あたしが大黒柱

七瀬渚

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第2章/恋人時代はこんなんで

2.置いていく訳ないだろ(☆)

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 あの後、蓮の母親とどんな会話をしたのか詳細には思い出せないんだけどな。そんぐらいあたしもいっぱいいっぱいだった。ただ当たり障りない敬語を並べ、その中でなんとか改めてご挨拶させて頂きたいという真剣な思いを込めたつもり。

 幸いだったのは蓮の母親が非常に落ち着いていたことだ。自殺未遂の時点でそう感じていた。もちろん表面上にすぎないんだろうけど、簡単に取り乱したり、ましてや詳細もわからない、顔も見えない、そんな相手に食ってかかるようなタイプじゃないらしい。


 てな訳で、まずは会ってお話ししましょうということになった。蓮の実家は隣県だ。ほとんど外に出ることの無い蓮にとって電車移動は相当負担になりそうだと考えて、あたしはレンタカーを借りることにした。

 前日から近所を走って練習しといたよ。ペーパードライバーって訳じゃないけど、あたしマイカーは持ってないんだよな。実家に帰ったときにちょっと使わせてもらうくらい。まぁ念には念をってやつだよ。


「蓮、気分は大丈夫か?」

「……ん、だいじょ……」


 蓮はいつもと似たような白のパーカーに無地の黒いパンツ(持ってる服が少ないんだけどデニムはさすがにやめとけって言った)それからいつものイヤーマフを装着してあたしの真後ろの後部座席に乗り込んだ。助手席は駄目らしい。正面で景色が流れていくのが怖い、チカチカして酔ってくる、そんなことを筆談で言ってた。

 お気に入りのタオルを持ってきたのは眠ってやり過ごしたいからだろうか。車も本当は苦手なんだろうな。もう少しの辛抱だぞ、蓮。胸の内で語りかけつつ運転席に乗り込む。

 ダスティなパステルグリーンのツーピースにローヒールのプレーンパンプス。スカートなんて久々だぞ。これで大丈夫だったか?ってな具合にいろいろ気になるところではあるんだけど、こっからは安全重視。蓮が酔わないようなるべく振動を立てず! とにかく集中だ。あたしは気合いを入れてハンドルを握った。


 話しかけない方がいいのかなと思ってた。だけど出発してから30分くらい経った頃。


――雨。


 細い声が後ろから聴こえて眠ってなかったんだと気付いた。ああ、本当は隣に居てやりたいな。小さな竜宮城みたいな空間で暮らしていたこいつが、今、どんな気持ちで陸の景色を見ているのか知りたい。

 あたしは少し寂しさを覚えつつ微笑む。ぽつり、ぽつりと、フロントガラスに舞い降りる雨粒を眺めながら。


「ああ、本当だ。降ってきたな」

「う……」

「どした?」


「きもち……わる……」

「ちょっ!? 待て待て待て!! ビニール袋渡したよな!? 頼むからちゃんとそこに……!」


 哀愁のひとときが一瞬で覚めたわ。つか、お天気中継より先にこっちを言ってくれないかね!?

 ともかく何処か休憩を取れるところはないだろうか。あたしはカーナビと前方、交互に目を向ける。早くも忙しないことになった。

 そう、こんな風にな。隣に居てやれないってなかなか歯痒いんだよ。


 そもそも吐くモンあるのかってくらい食の細い蓮なんだけど、コンビニのトイレから出てきたとき相当げっそりしてたからな、あたしは待ってる間に購入したミネラル補給のゼリーとスポーツドリンクを蓮に与えた。先に車に乗っけて自分はコンビニの屋根の下でカツサンドに噛り付く。

 野菜ジュースをお供に再び運転だ。そう思って気合いを入れ直したとき。

「蓮?」

 タオルを口元に寄せたままの彼が食い入るように見つめる先を目で追った。結構離れた位置でもよくわかる。青に紫、それからピンク色の……

 コンコン、と後部座席の窓を叩いた。ドアを薄く開いた蓮にあたしは提案した。

「行ってみるか? まだ時間あるし」

「……ん」


 再び車を動かしてわずか数分。駐車場に停めたなら、折り畳み傘に2人で入って先程目にした場所へと向かう。


「きれ……」

「あぁ、綺麗だな」


 そこはなかなかの広さを誇る公園だった。しかし蓮の視線は足元の一点に集中している。しとしとと優しく降り注ぐ天の恵を一身に受けて瑞々しく輝く紫陽花たち。

「お前こういう色好きだもんなぁ。お前んちの魚たちもこんな色の中で泳いでる」

 この声が、あたしの声が……今の蓮には届いていないような、気がして。煌めく梅雨の景色が、子どもみたいにしゃがんだ蓮を丸ごと抱え込んだまま遠のいていく気がして。

 胸が疼いたあたしはちょっと意地悪を言ってみたくなった。小さな雨音の中で、ぽつりと。


「なぁ、あたしとどっちが綺麗?」


 口にしてしまったすぐ後に、かあっと熱が込み上げた。

(バッカじゃねーの、あたし!!)

 いや間違いなく馬鹿だ。花にヤキモチとかタオルにヤキモチとか、最近のあたしはどうかしてる!

 なんだかいたたまれなくなってあたしは天を仰いで笑った。いや、正確には傘の骨を見つめていた。

 聴こえてませんように、聴こえてませんように……祈りを繰り返しながら自身までをも誤魔化していく。


「な~んてな……」

「葉月ちゃ……!」


 突然ガバッと勢いよくイヤーマフを外した蓮が。


「え?」


「葉月ちゃ、だよ!」


 ……蓮が、あたしのスカートの裾をぎゅっと握って見上げた。おい、なんつーとこ掴んでんだ。普段のあたしならそう突っ込みそうなところなのに……





 ここ最近で一番大きな声だったんだ。あたしを真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳。微妙に、ほんっとに微妙~に上がっている口角。多分、彼なりに笑いながら一生懸命想いを伝えようと、してるんだ。

 なんだか捨てられそうな仔犬みたいにも思えてくる。なぁに必死になってんだよ。花に夢中になってたくらいで見捨てる訳ねぇだろ、馬鹿。


「ありがとな。そろそろ行こう、濡れちまうぞ」

 あたしは雨粒のくっついたアッシュブラウンの髪をそっと撫でて促す。また来ようと言ってその細い腕を引き上げる。


 イヤーマフを片手にぶら下げ、あたしにぴたっと身体を寄せた蓮がいつまでもいつまでもこちらを見つめて。

「葉月ちゃ、だよ」

「うん、ありがとな」

「葉月ちゃ……きれい」

「わかったから……もう……!」

 やたら無邪気に言ってくるもんだから、自分がどんだけ恥ずかしいことをしてしまったのか実感が大きくなってくる。悪かったよ、もう意地悪しねぇから、マジ勘弁してくれ……!!


 あたしは反省した。自然や生活用品に妬いたってしょうがないだろって自分を叱咤した。だけどな……

 あのとき確かに感じた寂しさ。

 透明感のある蓮に花や魚や雨はあまりに似合いすぎてる。人工的な世界ではなくこっちにおいでよと、自然が彼を手招きしているようで怖かったってのもあるんだよ。


 ……って、やっぱ付き合う相手によって人は多少なりとも変わるもんなのかね。脳内に浮かんでくる言葉がいちいちポエミーで自分でもびっくりだ。

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