あたしが大黒柱

七瀬渚

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第1章/馴れ初めはこんなんで

7.何が“困る”というんだろう(☆)

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 蓮に告白と別れを告げられた日の夜。案の定酔いが回ったあたしは風呂に入るのも忘れて眠っちまった。化粧落とし忘れてなかったのが幸いだったな。あれ、特にアラサー以降にはすっげぇダメージだぜ。

 酒くせぇまんまなんて勘弁だから、翌朝はシャワー浴びてとっとと仕事に向かったよ。あんま疲れは取れてなかったな。酒で眠くなんのはゆっくり失神してるのと変わんねぇ状態なんて言うから、大して睡眠できちゃいなかったんだろうな。

 反省してたのにおんなじような夜を何度か過ごしちまった。あれから5日が経っている。まぁ、それでもあたしは中身が体育会系っていうか、気合いで乗り切れちまうタイプなんだけど。

 相談とかあんまする方じゃなかったんだけど、さすがにわらにも縋りたい気分だなぁ、なんて思ってた。社食のうどんに七味を振りかけながら誰がいいだろうと思考する(いつもは麺ものの中でも比較的血糖値の上がりにくい蕎麦をチョイスするのに、間違えてうどんの食券を買っちまったんだ。どんだけボケてんだよ、あたし)


 坂口はうぜぇからなぁ。聞き上手だとは思うけど、根掘り葉掘り突っ込まれるっていうオプション付きだ。

 地元友達の冴子さえこ。一番まともに聞いてくれそうだ。あぁ……でも、あいつ今3人の子ども抱えてる上に旦那がお触りOKのパブで大量に金使ったとかなんとかでブチ切れてるからなぁ。そういやあいつも姉さん女房だ。


――年下はやめときなァ!!――


 なんて、かつてのヤンキーヅラして一刀両断されるのが目に見えてる。自慢とか思われんのも嫌だしなぁ。


 親? 妹? 妹の旦那?


 い、え、ねぇぇぇ……!!


 褒められるとしたら若者の命を救ったところなんだろうけど、それ以外は突っ込みどころ満載じゃねぇか。通い詰めて、一緒に飯食って、魚眺めてキャッキャウフフしてるうちに後戻り出来ないくらい懐かれたなんて……


――責任持てないくせに深入りするんじゃありません!!――


 あぁ~~っ! コレだ。間違いなくコレだ!! だけどごもっともだろうよ。このお節介体質、我ながら嫌になってくるわ。


 そうやって自問自答と言えるのかも怪しいモンを繰り返している間に……

「あっれ~? 茅ヶ崎さん、何か悩み事かなぁ? どれ、先輩に言ってみなさい!」

「坂……口……ッ」

 一番来て欲しくなかった奴が来た。自分が頭を抱えてたことにようやく気が付いた。いつからあたしはこんなに態度に出やすくなったんだろう。つーか、先輩って何。おめぇ同期だろうが!

 あっ、と短く呟いた坂口は口元に手を添え身体をくねらせる仕草をしてみせる。キモい。

「もしかしてカレチと喧嘩かな~?」


 苛立つと誰だって注意力が散漫になる。


「そういうのじゃないですよ、まだ」

「まだ?」


 そしてあたしは口を滑らせた。



 そっからの時間はまさに地獄だった。まだって何? まだって何!? と聞いてくる坂口があまりにもうるせぇから、もうヤケになって差し障りのなさそうなところまで話しちまったよ。


「そっか……蓮くんからしたら茅ヶ崎さんは命の恩人だもんな。人目につくところでの自殺は、こんなはずじゃなかった! っていう悔しさから起こるって言うよ。本当は生きたかったと思うよ、彼も」

「助けて、それで終わるはずだったんですけどね」

「惚れられちゃったか~。魔性の女・茅ヶ崎葉月! さぁこれからどうする!?」

「だからそれを悩んでるんですよ!! アンサー求めて来ないで下さい。そんな簡単に出てきません!」


 人気ひとけの少なくなってきた社員食堂であたしは随分ムキになってしまった。驚いて振り返った人が何人か居たが、もうやるせなさが止まらない。


「本当は今でも心配なんです。一度死のうとしたってことは多分、今までにも何度も考えたってことだろ? 連絡全然来ねぇしよ、もしあいつがまた危ねぇ……危ないこと考えたら、困るんですよ」

 そう、あたしの心配事の大部分はそれだ。冷たく突き放してあいつが悲しんだら?このままサヨナラしてあいつがまた熱出しちまったら?

 きっと今でも震えて泣いてる。あのタオルを抱き締めながら……


 考えれば考えるほど悪い予感ばかりが大きくなってあたしはうつむいた。バレないようにそうしたんだけど、実は目頭が熱くなってた。


――茅ヶ崎さん。


 そのとき。


「“困る”って言ったね。なんで困るのか考えたことある?」


 やけに落ち着いた声があたしに届く。誰の声かと思ったくらいだ。いつものやかましさとは程遠くて。

「それは……っ、もちろん、あいつの命が……」

「失いたくない? 蓮くんのこと。茅ヶ崎さんは気付いてないみたいだけど、その声に現れてるよ。それね、もういろいろと飛び越えた感情に聞こえる。あと顔ね。あくまで他人と割り切ってる相手を思う顔には見えないっていうか、まず割り切れてたらそこまで悩まないでしょ」

 これが本当に坂口の声なのか? いつもこうだったら話しやすかったのにな、なんて思い始めてるあたしは自分で思う以上に弱ってるんだろうと思った。声が、震えてきてしまう。


「あたしはもうオバサンだ……!」


 蓮には相応しくない。そう言おうとした自分に驚愕する。


 あたし……何か劣等感を持ってた? 蓮に相応しいって思える立場だったら? ためらうこともなかったって、いうのか……?


