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【3章】La・Ruche

元婚約者2

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拓海は何度もアイスコーヒーを啜っては、口を湿らせている。つらつらとあのときのことを語る千歳に、拓海は宥めすかすように言葉を重ねた。

「大袈裟? ああ、そうだよね。もし情報が漏れて、拓海の会社の名前に傷がつくようなことがあったら、困るよね」
「あ……いや。俺は警察に行けとは頼んでないのに……」

目の前の氷水を浴びせてやりたい衝動を抑え、千歳は申し出を断った。

「今は他の仕事をしているから行けない」
「休日なら空いてるだろう? 給料もちゃんと出すよ」
「シッターのアルバイトをしているし、急に頼まれることもあるかもしれないから無理だ」
「アルバイト? それで暮らしてるのか?」

小馬鹿にしたような言い方に、千歳はむっと言い返した。

「住み込みで給料もあなたからもらうよりずっといい。アドルカにいたときより、よくしてもらってる」

千歳は財布から札を抜き、アイスコーヒーのお代を叩きつけるように置いた。拓海が追いかけてくるようなことはなかった。


……────。


本当に何から何まで失礼な人だ。あの場にいることが耐えられなくなり、千歳は小走りでホテルを出た。学生時代にあんな男の存在が輝いて見えた、自分の目がどうかしていた。自己中心的な態度や言動は、歳を取ればいずれは変わるのだと信じていたが。

──拓海はアルファで経営者だし。オメガの僕とは考え方が違うのかも。

問い詰めると言い淀むところも怪しく、千歳は彼の全てを信用しきれていない。あの日、抑制剤を服用していたのでオメガのフェロモンが漏れていたとは考えにくいし、痴漢はあんな人の目のある場所で、犯行に及ぶだろうか。何か仕組まれているような気がしてならない。証拠の写真は拓海が持っている以上、千歳からは何も言えない。

ユキとレグルシュが待っている家へ早く帰ろう。
ティースタンドが立ち並ぶ華やかな通りには目もくれず、千歳は駅の方へと歩き出した。

「お前……ユキをうちに置いていって三ヶ月になるんだぞ。ユキがかわいそうだ。早く引き取りに来い!」
「分かってるわよ! あんたに言われなくてもっ!」

──え? レグルシュさん……?

美男美女の激しい言い争いは、道行く人々の視線を一手に集めていた。レグルシュの声とユキという名前に、千歳は立ち止まる。

レグルシュの隣にいるのは、手足の長い外国人風の女性だ。派手な赤いシャツに細身のジーンズを履いた女性は、あのレグルシュに劣らないくらいの気迫を纏っている。

「オメガの旦那なんて持つからこんなことになるんだ。俺は反対したのに。どうせ今頃、運命の番とやらと一緒になってるぞ。自分の子供を捨ててな」
「そんなことする訳ないじゃない! あんたは子供がいないからそういうの……分からないんだろうけど。……ユキは、もうちょっと預かってて。お願い。旦那は絶対に見つけて連れ戻すから」
「……たまにはユキに会いに来い。お前に会いたがってるぞ」
「うん……ユキに言わないでくれてありがとね。近いうちに、絶対会いに行くから」

──もしかして、あの人が……ユキくんのお母さん?

ウェーブのかかった髪が、あの天使のようにくるくるした巻毛の頭と重なる。ユキがずっと会いたいと願っていた母親は、道の脇に停めてあった車に乗ると、すぐにその場を離れた。見てはいけないようなものを見た気がして、千歳はすぐに物陰へと隠れた。

帰り道、レグルシュと女性のやり取りを思い出していた。ユキはレグルシュの実子ではなく、ママがいてパパはどこにいるのか分からなくて……。

千歳が出掛けていて、レグルシュも家を空けているということは、ユキは今一人ぼっちなのだろうか。早く帰らないといけない。

息を切らした千歳が玄関を開けると、涙目になったユキが突進してきた。

「ちいいいぃっ!!」
「ただいま……ごめんね。一人で寂しかったね」

続いてもう一人の男が、ユキの後ろを追いかける。La・Rucheの店長の宇野木だと分かり、千歳は驚いた。

「宇野木さんっ? どうしてここに」
「いやあ……レグから急用が入ったからユキくんを見てくれ、って連絡が来てね。あ、お店は大丈夫。バイトの子達に言ってあるから」

ぐずるユキを抱き上げて、千歳はリビングへ入る。綺麗に整頓されていた昼間の面影はなく、台風でも通り過ぎた後のように散らかっていた。壁にかかっていたスワッグや小物があちこちに散乱している。

「あ、ガラスとかは落ちてないし、俺もユキくんも怪我はしてないよ。座って座って」

まるで家主のように振る舞う宇野木は、コーヒーとユキの分のジュースを淹れる。

「これは一体……」
「よくぞ聞いてくれたね、和泉さん」

宇野木は誇らしげな顔をしたが、腕の中のユキに睨まれると、しくしくと泣く演技をし始めた。最初は千歳とレグルシュの帰りを待っていたユキが突然、癇癪を起こしてしまったらしい。面識のある宇野木にはさすがに噛みついたりはしなかったが、暴れて泣き喚いて大変だったと──宇野木は事の顛末を語った。
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