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1巻
1-3
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えーと、この実が素材になるものはなんだったっけ……俺はノートを取り出して、確認してみる。
マタタビスプレーだ。
マタタビスプレーのレシピに、緑の実と全く同じ絵が載っていた。ってことは、たぶんマタタビの実なんだろう。しかしマタタビスプレーって、何に役立つのか全く分からないな……でも生産すればするほど、スキルレベルが上がるんだったな。
スプレーは、マタタビの実を五つ集めれば作れるらしい。いっぱいなっているので、たくさん作れそうだ。何個か作ってみるか。
十個マタタビの実を採ってレシピを見ると、『作る』の文字が光っていた。文字を押すとスプレー缶が空中にポンッと出てきて、目の前に落ちる。
そういえば容器の材料っぽいものは集めてないが、それでも生産できるんだな……どういう理屈か分からんが、出てくるならそれでいいか。
スプレーの造りは、日本で使っていたものと変わらない。噴射ボタンを押してみると、プシュッと霧が噴き出た。
説明では、確か猫が好むんだっけな。俺は匂いを感じなかったが、猫には嗅げるのだろう。
もう一つ作ったところで、レシピノートが緑色の光を発した。材料が揃った時とは違う光り方だ。どうしたのかと調べてみたら、裏表紙の数字が2になっていた。
そういえば、スキルレベルは裏表紙で確かめられるんだったな。おそらく、今のでレベルが上がったのだろう。まだ三つしか生産していないのに、あっさり上がったな……まあ、最初だからかな。
レベルが上がったということで、生産出来るものが増えたのだろうか?
レシピノートを確認してみる。たぶんだけど、生産可能なものが増えたなら、レシピノートに新しいページが追加されるはずだ。
期待を込めて全てのページを見てみたが、別に増えていなかった。ちょっとがっかりだ……一定のレベルになったら一気に増えるって感じなのだろうか。
俺はため息を吐きながら、両手に持ったマタタビスプレーを眺める……使い道が思い浮かばない。
リュックサックに入りはするのだが、使わないものを持ち運びたくないし、捨てるか?
うーん……でも、もしかしたら何かに使えるかもだしな……ここは、一個だけ持っておくか。
リュックサックにスプレーを一個だけしまい、もう一個は地面に捨てて、木材集めを再開する。
頑張って木材を集めていると、黄色の草が目に留まった。これは……!?
俺は急いでノートを取り出して、栄養ポーションのページを開く。必要な素材を見ると、目の前にある草と全く同じ絵が載っていた。よし! やっぱりこれが、栄養草みたいだ。
必要な素材の量は、一個作るのに十本。見た感じ三十本ほど生えているから、これで栄養ポーションが三個生産できる。飢えを癒すと書いてあったから、今夜は空腹に悩まされずに済みそうだ。
俺は急いで栄養草を採集し、『作る』の文字を押した。
先ほどのスプレー同様、容れ物はそれらしき素材がなくても勝手に用意されていた。厚めのビンに黄色い液体が入っている。一個の量は栄養ドリンク程度に見える。これで本当に腹が膨れるのだろうか……正直ちょっと心配だが、ノートに書いてあった説明を信じよう。
念願の栄養ポーションを生産し、引き続き木材集めに勤しむ。だいぶ集まったと思うんだが、まだ足りないみたいだ。うーん、斧でもあればもっと楽に集められそうなもんだけど、残念ながら斧はまだレシピに載っていない。
ふと気付くと日が傾き始めていて、もうすぐ夜になる。流石に夜まで森にいる勇気はない。小屋で寝るためには、日があるうちに、集めきらないと!
俺は急いで採集を再開する。近くにある枝は集め尽くしたので、奥の方まで行くことにした。
少し進むとだいぶ落ちていたので、慌てて拾い集める。夢中になっていると、ガサッと音がした。
俺はびくっと身を竦め、咄嗟にかがみながら音のした方に目を向ける――何かいる。
小柄で角の生えた、毛むくじゃらの生き物だ。二本足で歩き、石斧と丸い木の盾を装備している。それが三体、たむろしていた。
なんだ、あれは。毛が生えていること以外は、ゴブリンという魔物のイメージにぴったりだ。とりあえず、ゴブリンと呼ぶことにしよう……って、のんきに呼び方なんか考えている場合じゃない。
幸い奴らはまだこっちに気付いていない。敵が三体で、武器を持っている以上、俺が勝つのは無理だろう。気付かれないように逃げよう……
身をかがめたまま、ゆっくりとゴブリン達から距離を取っていく。
――バキッ!
「あっ」
初歩的すぎるミス――木の枝を踏むという失態を犯してしまった。その音が静寂の森に響き渡り、ゴブリン達が一斉にこちらを向く。
バレました。完全に目が合っております。
あいつらが人間を見ても襲ってこない、善良な存在であるという可能性は……
「グギャア!!」
なかった。
雄叫びをあげながら、三体同時にこちらに走ってくる。
「うわっ!」
俺は情けない声を出しながら逃げる。手に持っていた木の剣は、ダッシュしているうちに落としてしまった。
捕まったら食われる! その恐怖で一心不乱に森を走る。しばらく走り続けると、ゴブリンどものわめき声が後ろから消えていた。どうやら諦めてくれたようだ。
「はぁ……はぁ……」
長距離を全力で走って息が切れた。調子に乗って奥まで入りすぎたのが悪かったな……今度からは森の手前で素材を集めよう。
反省しながら、俺は森を出た。木の剣は投げ捨ててしまったが、木材は背負ったままだ。これも捨てれば楽に逃げ切れたかもしれないが、それじゃせっかく奥まで探索に行った意味がないからな。
草原に戻ると、日が沈む寸前で、辺り一面が茜色に染まっている。さっき集めた量で足りなければ、今夜は野宿確定だ……なんとか足りているよう祈りながら、最後に集めた木材をリュックサックから取り出し、積み上げる。
すると、ノートが光を放った。
「お!」
急いでページをめくると、小屋レシピの『作る』の文字が、光り輝いていた。
ほっ……よかった……
早速、文字に触れて生産する。木で出来た小屋が目の前に出現した。自分より大きなものも一瞬で作れてしまうなんて、いかにも異世界もののスキルって感じで、ちょっと感動だ。ドキドキしながら扉を開けて中に入ってみると……まあ、分かっていたことだが、狭い。
足を伸ばすことは出来るが、寝返りをうつには窮屈というくらいの広さだ。リュックサックを枕にして寝転がってみる。床は木だし、当然硬い。これでは眠れん。周囲に生えている草をむしってきて、敷き詰めたらいくらかマシになった。刈ったばかりの草の匂いで寝苦しくはあるけれど、野晒しに比べたら贅沢は言っていられない。
寝床を確保して安心したら、腹が減ってきたな……
俺は体を起こし、栄養ポーションを試してみることにする。瓶のふたを開けて飲むと――に、にがっ!!
