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お店をはじめよう①

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 誰もいない、煉瓦が敷き詰められた静かな路地裏で。
 一人の青年が、宅配バイクの前で座りこんでいた。



 青年――大鳳正義おおほうまさよしは、弁当屋でバイトをするフリーターだ。
 メインは配達だが、人手が足りない時は厨房で調理もする。
 高1の春から始めたバイトなので、今ではすっかり中堅だ。

 今日もいつものように、バイクで弁当を届けに行った。
 その帰り、交差点で信号待ちをしている時に突然足元が光に包まれて――。

 気付いたら全く見知らぬ場所にいたのだ。
 明らかに日本ではなかった。
 それは建造物もそうだし、道も大きな通りには煉瓦が敷き詰められていて、アスファルトで舗装された道なんて一つも見当たらない。
 
 そしてなにより、道行く人たちの格好がまったく見たことのないものだった。
 ひと言で言うなら、ファンタジー系。
 皆が皆、まるでゲームの登場人物のような格好をしている。
 中には、動物のような耳や角を持つ人までいたのだ。

 俗に言う『異世界』という所に来てしまったのだと、正義が理解するのにそれほど時間はかからなかった。
 理解はしたけど、信じたくはなかったが。
 それから正義は宅配バイクを人目の付かない場所に置き、街の中を歩き回った。
 少しでも元の世界に戻る手掛かりを見つけるため。

 だが何もわからなかった。
 わかったことといえば、街の中心部に大きな三人の女神像が立っていること。
 そしてこの世界の人の言葉がなぜか理解できる、ということくらいだ。
 勇気を出して、通りすがりの女性に「ここはどこですか?」と聞いてみたところ――。

「ここはヴィノグラードよ」

 という、さらに頭が痛くなる答えが返ってきたのだ。

 失意のまま宅配バイクの所に戻った正義は、そのままへたり込んでしまい、今に至る。
 まったく未知の世界という緊張感に加え、飲まず食わずで歩き回ったので、もう動ける気力が残っていなかったのだ。
 ポケットの中のスマホの存在を思い出したが、当然のように電波は圏外だし、通話も繋がらない。
 残りの充電が58%という数字を見て、なんとなく温存しておきたくて電源を落とした。

 正義の頭上で、空が次第に暗くなっていく。

(この世界にも夜はあるんだな。俺、このままこの世界で餓死するんだろうか……)

 ぼんやりと考えたその時。

「君、こんな所でどうしたの? 大丈夫?」

 突然、頭上から女性の声が降ってきた。
 うつろな目で正義が見上げると、そこには買い物帰りらしき、荷物を持った女性が立っていた。
 驚いたのは、頭に2本の短い角があること。
 だがそれ以上に気になったのは、なかなか目のやり場に困るような胸元をしていることだ。
 ひと言で表現してしまうと……でかい。

 とはいえずっと目をそちらにやるのは失礼だと自分の心を諫め、正義は女性の顔を見つめた。

「ええと……。実は迷子でして……。お腹も減って動けないんです……」

 正義は言葉を選びつつ、今の状況を正直に話す。

「えっ、それは大変だ。良かったらうちに寄っていきなよ。うち、食堂をやってるんだ」

 朗らかに言う女性。
 見た目の女性らしさとは裏腹に、なかなか快活な話し方だ。

「でも、お金も持ってないです……」

 宅配用の釣り銭はあるのだが、このファンタジーな世界で日本円が使えるわけがないだろう。

「そんなこと遠慮しないでいいって。今日はちょうど定休日だしさ。見たところ本当に困ってるようだし、寄ってけ寄ってけ~」

 正義は一瞬躊躇するが、空腹を訴えてくる腹の音に負けた。
 得体も知れない正義に声をかけてくれた女性の厚意に、今は甘えることにした。

「ありがとうございます……。本当に助かります」
「困った時はお互い様ってね。それじゃあ早速出発だ。うちの店までもうちょっと頑張って歩ける?」
「はい、頑張ります」

 正義は立ち上がると、宅配バイクのロックを外す。
 ここに置きっぱなしにするのは、なんとなくマズイ気がしたのだ。

「……それ、君の私物?」

 物珍しげに宅配バイクに視線を送る女性。

「あ、はい。一応乗り物なんですが……」

 ここで乗ると音で周囲の注目を集めそうなので、エンジンをかけるのはやめておく。
 なにより、残りのガソリンを無駄にしたくない。
 おそらくこの世界にはガソリンなんてないだろう。

「へぇ~、こんなの初めて見た。服装もちょっと雰囲気違うし、君は他所の国から来たんだね。それでどこの国?」
「えっと……わからなくて……」
「へっ?」

 さすがに馬鹿正直に「別の世界から来ました」とは言えなかった。

「もしかしてだけど、記憶喪失……なの?」
「まぁ……はい……」
「なんてことだ……。大変じゃないか……」

 嘘をついてしまったことに罪悪感が発生するが、正義はこの世界について何も知らないことは事実だ。
 ある意味、記憶喪失と同じようなものだろう。

「とにかく、まずはうちの店に戻ろう。そういえばまだ名乗ってなかったね。私はカルディナ。『お食事処・袋小路』で店長をやってるんだ」
「俺は大鳳正義おおほうまさよしです」
「良かった。名前は覚えてるんだね。それでオオホー? て呼べばいいのかな」
「あ。マサヨシで大丈夫です」
「わかった。それじゃあマサヨシ、早速出発だ!」

 朗らかなカルディナの声が、人気のない路地裏に響いたのだった。
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