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第3章/新婚時代はこんなんで
9.帰って来いよ
しおりを挟む蓮の家出を知った、夕方。
次にすべきことを見つけ出すまでに時間がかかったと思う。本当にここに居ないのかもう一度確認、蓮のスマホにもう一度電話、荷物はどれだけ持ち出されているかの確認……順序自体はそんなにおかしくないと思う。
だけど結果はどれもこれも虚しいものだった。
電話はやっぱり繋がらない。2つある充電器は片方持ち出されているけれど、まだ充電してないのか、出来ない状態なのか、電源を入れる気が無いのか……。
蓮がいつも使ってるトートバッグは無くなっていた。キャリーバッグとかボストンバッグといった大掛かりなものは残ったままだ。服もほんとんど全部がクローゼットに残ってる。
もしやと思ったんだけど、やっぱり。蓮の通帳も見当たらない。家計のやりくりをしているあたしの通帳にはもちろん手を出してない。ほんの少しの小遣いだけを持って出たらしい。そんな遠くには行ってない、行けるはずがないと思いたい。
ほんと見事に自分の物だけを持って行ったんだなとわかる。後先を考えてるとは思えない。そんな長く続くはずがないと、思いたい。
「蓮……お前の帰ってくる場所はここだぞ。ここでいいんだぞ」
涙で荒れた顔で天井を仰ぎ、掠れた声で呼びかけるも届くはずもない。そんなとき、1つの可能性に気付いた。
(実家は? それくらいの距離だったら移動できる金もあるだろうし、頼るとしたらそこしか無くね!?)
あたしはすぐさま自分のスマホを取り出した。そこでヒヤリと恐れが駆け上った。
(パパさん、ママさん、兄弟たちも、この話聞いたらなんて言うだろう)
きっと責められる。そんなことに怯えてる自分に気付いて、自分に平手打ちを食らわしたくなった。そんなこと考えてる場合じゃねぇだろ! って。
実際あたしがしたのは許されることじゃねぇ。心身弱ってる夫の話をちゃんと聞こうともせず、勝手にメモ帳見て、早とちりして罵声を浴びせるなんて。
いいんだ。蓮が無事に見つかればそれで。あたしはどれだけ罵られても構わねぇと覚悟が決まった。スマホの通話履歴に残ってた『葉山実家』の文字をタップした。
『あら、葉月さん?』
ちょうど夕飯の準備中くらいの中途半端な時間にかけてきたことに驚いたんだろう。ママさんの声はわずかに上ずってた。あたしは残る片方の拳をぎゅっと握る。スマホを持ってる方の手はじっとりと汗ばんだ。
「こんな時間に申し訳ありません。大事な話が……」
震える声であたしは切り出した。
誤魔化す気なんて無かった。自分のこと、正当化なんてしようが無いと思った。
だから全部伝えた。ここ最近であたしが見たもの、蓮にしてしまったこと、今日起こったこと。
ママさんは相変わらず落ち着いて聞いていたけれど、最後のくだりではさすがに、えっと声を上げた。当然だと思う。
罵声が来るならこの後だと思った。耐える覚悟だった。
でも……
『貴女にも怖い思いをさせてしまったのね、葉月さん』
あたしは目を見張った。信じられなかった。なんでこんなときまで……と再び涙が滲む。
「あたしのせいなんです。本当に申し訳ありません。謝って済まされることじゃないのはわかってます。あたしはこれから捜索願いを出そうと思います。必ず……見つけますから……っ」
『残念ながらこちらにも蓮から連絡は来てないわ。私たちも探します』
「本当にごめんなさ……っ……!」
『葉月さん。正直に言うと私も怖いわ。だけどあなたを過信して、丸投げしてしまった私たちにも責任はあるの。蓮と直接連絡をとることはほとんど無かった。放っておいた方がいいなんて勝手に結論付けた私の怠慢でもあるの』
信頼を、失った。それだけはわかった。ママさんは人間出来てるから、こんなときでも自動的に理性が働くってだけなんだろう。
『落ち着いて探しましょう。いい、葉月さん。結婚前に私がした話を思い出して。蓮は行動こそ危なっかしいけど、本気で死にたいと思ってたときなんて無いの。今回だってきっとそうよ。手紙にも書いてあるんでしょう? 私たちが信じなければ』
ママさん、あたし、頑張れるかな。この上なく情けない弱音が零れそうになる。だけどぐっと喉の奥に押し留めた。さっき言ってた通りだ。息子が行方不明になって怖くないはずがないんだ。この人も必死に立ち上がろうとしてんだ。
『私が知っている蓮の知り合いにも確認を取った方がいいと思うわ。もしかすると友人を頼ってるかも知れないから……」
「はい」
『幼馴染の子とかにもそれとなく……大丈夫かしら?』
幼馴染。花鈴ちゃんだとすぐに察しがついた。嫌な汗が滲む。だけどあたしに拒否する権利なんて無い。どう考えてもママさんは一応訊いてきただけだ。
警察に捜索願いを出すという手段は最初やり過ぎな感じもしたけど、さっきママさんも同意してた。蓮は死ぬ気はなくても限りなくそこへ近付いてしまうタイプ。何かあってからじゃ遅いもんな……。
だからあたしはママさんとの通話を終えた後、すぐに市の警察署に電話した。
電話に出た警察署の男性は、20代という若い年齢を聞いて、何か煮え切らないように唸ってた。夫婦喧嘩がキッカケだと聞いてさらに唸り声を上げてたから、あたしは正直に夫が障害者で自殺未遂の過去があることを打ち明ける。