物凄く苦くて、思わず吐き出しそうになった。俺は苦いものが嫌いだ。でも、この状況で好き嫌いは言ってられない。普段なら無理だが、我慢して飲みきる。
すると、味はまずかったが、確かに空腹感がなくなっている。空腹以外にも、さっきから感じていた喉の渇きも消えている。水の代わりにもなるみたいだな。
一応の食事を済ませたところで、俺は横になる。
はぁ~……しんどいな……
まだ一日目だが、心が折れそうだ。木材集めは疲れるし、魔物の危険はあるし、食べ物はまずい。風呂も入れないし、寝床は硬い。いつまでこんな生活を送らなきゃいけないんだろう。そう考えると、憂鬱で仕方がない。
恵まれていないと思っていた日本での生活も、今思えば天国だったんだな……
元の世界に思いを馳せていると、クラスメイト達の顔が浮かんできた。
……俺がこんな目に遭っているのも、元はといえばあいつらが原因だ。本来ならば俺はSランクの領地で、ちゃんとした生活を送れるはずだったのに。
そうだ、あいつらを見返すと決めたんじゃないか。こんなところで心を折るわけにはいかない。
俺は再び気持ちを奮い立たせた。
4 遭遇
翌日――寝床にしている草の匂いを嗅ぎながら目を覚ました。起きたら全部夢で、自宅のフカフカベッドで寝ていた……なんてことはなく、狭苦しい小屋で草を布団代わりにしている。
昨日さんざん素材を探して歩き回ったせいで、体中筋肉痛だ。こんなことになるんなら、もっと運動していればよかったな……
大きく伸びをする。腹が減ってきたので、昨日の栄養ポーションを飲んだ。相変わらずまずい、まずすぎる。もっとうまいもん食べてーな……
生産スキルで料理も作れるようだが、素材として材料と、砂糖や塩のような調味料が必要だ。調味料は現在のレシピでは生産出来ない。スキルレベルを上げていけば、そのうち作れるようになるんだろうか……
あのリンゴみたいな赤い実は珍しいものだったみたいで、最初に見たあとは、一度も目にしていない。まあ、今は美味しさを追い求めている場合じゃないか。とにかく今日やることを決めよう。小屋も出来たし、今必要なものはやはり食料だ。食べなければ人は生きていけない。
生産した栄養ポーションは三個。二個飲んだので、残りはあと一個。まずいけどこれさえあれば餓死することはないので、もっと大量に生産しておきたい。食料がストックできていれば、精神的な安心感も違うだろう。
それから、スキルレベルも積極的に上げていきたい。1から2になった時はレシピが増えなかったけれど、『レベルが上がると生産出来るものが増える』と確かに説明に書いてある。5とか10とか、きりのいいレベルになった時に増えるんじゃないだろうか。
詳しいことはノートにも記されていないので、上げてみるまで分からない。そしてスキルレベルを上げるには、スキルを使って物を生産しまくる必要がある。
昨日落としたし、木の剣を作ってみるか……いや、剣より盾を作ろう。正直剣はあっても使いこなせる自信がない。昨日だって捨てて逃げてきたし、なんの役にも立たない気がする。盾ならまだ役立てられる場面がありそうだ。
他にも、気になっていた低級ホムンクルスを作るため、魔石とやらを探索したい。でも、まずは食料確保が最優先だ。
探索場所は森に決めた。ゴブリンに襲われたので恐怖心がないといったら嘘になるが、素材は森の中の方がたくさん落ちている。特に栄養草は森の中で採取したものだ。草原には生えていないのかもしれない。
栄養ポーションが当面の食料となる以上、大量に栄養草を集めるためには、森に行かないとな。
俺は森に踏み入ると、落ちていた木材を素材に、まずは盾を生産した。出てきたのは、木で出来た丸い盾だ。
攻撃手段がないので、敵と出くわしたら逃げるしかない。それでも盾があれば、防御出来るのでより安全性が高まるはずだ。
木材はそこら中に落ちている。片っ端から拾い集めて剣や盾を作成し、スキルレベルを上げようとも考えたが、やっぱりやめておいた。レベル上げに時間を使いすぎると、日が暮れたうえに栄養ポーションもないなんて事態になりかねん。
俺はなるべく森の奥へ入り込みすぎないように気を付けながら、探索を続ける。すると、赤い草を発見した。
あれは……!
すかさずレシピノートを確認すると――間違いない、生命力ポーションの生産に必要な『命の草』だ。よく見たら、命の草の隣に栄養草も生えている。それぞれ四十本くらいだろうか。
ラッキー! 早速採取するぞ!
