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2.この際とことん利用してやりましょう

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「初めまして。俺は碧澄玲と申します」

 挨拶をした鏡花の新しい婚約者はとても爽やかで美しくて。絹のようにサラサラな黒髪と青いサファイアのような瞳に一気に引き込まれた。端正な顔立ちに、品のある佇まい。スーツを着こなすスタイルの良さ。

 両家交えての茶会は碧澄家の別邸で行われていた。楽しげに話す父たちの会話の中で「この別邸は2人のものに」なんて言っていたからここにこれから住むことになるのだろう。別邸にある調度品はどれも質の良いものばかりで、センスが良い。洋風のデザインが純和風の白羽家とはまた違って魅力的だ。

 玲は丁寧な所作に鏡花から見ても、次期当主として申し分ない雰囲気だった。おまけに初対面である鏡花や娘の婚約がよっぽど嬉しいのかギャグを言いまくって盛大に滑っている父にすら優しく接してくれる。
 こんな素敵な方と結婚できるなら私も嬉しいわ。

 ――なんて考えてニコニコしていた数時間前の私。全て幻想だから。よく見なさい、この現実を。

 親が「後はお若いの2人で」などとある種のお約束的言葉を言い出し、にやにやしながら部屋を出て行った瞬間の、あの言葉である。鏡花はぐりぐりと眉間をを抑えながら「つまり」と声を上げた。

「玲さんは私とは婚約するけれど、その、宝石が大好きだから私より宝石を優先したいと、そういうわけですね?」
「まあそういうことだ。話が早くて助かる。ああ、大好きという言葉では形容しがたいが」
「ええ、面倒くさ……」

 鏡花は最早笑顔を取り繕うのを諦めた。
 この男、碧澄玲はそもそも結婚に興味がないのだろう。だが次期当主として結婚を決めかねていたところへ、帝都有数の商家、白羽家からの婚約の話が舞い込んできた。めきめき成長中のエリート宝石商として、この申し込みはまさに突如転がってきた幸運。断る選択肢はなかっただろう。

「宝石が大好き……ああそれ以上の愛情でしたか、はどのように? お仕事が大好きという意味? それとも文字通りもうずっと見つめていたいくらい?」

 鏡花は息を呑んで返答を待つ。これで「仕事だから」と答えてくれればまだましだと、そう思ったからだ。

「いや、後者だな」

 鏡花は心の中で崩れ落ちた。理解できないを飛び越えて、この澄まし顔に苛つきさえ覚えてきた。どうりで、婚約者がいないわけだ。こんなに綺麗なひとが21になってもなお売れ残っているのはとんだ奇跡だと思っていたというのに。やはりそんな旨い話などあるわけがないのだ。鏡花は目の前の欲望にいつもの冷静な判断ができていなかったことを後悔した。
 つまり、玲は宝石が大好きな、いわゆる宝石まにあというやつで。大好き以上の行動が果たしてどれぐらいのものか、想像したくもなかったが、とりあえず面倒くさいことは間違いない。鏡花は深くうなだれる。しかし、ここであることに気がつく。両親たちの前で紳士を貫いていたということは、玲は婚約者としての最低限の責務は果たしてくれる、というわけだ。ならば家で何をしていようが、鏡花と仲が悪かろうが関係ないのではないか……と。

「玲さんは私とは仲良くする気はあります? それとももうまったく関わりたくない? 白羽家からの婚約の話を断りきれなかっただけ?」

 確認と、もし断りきれなかっただけならば父を説得してなかったことにしますよ、という意味を込めて尋ねる。玲は少し考える仕草を取る。顎に手を添えて思考している姿は本当に綺麗なのに。

「ないわけではない。もともと婚約には興味がなく、全ての縁談を断っていたくらいだ。だが白羽家は俺の家が断ることができるほど小さな家ではないからな。それに貴女も婚約破棄されたばかりだと聞いたから、良い距離感で生活できるかもしれないと思ったのだが」
「ええと、では私とはそれなりに婚約者としてやっていただけるということですね?」
「まあ、そういうことだ」

 ふむ、と鏡花は思考を巡らせた。こちらもまた美しい表情なのだが、考えていることはいかにこの婚約を通して利益を得るか、この一点である。正直、『婚約破棄されたから良い距離感で』というのはさっぱり理解不能ではある。これは心身ともに弱っている女はこの無礼に対して反論しない、と踏んだととっていいのだとしたら極めて失礼な男である。だが、彼は自分の無礼な態度を踏まえつつ『婚約者として最低限のことはする』と告げた。鏡花は弱みと言質をとったわけだ。でもとりあえず、今の発言は解せない。

