婚約破棄したい敏腕悪女は冷徹エリート宝石商に振り回されたりしない。

陽海

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4. 無自覚人たらしはお互い様

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「さてと、準備は万端ね。今日もガッツリ稼ぐわよ」

 鏡の中に映る自分の顔は自信満々、といった様子だ。真っ赤な口紅は深く被った黒い女優帽に良く似合う。髪も一段と巻いた。巻きながら昨日の玲の発言を思い出し悔しくなり、いっそう強く巻いた。玄関の方まで歩いて行くと、玲がすでに待っていた。ストライプ柄の紺色のスーツを着込む姿はきまっている、の一言に尽きる。

「……今日は髪は巻いているんだな」
「あら、似合ってないですか?」
「いや、そうは言ってない。なんだかもったいない気がしただけだ」
「……玲さんもスーツお似合いですわ」

 誰かさんと違ってね、と心の中で付け足した。婚約破棄されたシーンを不意に思い出してしまい鏡花は苦笑した。玲はどうやら無自覚で人をたらし込むのが得意なようで、鏡花はそれにはもうやられないと固く誓ったのだ。しかしながら、こう鏡花が褒めても玲は澄まし顔のままなのは悔しい。

「じゃあ、行こうか。サファイアが待ってる」

 差し出された手を取り、玲の自動車に乗り込む。最後の一言がなければ相当キュンとくる仕草だったはず。玲の頭はすでにこれから手に入れる宝石のことでいっぱいらしかった。


 そのサファイアのブローカーの邸宅は煌びやかで、鏡花は精巧な作りに目を見張る。一方玲は操られているのか、というくらい速足でズンズン宝石が入っているであろうケースの前に腰を下ろした。

「いやあ、あの玲くんがこんな美人さん連れてくるとは思わなかったなあ」

 微笑んだのは品のある老紳士だ。彼は柳浪と名乗った。鏡花と柳浪はしばし世間話をした。しかし、玲はそんなのお構いなしといった様子でそわそわしながらケースを見つめている。これには鏡花は苦笑してしまう。柳浪はそんなことは慣れっこなのだろう、特に気にも留めない。

「まあ、玲くんのためにも早く見せてあげましょうかね」

 開いたケースの中にはたくさんのサファイアが並べられていた。開けた途端、玲はさらに食い入るようにサファイアを見つめる。モノクルをつけ、白手袋をつけた玲に鏡花は不覚にもときめきそうになった。モノクルを実際につけているひとを見るのは初めてなのだ。しかし平静を貫く。

「これは少し明るいな、これは内包物が多めだ……」
「どれも素敵ですけれど、そんな細かな違いがあるんですね……」
「ああ。宝石全般に言えることだが、細かな違いで価値は大きく変わってくる……ああ、これなんて素敵だ」

 ふむふむとメモを取る鏡花に玲はサファイアを一つ突き出すように見せた。紫がかった深い青が美しい。おそらく玲がこんな興奮気味に見せるのだから特別綺麗なものなのだろう。

「綺麗ですね。まるで玲さんの瞳みたいだわ」
「え」

 鏡花が何気なくそう言うと玲は突然停止してしまった。何かおかしなことを言っただろうか、と鏡花は首を傾げる。綺麗なものを綺麗だと言うのが鏡花の主義なのだ。

「美しいサファイアと俺を比べるなんて、サファイアに申し訳ない」
「……はい?」
「随分とその、恥ずかしい言い方をするんだな」

 淡々とした口調で玲は答えた。玲の耳が若干赤く染まっていることに、鏡花は気がつくはずもなく。鏡花は玲の挙げた表現に、まにあは面倒だわと肩をすくめていた。そんな2人を柳浪は微笑ましい目で見守っていた。

「これはパパラチアサファイアか!?」

 突然声を上げた玲に、鏡花は心臓の跳ねる思いがした。あまりにも大きな声だった。隣をうかがえば、玲は少し興奮しているようで、食い入るようにパパラチアサファイアと呼ばれた宝石を眺めていた。

「さすが玲くん気がつくのが早いね」
「柳浪さんこそ、いつもどこで手に入れてくるのか教えてもらいたいくらいだ」

 柳浪は含み笑いを浮かべた。ブローカー、というのも謎が多い存在なのかもしれないと鏡花は思った。とにかく、宝石まにあの玲が大喜びするほどの宝石であるので、すごいということは伝わる。けれど、専門用語が飛び交ってばかりで鏡花は1人蚊帳の外状態である。