生命力ポーションも栄養ポーションと同じで、一個作るのに必要な草の数は十本だ。四個ずつ作れる計算になる。俺は急いで命の草と栄養草を地面から引っこ抜いていく。
まずは生命力ポーションを生産してみると、栄養ポーションと同じく瓶に入っていた。中身の液体は赤色をしている。
続けて栄養ポーションを四つ生産する。最初の一個目を作ったところで、スキルレベルが上昇して、3になった。レシピノートを確認するが、まだ生産可能なレシピは増えないようだ。
ポーションをリュックサックにしまい、探索を続ける。生命力ポーションは四つあれば結構頼もしいけど、栄養ポーションは手持ちではまだ心もとない。もっともっと集めておきたい。
途中でゴブリンに出くわしもしたが、今回は音を立てるようなへまはしなかったから、バレずに済んだ。
しばらく探索を続けるも、栄養草はなかなか見つからない。だが、あのリンゴの味のする実がなっている低木を発見した。まずい栄養ポーションしか飲んでいない俺にとっては、かなりのごちそうだ。
とりあえず二つ食った……めっちゃうまい。最初に食った時よりうまく感じた。主食が栄養ポーションになっているからだろうか。三つ目……はやめておいた。貴重なうまい実だ。
赤い実は十五個採取出来た。赤い実というのもなんだし、名前を付けてみる。リンゴの味のする小さな実だし、『小リンゴ』でいいか。ちょっと安直すぎる気もするが……
ほかに小リンゴの実がないか探していると――
「グルルルル……」
心臓がビクッと高鳴った。獣の、唸り声……?
声が聞こえたほうに視線を向けると、茂みの中に凶悪な顔のネコ科の猛獣がいた。顔は虎そのものだが、大きさと色が違う。元の世界の虎に比べて、いくらか小さいような気がする。さらには色だ。特徴的な虎の縞模様は全く同じだが、黄色い部分が白で、黒い部分が赤だ。
思わずまじまじ見つめてしまったが……こっちに気付いている。睨み付けられて、恐怖しか感じない。
に、逃げるか?
いや……こういう動物は、背を向けたら追いかけてくるって、よく言うよな。ゴブリンからは逃げきれたが、虎にスピードで勝てる気はしない。背中から飛びかかられて、食われる未来が見える。
けど……なら、どうする? このままずっと睨み合っているしかないのか?
俺は役に立つかはともかく、木の盾を構えて虎と相対する。こいつが空腹でないなら、多分いなくなるはずだ、多分……
虎が満腹であることを祈りながら、睨み続ける。心臓はどくどくと暴れ、一筋の汗が頬を伝い、地面に落ちる。
「グルルルル……」
!?
後ろからも同じ唸り声が聞こえた。振り返ると、二匹目の虎がいた。こっちは白と青の縞模様だ……ってそんなことはどうでもいい。こいつ仲間がいたのか!?
虎って群れないイメージがあったが、異世界の虎は違うんだろうか。
俺は近くにあった木に背中を預け、とにかく背後を取られないようにする、すると二体の虎がぐるぐると俺の周囲を回り始めた。クソ、全力で俺を狩ろうとしてるじゃねーか。どうする、どうする?
考えていると――
「ガアアアアア!!」
片方の虎が飛びかかってきた。俺は咄嗟に盾を前に出す。偶然、その盾が虎の顔面に直撃し、怯んだ虎が後ろに下がる。
あ、あぶねー……今ので諦めてくれねーかな?
そう願ったのも束の間、虎達は再び、俺の周囲をぐるぐると回り始めた。狩りをやめる気はないようだ。
どうすりゃいいんだ。防げたのは完全にまぐれで、二度目はないだろう。
それに、さっきのは虎が連携に失敗して、一匹で飛びかかってしまったのかもしれない。本来なら二匹同時に飛びかかってくるつもりだったのだとしたら……死は免れないだろう。
クソ……ここでこいつらに食われて死んでしまうのか、俺は。そんなの嫌だ! 何か、何か方法はないか。こいつらがただの猫だったら、こんなにビビらなくていいんだが、虎だからな……
――猫?
猫といえば――マタタビ。そう、そういえば俺は、マタタビスプレーを生産していた。マタタビは猫を酔わせる効果がある。虎もネコ科の動物だ。同じように酔ったりしないだろうか。
……確証はない。酔ったら俺を攻撃してこないという保証もない。だが少なくとも何もしないよりかはマシだ。
ただ問題は、取り出せるかどうか……リュックサックの中だから、間に合わずに襲われるかもしれない。危険であるが……やるしかない。
俺はまず、リュックサックを背中から地面に下ろす。盾を構えながら片手でリュックサックを開き、手探りでマタタビスプレーを探す。ポーションの瓶も入っているので、すぐには見つからない。少しもたついていたら、今度は虎二匹が同時に飛びかかってきた。もうだめかと思った瞬間――
あった!!
すんでのところでマタタビスプレーが手に触れる。取り出して、虎達に噴きかけた。
「グルルルルル……」
マタタビスプレーを噴きかけた瞬間、虎達は喉を鳴らし、ぴたりと動きを止める。さらに、お座りのような体勢を取った。
な、なんだ?
予想外の行動に呆気にとられる。ネコ科の動物はマタタビを嗅ぐと酔うという話だったが、そんな様子でもない。ともかく、逃げるには今がチャンスなのは間違いない。俺はリュックサックを背負って、その場から背を向ける。すると、二匹が俺を追いかけてきた。
「うわ!」
あっという間に追い付かれてしまった。やばい、食われる! 俺は咄嗟に盾でガードするが――
「グルルルル」
虎二匹は俺を見たまま、再びお座りをする。
え? どゆこと? 襲う気はないらしいのに、なんで追ってくるんだこいつら。まさか……俺に懐いたとでもいうのか?
