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第4章:魔導師ケットネーゼの弟子、マンマチャック

3:タンタの慈愛

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 星空を眺めながら、マンマチャックが物思いにふけっていると、部屋のドアをこんこんとノックする音が聞こえた。

「はい、どうぞ」

 ドアがゆっくりと開かれて、そこには先程の女の子と、その父親らしき男が立っている。
 男は、この宿屋の店主なのだろうと推測されるも、その表情は険しい。
 手には畑仕事に使う大きな鍬を持ち、マンマチャックに向けて構えているのだ。
 そして、女の子は涙目で、その右頬は赤く腫れていた。
 マンマチャックは、瞬時に事を理解した。

「申し訳ないが、出て行ってくれないか? この子が何も知らずに君を通したもんでね……。お代は返すから」

 そう言って、宿屋の店主はお金が入っているのであろう小さな革袋を、ドアのすぐ手前の床に置いた。
 そして、マンマチャックが妙な動きをしないかと警戒しながら、鍬を構え続けている。

 あぁ、やっぱり……、どこまでいっても、差別は終わらないのだな……

 マンマチャックは静かに荷物を持ち、ゆっくりとドアに向かって歩く。
 店主は女の子の腕を引っ張りながら、鍬を構え続けたまま、マンマチャックの行く先を塞がぬようにと道を開ける。
 女の子は、我慢の限界だったのだろう、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。

 可哀想に……
 この子はきっと、何も知らなかった
んだ。
 できる事ならば、何も知らないまま、育って欲しかった……

 マンマチャックは、知らず知らずの内に、憐みの目を女の子に向けてしまっていた。
 そして、床に置かれた、代金の入った革袋を拾う事を忘れて、部屋を出ていた。
 すると、宿屋を出ようとしたマンマチャックに向かって、店主が代金の入った革袋を投げつけた。
 マンマチャックの体に当たった革袋は、中に入っていた硬貨をばらまきながら、床に落ちる。

「金はいらんと言っただろうっ!? 土人に金を貰うなど、恥晒しもいいところだっ!」

 そう叫んだ店主の顔は、額に青筋が走り、とても醜く歪んでいた。
 マンマチャックは、床に散らばった硬貨を無言で広い集めて、一礼をした後、宿屋を出て行った。





 宿屋に土人が泊まっているという話は、瞬く間に村中に広まっていたようだ。
 マンマチャックが一歩外に出ると、宿屋の周りに集まっていた村人達が、一斉に冷たい視線を浴びせてきた。
 何かを口にするわけでもなく、何かを投げつけてくるわけでもない。
 ただただ無言で、マンマチャックの動向を、睨むような目つきで見ているのだ。

 やはり、自分には、旅をする事など不可能かも知れない……
 ケットネーゼの最期の願いを叶えることは、無理なのだろうか……?

 俯きながら、道の端を歩くマンマチャック。
 このまま静かに、村を後にしようと考えた、その時だった。
 その声は、マンマチャックの耳に届いた。
 普通の人間であれば聞こえるはずのないその声は、山の方から聞こえてくる。

『逃げろ、そこは危険だ! 早く逃げろっ!』

 マンマチャックは立ち止まり、声の主を探す。
 道の途中で立ち止まったマンマチャックに対し、村人達は、何かしでかすのではないか、と不信感を募らせる。
 しかし、マンマチャックには、そのような村人達を相手にしている暇はなかった。
 声が、マンマチャックに告げていた。

『山が崩れるっ! 土が、川のように流れていくぞっ!』

 その言葉に、マンマチャックは理解した。
 声の主が山の木々達であり、山で土石流が発生したのだという事を。

「ここは危ないっ! 皆さん、避難してくださいっ!」

 マンマチャックは、今まで一度も出したことのないような、大きな声で叫んだ。
 村人達は、いきなり大声を上げたマンマチャックに対して、恐怖する。
 血の気の多い男達は、鍬や鋤、あるいは武器を手に、マンマチャックに襲い掛かろうと構える。

「お願いですっ! 逃げてくださいっ! すぐに山の上から土石流がやってきますっ!!」

 マンマチャックは必死に叫んだ。
 しかし、村人達にその声は届かない。

 一人の若者が、マンマチャックを捕えようと飛びかかる。
 それを皮切りに、雄叫びを上げながら、男達が次々に襲い掛かってきた。
 心優しいマンマチャックは、村人の攻撃を避ける事はできても、反撃する事はできない。 
 次第に身動きがとれなくなり、地面に抑えつけられてしまった。

「へへっ……。土人って呼ばれるわりには大したことねぇな。簡単に捕まえられるじゃねぇか」

「おいっ! どうしてこの村に来たっ!? 目的はなんだっ!?」

「土人に話が通じるかよ。馬小屋にでも繋いでおいて、明日どうするか考えようぜ?」

 口々に、酷い言葉を吐き続ける村人達に、マンマチャックはなお訴え続ける。

「話を聞いてくださいっ! 皆さんが危険なんですっ! この村から早く逃げてくださいっ!!」

 それが、最後の警告だった。
 ゴゴゴゴゴー、という地鳴りと共に、それはやってきた。
 村人の目に映ったものは、すぐそこに迫る、泥と倒木の波だ。
 その距離は、もう目と鼻の先……
 恐れおののく村人達。
 走り出す者、家に入る者、屋根に上り始める者、皆が皆、目前に迫る恐怖から逃げ延びようと必死だ。
 だがしかし、今更行動したところで、どうにもならない事は日を見るよりも明らかなこと……
 中には成す術もなく、死を覚悟し、きつく抱き合う子どもの姿も見える。

