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第1部

3話 俺の同僚が完璧でツライ(前編)

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「新しい護衛か……」

 何の気なしにポツリと吐いた俺の独り言に、椅子に腰掛けて本を読んでいたティアラが反応した。

「大丈夫だよ。きっといい人だよ。マティウスみたいに」
「あ。えと……」

 柔らかな笑顔で振り返った彼女に、俺は上手い返しをすることができず言葉を詰まらせる。

 ……あぁ、そんなこと言われたのが初めてだから照れてるさ。悪いか!
 そしてやっぱりティアラの笑顔は可愛い。もっと見たい。
 肩まで伸びた柔らかそうな髪も、いっぱいなでなでしてみたい。ついでに小さな肩も優しくモミモミしてあげたいっ!

 ――ちなみに俺の頭は至って正常だ。壊れてはいない。

 俺が王女様の護衛になってから今日で一ヶ月。

 俺はこの一ヶ月で、彼女の名前を呼ぶのにほぼ抵抗はなくなっていた。
 慣れって怖い。

 最初のうちはタニヤに色々と突っ込まれたのだが、王女様にお願いされたからと一貫して主張していたら納得してくれたのか、特に何も言われなくなった。

 それはさておき。
 ティアラが十六の誕生日を迎えるまで、残り三ヶ月となった。
 あと三ヶ月で、この国に一人しかいない世継ぎのティアラが婚姻できる年齢になる。
 そして、それは不穏因子が増えることを意味していた。

 彼女に取り入ることができればいずれ――、という考えの奴はこの王宮内に結構な数で存在しているみたいだった。当然、王宮外にもいることだろう。
 直接確認したわけではないが、俺はそう確信していた。

 様々な欲望が渦巻く貧民街に近い場所でずっと育ってきた俺は、何となくそういう人間の欲の『におい』を感じることができるようになっていた。

 だが貧民街の『金』『腹減った』『女』という生きることと直結する欲望と違い、ティアラの周りに渦巻く欲望は『権力』だ。単純に解決できないものだけに面倒くさい。

 陛下がこのタイミングでティアラの護衛を増やすことを決めたのは、虎視眈々と王の座を狙っている奴らに対して牽制しようという考えがあってのことだろう。お前らに娘とこの国は渡さん、と。

 そんな陛下の愛娘に、俺は出逢って二日目で惚れてしまった。

 ……仕方ないだろ。人を好きになるのは理屈じゃないんだし。
 一応断っておくが、俺は権力なんぞに全く興味はない。純粋な彼女の人柄に惹かれただけだ。

 誰に言い訳をしているのかわからんけど、そんなことを考えつつチラリと時計に目をやる。
 十時五分前。
 そろそろ新しい護衛が来る時間だな――。

 まさにそう思った時、扉がノックされた。

「おはようございます。新しく配属された護衛です」

 それは男にしては高め、女にしては低い中性的な声だった。

「どうぞ」

 読んでいた本を机に置き、ティアラが椅子から立ち上がる。

 今日のティアラはいつも部屋着として着用している肩紐の細いワンピースではなく、俺と初めて会った日と同じ、丈が少し短めのドレスを着用していた。
 そのドレスの裾がティアラの動きに合わせてふわりと靡く。

 俺は彼女より先に扉の前に行き、万が一の時のことを考えて腰に携えた剣に意識を向ける。

「失礼します」

 静かに開かれた扉から入ってきたその新しい護衛に、少し張り詰めていた部屋の空気が華やいだ。

 大人っぽい、落ち着いた雰囲気を醸し出してはいるが、少しあどけなさの残る顔は俺と同い年か少し下だろう。
 頭に紺色の布を巻いていて髪型の全容はよくわからないが、僅かに覗く前髪は、艶のある黒真珠のような色をしていた。
 得物は俺の背丈ほどの長さの槍。そして頭の布と同色のマントを羽織っていた。

 目を惹くのは、その顔だった。
 スッと通った鼻梁、肌理きめ細かな肌、そして意思の強さが滲み出る、ざくろのような紅色の瞳。

 美少年という単語以外思い浮かばないほどの、美少年だった。

「わぁ。カッコイイ……」

 ぴぴくうッ!

 小さく呟いたティアラの言葉に、俺の耳が異常なまでに反応した。

 ……あぁ。どうせ俺は特筆することのない普通のツラだよ。俺がこの美少年に勝っているのは背の高さだけだよちくしょう!

 と俺が心の中で少しいじけている間に、美少年は槍をクローゼットの横に立て掛け、颯爽とティアラの前まで歩み寄る。
 そして彼女の左手を取ると、その場にかしずいた。

「アレク・ベリセウルスと申します。今日この瞬間から、貴女を全力でお守りすることを誓います」
「ティアラ・F・アルゲドです。これからよろしくお願い致します、アレク」

 下からティアラの目を真っ直ぐと見つめながら言い切った後、その美少年――アレクは軽く握っていた彼女の左手の甲にキスを落とした。

 ちょっとイラッときたのは、美男美女の絵になりすぎる光景に俺が嫉妬したからではない。断じてない!

