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【Lesson.4】
信じてる2
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横顔しか見えなかったが、多希の視界に飛び込んできたのは、間違いなく久住だった。振り返って後ろ姿を確認してみても、やはり久住で間違いない。そして隣にいるのは、理知的で上品そうな黒髪を纏めた女性だった。
会社の知り合いなのだろうか。それにしても、二人きりで平日の夜に出かけるだろうか。会社の飲み会の帰りか何かで、帰り道が一緒になっただけかもしれない。
──でも、久住さん……笑ってた。
料理教室で時折見せるような……それよりも。表情のバリエーションに乏しい久住が、多希に見せたことのないような表情で、隣を見ていた。それが意味することは……。
「多希くん? 多希くん……大丈夫? おーい」
雑踏へ消えていくお似合いの二人の背を、多希は手の届かないところから見送った。
──『俺と付き合ってほしいんです』
『俺はいつまでも待ってます』
『由衣濱先生が俺の初恋です』
全部、嘘つき。
……────。
朝起きたら気分は最悪だった。分解しきれなかったアルコールが、覚醒しきれていない頭をがんがんと鳴らしている。美味しい思いをしても、忘れられないほど嫌な思いをしても、仕事へ行く前には全部リセットしなければならない。
今日のシフトが午後だけなのも幸いし、二度寝したら顔色はよくなった。昼食をつくっている間、昨日の光景をぼんやりと思い出す。
──お似合いの二人……だったな。
最初から手を伸ばしていれば、と、考え出すと後悔に襲われる。別に久住は不義理をしたわけじゃない。多希が「付き合えない」と言ったから、久住は違う相手のところへいった。多希が責めるような道理はないのだ。
──もし……もしも、最初から久住さんの告白に頷いてたら、変わったのかな。
今さら後悔してももう遅い。分かってはいるのに、久住とあったかもしれない未来を考えてしまう。タイムマシンが実在して過去に戻れるのなら、久住と一緒になる未来をきっと選ぶ。
──ま、今だから言えることだけど。
久住への想いを消しても変わらない日常。午後の一コマのために、多希は電車に揺られて職場へ向かった。
講義と昨日残っていた入力作業を終えた頃には、夜の七時前。秋も深くなり、外はすぐに日が暮れて暗くなる。「鬼嫁にぽってりといかれた」なんて三好の愚痴に、多希は少々の笑みで返し、退勤した。
今日は無気力なので、自炊をする気も起きない。駅前の惣菜屋で弁当でも買って帰ろうかと考えながら、日に日に冷え込む夜道を多希は歩いた。
「久住……さん」
「先生」
多希と同じく、仕事帰りらしい久住と鉢合わせた。軽く会釈をして通り過ぎようとする。
「半日ほど連絡がなかったので、会いに来ました」
「……すみません。忙しくて。見ていませんでした」
今朝、メッセージが来ていたのは知っている。通知で表示された一行目の「おはようございます」だけを読んで、多希は既読をつけなかった。だから内容は知らない。
「それならいいんです。これから少しだけ」
「今日は忙しいので。失礼します」
久住の台詞を遮り、多希は足を速めた。後ろから聞こえる足音も、同様に速くなる。
「俺、先生に何か気に障るようなことでもしましたか? やっぱり、キスしたこと……」
「久住さん」
多希は振り返ると、自分の目線より上にある久住の顔を、わざと睨みつけた。
「他の生徒さん達の目もあるので、久住さんだけを特別扱いするわけにはいかないんです。仕事では普通に接します。だからもう……」
「迷惑はかけていません。もちろん、講義は真面目に受けます。俺は、ずっと好きです」
多希の言い訳を潰しながら、久住は懲りずに気持ちを伝えてくる。けれど、同じことを言われても、以前のように多希の心は揺れなかった。
「俺は奥さんがいる人も、彼女がいる人とも、付き合う気はありませんから。セフレもお断りです」
「はい。承知しています」
「……だったら! 好きとか言わないでください」
「俺は女性と付き合ったことすらありませんが?」
「うそ、つかないでください。だって昨日……」
「昨日?」
つい口を滑らせてしまったことを、多希は悔いた。心当たりがあるようで、久住はすぐに苦い顔をする。
「ああ……もしかして、見てたんですか」
やはり他人の空似などではなくて、昨日多希が見かけたのは久住で間違いないのだ。二度も裏切られ、吸い込む息が酷く乱れた。久住が多希の腕を引く。
「その節は、やきもちを妬かせてしまい申し訳ありませんでした」
「やきもちなんかじゃ、ないです。自惚れないでください」
孤を描いたまま、唇が開く様を見て、今すぐにでも逃げ出したかった。多希の意志よりも、久住の力のほうが強く、それは叶わない。
「あの女性は先生の娘さんです。そのですね……話すとややこしいことになるのですが、ちょっとした……見合い話というか」