この世界のマタタビには、人に懐かせる効果があるのか? 虎達があまりに大人しくしているので、おそるおそる頭を撫でてみる。
「ガルル……」
虎は大人しく俺に撫でられている。表情を見る限り、気持ちいいみたいだ。もう一匹も撫でてほしいのか、俺にすり寄ってきて頭をこすりつける。リクエスト通り、そっちも撫でてやった。
こ、これは間違いない。まじで俺に懐いている。さっきまで俺を狩ろうとしていたのに、こんな状態になるなんて……マタタビスプレーには、本当に虎達を懐かせる効果があったようだ。何かに使えるかもしれないと思って、持っていて助かった。
さっきまで死ぬほど怖かった虎も、懐かれると可愛く見えるもんだ。愛着が湧いてきたので、名前を付けることにした。この二匹は、毛色と尻尾の長さがそれぞれ違う。赤くて尻尾の長いほうを『チョウ』、青くて尻尾の短いほうを『タン』と呼ぶことにした。
「お前はチョウで、お前はタンだ」
「「ガウ!」」
二匹がどことなく嬉しそうに鳴く。
……もっと考えて付けてやった方がよかったのか? 勢いでネーミングしたのはいいけれど、一体この二匹、どう扱ったものだろう。今の俺は自分の食料を確保するので精一杯だ。こいつらの世話をしてやれる余裕がない。
しかし、もうかなり懐かれているようだしなぁ……足が速いので、置いていくことも出来ない。かといって邪険にして嫌われたら、俺が殺されちゃったりして。
うーん……まあ、こいつら虎だし、自分で狩りくらい出来るんじゃなかろうか。今は狩りが出来るような装備もないからスルーしていたけれど、森では結構小動物を見かけるしな。
そう思った俺はチョウとタンの二匹を連れて、森の探索を続ける。
しばらく歩いていると、イノシシのような動物を見かけた。どうやら群からはぐれたようだ。まだ成長途中みたいで、サイズは大きくない。とはいっても、俺一人で倒して、餌として提供してやることは不可能だ。
チョウとタンはイノシシをじっと見つめているが、狩ろうとはしない。
俺を襲ったってことは、腹は減ってるはずなんだが……どうしたんだろう。俺は試しに、二匹に声をかけてみる。
「あのイノシシ、狩れるか?」
すると、途端に二匹が物凄い速度で駆け出し、イノシシに飛びかかった。
二匹で連携をしながら反撃を押さえ込み、足を攻撃して動きを封じる。さらに首元に噛みついて絶命させた。しかし、仕留めた獲物を食べることもなく、俺の元へと持ってくる。
「くれるのか?」
「「ガウ」」
チョウとタンは頷くような仕草をする。
まさかとは思うが……こいつら、俺の言葉を理解しているのか?
「食べていいぞ」
俺がそう言って初めて、チョウとタンはイノシシを食べ始めた。
これは……ガチで俺の指示を聞くようになっているようだ。もしかしたら、マタタビスプレーには人と動物の気持ちを通じ合わせる、特殊な効果でもあるのかもしれない。
チョウとタンの食事風景は、間近で見ると結構グロかった……野生の動物ドキュメンタリーをよく見てたから、慣れているつもりだったけどな……
ともかく、これで二匹が俺の指示を聞いてくれるようだと確認できた。なかなかすごい成果だ。なんといっても、これで肉を確保出来るようになる。苦いだけのまずい食事が、少しはマシになるぞ!
でも肉を食うには焼かないと駄目だよな……生のまま食う勇気は流石にない。火って、どうやって点ければいいんだろう。
レシピにライターなんて載ってなかったし……サバイバル知識がないから、火の熾し方も分からない。結局、まだ食事は栄養ポーションだけになりそうだな……
がっかりしつつも、チョウとタンが仲間になったのは心強い。今までは敵わなかった生物に襲われてもなんとかなりそうだ。いつもより行動範囲を広げて、素材を採っていこう。
というわけで、俺は今までは避けていた森の奥まで進んでみる。途中で見かけた草食動物は、二匹に命令して狩らせた。俺は食えないけど、チョウとタンの食事は必要だからな。
そのうちに、ゴブリンに出くわした。
チョウ達ってあいつらに勝てるのか? 石の斧を持ってるし、殴られたら結構なダメージじゃないか?
思いを巡らせていると、ゴブリンもこちらに気付いた。その途端、みるみるうちに表情が恐怖に染まり、一目散に逃げていってしまった。
チョウとタンを見て逃げたってことか? あれ……もしかしてゴブリンって、スゲー弱い? チョウとタンの食料になるかもしれないな。
「チョウ、タン。ゴブリンを倒してきてくれ」
指さしながら頼むと、二匹はすぐさま走り出し、ゴブリンを追いかける。俺でも逃げきれるくらいだから、ゴブリンの足はかなり遅い。あっさりと追い付かれ、仕留められてしまった。
チョウとタンが、獲物のゴブリンをくわえて運んでくる。俺は「よくやった」と二匹の頭を撫でる。
ゴブリンは身長百四十センチくらいと結構な大きさだ。チョウ達が仕留めた獲物がすでに何匹かいる。ゴブリンまで運びきれるかな……
悩みつつゴブリンを眺めていると、あることに気付いた。胸の辺りに、何かがある。顔を近付けてよく見ると、小さな灰色の石が胸に埋まっている。石には六芒星の模様が刻まれていた。
これって……見覚えがあるぞ!
急いでレシピノートを開いてみると……間違いない。これは『魔石』だ!