 ……くそ、俺も初対面の時にアレをやれば良かった。

 少し頬が朱に染まったティアラを見ながら俺が内心歯噛みしていると、アレクが立ち上がり俺の方を振り返った。
 その視線からこちらに自己紹介の催促をしているのだとわかったので、俺は努めて平静を装いながら答える。

「マティウス・ラトヴァラだ。俺も一ヶ月前に配属されたばかりなんだが、まぁよろしく」

 ティアラに好印象を与えるため、あまり乗り気ではなかったが俺はアレクに手を差し出した。
 一拍置いた後アレクは俺の手を握り、握手を交わす。

 アレクの手は女性のようにすべすべで、柔らかかった。
 少し気持ち良いと思ってしまった自分をぶん殴りたい。
 誤解されぬよう言っておくが、俺にそっちの気は全くないから。本当に。

「姫様ー。これからシーツお洗濯しまーす」

 ドアの外から響いてきた呑気な声に俺達は手を離す。
 間を置かず侍女のタニヤが、平積みにしたタオルを抱えて部屋に入ってきた。

「あら? あららら? もしかして新しい護衛の方? 私、姫様の侍女のタニヤです。よろしくねー」
「……アレクです。よろしく」

 タニヤは積んでいたタオルの横から顔をひょこっと覗かせてアレクに言うと、奥の寝室へスタスタと去って行った。

 相変わらず軽いな、この侍女は……。
 アレクはタニヤのその態度に少し興味を持ったのか、彼女の後ろ姿をしばらく目で追いかけていた。

「アレク。これからお城の中を案内するね」
「お願いします」

 ティアラの言葉にアレクは無表情のまま答える。
 その様子を寝室の奥から見ていたらしい、タニアの小さな独り言を俺の耳がキャッチした。

「これから毎日あの顔が見ることができるなんて。眼福眼福」

 まったくあいつは……。






 俺は自分の部屋の床に正座させられていた。
 そして部屋の主である俺を差し置いてベッドに脚を組んで腰掛けているのは、タニヤだった。

 何でこんな状況になっているのか、自分でもよくわからん。

 今日の護衛の任務を終え部屋に戻った直後、いきなりタニヤが俺の脇をすり抜け、勝手に侵入してきたのだ。
 そして開口一番「はいそこに座る。正座」と命令してきやがったのだ。

 当然抗議したのだが、彼女のやけに冷めた目線に従わらずをえなかった。

「さて、マティウス君」
「な、なんだよ……」
「強力なライバルが出現したわね」

 彼女の言葉に、俺は思わず口の中の水分を噴出してしまうところだった。

「な、な、な――!?」
「何で私が君の気持ちを知っているのかって? そりゃこの一ヶ月、あんだけ熱い視線を姫様に注ぎ続けてんだからわかるわよ」

「……マジで? 俺、そんなに見てた?」
「うん。凄くわかりやすかった。ばれたくなかったのならもっと上手にやんなさいよねー。見ているこっちが恥ずかしいわよ。もっとも、姫様は全然気付いていないみたいだけど」

 タニヤのそのセリフに、俺の心に小さな棘が刺さる。

 薄々気付いてはいたが、ティアラは自分に向けられる色恋の感情に疎いタイプなわけか。

「姫様って身分なんて関係なく優しく接してくださるもんねぇ。それに仕草もいちいち可愛いらしいし。マティウス君あれでしょ? 二日目のアレで姫様に惚れたクチでしょ? 『お友達になったから敬語は禁止』だったっけ?」

 え、いきなり何、この尋問?
 そもそも何で今、俺の繊細な気持ちが公開処刑されてんの?

 正直に白状すると俺、これが初恋だから。十七にしてやっと訪れた初恋だから!
 できれば他人に踏み込まねーで欲しいんだけど!

