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13.胸がいっぱいになる

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「……というわけだから、玲さんもオスカーさんもしばらく私に付き合ってくださいね」

 鏡花は一連の話を玲とオスカーにし終える。もちろん条件うんぬんは言っていないし、これを成功させたら白羽家の当主に、なんて玲には言いづらい。玲とオスカーは頷いてみせる。オスカーも基本大人しい様子で、鏡花には玲が2人いるように思えてならない。そしてお互い波長があったのかすっかりオスカーは玲に懐いている。

「あ、あの、玲さん鏡花さん。しばらく僕をおいてくださるとかで……本当にありがとうございます」

 オスカーはぎこちなくそう頭を下げた。もう敬語も使いこなせるのね、と感心する一方そう言われてしまうと何も言えなくなる。オスカーがいたら、しばらく2人で会話することは少なくなるだろうな、なんて鏡花は思う。

「いいわ。オスカーさんも一生懸命働いて頂戴ね。そうしたら白羽家を挙げて日本の芸術作品をお見せするわ」
「いいんですか……!? ありがとうございます!」

 目を輝かせるオスカーはなんだか子犬のように思えてしまった。今にも尻尾を振る様子が見えてしまいそう。白羽家はそういったものも取り入れた商品を卸しているためにいくらでもオスカーを日本の芸術に埋もれさせることができる。ふふん、と得意げに笑ってから鏡花は「頑張りましょうね」と声をかけた。


 ***


「で、さっそく会場の下見というわけだな」
「ええ……まあ藤はまだ咲ききっているわけではないけれどね」

 次の日、鏡花は玲とオスカーを連れて会場となる場所の下見に来ていた。見渡す限り藤の花が広がっている、知る人ぞ知る神秘的な場所という雰囲気が漂う。オスカーはさっそく「これは何という花ですか!?」と大はしゃぎで鏡花は見ていてなんだか和んでしまう。

「ここには来たことが?」

 玲に不意に尋ねられ、鏡花は頷いてみせた。一瞬玲の顔が曇る。

「……誰と?」
「ええと、家族とよ」
「そうか」

 ふいと申し訳なさそうに玲は顔を逸らした。鏡花はなんとなく玲が言いたかったことが分かったような気がして小さく苦笑した。

「昔ね、母とよく来たの。すごく好きな場所なの」

 目を細めて、鏡花は昔を思い返す。深月と話した時は咄嗟にこの場所のことがでてきてしまったけれど、この思い出の場所でできるかもしれないなんて、運命というか、夢のようというか。

「きっと母君も喜ばれるだろうな」
「ええ、思い出の地を失敗で台無しにしたくないもの。精一杯やりきってみせるわ」

 改めて意気込んで鏡花は大きく深呼吸をした。玲はその様子を見てふわりと微笑む。思わず、玲がその頭へと手を伸ばしかけたそのとき、鏡花はぐるんっと玲の方へ顔を向けた。

「どうしたの、その手」
「い、いや。なんでもないんだ」

 わたわたと玲は手を引っ込めた。まさか、貴女の頭を撫でたいと思った、なんて言えるはずもなく。

「まあ、いいわ。実はね、実際私たちも体験してみようと思ってお菓子を持ってきているの」

「高級菓子ではないけれどね」と包みを見せると鏡花はオスカーにも手を振って呼びかけた。

「休憩がてらお茶にしましょ」


 藤の花の中心部にある東屋へ移動すると、日の光に照らされて東屋全体がが紫がかった色に染まっている。ふわりと鼻をかすめる良い香りとお茶の香りが心地いい。

「鏡花さん、こことってもいいですね。僕、気に入りました。それにとっても芸術的です」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。芸術的っていう感想はさすが彫刻師って感じね」
「はい。おそらく日光が当たる角度も計算された上でここにこの場所を作ったのだと思います」
「へぇ……その話詳しく」

 メモを取りながら熱心にオスカーの話を聞く鏡花を見て、玲はなんだか胸にちくりとした痛みを感じていた。それは、さっき誰とこの場所へきたか、と尋ねたときと同じ種類のものだけではないように思えた。

「ですって。玲さんはどう思う?」
「へ、あ、すまないよく聞いていなかった」

 慌てて謝ると鏡花は頬を膨らませて「よく聞いててくださいよ」とぷりぷり言う。
 どうやらこの東屋を生かすべきではないかという話だった。オスカーはさすが彫刻師というべきか今ある美しさを最大限生かすのがいいと言う。

「東屋を綺麗にして、そうね、飾り付けを少しすればだいぶ様になると思うの」
「いいんじゃないか。この東屋なら天皇皇后両陛下もゆったりと過ごせるだろう」
「よかったわ。そうだわ、オスカー。東屋を改装したら少し彫刻をお願いしてもいいかしら?」

 鏡花がオスカーにそう尋ねればオスカーは嬉しそうに「僕でよければ!」と喜んで承諾した。

「そうとなればさっそく東屋改装の許可を得てこなくっちゃね。それからお菓子はどうかしら?」

 手元には最中とあんが入った和菓子が用意されている。玲はあまり和菓子を食べたことはなかったが、これが老舗のものであるとはわかった。

「美味しいです! 僕日本の甘味は初めて食べましたがとっても美味しいです!」
「そうよね。フランスのお菓子や中国のお菓子とはまた違っていいでしょう?」

 オスカーがにこにこーっとまるで子犬のように笑うからか鏡花も自然と顔が綻んでいる。これでは美味しいと口に出しても気が付かないだろう、と玲は口をつぐむ。

「これはね、私の幼馴染の和菓子職人が作ったものなの。オスカーがそんなに気に入ってくれたのなら安心ね。葵に頼みに行くことにするわ」

 上機嫌の鏡花に、玲の眉がピクリと反応する。幼馴染の男、ということは確定だろうけれど……と何故か悶々とした気持ちが胸を覆い尽くす。

「……頼みに行くのはいつ?」
「ええと、早い方がいいから少なくとも明後日には行くわ。幼馴染といえど明日では失礼だものね」
「明後日……」

 明後日に思いを巡らせ、玲は固まった。生憎の仕事、絶対に外せない類のものだ。これでは同行することはできない。それならば、とオスカーに向き直る。

「ああ、明後日は僕も製作の方をしたいと思ってまして……こちらのお仕事が忙しくなる前に終わらせておきたくて」

 と、断られてしまった。しかし玲はそこでなぜこんなにも自分は焦っているのかとはたと思い留まった。だが、それでも一人でその男に会わせたくないという気持ちが込み上げる。

「……その幼馴染というのは、その、貴女はどう思っているんだ」

 気がつけばそう尋ねていた。鏡花も不思議そうに首を傾げ、なぜそんなことを聞かれたのかと考える。

「別に、どうも。彼は少し変わっているから。かえって私1人の方が好都合よ」

 面倒くささでいえばアクセサリーショップのジョニーと兄の深月の中間くらいだ、とため息を吐いた鏡花に玲も思わず笑ってしまった。

「ですから、私のことは気にせず2人とも頑張ってね。私も面倒なのと対峙してくるから」

 図らず、そう笑う鏡花に玲は胸を占めていた悶々としたものがすっぽ抜かれたような気さえした。
 しかし「藤の花ってなんだかこう、見ていると胸がいっぱいになるわよね」と呟いた鏡花のおかげで、玲は今日もその悶々の気持ちの正体に気がつかぬまま納得してしまったのだった。
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