婚約破棄したい敏腕悪女は冷徹エリート宝石商に振り回されたりしない。

陽海

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8.そんなこと、想像したくもない

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「あああ…………」

 ぐわんぐわんする頭を抱えながら、優雅は情けない声を漏らしていた。あんなに飲んだにもかかわらず全部覚えているのは幸いというべきか、不幸というべきか。
 父に言われ渋々参加したパーティーで、元婚約者である鏡花に会った。あっさり別の男と婚約していることにヤキモキして半ばやけになって飲んだことはよく覚えている。それから、やらかしたこともしっかり覚えている。
 優雅は唇をそっと触り、かつてはしたこともなかったキスの感触を噛み締める。酔っ払ってあれもこれも、隠してきたこと全て、あろうことか本人にぶちまけてしまった。

 彼女が自分に興味を示していないことは気が付いていた。仕事熱心で自分をなんでも上回る。おおよそお嬢さまとは思えない手際の良さで。それに比べたら優雅はあまり頭は良くなかったし、要領だってそんなには良くなかった。そんな彼女と比べられて情けないと思っていた。それに父の持つ男尊女卑の感覚がこびりついていて、まさかあんな言葉が飛び出してしまったとは、今でも自分が信じられない。

「悪女」という噂を聞いて、自分のいいように使おう、と思った。彼女に上手いように分取られた奴らが言っているとはすぐに理解した。ボロを出さない彼女でも、噂に傷付けば自分を頼ってくれると、そう思っていた。

 ただ、彼女の支えになりたかった。激務の間に甘えてほしかったし、そんな彼女の弱い一面を知っているのが自分だけなら、と。

 あの日の婚約破棄は、一世一代の賭けだった。
 利益を重視する彼女が婚約破棄を持ち出されたら、きっと関係を改善したいと願い出ると思った。そうしたら優しく抱きしめて、気持ちを伝えようと思っていたのに。あのあと、父からしこたま叱られ、その考えが浅はかであったと知ることになるのだが……
 とりつく島もない、とはまさにこのことで、むしろ彼女は軽蔑するようなそんな目を向けていた。焦り半分、思い通りにいかないことへの怒りで気がつけばあんなことを叫んでいた。
 そうして、あっさりと彼女との関係は消えた。

「今さら、何を言っても遅いか……それに彼女にはもう婚約者がいる」

 そう呟き、鏡花の隣に並んでいた黒髪の男を思い浮かべる。何度か見かけたことがあったし、噂にも上っていた。
 全ての縁談を断る碧澄家次期当主。
 碧澄家はめきめき成長中とはいえど、名家の城森家には少し及ばない。どうしてそんな男を新しく婚約者にしたのだろうか、と疑問がよぎる。いずれにせよ、その男と過ごす彼女は楽しそうだった。張り付けた笑顔とはまた違う、少なくとも優雅は見たことがない表情。澄まし顔の中に照れがあるようにさえ思えた。どうして長い間過ごしていた自分よりも、まだ出会って少ししか経っていないであろうあの男の方が仲睦まじいのだろう。

 キスをしたあと、彼女はどんな顔をしていた? すぐ眠ってしまった自分を殴りたい。ますます嫌われてしまったのだろうか。もし、彼女とあの男があの後2人で……と想像したくもないことを考えると無性にむかむかした。謝罪して、それからあの男を偵察しよう。自然と優雅は使用人を呼び寄せていた。

「彼女が今どこで暮らしているか、探し出してほしい」


 ***


 なんだか、婚約者がおかしい。
 玲は目の前で上の空になっている婚約者をじっと見つめていた。昨夜の社交パーティーから帰ってきたあとから鏡花はいつもより落ち着きがないように思えた。帰ってきてそのまま、部屋へ入ってしまった。仲の良い使用人のかよすら部屋から追い出すから、具合でも悪いのかと心配して部屋の前で待ってはみたものの。部屋からぶつぶつと呪咀を唱えるかの如く聞こえてきた声に少しぞぞっとしてしまった。しかも部屋の扉を勢いよく開け、思いっきり玲にぶつけてもなお気が付かずそのまま浴室へ直行。風呂に入るのかと思えば洗面台の前で唇を擦りだす始末。
 夜が明け、朝食を共にしている今もこうして箸を止めて上の空。明らかにおかしいし、パーティーで何かあったのは確実だった。

 そして、なんとなく検討はついていた。玲はあの日見た茶髪の青年を思い出す。
「悪女」だという噂を真に受け婚約破棄を突きつけた元婚約者、城森優雅。

 玲と鏡花はパーティー中、はぐれてしまっていた。理由は突然婚約をした真相を知りたい貴族たちに捕まったからなのだが、鏡花はそれをあっさり交わし、隙をついて逃げ出していた。あとを追いたかった玲だったが第二の壁、ワンチャンスあると思っている令嬢たちに捕まり今度こそ姿を見失ってしまったのだった。

 ……といっても、見失っていたのはたった数分。玲はすぐさまバルコニーにいる鏡花を見つけていた。でも話しかけられなかった。元婚約者といえど、積もる話もあっただろう。それを邪魔するのは無粋というものだ。バルコニーの片隅で、会話をしている鏡花と優雅を見て玲はその光景が見えないところへと移動したのだった。

「……そんなに唇を触っていては、荒れてしまう」
「へ!? そ、そうですね。リップクリームを塗りますわ」

 この慌てっぷり。一体、何をされていたのだろう。別れたとはいえ、そういうことの一度や二度、したことなんてあるだろうに。一瞬、モヤッとした気持ちに玲は蓋をしようとする。
 鏡花から優雅の話を聞いたことはなかった。あんな別れ方をされ、傷付きもしただろう。だが、自分がやっていることもさほど変わらないではないか、と玲は気持ちを押し殺す。やるせない気持ちが玲を覆い尽くしていた。
 鏡花はポーチを取り出してきて、リップクリームを探す。リップクリームを塗る姿を、玲は無意識に凝視していた。

「……玲さんも使いたいの?」
「あ、いや。なんだかその、色っぽい仕草だと思ったのだが……それに良い香りがする」
「ああ、バラの香りね。新商品で、私も携わっているものですわ。女性の色っぽさを強調することもテーマだったからそう言ってもらえて嬉しいです」

 褒められてよほど嬉しかったのか、鏡花はそう得意げに話す。それでこそ、鏡花らしいと玲は少し口元を緩めた。

「俺も、唇が荒れやすいから、同じものが欲しい」
「同じものでいいの? 椿や桜の香りもあるのだけど」
「貴女と、同じ香りのものがいいんだ」

 そう言えば、鏡花はきょとんとして、それから少し頬を赤らめた。「後で持ってきますわ」と言う鏡花を玲はじっと見つめる。そのとき、無性に彼女の心を自分のことでいっぱいにしたいと、そう思った。おそらく彼女の心を占めているであろう元婚約者のことを綺麗さっぱり忘れさせたいと思ったのだ。でも、玲はその術を知らないし、どうしてそう思ったのかもいまいち分からない。だからか、少し一般的でない方向にたどり着いた。

「今から、俺のコレクションルームに行かないか!?」

 その勢いと、急に手を取られたことにこればかりは鏡花も「どうして急にそうなったの?」と言わんばかりに目を瞬かせていた。
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