あたしが大黒柱

七瀬渚

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第3章/新婚時代はこんなんで

8.独りにしないで(☆)

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「なんだよ、この封筒……なんなんだよ……」

 中身が気になる。でも開けるのが怖い。そんな葛藤が数分間続いた。

 手に伝わる無機質な質感。冷たさ。とても軽いのに氷みたいで、あたし自身も凍えてしまいそう。

 いつまでもこうしてる訳にもいかねぇと思ってやっと封を開いた。便箋は2枚入っていた。

 またもや現実逃避発動か。こんなときになってあたしは、蓮と出会ったばかりの頃を思い出した。なんだか懐かしく感じる字面を眺めながら、よくこうやって筆談で話したな、告白も筆談だったな……なんてじんわり感傷に浸った。

 蓮はだんだん話せるようになっていった。結婚してからは特に、筆談なんてほとんど使うことはなかった。でも本当はこうした方があいつは伝えやすいのかな……なんて思ったりして。


 なんでもっと向き合わなかったんだろう。こんなびっしり文字が詰まってる。全然足りてなかったじゃねぇかと、まだ内容を把握していないにも関わらず涙が滲みそうになる。なんとなく良い内容ではないなっていう予感だったのかも知れない。


「蓮……」


 あたしは文字を指でなぞった。普段そうしなくても読めるけど、愛おしくて、切なくて、触覚でも確かめたくなったんだ。


『葉月ちゃんへ』


 綴られていた文字は儚い声色となってあたしへ響く。


『今日は出かける予定はありませんでした。朝そう伝えました。だけど僕は家を出ようとしています。嘘になってしまってごめんなさい。本当にごめんなさい』

『僕はこの家が大好きです。葉月ちゃんの匂いが染み付いてるこの家が大好きです。どんなに暗いことを考えてもその気持ちは変わりませんでした。本当です』

『だけど僕は葉月ちゃんを泣かせてしまいました。一番泣かせなくない人を泣かせてしまいました。今の僕には葉月ちゃんを笑顔にさせてあげる力が足りないんだと思います』


「そんなことねぇよ……馬鹿かっ……! 何が面白くて一人で勝手に笑うんだよ。お前が居たからに決まってんだろ、馬鹿が……っ!!」


 答えてくれるはずもない紙面にみっともない声で怒鳴った。勝手に進んでいく話に焦燥がつのる。これの半分でもいい、あたしにちゃんと話してほしかったよって。


『あのメモは今度病院に行くときに持っていこうと思っていました。僕が一人で居るときによく考えてしまうことを纏めたものです。気分が沈んだときの状態をありのまま記録しておくことで、死にたくなる気持ちと闘おうと思ってました。僕、本当は生きたいから。葉月ちゃんと一緒に生きたいから』


「え……」


 あたしの手から手紙の一枚が滑り落ちた。カサ、と乾いた音がした。


 死ぬ為の計画じゃ……なかった?

 蓮は生きたいと思ってた?

 最悪の状態がどんな感じであるか、医者に知ってもらう為の記録、だって……?


 あたしは多分、数分くらい遅れて落とした2枚目の手紙を拾った。見開いた目で続きを追っていく。


『でも葉月ちゃん、もう苦しいと思います。別れたいと思うくらい苦しいと思います』


「ちが……っ! そういう意味じゃなくて……」


『葉月ちゃん、僕に生きててほしいって言ってくれたから、それは頑張ってみようと思います。だけど僕はもうこれ以上葉月ちゃんに辛い思いはさせたくありません』


「待って……蓮、待って……!」


『魚たちと亀、置いていってしまってごめんなさい。僕の最後の我儘です。僕よりよほどいい子たちです。育ててあげてほしいです』


「う……うぁ……ぁ……」


『僕も葉月ちゃんに生きていてほしいと思っています。葉月ちゃんが幸せになってほしいと心から願っています。でもそれは僕と一緒じゃ叶えられないから、僕はもう一度一人で頑張ってみます』


『大好きです、葉月ちゃん。僕を幸せにしてくれてありがとう。何も返せない僕でごめんなさい。ありがとう』


『元気でいて下さい。沢山食べて、沢山笑って、本当に自分の為に生きて下さい』


『さようなら』


 あたしは今度は2枚とも落とした。追いかけるように床に雪崩れた。魚たちと亀の餌やりと水槽の手入れの仕方が最後に書いてあるのがちらっと見えたけど、もう前がまともに見れない。もう、立ち上がることも出来そうにない。


「なんでそういうことになるんだよ、蓮……」


 やるせない思いで。出会ったばかりの頃の思い出。そうだ、蓮は追い詰められるとすぐ自分一人で結論付けてしまうんだと思い出した。

 それくらい限界だったんだ。心細かったんだ。


――おーい、蓮! メシ食うぞ!――


――蓮~~!?――


 そんなときにあたしはなんて乱暴だったんだろう。


――黙ってちゃわかんねぇんだけど――


 言いたくても言えないって、なんで察してやらなかったんだろう。


――いや、いいんだ。わかった。気分良くなったら来いよ。静かにしてっから――


 難しいこと考えずに、ただ黙って寄り添ってやれば良かっただけなのかも知れない。ヤケになって投げやりな言い方するなんてもってのほかだろう。


――訳わかんねーよ、お前!――


 大音量が苦手だって知ってんのに怒鳴り付けて、あたし……最低だ。


――こんなこと考えてるんだったら今すぐあたしと別れてくれ!!――


 全部蓮のせいにして、あたし、最低だ……!


 心細いときに打ちのめしたこと、今すぐに謝りたい。今すぐに抱き締めたい。

 でももう遅い。

 彼は何処かへ、手の届かないところへ行ってしまった。

 生きる為に頑張ってみるって書いてあるけど、それなら今までだってずっと頑張ってたはずだ。それでも魔がさすことがあるんだ、人間は。

 もしかするとまた、何かの拍子に……

 自分の命を投げだそうとして……


 そこまで考えたところであたしは限界を迎えた。両手をダァン! と床に叩きつけた後は、髪をぐしゃぐしゃに握り締めた。


「嫌……嫌だよ、蓮……」


 潰れた声で叫んだ。






「あたしを独りにしないでぇーーーーッッ!!」


 きっと床に幾つもの涙が散った。
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