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第1部
19話 彼女にイイトコ見せてみたい(前編)▼
しおりを挟む「マティウス、アレク。今日は外出の予定はなかったけれど、個人的に行きたい場所があるの。付き合ってもらってもいいかな?」
早朝、いつものように部屋に入った俺達に、開口一番ティアラはそんなことを聞いてきた。
「いいも何も、俺達はティアラの行く所ならどこへでも着いて行くし」
俺の横でそれに黙って頷くアレク。
そもそも最初から俺達に拒否権など存在しない。他の連中より彼女と親しい仲とはいえ、俺とアレクはただの護衛だ。
まぁ、あまりにも危険な場所に行こうとしている場合は止めるかもしれないが。
でもこうやってわざわざ俺達に断りを入れてくる辺りが、彼女らしいと言えばそうなのかもな。
「ありがとう。それじゃあ、早速だけど今から出発するね」
「姫様、お着替えはなさらないのですか?」
意気揚々と部屋を出ようとするティアラにタニヤが声をかける。
確かに今ティアラが身に着けている肩紐の細いワンピースは、あくまで部屋着として利用している物だ。普段はこの格好のまま外出はしない。
一度だけ「それワンピースと言うよりベビードールなのでは……」と疑ってしまうような際どい物を着ている時に、窓から飛んで行ってしまった書類を取りに部屋を飛び出したことがあった。
しかし「そのまま外に出るなんてとんでもない!」と兵士や他の侍女達が慌てて止めに入っていたこともあったっけ。
恥ずかしがり屋の彼女だが、そのあたりの感覚だけはどうも大雑把らしい。
そんなわけである程度俺が予想していた通り、ティアラはタニヤのその問いに首を横に振った。
「今日はこのままで行くよ」
「しかし姫様……」
「いつもの外出用のドレスに着替えたら、私が姫だということがすぐにばれてしまう。今日はできるだけ目立ちたくないの」
その格好は格好で、目立ってしまう気がしないでもないが……。
愛らしい容姿に加え、肌の露出部分がかなり多いのだ。俺でなくとも、通りすがりの男達は一度は振り返ってしまうだろう。
自分には人の目を惹くだけの魅力があるということを、ティアラにそろそろ自覚してほしいと思ったり思わなかったり。
「では姫様、せめて上に何か羽織ってください。外はもう随分と涼しくなっておりますよ」
「あ……そうか。じゃあそうするよ」
お、ナイスフォローだタニヤ。さすが長年ティアラの侍女をしているだけはあるな。
亀の甲より年の功……とか言うと絶対に怒られそうだから口には出さないが。
タニヤはクローゼットに向かうと、白色のふわふわしたケープを手に戻ってきた。
それを慣れた手付きでティアラに着せながら、タニヤは外出時にいつも言う、ある種の決まり文句のような言葉を続ける。
「馬車の手配はどうされますか?」
「それも今日はいいよ。歩いて行きたいの」
「……わかりました」
いつもと違うティアラの返答に、タニヤも戸惑いを隠せないでいる。
「徒歩のうえ目立ちたくないって、もしかしてヤバイ場所に行くつもりなのか?」
「…………」
ティアラは俺の問いに困ったように小さく笑うだけ。それについてはあまり触れて欲しくないみたいだ。
彼女の反応に困ってしまった俺は、何も言うことができず硬い髪をガシガシと掻くことしかできない。
まぁ、どこへ行こうが、俺とアレクの仕事に変わりはないから別にいいか。
「それじゃあタニヤ、お昼までには帰ってくるからお留守番よろしくね」
「はい。お気をつけて」
タニヤに手を振り部屋を出るティアラの後ろに、俺とアレクはただ黙って着いて行くのだった。
城下町のメイン通りを、南へ、南へとただ歩き続ける俺達三人。時おり通りを吹き抜けていく風は、少し冷たさを孕んでいる。
そういえば湖の透明熊騒動から、今日で三ヶ月経つんだよな。
結局あれから泳ぎに行くような機会はなく、ティアラの水着姿もあれ以来見ていない。
いや、俺の頭の中では、ティアラは毎晩水着姿で元気に浜辺を走り回っておりますが。でもそろそろ新しいオカズガフんがんっん。
何でもない。何でもないぞ。今のは言葉のアヤというやつだ。気にするな。
なんてことを見えない誰かに言い訳している内に、俺達は『開発区』と呼ばれている地域に入る。
およそ三十年ほど前、城下町の区域を広げるために整備された一帯だ。
整備前は古く低い建物が並び、貧民街とさほど変わらない風景が広がっていたらしいが、今では城に近い場所と遜色のないほど明るくて綺麗な町並みになっている。
ティアラはやや東寄りに進路を変えつつも、開発区の中をさらに南へと歩き続ける。
彼女の後ろを歩き続けながら胸の中にある不安が生まれ、気付いたら俺はそれを声に出してしまっていた。
「ティアラ。このまま進むと貧民街に行ってしまうぞ」
貧民街――。
言わば開発から取り残された、南東に広がる区域のことだ。