「……あなたは女性だから、と蔑むような方なのですか?」
「貴女の言っていることが仕事面で、なのだとしたら俺は仕事に性別は関係ないと思っている」

 きょとんと、それも当たり前のように言ってのけた玲に鏡花は面食らった。

「では、今の発言はどういう意味ですか?」
「貴女がとても経営や金銭のことに関して長けていたおかげで婚約破棄されたのだと話題になっているからだが」
「デリカシーってものがあなたにはないのね……」

 それにしても噂が回るのは早い。特に情報が勝敗を分けるこの界隈では楽しいいわゆるスキャンダルはあっという間に帝都中の商人の間を駆け巡る。聞くのは楽しいがやられるのは最悪だ。先ほどの発言は、玲自身が婚約に興味がないため、利益を一番に考える鏡花も自分同様婚約を利益と割り切っていると考えた上での発言だった。しかしながら、鏡花はそれ以上に先ほどから顔色一つ変えずになんでも言ってしまうこの男を内心恐ろしく思っていた。馬鹿正直というべきか、はたまた宝石のことしか考えていないのか――こんなんでよくこの帝都で生き残ってきたなと呆れを通り越していっそ尊敬した。

「ところで、ずっと聞きたかったのだが」

 突然話題の方向転換を試みたらしい玲に、鏡花は目の前の男を蔑むのをやめる。

「なんですか?」
「その耳飾りに使用しているルビー。素晴らしい、鳩の血のような色だな」
「はい?」

 その表現を不快に思い、鏡花は顔を歪めた。ルビーの耳飾りは、今日の薄黒色のストライプ模様の着物に合うようアクセントで着けてきたお気に入りのものだ。そんな怪訝そうな鏡花を見て、玲は焦ったように説明をし始める。

「あ、いや、決して不快にさせるつもりはなくて。“鳩の血”はルビーにおける最高の褒め言葉なんだ」
「そうなの?」
「ああ。ルビーの良し悪しは色で決まるから。1番美しい鮮やかな赤色のルビーのことを鳩の血だと表現するんだ」

 そう言われると急に見せびらかしたくなるような気持ちになる。最高の赤が耳についていると考えると嬉しくなって顔が綻んだ。

「さすが、碧澄家次期当主ですね。それに心なしか饒舌でしたわ」
「こんなの当たり前だ。だが鳩の血はなかなかお目にかかれない。さすが帝都有数の商家だな」

 お互い素直に褒めあって、謎の照れくささに包まれる。居た堪れない。そう鏡花が感じていると、ピンチヒッターというべきか、両親たちがほくほくした笑顔で部屋に戻ってきた。その瞬間の紳士モードへの切り替えの速さは見ていて呆れたくなるほどだったが、鏡花の中である一つの結論に行き着いていた。


 両親たちが帰宅し、鏡花と玲は案の定2人きりで取り残された。急なことであるためか、荷物や使用人などは遅れて到着するらしく、あと数時間は2人きりで過ごさなければならないらしい。自室となる部屋でぼーっとしながらも自然と頭は思い付いた最高の計画でいっぱいになっていた。
 宝石に酔狂している婚約者は非常に面倒くさい。しかし婚約者としてはとても優秀で、さらに宝石商である彼を逃すのは惜しい。幸い、彼は馬鹿正直かつ宝石のことで頭がいっぱいのお花畑の頭のようだから、たぶん今後何かあっても気にしないはずだ。

 ――じゃあこの際、とことん利用させてもらいましょう。

 今まで狂ったことのない鏡花の完璧な経営センスがそう告げていた。
 計画はこうだ。
 まず、玲と過ごしている間に宝石に関する知識をごっそりいただく。そのあと、百貨店を開く準備をする。父を説得するのは骨が折れるだろうから、無理矢理にでも納得させるべく白羽家よりの上位の商家を味方につける、かつ百貨店を開いている商家に掛け合うなどする必要がある。無論、人脈は今よりも広くしなければならない。無事百貨店を開くことができたら、婚約破棄でもなんでもしてしまえばいい。おそらくあの性格ならば玲は怒らないだろうし、仮に文句を言ってきたら宝石を与えておけばいい。そもそもこの失礼な婚約関係を提案してきたのはあちらだ。それに玲の顔面であれば女性たちがすぐに寄ってくるに違いない。鏡花はおおまかな展望を繰り広げた。

「まずは、じゃああの宝石まにあと仲良くならなくっちゃね。善は急げよ」

 鏡花はるんるんと足取り軽く部屋を飛び出した。
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