 混乱に乗じて、抑えつけられていた体が自由になったマンマチャックは、すっくと立ち上がり、大きく深呼吸をする。
 いつかのケットネーゼの言葉が、脳裏に甦る。

「人と違うって事を恐れちゃいけねぇ。それは個性であり、長所なんだからな! これから先、長く生きていくうちに、お前は誰かから差別を受けるかも知れねぇ。それは言葉であるかも知れないし、暴力であるかも知れない。けれど、それを恨んじゃいけねぇよ。憎しみは心を濁す、怒りは真実を曇らせる。そんな風になっては欲しくねぇのさ。マンマチャックよ、お前は強く、賢く、正しく生きていくんだ。そして、言ってやるんだ。この世界に生きる者は皆、平等である! ってな……。自然を愛し、人を愛した、タンタの誇りを忘れるな!」

 マンマチャックは、静かに目を閉じ、胸の前で手の平を合わせる。
 両手の甲に描かれた複雑な魔法陣が、白い光を放ち始める。
 呟くように発しているのは、地の魔法の呪文。
 ケットネーゼから受け継いだ、命を守るための言葉。
 木々の声が、マンマチャックの耳に届く。

『お前の為ならば、良い。お前の為ならば、我が身を貸そう』

 すると、村の周りに自生する木々が、見る見るうちに成長し、瞬く間に巨木の群となっていく。
 やがて巨木の群は大きな森となり、さながら城を守る城壁のように、村をすっぽりと覆ってしまった。
 目の前で起こっている現象に驚き、村人達の足が止まる。
 すぐに、巨木の群の外側で、土石流が激しく押し寄せぶつかる音が聞こえてきた。
 だがしかし、村には一滴の泥水も入り込んでこない。

 マンマチャックは、ふ~っと息を吐き、安堵の表情を浮かべる。
 この時、誰もが気付いた。
 己の間違いと、タンタの誇りの偉大さに……





 先日の雨で、大量の土石流が発生し、ボボバ山の麓の村には甚大な被害が出ているだろうと、離れ町から使者がやってきた。

 しかし、彼らが目にしたのは、今まで一度も見たことのない、森に覆われた不思議な村だった。
 村人達は、やってきた使者に口々に告げる。

「村に救世主が現れたんだ! 魔導師ケットネーゼの弟子が村を救ったんだ!」

「彼こそ、我らの救世主だ! 皆の命を救ってくれたんだ!」

「奇跡が目の前で起きた! あれは奇跡以外の何ものでもない! まさしく救世主だ! 彼は救世主だ!」

 使者達は、その者に褒美を取らせねばと、村人達に行方を尋ねる。

「彼はもうここにはいない。偉大な旅に出られたのだ。我々には決して成すことのできない、偉大な旅に……。彼だからこそ、立ち向かえるのだろう」

「しかし、またいつか、ここへ戻ってくると言われていた。その時はきっと、彼を歓迎し、快く迎え入れるつもりだ」

「同じ過ちは繰り返さない。歴史はどうであれ、彼は違った。我々も変われるはずだ……。いや、変わらねばならんのだ」

 使者達は、村人達が何を言っているのか、最初のうちは理解出来なかった。
 しかし、次の言葉で全てを理解した。

「彼は、タンタ族の青年だった……」

 後々まで語り継がれるであろうこの奇跡は、人々の間で「タンタの慈愛」と呼ばれた。
 土石流の通った道の上に、不自然に出来上がった一つの森は、タンタ族の新たなる歴史の始まりの場所となるのだった。





 マンマチャックは森を行く。
 既に、ボボバ山の麓の村を出てから数日が経っていた。
 村を救ったお礼にと、村人たちからは馬を初めとし、様々な物資を持ちきれないほどに受け取っていた為に、旅はとても順調だった。

 森の動物たちに食べ物を分け与えながら、にこやかな表情で歩くマンマチャック。
 幼い頃には、嫌な目にも遭ったし、辛く苦しい日々が続いたこともあった。
 だがしかし、ケットネーゼの言葉に偽りはなかった。
 自らが強く、賢く、正しくあれば、人は平等でいることができるのだ。

 過去に何があったのかは、よくはわからない……
 文献に残っているものや、人々の記憶に残っているものが、全ての真実だとは限らないのだ。
 それらの真実を見つける事、人々の意識を変える事は、マンマチャックには到底不可能なことだろう。
 起きてしまった事は、変えられない……
 だが、未来は違う。
 自分の行い一つで、全てを変えられるはずだ。
 ケットネーゼの教えと、強く、賢く、正しい心があれば、タンタの誇りを守り、必ずや新しい道を切り開けるに違いない。
 マンマチャックの心は、自信と希望に満ちていた。

 そしてようやく、その小さな目に、目的の地が見えてきた。
 四方を小さな山々に囲まれた、大きな町。
 中央に壮大な城がそびえ立つ、ヴェルハーラ王国の都、王都ヴェルハリス。
 マンマチャックの胸が、高鳴った。
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