城下町と比べると薄汚く、そして今にも壊れそうな古い建物がひしめき合っている。
金の無い者はもちろん、素行の悪い者、あまり人様に言うことができない職業の者、そして前科がある者――。
そんな様々な後ろ暗い背景を持つ人間が、必然と集まってくる区域でもある。
治安が良いとはお世辞にも言えないので、清楚で可憐な雰囲気の彼女が貧民街に入ってしまったら、たちまち目をつけられてしまうことだろう。
もっとも、そんな虫共は俺達が即座に追い払うつもりだが。
「どうしても、自分の目で見ておきたいの」
ティアラは前を見据えたまま静かに、でもはっきりとした口調で言い切った。
彼女のその言葉は俺の質問の答えになっていないようで、そうではなかった。
彼女の目的地は最初から貧民街だったのだと、俺はその言葉でようやく悟る。
開発区と貧民街の境目は、かなりはっきりとしている。
開発区には石畳の舗装がしっかりと施工されているのに対し、貧民街に入ると途端にそれが途切れ、剥き出しの硬い砂地になるからだ。
その境目がもう前方に迫っていた。
変わっていないな――。
まるで線でも引いたかのように、境界でがらりと変わってしまう景観。
久々に目にしたその景観は、俺の心に少し懐かしい感覚を運んでくる。
……いや、何を懐かしんでんだよ俺。
そんな自分に対し、二人に聞こえない程度に小さく舌打ちをする。
良い思い出など何もないのに、郷愁を感じてしまった自分が何だか許せなかったのだ。
俺の家は、開発区と貧民街のちょうど境目にあった。
境目とは言ってもギリギリ開発区には入っていたので、貧民街の人間からすると俺は紛れも無く開発区の人間だ。
だが他の開発区の奴らにとっては、俺はほぼ貧民街の人間という認識だったらしい。
『貧民街に近い』ということは、それだけで近付きたくない理由になる。
そんなわけで俺はどちら側の人間からも疎まれており、子供ながらにその他者の感情に気付いていた俺も、積極的に他の人間と交流することはなかった。
ちょこちょこと小動物のように可愛らしく歩き続けていたティアラだったが、突然開発区と貧民街の境目の上で、ピタリとその足を止めた。
「お父様もこの開発から取り残された区域をどうにかしたいと考えているみたいだけど、今は予算の関係でどうすることもできない。でも私がもっと大人になった時には、何とかできると思うの。その時に、ここの人達も納得できるような整備をしたいなって私は考えているんだ。街並みをただ綺麗にするだけでは、ダメだと思うから。だから、自分の目で確かめておきたかった」
「ティアラ……」
既に貧民街で暮らしている人間の中には、現状の生活で満足している奴もいる。
だがこの鬱々とした街並みや暮らしに、不満を持っている奴も少なくはない。
誰もが納得できる公平な生活なんてものは、どこの国にも存在しないだろう。だが彼女は、将来この国を背負う王女だ。その理想を追求しないといけないという義務がある。
この小さな体に圧し掛かる、国という存在――。
俺とは違う。彼女と俺は、住む世界が、違う――。
わかりきっていたことなのに、改めてそれを突きつけられたような気がした。
それでもできる限り、俺は彼女の傍らに居たい――。
そう願ってしまうのはただの我侭だろうか……。
「行こうか」
そう言って再び足を踏み出すティアラだったが、しかしアレクがその彼女の動きを止めた。
「すみません姫様。オレ、突然用事を思い出したので、少しばかり離脱します。このままオレのことは気にせずに進んでください。また後ほど合流致しますので」
「へ? う、うん……。わかった……」
アレクは淡々と言うや否や、その言葉通り俺達に背を向けて歩き出す。
俺は慌てて彼女の後を追い、その肩をグッと掴んだ。
「ちょっと待て。何を考えているんだお前」
「悪漢に絡まれる女性を助けるだけで、お前はヒーローだ」
「は?」
「というわけで、姫様のお前に対する好感度を上げる作戦、スタート」
「いいっ!? ちょっと待て!?」
いきなり作戦スタートとか言われても訳がわからんし!?
しかしアレクはマントを翻し、瞬く間に貧民街の狭い路地裏へと姿を消してしまった。
俺は片手を前に突き出したまま、ただ唖然とするばかり。
いや、俺の恋を応援してくれるってことなんだろうけどさ。お前の心はありがたいんだけどさ。でもいきなりすぎるっつーの。
せめてそういうことは事前に言っておいてくれ……。
とりあえずアレクが言ったことから連想するに――。
一.アレクが普通のか弱い女性に扮し、貧民街のチンピラに絡まれる。
二.それを俺が助ける。
三.勇敢な俺の姿を見たティアラが「マティウス素敵!」
という三段活用を利用しようとしているのだろうか。むしろそれしか思い浮かばない。
とぼとぼとティアラの元へ戻りながら、やはりアレクは何を考えているのかわからん、と俺は独りごちるのだった。
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