社畜リーマン、ポンコツヒューマノイドのお陰でQOL爆上がり

ふた

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琥珀

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 小上がりに通された俺たちは、各々いつもの席に落ち着いた。
 お冷が運ばれたタイミングで、三人分の生ビールと梅酒のロックを注文する。向かいに座った仁が早々に、眩い程の笑顔を美月に送った。
「良かったね、生き返って」
「あ、はい。お陰様で、戻りました」
 たじろぐ美月の様子を楽しむように、矢継ぎ早に惠介が声を掛ける。
「前の飲み会の時に質問した答え、間違ってたよ。ヒューマノイドの脳は頭の中にあるんじゃない。胸の中にあるんだ。だから、実はあの時から中身が人間だって知ってたんだ。ヒューマノイドなら迷わず答えられるからね」
「そ、そうだったんですね」
 だんだん縮こまっていく美月を見て、「おいおい、いじめんなよ」と眼光を鋭くすると、仁と惠介は呆れたように両手を上げた。
「過保護だなあ」
「コミュニケーションだろ」
 サユリは俺たちのやり取りを見てくすくすと笑い、ハルは静かに口角を上げて見ていた。
 仁が人差し指を立てて得意げな表情をする。
「コハクちゃん運び出した後すぐに、移植に使うこと聞かされてたんだ、俺。でも不動先生に守秘義務って言われて燈一には教えられなかった。ほんと成功して良かったよ」
 今更聞かされてもなあ。
 腑に落ちない気持ちの行き場を仁の片頬に照準に合わせ抓り上げた。痛い痛いと騒ぐのですぐに離す。
 店員が生ビールを運んできて、乾杯をした。隣で美月が、ビールを飲み下す俺をじっと見ていた。「飲む?」とジョッキを差し出すと、首を横に振る。
「味覚センサも排出機能もついていません」
「だよなあ」
 残念、と口元を綻ばせる。仁がニヤニヤと笑っているのが視界の端に映った。
「何だよ」
「やっぱそういう趣味なんだろ?見た目はこうだし中身は未成年。やらしー」
「るせえ、違うって言ってんだろ。たまたまこういう筐体で、たまたま未成年だったんだよ」
 ほー、と緩んだ顔を戻さない仁を無視して惠介を見る。
「お前も知ってたなら言ってくれたら良かったのに」
「あー、何か幸せそうだったからいいかなって」
 惠介が笑顔のハルを一瞥すると、小さく頷いた。
 学生時代は隠し事などしない仲だったのに、二人の思惑と秘密に躍らされているのが惨めで情けなくなった。肩を落としていると、美月がその肩に控えめに触れる。
「楽しいですね」
 楽しいのか。
 驚きつつ、「なら、良かった」と囁くと、仁が今度は噴き出して笑った。
「甘ーい」
「仁、もう弄ってやるなよ」
 仁の悪ノリを止めようという意思を見せる惠介は朗らかに笑っている。
 見渡せば、皆機嫌よさそうに戯れていて、その懐かしい心地よさに酒がすすんでしまった。
「コハク、こっちで回収しようか?」
 惠介の声。
「いえ、タクシーで帰るので」
 美月の声。
「でも三階まで運ぶの大変じゃない?」
 仁の声。
「手術で前よりも頑丈にしてもらったので、頑張ります」
 美月の妙に弾んだ声を聞いて、「いや、駄目だろ」と言いたかったが、呂律が回らず呻いただけになった。体は指先すらコントロールできないくらい脱力していて、自分の吐く息は酒臭かった。両脇から体を支えてくれているのは仁と惠介か。車のドアが開く音がして体が浮いた。煙草の香りのするベロアのシートに転がされ、顔が埋まる。
「じゃあ、気を付けて」
「また遊ぼうぜ」
「はい、是非。今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
 酔っぱらいだらけの通りの喧騒と、二人の声が遠ざかり、今度は前のドアが開く音が聞こえた。美月がマンション名を告げる。ドアが閉まると、車は微かなエンジン音を上げながら走行を始めた。
 ぼやぼやと耳が聞こえ難くなる。美月に話し掛けられている気がしたが、内容は分からなかった。
 ふと、意識が戻った時に、また美月が動かなくなってしまっているような気がして、瞼を抉じ開けようとしたが、半分も開かなかった。泥の中に沈み始めたことを自覚した瞬間、底についていた。



