あたしが大黒柱

七瀬渚

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第2章/恋人時代はこんなんで

3.恐るべし、白薔薇夫人!

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 雨の中とは言え外の空気を吸ったのが良かったのか、あるいは紫陽花のヒーリング効果と言ったところか、蓮の気分もいくらか良くなったみたいだ。あの後気持ち悪いとは言ってこなかったし、休憩挟んで正解だったかな。

 そうして蓮の実家に着いたのが午後1時半。早すぎず遅すぎず、約束の時間に合わせることが出来た。

 都会とも田舎とも言い難い場所だ。銀杏いちょうの並木道に沿った閑静な住宅街。洒落た白い壁面が際立つ二階建ての家屋を見上げて、はぁ~とため息が漏れる。

『葉山』の姓を示す表札はローマ字書きだ。ガレージの奥には紺とパステルブルーの車が2台。大がかりなガーデニングじゃないけれど、綺麗に咲き誇る紫陽花がここにもある。派手じゃない、だけど清潔感が漂っている。いや、ある意味清潔感ってこの上なく派手なんじゃないかと思い知らされるひととき。

(立派な家じゃねぇか)

 錆びのついた自転車やら、雑草を詰め込んだゴミ袋やら、ブッ壊れたバイクの収納ボックスやら、何かしら雑然としたモンが外に放り出されていたあたしの実家とは大違いだ。良く言えばセンスが良く、微妙な言い方をすれば生活感が無いっつーか……


 しかしあたしの脳内に於ける感想も、やがて一面の雪景色に遮られることとなる。


「いらっしゃい。遠いところ来て下さってありがとうございます」

「こ、こんにちは! は、はは初めてまして!」


 なんか儚げなぺっぴんさんが出てきたんですけど……!! え、姉さん? な訳ないよな、蓮は男兄弟しかいないって聞いたぞ。ってことは母さん! マジかよ。

 頭真っ白状態で深々とこうべを垂れるあたし。思考はろくに回らないんだけど、1つ明確になったこと。蓮は母親似だ、間違いなく。華奢な身体のラインに幼さの残る幸薄顔(とか言っちゃ失礼か?)、色素の薄い髪色までもが見事にそっくり。

 いま着ている服は白のブラウスに紺のミモレ丈スカート、ミディアムロングの髪はシュシュで1つに纏められてるんだけど、きっと和服とか似合うんだろうなって容易に想像がつく。それこそ紫陽花の前に立っていたら文句なしで絵になるような女性だ。親子揃って色彩センスまでよく似てんのな。


 やがてあたしたちを庭へ招き入れた蓮の母親がうっすらと微笑んで小ぶりな口を開く。

「まさか貴女だったなんて。蓮にはもったいないくらいの美人さんだわ」

 いやいやいや!! それこっちの台詞ですけど!? どっからどう見ても場違いだろ、あたし!

 思いっきり動揺はしたけれど、まぁ落ち着けと自分に言い聞かす。

 そりゃ最初はこんなこと言うだろうよ。よくある社交辞令ってやつだ。いえ~そんな~とか適当に濁しときゃいいんだ。間違えても出だし好調! なんて調子に乗るな。穏やかな顔してバッサリ切り捨てられるなんてことも大人の世界にはよくあるんだからな!?

 気合い入れてけ、あたし……!!

 本当は自身の両頬をパァンって叩きたい、そんな矢先、蓮の母親がもう一度振り返った。


「体調は大丈夫? 蓮」

「……はい」


 あたしはそこに見入った。親子揃って本当によく似ている。よく似た寂しい表情をしていたから。




 それからあたしたちはリビングに案内された。繊細なレースをまとった硝子ガラスのテーブルの上にハーブティーの入ったカップがそっと並べられる。ほんの小さな音しか立てない、なんとも品の良い振る舞いに見惚れてしまう。

「こちらも良かったらどうぞ」

 更にお手製のマドレーヌまで。程よいキツネ色の焼き加減にふっくら柔らかそうな質感が見て取れる。洋菓子屋に並んでいたってなんの不思議もない見事な出来栄えだ。私が持ってきた菓子折より高そうとかヤバくね?

 そういえば……

 夜勤やってるって、言ってたよな? 最初に電話で話したときはかなり憔悴した声に聞こえたんだけど、今じゃ儚さの中に凛とした強ささえ感じられる。厚化粧って訳でもないのに目立った肌荒れも見当たらない。クマはうっすら浮かんでいるようだけど……ってあんまジロジロ見ちゃ失礼だな。

 疲れているはずなのにおくびにも出さない。ともかくすげぇ人だって思うよ。


「改めまして、葉山はやま京香きょうかです」

「茅ヶ崎葉月です。宜しくお願い致します」

「…………」


 葉山京香と名乗ったその人と向き合う形で、あたしと蓮は並んで腰を下ろした。

 まず初めに話したのは、あたし自身のことに出会った後の経緯、何故この結論に至ったのかまで。蓮の母親は会話のキャッチボールが絶妙だ。堅苦しくならないよう微笑みを浮かべながら、時折あたしに対する質問を交えてくれる。


「蓮の看病までして下さったなんて。本当になんとお礼を申し上げて良いのか……」

「いえ、勝手に何度も押しかけてしまって、こちらこそ申し訳ありません」

「ほとんど毎日通って、ご飯を食べさせて、大変だったんじゃないの? 葉月さんもお忙しいのにこれからもそれを続けてくれるとおっしゃるの?」

「はい。それに……」


 あたしは一度喉を鳴らした。覚悟を決めるにはあまりに時間が足りなかったけど、あまり沈黙を続けて“戸惑い”と解釈されては困る。だからなるべく間を空けずに次を口にした。


「生意気を言うようですが、一方的に支えているつもりはありません。私(わたくし)も、蓮さんに支えられていると感じています」


「そう……良かったわ」


 蓮の母親が零した穏やかなため息は、何故か、少しだけ、怖かった。怖いくらい静かな時間がしばらく流れていた。


――蓮。


 やがて彼女はこう切り出した。


「ここからは葉月さんと2人で話がしたいわ」


 ちら、と横目で彼を見ると、ちょうど小さく頷いたところだった。やけに素直。蓮にとっては想定の範囲内だったんだろうか。

 蓮の母親は少しだけためらったように見えた。だけどやがてはしっかりと彼の顔を見据え、しっかりとした口調で問いかける。柔らかい微笑みでありながらも真剣な眼差しで。


「必要なことだと思うの。だから、葉月さんに本当のことを伝えても、いい?」


「…………はい」


 ゆっくりとした動きで席を立つ気配を隣に感じる。あたしは凍り付いて前を向いたままだ。

 蓮が席を外すように命じられた。それが意味することって……?

 “本当のこと”って、一体。


 緊張が高ぶる中、無情にも蓮の足音が遠のいていく。膝の上で拳を握り背筋をピンと伸ばしたあたしに、蓮の母親は少しだけ身を乗り出し品の良い声色でこう囁いた。


「支えられてるっておっしゃってくれたわね。まずはその辺を詳しく聞いてみたいわ」


 本当は少し前から気付いていたけれど、やっぱり気のせいなんかじゃないとこのとき確信した。

 儚げで凛とした人。なんの花が似合うだろうとやや現実逃避気味に考えてた。紫陽花か、雪柳か……その答えもいま判明したよ。


 白薔薇だ。

 この人の美麗な言葉の中には確かにとげがある。

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