低級ホムンクルスのレシピには、必要な素材として『小さい魔石』の絵が載っている。見比べてみるが、ゴブリンについているのと全く同じものだ。このゴブリンから獲れる肉は十キロくらいありそうだし、もう一つの素材となる肉も揃いそうだ。なのに、今のところレシピノートでは生産可能になっていない。
もしかしたら、この魔石をゴブリンから抜き取らないといけないのかもしれない。
最初は手でやろうとしたが、無理だった。タンに命令すると、爪を器用に使って魔石を取り出してくれた。
俺が魔石を手にした瞬間、レシピノートが反応する。低級ホムンクルスのレシピにある『作る』の文字が光を放っていた。
マタタビスプレーだ。
マタタビスプレーのレシピに、緑の実と全く同じ絵が載っていた。ってことは、たぶんマタタビの実なんだろう。しかしマタタビスプレーって、何に役立つのか全く分からないな……でも生産すればするほど、スキルレベルが上がるんだったな。
スプレーは、マタタビの実を五つ集めれば作れるらしい。いっぱいなっているので、たくさん作れそうだ。何個か作ってみるか。
十個マタタビの実を採ってレシピを見ると、『作る』の文字が光っていた。文字を押すとスプレー缶が空中にポンッと出てきて、目の前に落ちる。
そういえば容器の材料っぽいものは集めてないが、それでも生産できるんだな……どういう理屈か分からんが、出てくるならそれでいいか。
スプレーの造りは、日本で使っていたものと変わらない。噴射ボタンを押してみると、プシュッと霧が噴き出た。
説明では、確か猫が好むんだっけな。俺は匂いを感じなかったが、猫には嗅げるのだろう。
もう一つ作ったところで、レシピノートが緑色の光を発した。材料が揃った時とは違う光り方だ。どうしたのかと調べてみたら、裏表紙の数字が2になっていた。
そういえば、スキルレベルは裏表紙で確かめられるんだったな。おそらく、今のでレベルが上がったのだろう。まだ三つしか生産していないのに、あっさり上がったな……まあ、最初だからかな。
レベルが上がったということで、生産出来るものが増えたのだろうか?
レシピノートを確認してみる。たぶんだけど、生産可能なものが増えたなら、レシピノートに新しいページが追加されるはずだ。
期待を込めて全てのページを見てみたが、別に増えていなかった。ちょっとがっかりだ……一定のレベルになったら一気に増えるって感じなのだろうか。
俺はため息を吐きながら、両手に持ったマタタビスプレーを眺める……使い道が思い浮かばない。
リュックサックに入りはするのだが、使わないものを持ち運びたくないし、捨てるか?
うーん……でも、もしかしたら何かに使えるかもだしな……ここは、一個だけ持っておくか。
リュックサックにスプレーを一個だけしまい、もう一個は地面に捨てて、木材集めを再開する。
頑張って木材を集めていると、黄色の草が目に留まった。これは……!?
俺は急いでノートを取り出して、栄養ポーションのページを開く。必要な素材を見ると、目の前にある草と全く同じ絵が載っていた。よし! やっぱりこれが、栄養草みたいだ。
必要な素材の量は、一個作るのに十本。見た感じ三十本ほど生えているから、これで栄養ポーションが三個生産できる。飢えを癒すと書いてあったから、今夜は空腹に悩まされずに済みそうだ。
俺は急いで栄養草を採集し、『作る』の文字を押した。
先ほどのスプレー同様、容れ物はそれらしき素材がなくても勝手に用意されていた。厚めのビンに黄色い液体が入っている。一個の量は栄養ドリンク程度に見える。これで本当に腹が膨れるのだろうか……正直ちょっと心配だが、ノートに書いてあった説明を信じよう。
念願の栄養ポーションを生産し、引き続き木材集めに勤しむ。だいぶ集まったと思うんだが、まだ足りないみたいだ。うーん、斧でもあればもっと楽に集められそうなもんだけど、残念ながら斧はまだレシピに載っていない。
ふと気付くと日が傾き始めていて、もうすぐ夜になる。流石に夜まで森にいる勇気はない。小屋で寝るためには、日があるうちに、集めきらないと!
俺は急いで採集を再開する。近くにある枝は集め尽くしたので、奥の方まで行くことにした。
少し進むとだいぶ落ちていたので、慌てて拾い集める。夢中になっていると、ガサッと音がした。
俺はびくっと身を竦め、咄嗟にかがみながら音のした方に目を向ける――何かいる。
小柄で角の生えた、毛むくじゃらの生き物だ。二本足で歩き、石斧と丸い木の盾を装備している。それが三体、たむろしていた。
なんだ、あれは。毛が生えていること以外は、ゴブリンという魔物のイメージにぴったりだ。とりあえず、ゴブリンと呼ぶことにしよう……って、のんきに呼び方なんか考えている場合じゃない。
幸い奴らはまだこっちに気付いていない。敵が三体で、武器を持っている以上、俺が勝つのは無理だろう。気付かれないように逃げよう……
身をかがめたまま、ゆっくりとゴブリン達から距離を取っていく。
――バキッ!
「あっ」
初歩的すぎるミス――木の枝を踏むという失態を犯してしまった。その音が静寂の森に響き渡り、ゴブリン達が一斉にこちらを向く。
バレました。完全に目が合っております。
あいつらが人間を見ても襲ってこない、善良な存在であるという可能性は……
「グギャア!!」
なかった。
雄叫びをあげながら、三体同時にこちらに走ってくる。
「うわっ!」
俺は情けない声を出しながら逃げる。手に持っていた木の剣は、ダッシュしているうちに落としてしまった。
捕まったら食われる! その恐怖で一心不乱に森を走る。しばらく走り続けると、ゴブリンどものわめき声が後ろから消えていた。どうやら諦めてくれたようだ。
「はぁ……はぁ……」
長距離を全力で走って息が切れた。調子に乗って奥まで入りすぎたのが悪かったな……今度からは森の手前で素材を集めよう。
反省しながら、俺は森を出た。木の剣は投げ捨ててしまったが、木材は背負ったままだ。これも捨てれば楽に逃げ切れたかもしれないが、それじゃせっかく奥まで探索に行った意味がないからな。
草原に戻ると、日が沈む寸前で、辺り一面が茜色に染まっている。さっき集めた量で足りなければ、今夜は野宿確定だ……なんとか足りているよう祈りながら、最後に集めた木材をリュックサックから取り出し、積み上げる。
すると、ノートが光を放った。
「お!」
急いでページをめくると、小屋レシピの『作る』の文字が、光り輝いていた。
ほっ……よかった……
早速、文字に触れて生産する。木で出来た小屋が目の前に出現した。自分より大きなものも一瞬で作れてしまうなんて、いかにも異世界もののスキルって感じで、ちょっと感動だ。ドキドキしながら扉を開けて中に入ってみると……まあ、分かっていたことだが、狭い。
足を伸ばすことは出来るが、寝返りをうつには窮屈というくらいの広さだ。リュックサックを枕にして寝転がってみる。床は木だし、当然硬い。これでは眠れん。周囲に生えている草をむしってきて、敷き詰めたらいくらかマシになった。刈ったばかりの草の匂いで寝苦しくはあるけれど、野晒しに比べたら贅沢は言っていられない。
寝床を確保して安心したら、腹が減ってきたな……
俺は体を起こし、栄養ポーションを試してみることにする。瓶のふたを開けて飲むと――に、にがっ!!