 焦点が揺らいで定まらない。目の前に居るはずの坂口がなんだか遠く感じる。なのに奴の声は確かにあたしへ響いてくる。


「俺思ったんだけどさ、蓮くんってきっと茅ヶ崎さんが思う以上にわかってるんじゃないかな。好きな人を大切に思って、本当は傍に居たいのに遠慮してるんだよ? 子どもっぽくはないよね。立派な大人なんじゃない?」


 そして目覚めていく。おのずと起こった震えはついに坂口の一言に遮られる。


「蓮くんにとっては“葉月ちゃん”なんだよ」


 あたし。

 あたし……


 やっと、わかった。


「ありがど、坂口」

「うん、頑張って」


 なんかすんげぇみっともない声聞かせちまったけど。あたしは決めた。今日はきっちり定時で上がる。会いに行くって連絡を入れて。



 退勤後、夕暮れの空のもとを早足で進んだ。あたしの連絡に蓮はまた『はい』とだけ返した。返してくれて良かった。だけど……



――今までありがとうございました。葉月ちゃんに会えて良かったです。嬉しかったです――


――さようなら――



「勝手に締め括ってんじゃねぇよ、馬鹿野郎……!」


 あの悲しい言葉を体内で反芻はんすうする度に実感が生まれてくる。

 “困る”って言ったけど、これ、もう、罪悪感とかそういうのじゃない。単純にあたしが困るんだ。


――葉月ちゃんを失いたくないと思いました――


 あたしだって、蓮を失いたくないんだ……!



 はぁ、はぁ……


 アパートの前に辿り着いたとき、あたしは息を切らせていた。胸が苦しい。どんだけ早足で歩いてたんだろう。

 時計を確認すると時刻はまだ18時20分。まだ10分もある。予定通りにしなきゃ。気持ちは逸る一方だけど、ここは落ち着いて……


――ハヅキ、ちゃ……


「…………蓮?」


 ドアの向こうからか細い声が聴こえてあたしは顔を上げた。こいつ、まさか、ずっとここで……? 額の汗をハンカチで拭ったそのときにガチャ、とドアが開いた。


 寂しがりのウサギが、ちょこんと立ってあたしを見上げてる。ウサギみてぇに赤くなった目からみるみるうちに涙が溢れていく。

 背中で扉を閉じた。その瞬間、蓮の肩が縦に大きく震え出した。


「僕……嫌われた……おもっ……」

「そんな訳ねぇだろ!」


 全部聞き取れなくてもわかる。こいつが何を怖がっていたのか。私は蓮の両肩をそっと掴んだ。荒い口調はなかなか直んねぇけど、仕草くらいは優しくしたつもりだ。

 そしていくらか落ち着いたであろう頃にふところからあれを取り出す。


「これ。何度も読んだよ。ずっと持ってた」


 不器用なラブレターを前に突き出されて蓮はぎゅうっと唇を噛んだ。頰がほんのり染まってる。このままじゃ可哀想だと思ったあたしはついに覚悟を決めた。


「あたしもだよ」

「葉月……ちゃ……」


「あたしも好きだよ、蓮」


 こんなオバサンでわりぃなとか、もっと可愛い子を選べば良かったのにとか、いろいろ頭に浮かんでくるんだけど、それは全部胸の奥にしまっておく。


――蓮くんにとっては“葉月ちゃん”なんだよ――


 不覚にも坂口に気付かされることになった。あいつには今度何か奢ってやるか……ってそれはともかく、きっとこれがあたしらの真実だってわかったから。


 蓮がおずおずとあたしの脇腹に触れ、薄手のカットソーをきゅっと握る。多分泣きながら笑ってる。あたしは蓮の額にそっと唇をあてる。ぴくっと小さな振動があった。

(やべ、やり過ぎたか?)

 そう反省した矢先だったんだけど、あたしの視線はすぐに眼下へ釘付けになった。

 物欲しそうな表情。ヒールを履いてるあたしの高さに合わせてちょっと背を伸ばしたりなんかしてる。瞳を閉じて“して”って言ってる……多分。なんだこいつ、やべぇ可愛いんだけど。


 だけどここはがっついちゃいけねぇ。あくまでも優しく。そう、気分はジェントルメンで!


 両手でそっと色白な頰を手繰り寄せ、音も立てずに重ねた。





 見た目ではそんな目立ってなかったけど、思いのほかカサついた感触だった。タオルとばっかキスしてたせいで水分持っていかれたんだろ、こいつ。


 潤す程の行為はまだ早いだろう。だけど、あたしはちょっとタオルにヤキモチを妬いた。これからは半分でもいいからその役目、あたしが担ってやりたいと思ったんだ。

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