そしたら……
『奥様、ご主人の勤務先の電話番号を教えてくれますか』
こう訊かれたんだ。あたしはヒヤリとした。
勤務先っていうものは無い。だけど蓮は在宅ワークの仕事をしている。これはやっぱり事務所に連絡が行くということだろうか。蓮はこれによって仕事を失ってしまうんじゃないだろうか。
「いや、あの……そこまでは……」
こんな感じで狼狽えたあたしに、電話の向こうの男性は一呼吸置いたように黙ってからはっきりとした口調で言った。
『わかりますけど。探したいんでしょう? なら必要な情報です』
……ごもっともだ。警察に捜索を頼むってことはこういうことなんだと今更知った。
葉山蓮。24歳男性。精神障害者福祉手帳所持、等級3級。飛び込み自殺の未遂あり。樹海に入る計画と思しき記録あり。記録されていた樹海の場所。在宅ワークの事務所の電話番号。
あたしは一通りの情報を伝えて電話を切った。電話が再び鳴ったのはそのすぐ後だった。
「坂口……?」
虚ろな意識ながらも表示された名前に少しは驚いた。職場ではよく話す相手ではあっても、電話をしてきたのなんて初めてだったから。
「はい、茅ヶ崎です……」
あたしの声はどんだけ弱々しかったんだろう。それとも涙声だったのか。電話の向こうの坂口はすぐに、どうしたの!? と訊いてきた。
もうこいつに隠す気なんてない。いつだってなんもかんも見透かされてきたから。そしてあたしは今凄く弱ってる。信頼できる相手なら尚更、このやり場の無い気持ちを受け止めてほしいって思いもあったんだ。
『茅ヶ崎さん、上の人には俺から連絡するよ。仕事のことは気にしなくていい。だから蓮くんの捜索を優先して!』
坂口はあたしに言い聞かす。そして、俺も車で市内を回ってみるから、蓮くんの特徴を教えてとまで言ってきた。
あたしが出かける前、蓮はまだ寝間着姿だった。どんな服着て行ったかもわからないなんて……。クローゼットの中身から推測するしかないのか。
ただ幸いと言えるのは、蓮はいつも似たような格好をしてるってことだ。白いパーカーにストレートデニム。A4サイズが入るくらいの麻のトートバッグ。それから白のイヤーマフ。写真があったら送ってと言われたから、それも送ることにした。ほんの数枚しか無い。これでわかるだろうかと心配になる。
『茅ヶ崎さんは家に居るんだよ。蓮くん何処かのタイミングで帰ってくるかも知れないし、こんな夜中に女性が1人で出歩くのも危ない。車持ってなかったよね?』
「うん……」
『大丈夫だよ。警察も探してくれてるんだから。必ず見つかるから、ね』
「うん……っ」
電話を切った後はまたガランとした虚無の空間に投げ出された。心配事はどんどん膨れ上がっていく。
24歳男性。何処まで真剣になって探してくれるだろうか。
市内の放送が秋の夜空に響く。頭がぼんやりして上手く聞き取れないけど、多分蓮のことを言ってる。
どうせ飲み歩いてるか電車で寝過ごしただけだろう。放送を聞いたほとんどの人がそう思うんじゃないだろうか。きっとそうだ。あたしだって正直、子どもと高齢者の失踪以外は軽く受け止めてた。どうせすぐ帰って来るんだろって。
だけど違うんだ。そんな簡単な話じゃないんだ。危ないことする可能性があるんだよ。女の子にだって見える容姿なんだよ。変な奴に捕まっちまう危険性だってあるんだよ。金もそんなに持ってないんだよ。声もほとんど出せないんだよ。
みんな適当に流さないでくれ。誰でもいいから協力してくれ。頼むよ……!!
「蓮……ッッ!!」
あたしはまた激しく嗚咽した。身体中の水分が流れ出しやつれていくあたしを魚たちと亀だけが静かに見ていた。
結局この日、警察と葉山の実家と坂口と、電話で何度かやりとりはしたけど、蓮が見つかったという情報は無かった。
あたし自身に異変が起きたのは翌日だ。
早朝の社内。カチャ、カチャ、と微かな音を立てながら実験道具を準備していく。誰かがあたしに素早く駆け寄ってきた。
「茅ヶ崎さん! なんで職場に居るの!? 気にしなくていいって俺言ったよね!?」
坂口はあたしの目線に合わせるように屈み、両肩を強く掴んだ。だけどあたしからはただ掠れ切った声が出るだけ。
「あたしが……頑張らなきゃ……蓮が帰ってくる場所……守らなきゃ……」
「茅ヶ崎さん……」
「あたしが……」
「いいんだよ。もういいんだ。茅ヶ崎さんは十分頑張ってる。ちゃんと家を守っているじゃない。お願いだよ。今日は帰って。帰ってきた蓮くんを一番に出迎えてあげて。蓮くんだってその方が嬉しいに決まってるでしょう!」
坂口の言葉は確かに染み渡ってくる。でも身体は乾き切っているのか、涙はもう出ない。
「おはようございますぅ~! あれ、お2人とも今朝は随分早いんですね」
「おはよう。って、どうしたんだい? この空気は」
姫島と水谷先輩がやってきた。2人とも、坂口の肩ごしにあたしの顔を見るなり、あんぐりと口を開いた。
――蓮、あたしな。
こんな状況だけど今無性にお前に会いたいよ。
戻りたいよ。あの優しい日々に。お前の優しさに満たされていた日々に。
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