物凄く苦くて、思わず吐き出しそうになった。俺は苦いものが嫌いだ。でも、この状況で好き嫌いは言ってられない。普段なら無理だが、我慢して飲みきる。
すると、味はまずかったが、確かに空腹感がなくなっている。空腹以外にも、さっきから感じていた喉の渇きも消えている。水の代わりにもなるみたいだな。
一応の食事を済ませたところで、俺は横になる。
はぁ~……しんどいな……
まだ一日目だが、心が折れそうだ。木材集めは疲れるし、魔物の危険はあるし、食べ物はまずい。風呂も入れないし、寝床は硬い。いつまでこんな生活を送らなきゃいけないんだろう。そう考えると、憂鬱で仕方がない。
恵まれていないと思っていた日本での生活も、今思えば天国だったんだな……
元の世界に思いを馳せていると、クラスメイト達の顔が浮かんできた。
……俺がこんな目に遭っているのも、元はといえばあいつらが原因だ。本来ならば俺はSランクの領地で、ちゃんとした生活を送れるはずだったのに。
そうだ、あいつらを見返すと決めたんじゃないか。こんなところで心を折るわけにはいかない。
俺は再び気持ちを奮い立たせた。
4 遭遇
翌日――寝床にしている草の匂いを嗅ぎながら目を覚ました。起きたら全部夢で、自宅のフカフカベッドで寝ていた……なんてことはなく、狭苦しい小屋で草を布団代わりにしている。
昨日さんざん素材を探して歩き回ったせいで、体中筋肉痛だ。こんなことになるんなら、もっと運動していればよかったな……
大きく伸びをする。腹が減ってきたので、昨日の栄養ポーションを飲んだ。相変わらずまずい、まずすぎる。もっとうまいもん食べてーな……
生産スキルで料理も作れるようだが、素材として材料と、砂糖や塩のような調味料が必要だ。調味料は現在のレシピでは生産出来ない。スキルレベルを上げていけば、そのうち作れるようになるんだろうか……
あのリンゴみたいな赤い実は珍しいものだったみたいで、最初に見たあとは、一度も目にしていない。まあ、今は美味しさを追い求めている場合じゃないか。とにかく今日やることを決めよう。小屋も出来たし、今必要なものはやはり食料だ。食べなければ人は生きていけない。
生産した栄養ポーションは三個。二個飲んだので、残りはあと一個。まずいけどこれさえあれば餓死することはないので、もっと大量に生産しておきたい。食料がストックできていれば、精神的な安心感も違うだろう。
それから、スキルレベルも積極的に上げていきたい。1から2になった時はレシピが増えなかったけれど、『レベルが上がると生産出来るものが増える』と確かに説明に書いてある。5とか10とか、きりのいいレベルになった時に増えるんじゃないだろうか。
詳しいことはノートにも記されていないので、上げてみるまで分からない。そしてスキルレベルを上げるには、スキルを使って物を生産しまくる必要がある。
昨日落としたし、木の剣を作ってみるか……いや、剣より盾を作ろう。正直剣はあっても使いこなせる自信がない。昨日だって捨てて逃げてきたし、なんの役にも立たない気がする。盾ならまだ役立てられる場面がありそうだ。
他にも、気になっていた低級ホムンクルスを作るため、魔石とやらを探索したい。でも、まずは食料確保が最優先だ。
探索場所は森に決めた。ゴブリンに襲われたので恐怖心がないといったら嘘になるが、素材は森の中の方がたくさん落ちている。特に栄養草は森の中で採取したものだ。草原には生えていないのかもしれない。
栄養ポーションが当面の食料となる以上、大量に栄養草を集めるためには、森に行かないとな。
俺は森に踏み入ると、落ちていた木材を素材に、まずは盾を生産した。出てきたのは、木で出来た丸い盾だ。
攻撃手段がないので、敵と出くわしたら逃げるしかない。それでも盾があれば、防御出来るのでより安全性が高まるはずだ。
木材はそこら中に落ちている。片っ端から拾い集めて剣や盾を作成し、スキルレベルを上げようとも考えたが、やっぱりやめておいた。レベル上げに時間を使いすぎると、日が暮れたうえに栄養ポーションもないなんて事態になりかねん。
俺はなるべく森の奥へ入り込みすぎないように気を付けながら、探索を続ける。すると、赤い草を発見した。
あれは……!
すかさずレシピノートを確認すると――間違いない、生命力ポーションの生産に必要な『命の草』だ。よく見たら、命の草の隣に栄養草も生えている。それぞれ四十本くらいだろうか。
ラッキー! 早速採取するぞ!