 露骨に嫌な表情をする俺を見たタニヤが、そこで腕を組んだ。

「まぁまぁ、そんなに警戒しないでよ。ただね私、アレク君を初めて見た時の姫様の反応がちょっと気になっているのよねぇ」

「何か変だったか?」

「私もう三年ほど姫様の侍女をやっているのだけど、今まであんなふうに『カッコイイ』とか、初対面の男の人の容姿について声を洩らしたことなんて、一度もなかったのよ」

 確かにティアラの控え目な性格からして、それは大いに引っ掛かる事案ではある。
 いや、もの凄く気になる。
 それって、ひょっとして――。

「つまり、ティアラはアレクに……ひ、一目惚れしてしまった、と?」

 俺は自分が吐いたセリフに自分で打ちのめされていた。
 目の前が真っ暗だ。
 遅咲きだった俺の初恋だが、終わるのは早かったな……。ちくしょう……。

「そう断定してしまうのは尚早だと思うけど。でも可能性が高いことは間違いないわね」

 何だこの心臓を爪で摘まれた感じ。心がめっちゃ痛い。
 え、失恋ってこんなに苦しいものだったのか?
 ちょっと俺、マジで泣きそうなんだけど。

 しかも、明日からも彼女の護衛をしないといけねーのに。彼女の恋する顔を見ながら過ごすなんて何て拷問だよ。

 ……どうしよう。無理だろうけど、配属先を変えてもらうように掛け合うべきだろうか。

「そう落ち込むのはまだ早いわよ。これからマティウス君の良いところを姫様にアピールして、挽回を目指ざすのよ」
「いや、でも――」

「ええ、あなたの言いたいことはよくわかるわ。アレク君は容姿端麗。言葉使いも丁寧だし、無表情なところもミステリアスな雰囲気という意味で二重丸。はっきり言って今のままでは、マティウス君にさっぱり勝ち目はないものね!」

「そんなにはっきりキッパリと言うなや!」

 この金髪侍女絶対Sだろ!? 絶対俺を苛めて楽しんでいるだろ!?
 何だか傷口に塩を塗りたくられた気分だ。
 ちなみに今、俺の目の端に浮かんでいる水はただの汗だからな!

「そこでこの作戦よ!」

 俺の態度など一顧だにせず、タニヤは興奮しながらエプロンのポケットから一枚の紙を取り出した。

 それは、金額だけが書かれた一枚の領収書だった。意味がわからない。

「……何だこれ?」
「見ての通り領収書。昨日ね、私姫様に姿見を買ってくるようにとお使いを頼まれたの」

「それがどうしたってんだ」
「その姿見かなり大きい物だから、明日の朝一で城門まで運んでもらう手配にしてもらっているの」

「つまり、俺がその大きな鏡を軽々と運ぶ姿をティアラに見せるってことか?」
「甘い、甘いわマティウス君。砂糖を十杯入れた紅茶よりも甘いわ! それだけで乙女の心は簡単に動くものではないわよ!」

 十杯も紅茶に砂糖を入れたら溶けないんじゃね? と変なところに心の中でツッコミつつ、じゃあどうするんだよ、と俺はタニヤの言葉を待つ。

「実は姫様、かなり前に模様替えしたいなぁ、って仰られていたの」
「……なるほど。そのでかい鏡を搬入するついでに、俺が部屋の模様替えをティアラに提案して、活躍すれば良いんだな?」

「正解! なかなか察しが良いわね。見た感じアレク君てかなり華奢だったから、力仕事はあまり得意でなさそうだしね。その点、君なら大丈夫でしょ?」
「おう、任せとけ」

 俺は軽く拳を握ってタニヤに答える。

「で、まずマティウス君が、姫様のことをよく理解しているんだぞといった態度で、部屋の模様替えを提案。最初は姫様も遠慮するでしょうが、そこは強引に押し切るのよ。そしてここぞとばかりに八面六臂ろっぴの大活躍を見せれば、きっと姫様は君のことを見直すだろうし、君は姫様の笑顔を見ることができて心もハッピー薔薇色でしょうし、私は運ばなくてラクできるし、まさに良いこと尽くめ! ってなものよ」

 何だか最後のセリフが少し気になったが、それはひとまず置いといて。

「一つ聞きたい。何でお前はそんなに俺に協力的なんだ?」
「えっ!?」

 俺が質問した途端、タニヤの目が不自然なほど泳ぐ。

 ……怪しい。

 しばらく視点の定まらなかったタニヤだが、突然真っ直ぐと俺を見据えてビシッ! と指を一本突き出した。

「だ、だって、三角関係の人間模様を毎日観察できる、絶好のチャンスなんだもの! こんな面白そうなことをほっといておけるわけないでしょ!」

「…………」

「…………あ。しまった……」

 タニヤは額から一筋の汗を垂らすが、すぐさま満面の笑顔を作り直して続けた。

「私毎日マティウス君を見てて、甘酸っぱい思いをしている君をつい応援したくなっちゃったの☆」
「今さら遅ぇよ!」

 とりあえず今こいつは、本音と建前を間違えて俺に告げた、というのはよおぉくわかった。

 正座で少し痺れた足を引き摺りつつ、俺はペキペキと指の関節を鳴らしながらタニヤへと近付くのだった。



 上手くいったら飯を奢ってもらうという条件で、とりあえずタニヤのその件については手打ちにしてやった。
 俺の心の広さに感謝しろ。
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