「コハクッ!」
 叫び声が聞こえて飛び起きた。
 ひどい頭痛を感じ、こめかみを押さえながら室内を見渡すと、人の気配は無くがらんとしていた。ベッドから足を下ろす。頭痛だけでなく眩暈もした。昨晩の記憶が途中で終わっている。嫌な予感が胸の中ににじわじわと広がって、居ても立っても居られなくなった。どうにか廊下まで歩き洗面所とバスルームのドアを開ける。トイレも覗いたが、美月の姿は無かった。
 まさか置いてきたか?
 いや、醜態に呆れて出て行ったのかもしれない。
 この状況になり得る理由を上げ連ねるときりがなくて、ますます頭が痛んだ。キッチンで水を一杯飲む。空になった胃に滲みて、息が漏れた。揺れるレースカーテンを眺める。
「……は」
 頭のてっぺんから血が下がっていくのが分かった。何故この考えに至らなかったのだ。
 まさか、誘拐された?
 瞬時に携帯を探した。開かれたパソコンと共に座卓の上に鎮座していたそれを掴み、一一〇を押したが寸でのところで思考が止まる。警察に連絡して手術のことが公になったらどうなる。ここは不動か?逡巡していると、ガチャッと重いドアノブが回る音がした。
 飛びつくように足を向ける。
 目の前には美月の姿があった。
「起きてたんですね。体調は大丈夫ですか?」
 何事もないふうに微笑む美月の手にはレジ袋が握られていた。
「……買い物か?」
「二日酔いにはシジミの味噌汁とスポーツドリンクがいいというのを見たので、コンビニに行ってきました」
「そうか……。よかった。ありがとう」
 美月が背を向けた俺の後ろをついて来て、キッチンで袋を物色し始めたのを見て、潜んでいた眩暈が戻ってきた。ソファーに凭れて、小さな後ろ姿を目で追う。
 ケトルに水を入れて、スイッチを押し、インスタント味噌汁のカップの蓋を開け、グラスにスポーツドリンクを注ぐ。手数が多いわけではないが、美月は一々時間をかけて確認しながらそれらを行っていた。体が変わったばかりで動かし方に慣れないというのもあるが、ケトルの使い方もインスタント味噌汁の作り方も知らなかったのだ。恐る恐るといった調子で準備していく。
「何か手伝おうか?」
 声を掛けると、美月はすぐに振り返って「大丈夫です」と真剣な表情で返した。
 光也が工作をしているのを見てるみたいだと思った。
「あ、そういえば」
「はい」
「君のお父さん、元気にやってるよ。暴走したロボットが家に入って来たって話もしてた。本当に言わなくてもいいのか?」
 網戸から風が吹いてきて、レースカーテンを膨らませた。白色が目の前を覆い、美月の姿を隠す。
「元気なら良かった。……言わないで下さい。父も母も、こんな姿は望んでいないと思うので。人間の僕は、死んでいていいんです」
 カチッとケトルが沸騰を告げ、美月は俺に背を向けた。
「そうか。じゃあ早く引っ越さないとな」
 カップに湯が注がれる。
「今度電車に乗ってみるか。そのまま桜を見に行こう」
 俯きながら歩いて来た美月が、なみなみと注がれたグラスを俺の前に置く。垂れた黒髪の間で唇が震えていた。
「大丈夫だ、美月君。君は生きてるよ。悪いことなんて一つもしてない」
 美月が顔を上げた。案の定、泣きそうな顔をしていた。この体には液体は体に入らないので、涙は流れない。
「役立たずの僕なんかが生きていていいのかって考えるんです。でも、芳賀さんが」
「うん」
「芳賀さんが、そのままでいいって言ってくれるから、僕は僕を許せる」
 一呼吸置いて、美月は拳を握った。
「不動先生が、僕みたいな手術をした患者の予後はまだ分からないって言ってたんです。だから、僕はいつ駄目になるか分からない。それでも、もし良かったら」
 窓から差し込む陽射しが美月の琥珀色の瞳をいっそう輝かせた。俺はそれを夢のような心地で見ていた。
「一緒にいさせて下さい」
 美月の芯のある声に、俺は笑み、「勿論」と頷いた。
 カーテンがゆらゆらと波のように揺れる。

「あ」
 ……あー思い出してしまった。
「あ?」
「君の拾った宝石、海に捨てた」
「え、ひどい」
「また探そう。……な?」
 不貞腐れた美月はまるでコハクのような表情の無さでゲームに没頭し、暫く目も合わせてくれなかった。
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