「み、見合い!? やっぱり結婚するんじゃないですか!?」
「断じて違います! 彼女、最近付き合い始めた男性がいますから」
「え……っ?」
呆気に取られる多希に、久住は言葉を続ける。
会社の知り合いなのだろうか。それにしても、二人きりで平日の夜に出かけるだろうか。会社の飲み会の帰りか何かで、帰り道が一緒になっただけかもしれない。
──でも、久住さん……笑ってた。
料理教室で時折見せるような……それよりも。表情のバリエーションに乏しい久住が、多希に見せたことのないような表情で、隣を見ていた。それが意味することは……。
「多希くん? 多希くん……大丈夫? おーい」
雑踏へ消えていくお似合いの二人の背を、多希は手の届かないところから見送った。
──『俺と付き合ってほしいんです』
『俺はいつまでも待ってます』
『由衣濱先生が俺の初恋です』
全部、嘘つき。
……────。
朝起きたら気分は最悪だった。分解しきれなかったアルコールが、覚醒しきれていない頭をがんがんと鳴らしている。美味しい思いをしても、忘れられないほど嫌な思いをしても、仕事へ行く前には全部リセットしなければならない。
今日のシフトが午後だけなのも幸いし、二度寝したら顔色はよくなった。昼食をつくっている間、昨日の光景をぼんやりと思い出す。
──お似合いの二人……だったな。
最初から手を伸ばしていれば、と、考え出すと後悔に襲われる。別に久住は不義理をしたわけじゃない。多希が「付き合えない」と言ったから、久住は違う相手のところへいった。多希が責めるような道理はないのだ。
──もし……もしも、最初から久住さんの告白に頷いてたら、変わったのかな。
今さら後悔してももう遅い。分かってはいるのに、久住とあったかもしれない未来を考えてしまう。タイムマシンが実在して過去に戻れるのなら、久住と一緒になる未来をきっと選ぶ。
──ま、今だから言えることだけど。
久住への想いを消しても変わらない日常。午後の一コマのために、多希は電車に揺られて職場へ向かった。
講義と昨日残っていた入力作業を終えた頃には、夜の七時前。秋も深くなり、外はすぐに日が暮れて暗くなる。「鬼嫁にぽってりといかれた」なんて三好の愚痴に、多希は少々の笑みで返し、退勤した。
今日は無気力なので、自炊をする気も起きない。駅前の惣菜屋で弁当でも買って帰ろうかと考えながら、日に日に冷え込む夜道を多希は歩いた。
「久住……さん」
「先生」
多希と同じく、仕事帰りらしい久住と鉢合わせた。軽く会釈をして通り過ぎようとする。
「半日ほど連絡がなかったので、会いに来ました」
「……すみません。忙しくて。見ていませんでした」
今朝、メッセージが来ていたのは知っている。通知で表示された一行目の「おはようございます」だけを読んで、多希は既読をつけなかった。だから内容は知らない。
「それならいいんです。これから少しだけ」
「今日は忙しいので。失礼します」
久住の台詞を遮り、多希は足を速めた。後ろから聞こえる足音も、同様に速くなる。
「俺、先生に何か気に障るようなことでもしましたか? やっぱり、キスしたこと……」
「久住さん」
多希は振り返ると、自分の目線より上にある久住の顔を、わざと睨みつけた。
「他の生徒さん達の目もあるので、久住さんだけを特別扱いするわけにはいかないんです。仕事では普通に接します。だからもう……」
「迷惑はかけていません。もちろん、講義は真面目に受けます。俺は、ずっと好きです」
多希の言い訳を潰しながら、久住は懲りずに気持ちを伝えてくる。けれど、同じことを言われても、以前のように多希の心は揺れなかった。
「俺は奥さんがいる人も、彼女がいる人とも、付き合う気はありませんから。セフレもお断りです」
「はい。承知しています」
「……だったら! 好きとか言わないでください」
「俺は女性と付き合ったことすらありませんが?」
「うそ、つかないでください。だって昨日……」
「昨日?」
つい口を滑らせてしまったことを、多希は悔いた。心当たりがあるようで、久住はすぐに苦い顔をする。
「ああ……もしかして、見てたんですか」
やはり他人の空似などではなくて、昨日多希が見かけたのは久住で間違いないのだ。二度も裏切られ、吸い込む息が酷く乱れた。久住が多希の腕を引く。
「その節は、やきもちを妬かせてしまい申し訳ありませんでした」
「やきもちなんかじゃ、ないです。自惚れないでください」
孤を描いたまま、唇が開く様を見て、今すぐにでも逃げ出したかった。多希の意志よりも、久住の力のほうが強く、それは叶わない。
「あの女性は先生の娘さんです。そのですね……話すとややこしいことになるのですが、ちょっとした……見合い話というか」
「み、見合い!? やっぱり結婚するんじゃないですか!?」
「断じて違います! 彼女、最近付き合い始めた男性がいますから」
「え……っ?」
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