生命力ポーションも栄養ポーションと同じで、一個作るのに必要な草の数は十本だ。四個ずつ作れる計算になる。俺は急いで命の草と栄養草を地面から引っこ抜いていく。
まずは生命力ポーションを生産してみると、栄養ポーションと同じく瓶に入っていた。中身の液体は赤色をしている。
続けて栄養ポーションを四つ生産する。最初の一個目を作ったところで、スキルレベルが上昇して、3になった。レシピノートを確認するが、まだ生産可能なレシピは増えないようだ。
ポーションをリュックサックにしまい、探索を続ける。生命力ポーションは四つあれば結構頼もしいけど、栄養ポーションは手持ちではまだ心もとない。もっともっと集めておきたい。
途中でゴブリンに出くわしもしたが、今回は音を立てるようなへまはしなかったから、バレずに済んだ。
しばらく探索を続けるも、栄養草はなかなか見つからない。だが、あのリンゴの味のする実がなっている低木を発見した。まずい栄養ポーションしか飲んでいない俺にとっては、かなりのごちそうだ。
とりあえず二つ食った……めっちゃうまい。最初に食った時よりうまく感じた。主食が栄養ポーションになっているからだろうか。三つ目……はやめておいた。貴重なうまい実だ。
赤い実は十五個採取出来た。赤い実というのもなんだし、名前を付けてみる。リンゴの味のする小さな実だし、『小リンゴ』でいいか。ちょっと安直すぎる気もするが……
ほかに小リンゴの実がないか探していると――
「グルルルル……」
心臓がビクッと高鳴った。獣の、唸り声……?
声が聞こえたほうに視線を向けると、茂みの中に凶悪な顔のネコ科の猛獣がいた。顔は虎そのものだが、大きさと色が違う。元の世界の虎に比べて、いくらか小さいような気がする。さらには色だ。特徴的な虎の縞模様は全く同じだが、黄色い部分が白で、黒い部分が赤だ。
思わずまじまじ見つめてしまったが……こっちに気付いている。睨み付けられて、恐怖しか感じない。
に、逃げるか?
いや……こういう動物は、背を向けたら追いかけてくるって、よく言うよな。ゴブリンからは逃げきれたが、虎にスピードで勝てる気はしない。背中から飛びかかられて、食われる未来が見える。
けど……なら、どうする? このままずっと睨み合っているしかないのか?
俺は役に立つかはともかく、木の盾を構えて虎と相対する。こいつが空腹でないなら、多分いなくなるはずだ、多分……
虎が満腹であることを祈りながら、睨み続ける。心臓はどくどくと暴れ、一筋の汗が頬を伝い、地面に落ちる。
「グルルルル……」
!?
後ろからも同じ唸り声が聞こえた。振り返ると、二匹目の虎がいた。こっちは白と青の縞模様だ……ってそんなことはどうでもいい。こいつ仲間がいたのか!?
虎って群れないイメージがあったが、異世界の虎は違うんだろうか。
俺は近くにあった木に背中を預け、とにかく背後を取られないようにする、すると二体の虎がぐるぐると俺の周囲を回り始めた。クソ、全力で俺を狩ろうとしてるじゃねーか。どうする、どうする?
考えていると――
「ガアアアアア!!」
片方の虎が飛びかかってきた。俺は咄嗟に盾を前に出す。偶然、その盾が虎の顔面に直撃し、怯んだ虎が後ろに下がる。
あ、あぶねー……今ので諦めてくれねーかな?
そう願ったのも束の間、虎達は再び、俺の周囲をぐるぐると回り始めた。狩りをやめる気はないようだ。
どうすりゃいいんだ。防げたのは完全にまぐれで、二度目はないだろう。
それに、さっきのは虎が連携に失敗して、一匹で飛びかかってしまったのかもしれない。本来なら二匹同時に飛びかかってくるつもりだったのだとしたら……死は免れないだろう。
クソ……ここでこいつらに食われて死んでしまうのか、俺は。そんなの嫌だ! 何か、何か方法はないか。こいつらがただの猫だったら、こんなにビビらなくていいんだが、虎だからな……
――猫?
猫といえば――マタタビ。そう、そういえば俺は、マタタビスプレーを生産していた。マタタビは猫を酔わせる効果がある。虎もネコ科の動物だ。同じように酔ったりしないだろうか。
……確証はない。酔ったら俺を攻撃してこないという保証もない。だが少なくとも何もしないよりかはマシだ。
ただ問題は、取り出せるかどうか……リュックサックの中だから、間に合わずに襲われるかもしれない。危険であるが……やるしかない。
俺はまず、リュックサックを背中から地面に下ろす。盾を構えながら片手でリュックサックを開き、手探りでマタタビスプレーを探す。ポーションの瓶も入っているので、すぐには見つからない。少しもたついていたら、今度は虎二匹が同時に飛びかかってきた。もうだめかと思った瞬間――
あった!!
すんでのところでマタタビスプレーが手に触れる。取り出して、虎達に噴きかけた。
「グルルルルル……」
マタタビスプレーを噴きかけた瞬間、虎達は喉を鳴らし、ぴたりと動きを止める。さらに、お座りのような体勢を取った。
な、なんだ?
予想外の行動に呆気にとられる。ネコ科の動物はマタタビを嗅ぐと酔うという話だったが、そんな様子でもない。ともかく、逃げるには今がチャンスなのは間違いない。俺はリュックサックを背負って、その場から背を向ける。すると、二匹が俺を追いかけてきた。
「うわ!」
あっという間に追い付かれてしまった。やばい、食われる! 俺は咄嗟に盾でガードするが――
「グルルルル」
虎二匹は俺を見たまま、再びお座りをする。
え? どゆこと? 襲う気はないらしいのに、なんで追ってくるんだこいつら。まさか……俺に懐いたとでもいうのか?