「パパラチアサファイアとは、どういうものなのですか?」

 鏡花が尋ねると、玲が少し咳ばらいをして落ち着き払った様子に戻り、宝石を見せた。覗き込むと、ケースにはピンクに鮮やかなオレンジ色が混じったまるで夕暮れ時の海のような色に染まった宝石がある。

「これはかなりのレアものだ。コレクターでもそうそう持っているものはいない。この大きさとなるとかなりの価値がある」
「玲さんも初めて実物を見るの?」
「いや、持ってるに決まってるだろう。持っていなかったらもっと暴れてるぞ」
「ええ……できれば今後も暴れないでほしい」

 玲が暴れるという知りたくもない情報を聞き、このパパラチアサファイアというものに感謝したくなった。というよりかは、もう持っていてくれてよかったという安心感だ。

「……で、どうするのかな、買っていく?」
「あ、ああ……でも目的を変えようと思う。今日俺が買うのは自分のコレクションとしてのものだ」

 そう言い、玲は先ほどのパパラチアサファイアとそれから、ブルーサファイアを手に取った。鏡花が褒めたサファイアだ。

「他にも綺麗なサファイアがいっぱいあるが、本当にそれだけでいいのかい?」
「うるさいな、買うと言ったら買うんだ」
「はいはい、毎度どうも。鏡花さんもまたいつでもいらしてくださいな」

 つんけんしながら、きっちりお金を払い宝石を買い取った玲に柳浪はいたずらっぽく笑った。鏡花は欲しかったサファイアが手に入ったというのにどうして機嫌が悪いのかしら、と疑問に思いながらも柳浪の邸宅を後にした。


「もともと今日買い付けた宝石はどうする予定でしたの?」

 帰りの自動車の中、玲自ら運転する隣で鏡花は尋ねた。自動車はまだ多くのひとが持つことのできるような代物ではない。白羽家は内陸移動よりも渡航の方が多いため、自動車には数えるほどしか乗ったことがない。自動車の助手席に座るのはもちろんだが、玲の匂いがかすかにしてなんだか落ち着かない。それに黙り込んだままの玲とあと30分近く2人きりで過ごすのは居心地が悪い。

「……本当はアクセサリーショップに売るつもりだったんだ」

 フロントガラスを見据えたまま玲が返答した。元々趣味としてではなく、仕事用の買い付けだったはずで、玲がアクセサリーショップに宝石を卸しにいく予定だったようだ。これは惜しいことをしたと鏡花は思いながらも、あくまでも平然と、欲望を押し隠した。

「そうなんですね。玲さん御用達のアクセサリーショップぜひ行ってみたいですわ」
「ああ、今度行こうか。婚約者として貴女に贈り物をした方がいいだろうから、ちょうどいい」
「あら、そんなこと気にしなくても良いのに」

 アクセサリーよりもそのアクセサリーショップのオーナーを紹介してくれる方がよっぽど喜ぶのに、という言葉はさすがに飲み込んだ。互いの両親の目を欺くためにも、婚約者からの贈り物は受け取っておいた方がいいだろう。それに、宝石商が選ぶアクセサリーには興味がある。

「でも急にどうしてコレクションにしようと?」

 場が少し和んだことを機に、鏡花は疑問を口にした。パパラチアサファイアに惹かれたにしても、本来目的であったブルーサファイアは卸す用に買い付ければよかったのに。これには玲も「よく分からないが」と前置きをした。

「……なんだか惜しいと思ってしまったんだ」

 鏡花は目を瞬かせた。どうやら、本気で理由に見当がついていないようだった。鏡花はまにあならではの衝動なのではないかと少し見当違いなことを考えていた。もし、今この車中を見ている人がいるならば、付き合いたての恋人同士にでも見えるだろう。実際はなんであんな行動を取ったか本気でわかっていない21歳の男と、本気で宝石に恋してるの? と明後日な方向に思考を走らせている19歳の女である。契約婚約で、2人に愛などない。

「まあ、素敵な宝石でしたものね。玲さんが手放したくないと思う気持ちもまあ、分からなくは……」
「そうだろう。きっとあのサファイアは特別な魅力があるのだろうな」
「ええ、きっとサファイアも玲さんのコレクションになれることを喜んでいますわ」

 結局回り回って――いや最初から明後日の方向に進んでいた――サファイアが魅力的だった、との結論に落ち着いた2人は車内でそんな話をしながら帰路についたのだった。
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