂しくはなかった。
「……すっげぇ~」
暗闇の中で際立つ青やピンクや紫。ゆらりゆらりと漂う海月たちの中であたしはぼんやり立ち尽くす。
ライトは確かに人工なんだけど、主役が生き物だからなのかイルミネーションとはまた違った魅力に溢れてると言えるだろう。
だけどな、それでも一番に目を奪われてしまうのは……
光り輝く宇宙空間の中でひらひら舞う。重力さえ手放したかのように伸び伸びと、言葉さえ必要ないとばかりに喜びを全身で示す。ああ、本当はこんなに自由な人だったんだと実感させる彼。
「綺麗だね……葉月ちゃん」
「うん、すっげぇ綺麗」
それでも振り返ればあたしの名を呼んでくれる彼。
「葉月ちゃん、ありがとう」
その表情を見たとき、あたしは微笑みでしか返せなかった。嬉しかったのはもちろんだけど、切なさの方が上回った。
蓮はただ童心にかえっている訳じゃないって、ここでやっとわかった気がしたんだ。あどけない顔をしていても昔と全く同じじゃない。もう二度と同じにはなれない。
こんなに胸が苦しいのは、きっと……
心に深い傷を負った人間にしか出来ない笑顔に見えたからだ。
なんだかセンチメンタルな気分になっちまったけど。
今の蓮の中に心からの喜びがあることは確かだと思うんだ。それが救いだ。あたしは彼の傷を知ってる。心も、身体も。
例え切なさが同時に訪れるとしても、この先1つ1つ願いを叶える過程でこんな顔をもっと見たい。
館内の中央部分にはバーカウンターのようなスペースがあって、あたしたちはそこでクリームソーダを買った。丸いテーブルに肘を乗せて立ったままくつろぐひととき。
蓮はさっきから横目でシロイルカの親子を眺めてる。青い光を纏った長い睫毛。食い入るようなその視線は何処か物憂げであたしはちょっぴり首を傾げた。
「なんだ、お前そんなにイルカが好きなん……」
そのとき足元の方からトン、と軽い振動を感じた。あたしはテーブル越しに覗き込み、蓮は振り返る形になった。
5歳くらいの小さな女の子が床にうつ伏せになってる。いや、コレは転んだんだな。
「大丈夫? 痛くないか?」
声をかけながらあたしは歩み寄った。でも先に女の子の手を取ったのは蓮だったんだ。
「だい、じょうぶ?」
側で屈んではいるものの、あたしの位置から蓮の顔はよく見えない。だけど女の子が円らな目を見開いたまま、こくりと頷くのがはっきり見えた。
「良かった」
「おにいちゃんの手、つめたいね」
起き上がりかけた女の子の顔にいっぱいの笑顔が満ちる瞬間を見た。
「わたしね、てぶくろしてきたの。だから手あったかいよ! おにいちゃんのあっためてあげよっか!?」
よっぽど気に入ってるんだろうか、室内でまで着けているピンクの手袋をあたしたち2人へ自慢げに見せてくる。甲の部分にウサギのマスコットがついた可愛いやつだ。
「おねえちゃんも手、つめたい?」
「ああ、あたしも多分冷たいな」
「じゃあ、ホラ!」
小さな手があたしたちの手を同時に掴んだ。その仕草だけでも悶えるくらい可愛いのに、ニコニコしながらあったかい? なんて訊いてくるもんだから、やべぇくらい頰が緩んじまう。
「あっ、すみません! 急に走っちゃダメじゃない、はるちゃん」
と、そこへあたしより少し年上くらいの女性が数回会釈をしながらやってきた。後ろをついてくる背の高い人はきっと旦那さん。そして横には小学校低学年くらいの男の子もいる。“はるちゃん”のお兄ちゃんかな。
4人の家族が遠のいていく。その中ではるちゃんは何度も振り返り、こっちに向かって手を振っていた。
「あたしたちもそろそろ行くか」
「ん……」
もういい時間。外も薄暗くなってる頃だろう。イルミネーションを眺めるっていう第2の楽しみがあるから、あたしの心は一層軽やかだった。
「わっ、見ろよ蓮! 外もすっげぇ綺麗だぞ!」
「ほんとだ」
「ちょっと歩いたらベンチが幾つかあるから少しだけ座って見てってもいいか?」
「うん」
そう、この建物の敷地内が人気のスポットであることも既にチェック済みだ。あまり長居する気はねぇけど、あたしだってちょっとくらいロマンチックな気分に浸りてぇんだよ。って、こんなストレートに言わねぇけどな!
星屑で出来ているかのようなアーチをくぐると、その先は水族館らしく魚や海洋生物を模したイルミネーションが飾られていた。うん、ちょっと早めに出てきたつもりだけど座る場所があるか心配になるな。まぁちょこっと歩きながらでもそれはそれでいいんだけど。
――イルカさん!
「おっ?」
何やら記憶に新しい声が届いてあたしはそっちを向いた。自慢の手袋をつけた手でイルカのイルミネーションを指差してる、さっき会ったばかりのはるちゃんじゃねぇか。
「ははっ。好奇心旺盛なんだなぁ、あの子。すっげぇ可愛い」
あたしが何気なく笑ったとき、きゅっと手を握られる感触があった。
「どうした、蓮。疲れたのか?」
「ん……大丈……」
「あのベンチ空いてるみたいだぞ。ちょっと座るか」
隣のベンチにカップルらしき2人の姿はあるけれどまぁ程々に距離はある。近くの自販機であったかいココアを買ってあたしたちもそこへ落ち着いた。
はるちゃんたち家族はまだあたしたちの視界の中に居る。ぼんやりと見つめていた蓮が、ぽつりと。
「葉月ちゃ……子ども、好き?」
こんなことを零した。それは唐突なようでそうでもないような、秘めていた言葉であるような、それでいて何処か寂しげな音色に思えてあたしの反応は遅れた。
「ああ。あたしは子ども好きだよ」
「…………」
(……って、そういうことか!)
やっと合点がいって腰を浮き上がらせた。蓮の手を軽く引いて。
――蓮は小さい子どもの声も駄目なのよ――
結婚前からママさん言ってたじゃねぇか。優しさとかの問題じゃない、蓮はどうしても受け止めきれないんだ。誰が悪い訳じゃないとわかっていても。イヤーマフしてたって辛いときはあるのかも知れない。
「そっか、わりぃわりぃ。もうちょっと人の少ない場所へ……」
でも蓮は立ち上がらなかった。それどころかあたしの手を軽く引き戻す。
「蓮?」
うつむいたままかぶりを振って。後に続いたのは意外な言葉だった。
「僕も……本当は、好き」
「え……」
ゆっくりと再び腰を下ろしたあたしを彼が真っ直ぐと見つめた。潤いを帯びながらも何処か熱を感じさせる瞳に魅入った。
今、どのイルミネーションよりも深く。
「僕…………本当は…………」
周囲の音が消えて、繋いだ手のぬくもりだけが残った。まだ全部言われてないのに、何割かは意味がわかった気がした。
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