この世界のマタタビには、人に懐かせる効果があるのか? 虎達があまりに大人しくしているので、おそるおそる頭を撫でてみる。
「ガルル……」
虎は大人しく俺に撫でられている。表情を見る限り、気持ちいいみたいだ。もう一匹も撫でてほしいのか、俺にすり寄ってきて頭をこすりつける。リクエスト通り、そっちも撫でてやった。
こ、これは間違いない。まじで俺に懐いている。さっきまで俺を狩ろうとしていたのに、こんな状態になるなんて……マタタビスプレーには、本当に虎達を懐かせる効果があったようだ。何かに使えるかもしれないと思って、持っていて助かった。
さっきまで死ぬほど怖かった虎も、懐かれると可愛く見えるもんだ。愛着が湧いてきたので、名前を付けることにした。この二匹は、毛色と尻尾の長さがそれぞれ違う。赤くて尻尾の長いほうを『チョウ』、青くて尻尾の短いほうを『タン』と呼ぶことにした。
「お前はチョウで、お前はタンだ」
「「ガウ!」」
二匹がどことなく嬉しそうに鳴く。
……もっと考えて付けてやった方がよかったのか? 勢いでネーミングしたのはいいけれど、一体この二匹、どう扱ったものだろう。今の俺は自分の食料を確保するので精一杯だ。こいつらの世話をしてやれる余裕がない。
しかし、もうかなり懐かれているようだしなぁ……足が速いので、置いていくことも出来ない。かといって邪険にして嫌われたら、俺が殺されちゃったりして。
うーん……まあ、こいつら虎だし、自分で狩りくらい出来るんじゃなかろうか。今は狩りが出来るような装備もないからスルーしていたけれど、森では結構小動物を見かけるしな。
そう思った俺はチョウとタンの二匹を連れて、森の探索を続ける。
しばらく歩いていると、イノシシのような動物を見かけた。どうやら群からはぐれたようだ。まだ成長途中みたいで、サイズは大きくない。とはいっても、俺一人で倒して、餌として提供してやることは不可能だ。
チョウとタンはイノシシをじっと見つめているが、狩ろうとはしない。
俺を襲ったってことは、腹は減ってるはずなんだが……どうしたんだろう。俺は試しに、二匹に声をかけてみる。
「あのイノシシ、狩れるか?」
すると、途端に二匹が物凄い速度で駆け出し、イノシシに飛びかかった。
二匹で連携をしながら反撃を押さえ込み、足を攻撃して動きを封じる。さらに首元に噛みついて絶命させた。しかし、仕留めた獲物を食べることもなく、俺の元へと持ってくる。
「くれるのか?」
「「ガウ」」
チョウとタンは頷くような仕草をする。
まさかとは思うが……こいつら、俺の言葉を理解しているのか?
「食べていいぞ」
俺がそう言って初めて、チョウとタンはイノシシを食べ始めた。
これは……ガチで俺の指示を聞くようになっているようだ。もしかしたら、マタタビスプレーには人と動物の気持ちを通じ合わせる、特殊な効果でもあるのかもしれない。
チョウとタンの食事風景は、間近で見ると結構グロかった……野生の動物ドキュメンタリーをよく見てたから、慣れているつもりだったけどな……
ともかく、これで二匹が俺の指示を聞いてくれるようだと確認できた。なかなかすごい成果だ。なんといっても、これで肉を確保出来るようになる。苦いだけのまずい食事が、少しはマシになるぞ!
でも肉を食うには焼かないと駄目だよな……生のまま食う勇気は流石にない。火って、どうやって点ければいいんだろう。
レシピにライターなんて載ってなかったし……サバイバル知識がないから、火の熾し方も分からない。結局、まだ食事は栄養ポーションだけになりそうだな……
がっかりしつつも、チョウとタンが仲間になったのは心強い。今までは敵わなかった生物に襲われてもなんとかなりそうだ。いつもより行動範囲を広げて、素材を採っていこう。
というわけで、俺は今までは避けていた森の奥まで進んでみる。途中で見かけた草食動物は、二匹に命令して狩らせた。俺は食えないけど、チョウとタンの食事は必要だからな。
そのうちに、ゴブリンに出くわした。
チョウ達ってあいつらに勝てるのか? 石の斧を持ってるし、殴られたら結構なダメージじゃないか?
思いを巡らせていると、ゴブリンもこちらに気付いた。その途端、みるみるうちに表情が恐怖に染まり、一目散に逃げていってしまった。
チョウとタンを見て逃げたってことか? あれ……もしかしてゴブリンって、スゲー弱い? チョウとタンの食料になるかもしれないな。
「チョウ、タン。ゴブリンを倒してきてくれ」
指さしながら頼むと、二匹はすぐさま走り出し、ゴブリンを追いかける。俺でも逃げきれるくらいだから、ゴブリンの足はかなり遅い。あっさりと追い付かれ、仕留められてしまった。
チョウとタンが、獲物のゴブリンをくわえて運んでくる。俺は「よくやった」と二匹の頭を撫でる。
ゴブリンは身長百四十センチくらいと結構な大きさだ。チョウ達が仕留めた獲物がすでに何匹かいる。ゴブリンまで運びきれるかな……
悩みつつゴブリンを眺めていると、あることに気付いた。胸の辺りに、何かがある。顔を近付けてよく見ると、小さな灰色の石が胸に埋まっている。石には六芒星の模様が刻まれていた。
これって……見覚えがあるぞ!
急いでレシピノートを開いてみると……間違いない。これは『魔石』だ!
低級ホムンクルスのレシピには、必要な素材として『小さい魔石』の絵が載っている。見比べてみるが、ゴブリンについているのと全く同じものだ。このゴブリンから獲れる肉は十キロくらいありそうだし、もう一つの素材となる肉も揃いそうだ。なのに、今のところレシピノートでは生産可能になっていない。
もしかしたら、この魔石をゴブリンから抜き取らないといけないのかもしれない。
最初は手でやろうとしたが、無理だった。タンに命令すると、爪を器用に使って魔石を取り出してくれた。
俺が魔石を手にした瞬間、レシピノートが反応する。低級ホムンクルスのレシピにある『作る』の文字が光を放っていた。
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